小説を書くことは、建築に通じる部分があるという小川哲氏。第二次世界大戦期の満洲を舞台に壮大な人間ドラマを描いて多くの読者を魅了する『地図と拳』の制作秘話に迫る

BY EMI IWAMOTO, PHOTOGRAPHS BY TAMEKI OSHIRO

画像1: 直木賞受賞の小川哲が語る
歴史を甦らせる建築と小説の力
──『地図と拳』に込めた思い

 第168回直木三十五賞を受賞した、小川哲氏の『地図と拳』。本作は満洲にある架空都市の興亡を軸に、日本が第二次世界大戦へと突き進んでいくしかなかった構造を解き明かそうと試みた長編小説だ。640ページにもわたる大作は、どのようにして組み立てられていったのか。小説を書くという行為は建築に似ていると語る小川氏に、その創作の道のりとねらいを聞いた。

──『地図と拳』では、「建築」が重要なテーマの一つになっています。「建築」を取り入れたのはなぜでしょうか。

小川 もともと、満洲で実際にあった「大同都邑計画」という都市計画案に建築家の高山英華が関わっていたという話をネタに小説を書かないかと編集者から提案されたのが始まりでした。そのとき、「満洲」と「小説」の2つが「建築」という概念や言葉につながっているような気がしたんですよね。満洲は日本が人工的に作った国家という建築物だし、小説も文章で家を建てるような行為という意味では一種の建築とも言える。特に小説を書くことに関しては、以前から自分の中でメタファーとして建築をしているような気分だったんです。大黒柱になるような文章やシーンを考えたり、もっと言えば家具や壁の色など細かい内装を一つひとつの文章で決めていったり。どんな建物を作るか、どういう人がその建物を利用するのかなど、建築物を造るときと同じようなことを考えながら小説を書いている感覚がありました。

──本作は建築でいうところの設計図であるプロットなしに書かれたそうですね。それにも関わらず、「地図」や「建築」「国家」「戦争」などのモチーフが構造として重なり合うように複雑に作り込まれています。小説の建材ともいえる、登場人物やエピソードありきで、それらを組み立てていく作業だったのでしょうか。

小川 登場人物やシーンは、満洲を描くうえで必要な視点や新たな要素が見えてきそうなものを出していくというスタイルでした。自分が何となく書いた文章を読み解いていって、こういう方向に進めるんじゃないかというのをいくつか検討して、その中で最善のものを選んでいく作業を何十回、何百回と繰り返し続けて書いていましたね。

 満洲という国家の成立と小説を書く行為を「建築」でつなげるという明確な柱があったので、何を出してもそこを見失わなければ最終的には最初に定めたもの、タイトルにある「地図」と「拳」のどちらかとどこかの層で必ず響き合ってくるというのが何となく感覚としてあったんですよ。逆に言うと、最初に設計図を作っていたら、いろいろな視点で複雑に一つの物事を眺めるというやり方は多分できなかったんじゃないかな。プロットがないからこそ書けた作品だなと思っています。

──ガウディの建築みたいな小説ですよね。安定した構造があると同時にディテールは装飾的、読者を引き込むエンタメ要素やドラマもあって、細かく見ていきたくなるという点が似ているなと。そういえば、サグラダ・ファミリアも詳細な設計図はなかったそうです。

小川 それは初めて言われたけど、うれしいですね。でも、僕は完成できてよかったです(笑)。

画像2: 直木賞受賞の小川哲が語る
歴史を甦らせる建築と小説の力
──『地図と拳』に込めた思い

──それこそ、「完成できるのか」という不安はなかったんでしょうか。

小川 第二次世界大戦という過去の出来事を題材にしているので、1945年で終わるということがわかっていたから、ちゃんと時間を進めていけば終わるだろうと考えていました。これが未来の話だと、どうやって終わるんだろうってなるかもしれないですけどね。明確に終着点が見えていたので、僕の中ではあまり心配はしていなかったです。

──終わりは史実としても決まっていた一方で、物語は日露戦争前、義和団事件から始まっています。ここまで遡ったのは何か理由が?

小川 いろんな資料を読んだ結果、満洲という国の成立や価値が当時の日本人、あるいは中国人、ロシア人にとってどんなものだったのかを伝えるには、読者とある程度その背景を共有しておかないとできないと思ったので、日露戦争前夜から書くことは最初の段階で決めていました。ただ史実として日本が日露戦争に勝ったということだけでなく、当時の社会の思想や空気感を読者が追体験できなければ、満洲国の価値や存在が上手く伝わらないだろうなと。

──作中の「建築には歴史と思想が表れますから」という言葉が印象的でした。これは小川さんご自身の考えでもあるのでしょうか。

小川 これは僕自身の考えというよりも、中国・東北地方に取材に行って感じたことですね。現地では満洲国成立前後に造られた建築を見て回りました。例えば満洲国の主要都市だった大連やハルビン、長春といった地域は、ロシア人や日本人が満洲の開発に乗り出すまではほとんど何もなかった土地なんですよ。だから、そこに残っている歴史的建造物というのは、中国人にとっては外国に支配されていた時代を象徴する屈辱的な建物なんですけど、同時にその街にある最古の建物でもあったりする。つまり、街の成立を振り返るためには、日本人やロシア人が建てたものを見るしかない。そういう複雑な文脈の上に当時の建造物が保存されているんです。

 じゃあ、例えば日本人は何のために、当時の最先端の技術や古典的な建築様式などを盛り込んで満洲に立派な建物を造ったのかといえば、満洲に人を呼ぶためだったり、満洲の運営を日本がうまくやっていることを対外的に見せつけるためだったりしたわけです。そう考えると、一つの建物から、特に満洲においては色濃く、建てた人の思惑や街の歴史が読み取れるなと感じたんですよね。

画像3: 直木賞受賞の小川哲が語る
歴史を甦らせる建築と小説の力
──『地図と拳』に込めた思い

──国家や社会、戦争などの大きな構造の中で翻弄されたり追い詰められたりする人々の姿は、現代にも通じるものを感じました。そうした描写は現代との接続点として意識されていたのでしょうか。

小川 作家にもよるかと思うんですけど、僕は全く現代のことは意識していないですね。歴史小説を書くうえで重要なのは、時代を超えて人間が持っている普遍性みたいなものに到達できるかどうかだと思うんです。これは未来を舞台にしたSFを書くときも一緒です。そこに到達できれば、同じ人間なので必然的に現代にもつながる。それこそが現代において過去の歴史や未来の社会を題材に小説を書くことの醍醐味なんだと思います。

 僕は自分が体験しなかったことや自分とは全く立場が違うもの、自分から遠いものを想像するのが好きなんです。そういう意味では、戦争や戦場というのは最もわからないことの一つでもある。それをゼロから想像してシミュレーションする作業は、小説を書くうえでは楽しかったですね。もちろん、実際には戦場に立ちたくないですけど。

──もしも小川さんが第二次世界大戦の時代を生きていたとしたら、どんな行動に出ていたと思いますか。

小川 いろんな可能性はあるでしょうね。『地図と拳』を書いているときは、戦争に断固反対する立場というより、こういう状況になったら自分も戦争に加担してしまうかもしれないという恐ろしさを常に感じていました。戦場に出て何かの迷いがありながらかもしれないけど、敵国の人たちを殺していた可能性はあるなと。

 でも、そういうふうに考えないと戦争を体験したことがない現代の人々が戦争の本当の恐ろしさには到達できない。「もう引き返せない」あるいは「抗えない」という意識が徐々に内面化されて、自分がやっていることが良いか悪いかもわからなくなってしまうのが戦争のいちばんの怖さだと思うので。例えば、ロシアとウクライナの戦争も、外から見るとロシアの人はなんで戦争に反対しないんだとも見えるけど、ロシア内部にいたらまた違った見え方になっているかもしれない。そういう別の見方を提示すること、他人事を自分たちの身に起こりうることとして考えてもらうことが、過去の戦争を題材にした小説をいま書くことの一つの意味なのかなと思います。

画像: 『地図と拳』 小川哲 著/集英社 ¥2,420 ©️SHUEISHA 特設サイトはこちら

『地図と拳』
小川哲 著/集英社 ¥2,420
©️SHUEISHA
特設サイトはこちら

小川 哲(おがわ さとし)
1986年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程退学。2015年に『ユートロニカのこちら側』で第3回ハヤカワSFコンテスト〈大賞〉を受賞しデビュー。『ゲームの王国』(2017年)で第38回日本SF大賞、第31回山本周五郎賞を受賞。『嘘と正典』(2019年)で第162回直木三十五賞候補に。『地図と拳』で第13回山田風太郎賞、第168回直木賞を受賞。

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