BY MEGAN O’GRADY, PHOTOGRAPHS BY MICKALENE THOMAS, STYLED BY SHIONA TURINI, TRANSLATED BY MIHO NAGANO
彼女が1980年代末にマサチューセッツ州のハンプシャー・カレッジで教鞭を執っていた頃、その憂いをこれ以上無視することができなくなった。「私のクラスではいつもセルフポートレート術の練習をしていたのだけど、女子学生は全員、いつも何かの後ろにちょっと隠れていた。髪の毛やオブジェや洋服とかの後ろに」と言い、彼女は顔の位置に手を挙げ、わざと恥ずかしそうなそぶりをしてみせた。「女子学生たちはいつもなんとなく隠れている。彼女たちは決して直接的ではない。常に自分たちの真の姿を覆い隠そうとしている感じ。女性は常に自分が見られる存在であることに興味を抱いてきたし、見られる対象となる訓練も受けてきているからだと思う。ある意味、欲望の対象になることを訓練されていて、そんなふうに自分を見せることを教え込まれてきたからだと思う」
『The Kitchen Table Series』の中で、ウィームスはこちらをじっと見ている。そして、それは私たちが彼女を単に見るだけではなく、本当の意味で彼女をじっくり見つめ返すことを要求してくる。それは白熱したやりとりだが、同時に美しいまでに対等なやりとりでもある。つまり、人間と人間がテーブルをはさんで対面しているのだ。彼女はさまざまな役を演じた。友人、親、一家の稼ぎ手、愛人、特定の枠にはめられることを拒否する女性、世界に生きる女性、政治に関心のある女性。これらの役は人種を超越したものだが、彼女の後ろの壁には、マルコムXの写真が掛けられている。彼が拳を突き上げる姿は、私たちに逃れることができない前例としてのイメージを想起させる。それは、黒人女性の存在がすっぽり欠落した、よりスケールの大きい対話のイメージだ。
ウィームスいわく、ある女性の生活を描いた“活人画”(生きた人間がポーズをとって絵画のようにみせる)のような写真を撮るというアイデアは、ある夜、ひとりの男性を彼女のキッチン・テーブルで撮影していたときにふと思いついたのだという。何かを説明するかのような、三角形の照明が、家の中に舞台に似た空間を作り上げる。1989年から翌年にかけて、彼女は取り憑かれたようにこの作品の制作に集中した。筋書きは、恋愛の最初から終わりまでを追うかたちで、二十数枚以上の写真とそれに付随するテキストのパネルで構成されている。その中の一枚のパネルに彼女はこう書いている。「再びひとりになったということは、その事実だけを考えてみれば、特に問題ではない。しかし、そのうち時がたった。38歳になった彼女は女性としての自分が満ちていくのを感じ始めた。そしてさまざまな側面を持つ彼女の存在を受け入れられる男性と、再び人生を共有したいと思うようになった」。最後のショットでは、彼女がひとりを楽しんでいる様子が写っている。
「『キッチン・テーブル』ではいろんな関係性をひもといていくことにフォーカスした。ひとりの人とだけ関係を続けるということがどういうことなのか、ひとりを愛し続けることがどれだけ難しく、どんな噓やでっち上げがそこに潜んでいるのかを解き明かしていく。理想的に見える関係は決して長続きしないように思えるから」とウィームスは説明する。「生きるってことは、きれいごとばかりじゃない。私たちはこの世界中の、公共の空間を使って、家庭の中で起きていることに光を当てることができるのだろうか。家族はいかに一緒に過ごし、そして崩壊していくのか。女性はどうあるべきなのか。そして男性はどうあるべきか。私たちは常にバランスを取ろうと躍起になっているから。いつも誰かが主導権を握る。もしラッキーなら、時々は平穏が訪れるけれど」
そのとき、まるでタイミングを計ったようにウィームスの夫が帰宅し、挨拶するために顔を出した。彼らが最初に会ったのは1986年、彼女が勉強していたビジュアル・スタディース・ワークショップの暗室でだった。写真教育協会のサポートで黒人グループが発足されたとき、その中に彼女は彼の名前を見つけた。「へえ、ジェフ・ホーンね。黒人男性にしては、変わった名前だと思った。ホーンという名字の黒人男性には会ったことがなかったし」。彼を黒人男性だと思い込んだ彼女は、こんなメッセージを書いた。「ブラザーがリーダーシップを発揮して、シラキュース大学でこの団体を運営するのは素晴らしいことです」と。共通の友人が、彼が暗室にその日やってくると彼女に伝えた。「ジェフが部屋に入ってきたとき、ちょっと驚いた。私が書いた手紙を思い出して恥ずかしくなってしまったから。彼が入ってきて、その姿を見たとき、こう思った。『どうしよう。彼は私の夫になる人だ』」