戦後十余年で海外へ。ハーブに導かれ、食文化研究家として活躍してきた北村光世。時代の波をくぐり、道なき道を切り拓いてきた北村に、この困難多き日々を生き抜く知恵を尋ねた

BY NAOKO ANDO, PHOTOGRAPHS BY MASANORI AKAO

 1958年、19歳の女性がたったひとりで、神戸港沖に停泊する貨物船に乗り込んだ。のちに大学でスペイン語の教鞭を執り、さらにはハーブやオリーブオイルを中心に食文化の研究者として活躍することになる北村光世の“はじめの一歩”であった。

 京都で生まれ育った北村は、幼稚園から同志社に学んだ。父は同志社中学の教師。小学1年生の夏に終戦を迎え、2学期から教科書も授業内容もガラリと変わったことを鮮明に覚えているという。中学に進んでからは、ハリウッド映画に夢中になった。留学を決意したのは、大学の英米文学科1年生のときだ。奨学生を募集する大学を調べあげ、申請書作成のためにタイプライターを猛勉強。日本人がほとんどいないアメリカ中部の大学を狙い、片っ端から送った。

画像: 北村光世(MITSUYO KITAMURA) 1939年、京都府生まれ。青山学院大学スペイン語教授を務めたのち、食文化研究に専念。イタリアの地域に根ざした食文化を研究し、ハーブとオリーブオイルを使った料理やハーブを活用する暮らしを紹介する。写真は自宅のリビングにて

北村光世(MITSUYO KITAMURA)
1939年、京都府生まれ。青山学院大学スペイン語教授を務めたのち、食文化研究に専念。イタリアの地域に根ざした食文化を研究し、ハーブとオリーブオイルを使った料理やハーブを活用する暮らしを紹介する。写真は自宅のリビングにて

「そのほうが英語を早く覚えられるでしょう?」とは北村の弁。約20通目の申請でようやくウィスコンシン州立大学から4年間の学費免除にて入学許可を得た。「申請書を山ほどタイプしてブラインドタッチを覚えたから、今もパソコンでメールを書くのが楽ね」というおまけもついた。こうして乗り込んだ貨物船には個室もあり、食事は船長と同じものが供された。「毎日行けども行けども海。エンターテインメントはないけれど、鯨が潮を吹くのを見てメルヴィルの『白鯨』を思い出していたわ」

 ウィスコンシンでは、父の同僚の紹介で大学近くの牧師宅にベビーシッターとして住み込んだ。システムキッチンやディッシュウォッシャーを備えた家で、週末は友人を招いて食卓を囲むという、アメリカ黄金時代の暮らしを味わった。大学では、女生徒は家政科を専攻しなければならないことが合格後に判明した。まずは文学の代わりに実用的な型紙を使った洋裁やカップケーキの作り方から、生理学や解剖学まで学んだ。その過程で出会ったのが製粉ブランド、ベティ・クロッカーの料理書だ。「アメリカの料理書は、レシピだけでなく料理の歴史や調理の科学的な話などが書かれていて、読み物としても面白いのよ」。現在北村が所有する膨大な外国の料理書コレクションのはじまりである。家政科は想定外だったが、「やってみたら結構面白かった。このとき学んだことが今も役に立っているのよ」

 一年後、奨学生も転校が可能と知り、ミシガン州のホープ・カレッジへ。学生寮の食堂に働き口を見つけて寮に移り住んだ。2年生で学び始めたスペイン語の発音が耳に心地よく、すぐさま夢中になった。3年生からの専攻を英米文学からスペイン語学に変更し、さらに奨学金を得て、夏休みに2カ月間、メキシコへ語学留学。日本から持参した200ドルの現金がほぼ尽きた状態での新たなチャレンジだ。不安はなかったかと尋ねると「心配よりも、やりたいこと、目の前にあるやるべきことを一生懸命こなすので精いっぱいだったわね」

画像: 行く先々で“日本人来たる!”と地元新聞のニュースになった

行く先々で“日本人来たる!”と地元新聞のニュースになった

 メキシコシティでは老婦人の家に下宿。近所にはフリーダ・カーロの生家があったという。アメリカ料理に飽きていた北村の舌にメキシコ料理は大いに刺激を与えた。特に生のコリアンダーとトマト、青唐辛子にライムの搾り汁を加えたサルサに衝撃を受けた。採れたてのフレッシュハーブや唐辛子をそのまま口にするおいしさは未体験のものだった。新鮮な野菜やハーブがあふれんばかりに並ぶ市場に魅了され、毎週通った。世界中どこでも必ず市場に行くという北村の習慣はこのときからのものだ。

 アメリカへ戻り、ティーチングアシスタントをしながら学び続け、1963年、5年間の留学生活を終えた。行きは貨物船だったが、帰りは飛行機。のちの人生で花開くことになる種を体いっぱいに蓄えて帰国した。

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.