BY NAOKO ANDO
愚問だとわかっていても、どうしても聞きたくなってしまう。田名網敬一は、なぜ60年以上も創作活動を続けられるのか?
「よく聞かれるのですが、自分としてはそのときに関心をもったことや、やりたかった仕事を一生懸命こなしてきただけです。大事なのは、最後まで真剣にやり通すということじゃないでしょうか。そうしないと次が見えてこない」と田名網。
1936年生まれ、武蔵野美術大学在学中にデザイナーとしてデビュー。日本版月刊『PLAYBOY』の初代アートディレクターを務めるなどグラフィックデザインに立脚しつつ、平面作品、立体作品、映像など、ジャンルを問わず作品を発表してきた。それらは常に注目を集めてきたが、近年、アーティストとしての世界的な評価が高まり、2019年の「adidas」とのコラボレーションや2023年のプラダ 青山店での展覧会開催など、海外からのラブコールも目立つ。所属ギャラリー「NANZUKA」の南塚真史が解説する。
「2000年代初めに1960〜70年代のポスターやイラストレーションを集めた田名網の作品集が出版され、それをきっかけに60〜70年代生まれの世代の再評価が高まりました。『マリークヮント』や『ポール・スミス』もいち早く称賛の狼のろし煙を上げています。私は2006年から田名網作品を扱い始めましたが、翌年のNANZUKAでの個展と上海でのアートフェア、2008年のドイツとスイスの名門ギャラリーでの個展を経て、世界が田名網を発見する流れとなりました」
発注を受けて創作する仕事と、アーティストとしての活動の違いを田名網に問うと、「基本的には同じです。もちろんポスターやアルバムジャケットなどの目的や相手のことは考えますが、それも作品作りの延長であり一環です。ファインアートの作品も、その先には観てくれる人、あるいは自分自身がいます。何のための作品かというテーマ自体が、もう古い」
展覧会を観れば納得だ。高さ5mの壁いっぱいを埋め尽くす作品を前にした鑑賞者にとって、制作の目的は瑣末な情報でしかない。
「僕の作品は、グラフィックデザインからコラージュ、ペインティング、立体作品、実験映像と、いろんなものがあります。昔は、アートならアート一本でやらないとダメだといわれましたが、今はそうではない」
最後に、幼少時代の戦争体験が創作の大きなベースとなっている田名網にとって、現代がどう見えているかと聞いてみた。
「いつの時代も危機はあった。人間社会がすぐに善人だけの世界になるわけはない。僕は、ただ作品を作ることしかできないし、それがアートや文化に関わる人間の仕事だと思います」
『田名網敬一 記憶の冒険』
会期:〜11月11日
会場:国立新美術館 企画展示室1E
問050-5541-8600(ハローダイヤル)
公式サイトはこちら
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