BY NATSUME DATE
ダンス文化の継承と振興に取り組む「ダンス リフレクションズ」を2020年に設立したヴァン クリーフ&アーペル。創業一家のルイ・アーペルは、甥のクロードを伴いパリ・オペラ座に通うバレエファンだった。ふたりが中心となり、1940年代に可憐なダンサーの姿をあしらった「バレリーナ クリップ」を発表。50年代には、20世紀を代表する偉大な振付家ジョージ・バランシン(1904〜1983)の知己を得る。"ジュエラーとバランシン"と聞くと、バレエファンはピンとくるかもしれない。ダイヤモンドなど3種類の宝石をテーマにした『ジュエルズ』(1967年初演)は、バランシンが彼らのジュエリーの美しさに触発されて創作した不朽の名作だ。
アメリカにバレエ文化を根づかせた最大の功労者バランシンは、クラシック・バレエの技術を用いつつ、ストーリーを排した抽象的で純粋な「音楽の視覚化」を実現。バレエという舞踊形態の可能性を革新的に広げた。一方、イサドラ・ダンカン(1877〜1927)のように、バレエのメソッドから脱した動きで自由な表現を行うモダンダンスの流れもアメリカで生まれ、60~70年代にはポストモダンダンスの潮流が起きた。80年代以降はヨーロッパがヌーヴェル(新しい)ダンスの中心地となり、90年代に入ると「コンテンポラリーダンス」という呼称が定着。日本にもバランシンの発想をさらに進化させた先鋭的なウィリアム・フォーサイスや、赤裸々な人間のありようを壮大に描くピナ・バウシュ(1940〜2009)など、多くの刺激的なコンテンポラリー系ダンスが紹介されるようになった。
日本のダンスシーンの次なるフェーズを作るため。KYOTO EXPERIMENTの挑戦
「日本にも、以前は黒沢美香さんなどポストモダンダンスの動きを受け継いだダンサーはいらしたのに、最近の日本のダンス界では、そうした源流に対する意識が薄い気がしていたんです」と舞台芸術プロデューサーの川崎陽子は語る。川崎は、実験的な作品を発信・創造する舞台芸術フェスティバル、「KYOTO EXPERIMENT」の共同ディレクター。近年は「ダンス リフレクションズ」とのコラボレーションプログラムを共同で実施しており、「日本のダンス・シーンにおける次のフェーズの形成を考えるうえでも、過去を見返したほうがいい」と共同ディレクターのジュリエット・礼子・ナップと考え、継続的にポストモダンダンスを取り上げている。昨年は、巨匠ルシンダ・チャイルズの作品の復元を姪の振付家ルース・チャイルズが手がけているとの情報をヴァン クリーフ&アーペルのダンス&カルチャープログラム ディレクター、セルジュ・ローランから得て、京都市京セラ美術館の一角でその小品集を上演し話題を呼んだ。
佐藤まいみに聞く、コンテンポラリーダンスをめぐる課題
ダンス・プロデューサーの佐藤まいみは、ポストモダン後のダンス・ムーブメントを日本に紹介してきたパイオニア的存在。その選択眼により、彩の国さいたま芸術劇場で上演される世界のコンテンポラリーダンスの招聘公演は常に注目の的だ。
「90年代は、"コンテンポラリーダンス=自由で何でもあり"とみなされていましたが、近年は多様性、環境問題など社会的な視点も加わってきました。コンテンポラリーは現代の最先端で動いている芸術なので、すごいものが生まれるときもあればその逆もあって、クリエーションには常に不確実な"ヤバさ"がつきまとうものです。そんなリスクはあっても、日々更新される価値観を提案していかないと感性は鈍って停滞してしまいます。その怖さがわかっているから、パリ・オペラ座バレエなどは上演レパートリーの約半分を現代ダンス作品にしています。日本では、私が提案する作品について『もっとわかりやすいものをやってほしい』という意見もありましたが(笑)、観客や専門家が後押ししてくれました」
さらにコロナ禍による観客減少と戦争による輸送費や資材の高騰で危機的状況に直面していたところに、「ダンス リフレクションズ」のセルジュ・ローランから支援の申し出があった。
「世界が戦争に向かい、世の中が不安定な時代に文化芸術の環境を安定させていくことは、困難ですがとても重要ですから、彼からの申し出はまさに"干天の慈雨"でした! そのおかげもあって公演を実現することができました。実は私は"反映する"の意のほかに"内省熟考する"の意味を持つreflectionという単語がとても好きで、現代ダンスを語るときによく使っていたことがありました。だからセルジュ・ローラン氏発案のプロジェクト名を聞いて『あっ、同じようなこと考えてる!』ってすぐ共感できたんです」(佐藤)
岡田利規が語る‟オルタナティブな現実”
アーティスト自身は、この不穏な世界情勢のなかで助成を得て芸術活動を行うことについて何を思うのか。独特の現代口語と身体性を意識した演劇作品で高く評価され、世界中から公演オファーが絶えない演劇作家・小説家の岡田利規に聞いた。
「現実の経済や政治状況とは、少し違うところにいるべきものだと思うんですよ、芸術的なことって。リアリティに影響を受けすぎて活動すると、たとえば戦争が起きたりした際には、誰が敵で誰が味方、みたいなことが如実に現れますよね。そうやってどっぷり現実を受け入れて表現することには、実は芸術の意義はない。現実とは距離をとり、自分なりの"オルタナティブな現実"をつくることが重要だと思っています。まあそう言うと、『それは芸術が延命するために、現実と無関係なところでのんきにやっていくためのエクスキューズだ』ともとられかねないわけですが。活動に対する助成は、とてもありがたいし、助けられてきましたが、助成してくれるところはどういう組織なのか、自分で原則をたてて判断しようとしても実際にはうまく機能しないので、直面するたびに考えるようにしています。セルジュのことは彼がポンピドゥー・センターにいた頃から知っていて、最近では横浜桜木町の居酒屋で、チューブと粉末のわさびの違いの話をしました(笑)」
近藤良平が挑む、舞台芸術の可能性の追求と実践
佐藤の"攻め"のセレクションや、岡田とコンテンポラリーダンサーによるユニークなコラボ作品を上演する彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督は、近藤良平。プロ・アマ・年齢・障がい等の有無を問わず、誰とでもダンスを介してコミュニケーションをはかる達人だ。昨年は一年かけて埼玉県内の文化に関わる場所や人のもとに自ら出向き、地元と劇場との交流を開拓。今年は条件不問でメンバーを募り、舞台芸術の実践を目指す集団を結成する。
「僕にとって、人が集まったり感情が立ち上がったときに表現する手段は、確かに身体を使った"ダンス的なもの"ではあるし、僕=ダンスの人と思われるのも全然かまわないんですけど、もっとジャンルにこだわらないアプローチを模索したいんです。自分に何が合うのかわからないけれど、何か表現したいという気持ちがある人の足がかりになれたらうれしいなと思っています」(近藤)
思いきり間口を広く開放し、決めつけやはめ込みからも自由な近藤スタイルは挑戦的で、ある意味とてもコンテンポラリー。豊かなダンス文化を育み、幅広い層へ届け、未来へつなぐ。ハイジュエラーの願いは「ダンス リフレクションズ」のさまざまな取り組みを通して、各地で根を張り、勢いよく芽吹き始めている。
舞台芸術という文化遺産を、未来へ繋ぐ。「ダンス リフレクションズ」が目指すもの
「創造」「継承」「教育」を柱に、ダンス芸術の支援活動に取り組む「ダンス リフレクションズ」。現代のパフォーマンスに貢献する多様なアーティストや団体に寄り添い、価値観をともにする機関とパートナーシップを組んで、新たな作品を創る支援から"観る機会"の創出、あらゆる層に向けた文化とダンスに焦点をあてた啓発活動などを行う。2023年10月~12月には、ニューヨークでダンスフェスティバルを開催した。バランシンが創設したNYCBの初期の本拠地「ニューヨーク・シティ・センター」を会場にしたルシンダ・チャイルズの『ダンス』で幕を開け、フィナーレはアフリカのダンサーが踊る、故ピナ・バウシュの『春の祭典』。歴史的名作から気鋭の若手の最新作まで多様なプログラムが上演されると同時に、幅広い層に向けたワークショップも催された。
「何だろう? なぜ?と考える。そこから自身の内省、そして世界とのつながりが生まれます」ーーセルジュ・ローラン
「『リフレクション』という言葉には"反映"と"内省"のふたつの意味があります。コンテンポラリーダンスは一見難解で、今の世の中や人の心が映し出される舞台を見て、時に快適ではない感情を味わうこともあります。でも"なぜ?"と疑問をもつことは大切で、その問いかけが自身の内省を促し、やがて世界へとつながるカギになる」とヴァン クリーフ&アーペル ダンス&カルチャープログラム ディレクターのセルジュ・ローランは語る。ローランはカルティエ現代美術財団でキュレーター(1990~1999年)、ポンピドゥー・センターで舞台芸術企画部門の責任者(2000~2019年)を務め、2019年より現職。「メゾンからオファーを受けたとき、『これはプロモーションのための活動ではない。クリエーションの源の多くを舞踊芸術に得てきたメゾンの、ダンス文化への恩返しの意味もある。ただ、世の中に何らかの気づきやなぜ?と考えるきっかけを与えてほしい』と言われました」。現在、世界各地にネットワークを構築し、ダンス文化の振興と啓蒙活動の推進に尽力している。「才能あるアーティストを、信頼しあえる機関と手を携え、グローバルな活動がかなうよう支えていきます」。ちなみにポンピドゥー時代からたびたび、岡田利規の作品を見ていたそうだ。