BY KIMIKO ANZAI, PHOTOGRAPHS BY YASUYUKI TAKAGI
「微生物、植物、動物、人。いろいろな命の力を借りてワインは造られる。ブドウは光合成で糖を作り、酵母がブドウをワインにしてくれる。栽培農家さん、飲食店、ワインを楽しんでくださる人たちの存在がなければワインを造ることはできない。あらゆる生きとし生けるもののおかげで私たちは生きている。そんなふうに感じています」。鈴をふるような声でココ・ファーム・ワイナリー専務取締役の池上知恵子は語り、微笑んだ。
山の急斜面にブドウ畑を開墾したのは、栃木県足利市の特殊学級(当時)の中学生と教員だった池上の父・川田昇。1950年代のことだ。1969年、知的障がい者支援施設「こころみ学園」がスタート。園生の心身を健やかに育むためにブドウや原木椎茸の栽培を行う。“やがては園生たちの自立の一助になるように”と、学園の考え方に賛同する父母たちの出資により、1980年「ココ・ファーム・ワイナリー」が設立された。
当時、東京の出版社に勤務し、仕事と育児に明け暮れる日々を送っていた池上は、父がワイン造りに着手したと聞き、「学生になれば8時間続けて眠れる!」と東京農業大学を受験した。「これが見込み違い。実験などで目の回る忙しさだったの」と笑う。1984年、果実酒製造免許を取得し、ワインを造り始めた。「行き当たりばったりで、目の前のことに必死で取り組んできただけ」と本人は言うが、その奮闘ぶりを見守ってきた周囲に導かれるかたちで、いつしかワイナリーを率いる立場に。
ここのワイン造りのモットーは「ブドウがなりたいワインになれるように」である。気候変動に対応した“適地適品種”のブドウを植え、野生酵母を中心に醸す。畑には有名品種のほか、ノートンなどのマイナー品種も植えられている。適地で育つブドウは強い生命力をもつ。そのブドウ本来の潜在力を引き出すのが野生酵母だ。醸造場では極力手を加えず、だが万全の体制で発酵を見守る。限りなくピュアで生命力に満ちたその味わいにファンは多く、国際線のファーストクラスほかサミットの晩餐会にもたびたび用いられ、国内外で高く評価されている。
「父は『消えてなくなるものにこそ渾身の力を注げ』と言っていました」。その言葉は、池上の胸に強く残っている。
もうひとつ、池上の記憶に残る父の言葉がある。ある日、誰もいないブドウ畑をぶらぶらしている園生がいた。池上が父に「草取りとか、何かやってもらう?」と聞くと、父は「彼は風に吹かれる係だから、いいんだよ」と言った。その年の秋、近隣の多くの畑がカラスの害を被ったのだが、その畑は難を逃れた。「彼が時に声を上げつつ、歩き回っていたおかげ。存在すること、そこにいてくれることが彼の仕事。ここはみながあるがままに生き生きと暮らせる場であり続けたいと思っています」
互いを認めあい、許しあう。そのためにも、ゆるやかさや、やわらかさが世の中にあることは大切だと池上は感じている。
コロナ禍以前は毎年収穫祭が催され、大勢が集い、ともに祝った。音楽が奏でられ、みなほろ酔いで歌い、踊り、笑いあった。「芸術や音楽と同じく、ワインは人生を輝かせるものだと思います。喜びを分かちあい、悲しみにそっと寄り添う。私たちのワインは、そういうものでありたい」
問い合わせ先
ココ・ファーム・ワイナリー
住所:栃木県足利市田島町611
電話:0284(42)1194
公式サイト