この記事は、過去8年間を通して、静かに、そして自信をもってアメリカの歴史の道筋を変革してきた女性に贈る感謝の辞である

BY CHIMAMANDA NGOZI ADICHIE, PHOTOGRAPHS BY COLLIER SCHORR, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 ミシェル・オバマが話をしている。私 は彼女を守らなくては、という気になっていた。彼女が語りかけているアメリカという国は、しばしば、黒人女性の自信を傲慢だと判断しがちで、率直さを、特権を得て当然だと思っていると受け取りがちだから。彼女はカジュアルな親しみ やすい口語で語りかけ、フレーズの最初と最後に「ねえ」とか「ほら」という単語を入れていた。それはパンチが効いていて、不思議なことに、彼女らしさを最もよく表しているようにも感じられた。

 彼女は真摯に見えたし、実際、真摯だった。アメリカじゅうの各地で、黒人女性は息をのみながら、彼女の中に神の存在を見ていた。黒人女性たちにとって彼女は、神からこの世に送られた正式な令状のようなものだったから。

 彼女のスピーチは、躍動的で、聴衆の心をつかんだ。でも、彼女の瞳の奥や、自信ある振る舞いの陰に、そしてちょっとした言いよどみの端々に、ほんの少し、陰鬱さが見え隠れしていた。それは硬く黒い不安の塊だった。これから8年間、言いたいことも我慢して、石をおなかの中にのみ込んだような生活を送らなければならないと心配しているように見えた。

 そして8年後、彼女の青いドレスはよりシンプルになったが、格式にはとらわれないような形に変わっていた。エッジィなフープ型イヤリングは、彼女がファーストレディという職のオーディションを受ける期間はとっくに終わったのだということを示していた。

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 彼女の娘たちは大きくなった。彼女は娘たちを守り抜き、祝福した。公衆の面前に現れる娘たちの服装はいつ写真を撮られてもいいように完璧だ。そして、その身だしなみの完璧さが、娘たちが抱える不満を物語っているかのように。彼女は自分を「最高司令ママ」と呼び、そのあたりさわりのない肩書の裏で、自分が情熱を傾けられる仕事に打ち込んできた。

 帰還兵や軍人たちの家族を温かく迎え、彼らの話に熱心に耳を傾けた。アメリカ社会の底辺で生きる人々にホワイトハウスの扉を開放した。労働者階級の家で育ち、プリンストン大学を卒業した経験から、彼女は人生の機会について、確かな実のある話をすることができた。彼女のプログラム「リーチ・ハイヤー」を通し、高校生たちの意欲を刺激し、彼らがより高いゴールを達成できるよう後押しした。児童肥満を解消するという彼女の呼びかけで、ホワイトハウスの庭で子どもたちと一緒に縄跳びもした。野菜畑を作り、ヘルシーな学校給食を呼びかけた。階層を問わずさまざまな人々の中に自ら飛び込み、世界中の少女たちが受ける教育の現状を明らかにしてきた。テレビ番組に出て、ダンスもした。彼女は歴代のどの大統領夫人よりも多くの人々をハグし、「ファーストレディ」を近寄りやすく温かい人という存在に変えた。一般市民と同じ感覚をもちながらも、国民を鼓舞するような、そしてあらゆる面でかっこいい、そんなファーストレディ像を体現したのだ。

 自らが着るドレスやエクササイズを含め、彼女はアメリカのスタイルアイコンになった。彼女の身のこなし、身体の自然な曲線、鍛えられた腕と細長い指。フラットシューズとハイヒールの中間に位置するローヒールは、まるで近寄りたくない「ハーフウェイハウス」(アルコール依存症患者のための更正施設)みたいなもので、多くの女性たちは自分で履きたいとは決して思っていなかった。だが、ミシェル・オバマが頻繁にローヒールを履いてトレンドをつくったため、最近、ローヒールが見直されてきたのだ。これまでどんな公人でも彼女ほど「自分が着たいものを着よう」という女 性主体のマントラを徹底的に体現した人はいなかった。

 2016年の民主党全国党大会で、ミシェル・オバマは再び壇上に上がってスピーチした。8年前には口にしなかった「黒人少年」「奴隷」という言葉を今回使った。8年前は、黒人らしさを前面に示してしまうと、痛い目をみる可能性もあったからだった。

 彼女はリラックスしていて、感情を隠さず、センチメンタルだった。不安はもうなかった。彼女の身体のリズムはより穏やかになった。鎧の役割を果たしたキビキビとした動きはもう必要なかった。彼女はすでに戦いに勝ったのだから。

 面と向かって言われる侮辱も、ジョークの形で放たれる侮蔑も経験してきた。とげとげしい眼差しですみずみまで観察され、スキャンダルをでっち上げられ、あげくには、夫が米国で生まれたアメリカ市民であるかどうかすら疑われ、無礼な扱いを、ほとんど日常的にあちこちで受けてきた。彼女はそんな扱いに接したとき、ときには傷つき、ときには目をぱちくりさせながらも、自分を失うことはなかった。

 ミシェル・オバマが話している。このとき、私は、 彼女が8年間、息を吐き出すのをずっと我慢していたわけではないことに気づいた。彼女はちゃんと息を吐いていた。当然、ほんの少しずつ、注意深くではあったが、彼女はきちんと息を吐き続けていたのだった。

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