BY NAOKO ANDO, PHOTOGRAPHS BY NORIO KIDERA

復原された「荻外荘」客間。渦巻き模様が印象的な椅子は、「三越伊勢丹プロパティ・デザイン」の自社家具工場「三越製作所」が復元したもの。デザインはもちろん、サイズも古い写真から割り出すなどして導き出した。
ISETAN MITSUKOSHI PROPERTY DESIGN LTD..
三越が、家具を製造していることをご存じだろうか? 1910年に創設された家具加工部を前身とする「三越伊勢丹プロパティ・デザイン」の自社家具工場「三越製作所」がそれだ。室内装飾と一体となった特注家具などを中心に製造している。その歴史は、百貨店の三越の歩みとそのまま重なる。
一般にはまだなじみの薄かった洋家具を、開店当時から取り扱った三越。特筆すべきは、販売するだけでなく、室内装飾の研究生をすぐさま欧米に派遣したことだ。彼らはニューヨーク、次いでロンドンに渡り、家具メーカーや百貨店に勤務しながら美術学校に通い、本場の洋家具製作を学んだ。その成果はすぐに表れ、1906年にパリの日本大使館の内装を担当して絶賛されている。1910年には丸の内に自社工場が建設され、高級家具の製造を開始。これが現在の同社につながっている。
官公庁やラグジュアリー・ブランドショップ、ホテル、そしてもちろん、百貨店の店内で使用される什器や家具など、クライアントや製作物も多岐にわたる。加えて一般家庭の注文にも応じ、たとえばまるでブティックの店内のようなウォークインクロゼットやホテルのラウンジと見まごうリビングルームなど、ソファ一点の製作から住宅一軒全体のリノベーションまで、あらゆる要望に応えている。

荻外荘の椅子の復元に尽力した、椅子班 班長の武岡秀幸。長さ3㎝ほどの小さなカンナで椅子の脚の曲面を削り出す。機械でもできるが、手で仕上げると味わいが増す。その見極めも仕事のひとつ。
さらには、歴史的建造物に関わる修復や復元などでも「ここならば」と声がかかる。2024年12月に公開が開始されたばかりの「荻外荘(てきがいそう)」も、そのひとつ。内閣総理大臣を三度務めた近衞文麿(このえふみまろ)が最初に就任した1937年から自決にいたる1945年までを過ごし、昭和前期の政治の転換点となる会議を数多く行った重要な場所として、国の史跡に指定されている。杉並区から「荻外荘」の復原・整備工事を受注した竹中工務店の指名により、同社が家具の復元を担った。

客間での"荻窪会談"(1940年)を撮影した1 枚の写真が、家具復元の唯一の資料。左から、近衞文麿次期総理、松岡洋右次期外相、吉田善吾海相、東條英機次期陸相。
©THE ASAHI SHIMBUN COMPANY.
「"荻窪会談" が行われた客間の椅子は、現物が失われ、モノクロの写真資料があるだけでした。写っていない部分がどうなっているのか、そもそも何色なのかなど、わからないことが多く、手探りの状態でした」と環境創造事業本部 三越製作所 プロダクト設計担当の高橋怜亜。研究者などと協議を重ねて設計を進めるなかで、頼りにしたのが同僚の職人たちだ。
「椅子のカーブの角度について何度も試しては協議するなど、よく作業場に行って相談しながら進めました。コーヒーテーブルのらせん状の脚の復元では、どう図面を起こせばその形になるのかがわからず、職人さんと一緒に頭を悩ませました」と高橋。

製作所の作業場に置かれた試作品。中央のらせん状の脚は、プロダクト設計担当の高橋怜亜が頭を悩ませたもの。

「荻外荘」の広縁に置かれた椅子とコーヒーテーブル。らせん状の脚はここに使われている。
ISETAN MITSUKOSHI PROPERTY DESIGN LTD..
工房は1924年の移転以来変わらず東京都大田区東六郷にあり、ここで29名の職人を含む約49名が勤務する。広々とした木の床の作業場には昔ながらの工場の雰囲気が漂っている。置かれている収納棚や作業台などのほとんどは、社員の誰かが作ったもの。圧巻はカンナで、歴代の各職人の自作が、保存も兼ねてずらりと並ぶ。一方で、3Dで木材をカットするNCルーターと呼ばれる大型機械が置かれ、最新鋭の塗装ブースも備えられている。常に木材を切ったり削ったりしている空間だが、強力な集塵装置が各所で作動し、衛生的な環境だ。

家具を製造する土台となる合板を手がける接着班 班長の渡邉翔は、NCルーターのコンピュータに向かう。「一連の家具製造を理解したうえで流れの中でデータを読み取ります」。正方形の板から四分円を切り出している。
ここでは、年季の入った機械や手作りの道具と、最新機器が同居する。指にのるほど小さな自作のカンナで木を削る人がいれば、巨大な機械の横でパソコンのモニタに向かう人もいる。どちらも製造部 製造担当の職人だ。受け継がれてきた丁寧な手仕事と、最新技術のハイブリッド。これこそが、同社が120年以上も続き、今なお「ここぞ」というところで頼られる存在である理由のひとつといえるだろう。
職人自作のカンナ。それぞれの名前が刻まれている。
製造部 製造担当 椅子班 班長の武岡秀幸は27年目のベテランで、「荻外荘」の椅子の製作も担当した。
「写真から推測して客間の椅子を復元するのは、本当に難しかったですね。もちろん設計担当が苦労して引いてくれた図面はありますが、曲線と曲面を立体的につなげて、全体的になめらかな美しい形を実体化させるためには、実物に勝るお手本はありません。家具製造は先人の知恵のたまものです。デザインそのものもそうですが、古い家具を修復するために分解すると、これまで見たこともない技術を発見することがあり、とても勉強になります。実際の家具そのものが貴重な資料となって、次世代に受け継がれていくのです」と武岡。
武岡が作る椅子もまた、まだ見ぬ100年後の職人の貴重な資料となるのだろう。
荻外荘(近衞文麿旧宅)。1927年に大正天皇の侍医、入澤達吉の別邸として伊東忠太の設計により建てられ、1937年に近衞文麿が譲り受けて1945年まで暮らした。2016年に国指定史跡に。
住所:東京都杉並区荻窪2-43-36 荻外荘公園内
TEL:03-6383-5711
https://ogikubo3gardens.jp
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