劇作家であるノッテージは、複雑な内面を持つ登場人物を通し、社会の闇に隠された真実をあぶり出すような筆力で長年脚光を浴び、活躍してきた。彼女は今、新作のオペラ、ミュージカル、戯曲、映画の脚本の執筆をこなしながら、相変わらず、業界を改革する使命にも燃えている。多彩で奥深いその作品には、彼女の全人格が余すところなく表現されている

BY SUSAN DOMINUS, PHOTOGRAPHS BY JOSHUA KISSI, STYLED BY IAN BRADLEY, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 劇作家のリン・ノッテージのこれまでの人生において、後悔というものはほとんどないが、アップライト・ベースの弾き方を学ぶ機会を逃したのだけは、痛恨の心残りだ。彼女がその運命的ともいえる決断を下したのは、ニューヨークにある音楽美術高校(現在のラガーディア高校)のピアノ専攻の1年生だったときだ。彼女は当時、劇作家ではなく音楽家を目指していた。ピアノのほかに、何かひとつオーケストラの楽器を学ぶことが学校で義務づけられていたため、彼女はベースを選んだ。しかし最初の授業に出てすぐやめてしまった。「教室でみんなから嘲笑されて、それならもうフルートでいいやと思った」とノッテージは言う。「この決断が、私の人生で一番の後悔」

 その後、彼女はベースではなく、またピアノでもない創作の道を歩み、他に類を見ないほど豊かな人生を送ることになった。力強い芸術性と偉大な業績が認められて、ノッテージは、戯曲部門で二度ピュリツァー賞を受賞した唯一の女性となった。2009年には、当時、直近の出来事だったコンゴ民主共和国の内戦を舞台に、戦闘の中で生き残った女性たちを描いた戯曲『Ruined(傷つけられて)』で最初のピュリツァー賞を受賞。その8年後の2017年には、ペンシルベニア州レディングの工場労働者たちが失業の危機に直面する様子を描いた『Sweat(汗)』で二度目の受賞を果たした。こうして見ると、理不尽な理由で閉ざされてしまったベース奏者への道を惜しみながらも、彼女がこれまでの自らの人生を当たり前のものとは思っていないことは、明確なようだ。

「そう悪い人生じゃなかった」とノッテージは自分のたどってきた道を語る。ブルックリンのボーラムヒルにある、ブラウンストーン張りのタウンハウスで、彼女はいつものように、早口で話をしつつ、ゆっくりと料理をし、玉ねぎを飴色になるまで炒めていた。「でも、もし違う人生を生きられるなら…… 絶対にバンドをやりたい」

画像: リン・ノッテージ、ブルックリンにて。2021年7月28日に撮影 ドレス¥383,900、ベルト¥110,000(参考価格)/アレキサンダー・マックイーン TEL. 03(5778)0786 イヤリング(参考商品)/Khiry( khiry.com ) エルサ・ペレッティ(tm)、ラージ ボーンカフ(右手用)¥3,795,000、(左手用は参考商品)/ティファニー ティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インク フリーダイヤル:0120-488-712 靴(参考商品)/プラダ プラダ クライアントサービス フリーダイヤル:0120-451-913

リン・ノッテージ、ブルックリンにて。2021年7月28日に撮影
ドレス¥383,900、ベルト¥110,000(参考価格)/アレキサンダー・マックイーン
TEL. 03(5778)0786 

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 7月のこの日、ノッテージは家の中をきびきびと裸足で歩き回っていた。ヨガで長年鍛えた彼女の身体の動きは俊敏だ。ヨガとともに最近は瞑想にもはまっており、そのおかげで、新型コロナウイルスと、2020年の春に起きたジョージ・フロイド殺害事件のあとのそれぞれの最悪の時期にも、辛うじて平常心を保つことができた。多くの人々と同じように、ノッテージは過去数カ月間のショックから立ち直りつつある途中で、この先何が起きるのか思案しているところだ。これまでの1年半、規制の中で、ある人々は慣れ親しんだ習慣や決まりごとを繰り返し、旧知の仲間とだけにつき合いを限定していたが、ノッテージは彼らとは異なる経験をしていた。厳しいけれど開放感のある激しい変化の渦中に身を置き、それ自体を新しい可能性を生み出す機会だと捉えて、古い選択やシステムに疑問を呈し、それらが内包する既得権益を問いただした。

 ノッテージが劇作家として扱う主題や作風は、常に驚くほど多岐にわたっている。絶滅の危機に瀕した象の命に注目した2018年上演の『Mlima’s Tale(ムリマの物語)』。そして、2011年初演の、映画業界内で野望が打ち砕かれていく黒人女優たちを描いた『By the Way, Meet Vera Stark(ところで、ヴェラ・スタークを紹介しよう)』だ。さらに20世紀初頭のニューヨークの労働者階級の奮闘を描いた『Intimate Apparel(ランジェリー)』は、2003年に初めて上演された。彼女の演劇作品は、人道的なテーマを繊細かつ力強く描いているため、観客たちに、同時代に起きている出来事を違った角度から考えさせるインスピレーションに満ちていることで知られている。一方でまた、彼女は――これは彼女と親しく働いてきた同業者の中でも知らない人が結構いるのだが――音楽に対する興味関心がとても強い。そして彼女は経験を積んだアクティビストでもあり、彼女のキャリアの始まりは、アムネスティ・インターナショナルで職を得たことだった。また、彼女はある意味、ジャーナリストであるとも言える。それは、彼女の夫で映画監督であるトニー・ガーバーと一緒にドキュメンタリー映画を撮影してきたからという理由だけではなく、彼女が戯曲を書く準備過程で、インタビュー取材を頻繁に行うからだ。

時には数年間取材してから作品を書き始めることもあり、『Ruined』と『Sweat』の両作品はそんな過程を経て製作された。好奇心旺盛で冷静なノッテージには取材記者の才能もあるのだ。彼女は不安な気持ちを落ち着かせるのに、瞑想が役立っていると語るが、彼女が日々感じている不安こそが、社会への関心を示す発言につながり、それが観客が彼女の作品に共感を寄せる理由にもなっている。

 彼女はアーティストとして自分の役割の幅を広げ続けていくことに情熱を注いでいると語る。「アーティスト本人はあくまで自由でいたいのに、『あなたはこういう種類のアーティストだ』とか『あなたはこういうアートを作るんだろう』と決めつけてくる権力によって、作品の限界を設定されてしまうことが多いから」とノッテージは言う。「ずっとそう言われ続けていると、その言葉に抗うのがとても難しくなる。年を取るにつれて」――彼女は今56歳だ――「もっと自由奔放にやりたいという気持ちが湧いてきた。それは今の世の中が向かっている方向でもあるんだけど。どんなことだってできるはず。私は戯曲を20年間書き続けてきたけど、劇作家としてだけ見られるべき? それは、私という人間のすべてではない」

 ニューヨークの劇場が、新しい不安定な状況の中で辛うじて前進しつつあるとき(ブロードウェイは9月の半ばにやっと公演を再開した)、ノッテージは、この先どうなるかわからないからこそ新しいものが生まれるという状況を即座に活用した。彼女は、2020年の6月9日に発表されて話題になった『We See You, White American Theater(白人中心のアメリカの演劇界よ、私たちはあなたたちを見ている)』と題された公開レターに署名した300人の演劇人たち――劇作家や俳優や演出家や運営者たち――の中でも最も著名な人物のひとりだ。ノッテージはこのレターの発起人ではないが、ダイバーシティを推進すべきだという要望に強く賛同し、演劇界のあらゆる職務において――マーケティングから経営陣からキャストまで――最低50%は有色人種の人材を採用すべきだという案を支持し、それを導入することで、延々と繰り返されてきた人種差別の構造を再考することを求めている(無給のインターンシップや、任期が定められていないリーダーの役割なども差別の一環だ)。

この6月に劇場が再開し始めたときには、彼女が発起人となり、仲間たちと共同で、マンハッタンのシグネチャー劇場にて『The Watering Hole(水が滴る穴)』と題するプロジェクトを立ち上げ、「没入型体験」として打ち出した。かつてこのシグネチャー劇場の座付きアーティスト制度によって選ばれた劇作家のひとりでもあった彼女は、自分に与えられた劇場の展示場所を17人の若いクリエイターに開放した。多様性に富んだアーティストの彼らが、劇場内のありとあらゆる場所――楽屋から廊下まで――に、ソーシャルディスタンスとされる約2mの間隔を取り、作品を設置して披露した。

 この秋、ノッテージはクリエイティブな活路をいくつか切り拓いていく予定だ。たとえば、リンカーンセンターでは、彼女の最初の出世作である戯曲『Intimate Apparel』がオペラの形で新たに上演される。ノッテージは今まで挑戦したことがない分野に進出し、作曲家のリッキー・イアン・ゴードンとともにオペラ用の台詞を書いた。さらに彼女は、マイケル・ジャクソンの生涯を描いたミュージカル『MJ The Musical』の脚本を書き上げているところで、これは12月にブロードウェイのニール・サイモン劇場でこけら落としが行われる。さらに11月にはセカンド・ステージ・シアターで新作劇『Clyde’s(クライデの店)』が上演される。ペンシルベニア州レディング近くのサンドイッチ店で働く5人の刑務所帰りの店員たちを描いたドラマだ。刑期を終えて出所した彼らが困難に立ち向かう様子を描いているが、同時に、アートに関する遊び心いっぱいの教訓めいた台詞もいくつか出てくる。そこにはノッテージの現在の心境が込められているのかもしれない。「使えないと思っていた素材で、こんな料理ができるのかとびっくりするのが楽しいんだ」と語るのは、店のスタッフたちから料理の腕を称賛されている料理人のモントレロウスだ。「全然合わないと思っていた風味が合わさったときに、予想外に素晴らしいサンドイッチができたりするってことを考えてみてくれよ」

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