圧倒的な存在感で50年近くのキャリアを築いてきた俳優、ウィレム・デフォー。67歳にしてなお、チャレンジをいとわない素顔に迫るインタビューを全3回でお届けする最終回

BY SUSAN DOMINUS, PHOTOGRAPHS BY COLLIER SCHORR, STYLED BY JAY MASSACRET, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

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 映画『Inside』では、デフォーひとりの肩に作品の全責任が直接かかっており、彼の肉体でどこまで表現することができるかで映画の出来が決まってくる。彼は空手を習ったこともあり、アシュタンガ・ヨガを日課とし、タンゴ・ダンサーとして踊りの腕前も確かだ。

 この映画の忘れられないシーンのひとつが、デフォーが家具を積み重ねて8.5メートルの高さの塔を作る場面だ。テーブルを引きずり、椅子を壊すうちに、彼の息が切れてくる。彼は天窓から外に逃げようと、塔の頂上までよじ登って素早く立ち上がり、両手を頭上に伸ばそうとする。60代後半の俳優である彼が見せる運動能力が圧巻すぎて、ストーリーに集中できないほどだ。

 映画を観て、私がデフォーに、あなたのような俳優は―と言いかけると、彼は私の言葉が終わる前にこう言って遮った。「『誰がこんな映画を観に行くんだ? そしてこの映画が私にどう役立つんだ?』という質問をちゃんと聞く余裕もないやつ」。そして彼はニヤリと笑った。

 私が言いたかったのは、彼は、何かを証明したいタイプの俳優だと感じたということだ。監督に向かって、そしてそれ以上に自分自身に対して、精根尽き果てるような役をやり遂げられるほど身体的にまだ十分力強く、精神的にもやる気に満ちていると証明したいタイプで、年齢が障害となることを拒否するタイプの俳優だと思ったのだ。デフォーと何度か一緒に仕事をしたことがある71歳の映画監督のアベル・フェラーラは、26年間に及ぶウースター・グループでの経験が、デフォーが長年第一線で活躍できている理由だと語る。ずっと同じ劇場で演じてきたため、彼はロサンゼルスに引っ越したことは一度もない。多くの俳優たちはLAで間違ったことにエネルギーを注いでしまうのだが、そうならないですんだ。そして、劇団に所属している間、デフォーはほとんどの日々を舞台の上で過ごしてきた。ほかのスターたちのように、次の映画作品の製作までの空き時間をただ待つだけで過ごすようなことはしなかった。「演技をしないなら、俳優でいることはできない」とフェラーラは言う。「彼はそのことを知っているんだ」

『Inside』は、役そのものが、作品の製作過程の間じゅう変化しつづけるという意味で、演じるデフォー自身にとっても楽しめるプロジェクトだった。「私たちは契約を結んだ」と監督のカツォーピスは言う。「私たちには素晴らしい脚本があるけれど、この役については、日々新しい発見をしていくことにするという契約だ」。デフォー本人のアイデアが、そんなプロセスには欠かせない。たとえば、情け容赦ないほど非人間的な建物の中で、自身の人間性を何とかして取り戻そうとあがく彼が、いつしか壁に自己流の絵を描くようになるシーンがあるが、これも彼の発案だ。また、カツォーピスとの夕食の席で、デフォーが、自分の母親が看護をしていた患者のひとりがよく歌っていた調子っぱずれの子守歌のことや、ブルガリア人の通訳がデフォーにあるとき話した、面白いけれど繰り返しの多いジョークのことなどを話すと、それらのエピソードも映画で使われた。

「目の前にある状況に全身で入り込むんだ」とデフォーは言う。「そうすれば、冒険に満ちた美しい一日を過ごせるし、日頃経験できないような感覚を味わえる―そして自分の心に火がつくのがわかる」。映画監督と一緒に働くことは、恋することと似ていると彼は言う。「活力がみなぎってくるし、自分の一番いい部分が好きになる―その人に夢中になるあまり、なり得る最高の自分になりたいと思う。『あなたにこれをやってほしいし、このミッションをやり遂げてほしい』というプロポーズに応えるのがこの仕事だから」

 レストランのウェイターがジョージア風デザートの皿を持ってきた。こってりした蜂蜜がかかったケーキと、カラスムギのウオッカと一緒に。デフォーは彼の携帯電話の中に保存されている最近の写真を何枚か見せてくれた。テレビ番組でその滑りを見て楽しんだアイス・スケーターの写真や、タクシーの車内にあるデジタル時計が4時44分を表示している様子を写したショット(フェラーラ監督とともに製作した2011年の映画『4:44 地球最期の日』と同じ数字だ)、さらに、ブラジル人アーティストのマックスウェル・アレクサンドレが描いた絵画のそばに彼が立っている写真もあった。ちなみに、アレクサンドレ作品の複製の絵画は『Inside』にも登場する。デフォーはある週の前半に、マンハッタンにあるアートスペースのザ・シェッドのロビーで、その絵のオリジナルを見て驚愕した。そしてその後すぐ、絵の前で自分が立っている姿を写真に撮ってもらった─その写真の中の彼のズボンは足首の位置まで落ちていた(「もう言ったよね、僕はアウトローが好きなんだよ!」と彼は説明する)。

 デフォーが観衆に向かって演技するとき、それがたったひとりの人間に向かってであっても、その場でとっさに思いついたいたずらや遊び心を表現することを忘れない。人を楽しませたい、驚かせたいという欲求が、若かりし頃の彼を突き動かしたように、今でも彼はその欲求をある程度しっかり心に宿しているのがわかる。そんな欲求プラス、自分以外の誰かの物語を生きることで、そこからできる限りの意味をひねり出すという、もうひとつ別の動機を掛け合わせていく。そんな作業は、生半可な覚悟ではできない。客が大笑いすれば、その場限りの満足感は得られるかもしれないが、本当にきつい日々を体験したあとに心にしみるのは、もっと別のものだ─たとえば、彼が新作映画の中で体験した、コップにたっぷり注がれた水のような、ごくシンプルなものに価値を見いだすこともそのひとつだ。その水をコップに注いだのは誰か、誰がその水を飲むのか、どんな体験がその裏にあるのかで、一杯の水の存在価値は変わってくる。「そんな瞬間の好奇心というものは―並のレベルじゃない」とデフォーは言う。「五感がいつもとは比べものにならないぐらい敏感になるんだ」

 彼いわく、彼が意図しているのは、混乱している人々の人生の物語を演じることで彼らと通じ合えるようにすることだ。それはキャンプファイヤーの炎の前で踊るような、太古より人類が受け継いできた衝動だと彼はつけ加える。

「立ち上がって、自分自身のために、そしてあなたのために、みんなのためにやるんだ」。安らぎと慰めとつながり。それ以上に大切なものがこの世にあるだろうか? 「だって、本当のところ」と彼は言う。「たったふたつしか重要な出来事はないよ。誕生。そして死。そしてその間。それがすべてだ」。そして、デフォーはスクリーン上で観衆を魅了してきた、あのクレイジーな目つきをしてみせた。さらに頭の横で片方の手をグルグル回し「頭がおかしい」という意味のしぐさをしながら、口からは赤ん坊のようにバブバブという音を発して─意味不明でおかしく、見る側を不安にさせるような―狂人になりきっていた。

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 デフォーがウースター・グループとともに活動していた26年の間、彼にとって映画撮影は個人として副業的にやる活動だった。ハリウッドで稼いだ収入は劇団を維持するのに役立った。同僚の劇団員たちは映画にはそれほど興味を示さないまま、彼の活動を支援していた。だが彼いわく、彼がニューヨークにいないこと―そして2000年代初頭の映画『スパイダーマン』成功後に得た名声―が原因で、仲間の劇団員たちとの人間関係に次第に亀裂が入ったという。「彼らはひとつの家族だったんだ」と彼は淡々と言う。

「そして自分には、ほかにもいくつもの家族がある感じだった」。2003年、イタリアでの撮影中に、デフォーは当時27歳だったイタリア人監督のジアダ・コラグランデと恋に落ちた。彼女が官能的な犯罪映画『Open My Heart(オープン・マイ・ハート)』(2002年)の監督と主演を務めてからほどなく、共通の友人がふたりを引き合わせた。彼女の映画はベネチア国際映画祭で旋風を巻き起こした。ルコンプトとのつらい別れを経て―その結果、ウースター・グループとも決別し―デフォーはコラグランデと一緒に過ごすためにローマにも居を構え、ふたりは2005年に結婚した。このルコンプトとの破局は、彼女本人だけではなく、劇団員全員にとって衝撃だった。「私はもう少しで崩れ落ちそうだった」とヴァルクは言う。また、デフォー自身にとっても、劇団から追放されたことは、ある意味、驚きだった。

「自分は本当に世間知らずだった」と彼は今になって振り返る。ルコンプトの元を去るということは、彼にとって最も親しい友人たちの何人かを失うことを意味し、同時に、実験的手法の前衛劇団にも別れを告げるということだったのだ。「僕はただ、違う人生を選んだんだ」と彼は言う。「演劇の世界で新たな機会を探したけれど、劇団に所属したあとで独り立ちするのは、ものすごく難しかった」。過去10年間に、彼はニューヨークでロバート・ウィルソン率いるプロダクションの公演2作に出演した。ミハイル・バリシニコフの相手役を演じた『The Old Woman(老女)』(2014年)と『The Life and Death of Marina Abramović(マリーナ・アブラモビッチの生と死)』(2013年)だ。彼は名の知れた劇場で公演を開催できる少数の著名な協業者たちと一緒に、野心的で前衛的なプロジェクトを仕掛け続けてきた。だが、彼はいわゆる普通の演劇には、ほとんど興味がないという。「自分が今まで一度もやったことがないことでなければ、ダメなんだ」

 現在、映画の撮影がないときは、彼はコラグランデとともにニューヨークやイタリアで過ごしている。コロナ禍の間に彼女の母親がローマから車で1時間ほどの郊外にある農場に立つ家に引っ越してきて、ふたりもそこをよく訪れるようになった。そして時がたつにつれ、彼らは本格的に農業を営むことになった。複数のヤギやアルパカたち、気の強い1匹の雄羊に加え、目立ちたがり屋の七面鳥も何羽かいる(「七面鳥たちは自分たちのことを孔雀だと思っている」とコラグランデは言う)。さらに菜園ではカリフラワー、なす、トマトやレタスなどを栽培し、近所のレストランに作物を卸すほどの収穫規模になった。

 人生の後半にさしかかって、彼は自分がどれだけ動物が好きかを発見した―そして自分を動物にたとえることすらしている。「ポール・シュレイダーが」―彼はデフォーが出演した映画『ライト・スリーパー』(1992年)の監督だ―「すべての俳優たちは農場の動物みたいだって言うんだ」とデフォーは私に語った。

「彼らは働くのが好きなんだ」。私はイタリアまで彼に会いに行き、パコという名の緑色のオキナインコのけたたましい鳴き声を聞きながら、家の中でおしゃべりをした。ちなみにパコは、現在47歳のコラグランデが、ローマの路上で救助して家に連れ帰って飼うことになったという。私の目には、彼らの農場はまるで、役者たちによるひとつの大きなアンサンブル集団のように見える。聖なる存在、目立ちたがり屋、陽気者、手に負えない存在―などの特徴がある役者たちが、自分を見てほしい、自分に時間を使ってほしいと要求する。そして、彼らが生きるためには、デフォーの存在が不可欠なのだ。

 デフォーは、演者としては相変わらず、新しいプロダクションに惹きつけられるようだ。アメリカ人監督のウェス・アンダーソン(ともに5作を製作した)やロバート・エガース(同様に3作)らとは頻繁に組んでいる。もっと最近では、ギリシャ人監督のヨルゴス・ランティモスと組んで製作を行う俳優たちのグループから声がかかった。デフォーはニューオーリンズで撮影した『And(原題)』という題名のランティモスの映画でエマ・ストーンと共演し、撮影終了したばかりだ。この作品の詳細はまだ発表されていない。また、ストーンとデフォーは、ビクトリア女王の時代を舞台にした小説を原案とする別のランティモス監督の映画『Poor Things(原題)』でも共演したばかりだ。原案になった小説は、古典小説『フランケンシュタイン』からインスピレーションを得て執筆された。

『And』の製作中、ストーンは、撮影現場にいることを何よりも楽しんでいるデフォーに感動した。ストーンいわく、撮影現場では、助監督同士がお互いにトランシーバーでやりとりをし、その声を俳優たちも聞いていることが多いが、デフォーのことを彼らが「自主的にセットへ」と語っているのを聞いた。それはつまり、特に自分の撮影がなくても現場に現れる、ということだ。「それこそが望ましい俳優の姿だ」と49歳のランティモスは言う。「とにかく現場の一員でいたいという気持ちのあらわれだ」。あるシーンでストーン演じる役がデフォーの役をひっぱたく場面があるが、デフォー自身はカメラに映らない設定だ。普通なら、ストーンは相手の俳優なしでジェスチャーをするのだが、デフォーは、自分が実際にひっぱたかれたほうが動きがよりリアルに見えるはずだと主張し、結局、20回以上(手加減はされたが)殴られていた。

「多くの俳優は、自分を見て! 自分を見て!という感じの演技を本能的にしがちだけど」とストーンは言う。「彼はそれとは正反対」。彼女のこの発言は、ルコンプトやヴァルクが彼と観客との関係を形容した―観客を喜ばせることにのめり込んでいるという表現とは、真逆であることに気づく。「おそらく、年月がたつうちに変化したのかも」とストーンは言う。「私が共感する俳優たちの多くは、この職業を長年やっていて、彼らは『私』から『私たち』に意識が変わっていくことが多いから」

 デフォーは演技と自分との関係性は、人生の段階が進むにつれて、変容してきたという。幼い頃は外向的な性格で、人の視線を集めたかった。そんな少年がやがて大人になり、演じることを職業にする。「いざ働き出すと、それが生き残る手段になった」。俳優を続ける道を選ぶと、演技の研鑽がものをいうようになる。外向的な人格が、いつしか内面を見つめるようになっていく。「そして、そこから」と彼は言う。「スピリチュアルに近いものになっていく―あらゆるものと自分との関係を見つけるんだ」。ある意味、彼は時間と競争しているようにも見える。これまで苦労して得た地位を最大限に活用して、まだ余力が自分に残っているうちに、身体的に最も厳しく難しい役を、できる限り数多く頻繁に演じておきたいと願っているようだ。ほかの俳優たちが年齢を重ねるとともに仕事のペースを落としていくなか、デフォーは、人生には終わりがあるということに気づかされ、それとともに「何かに自分を溶け込ませる」欲求がより切実で重要なものになってきた。彼いわく、自分という存在を超えた、何かもっと大きなものにつながるような役柄を選ぶようになってきたのだ。

 農場でボウルいっぱいのパスタを食べたあと、コラグランデに、次はデフォーにどんな役に挑戦してもらいたいかと聞いてみた。「カルト教団の教祖」と彼女は答えた。ふたりとも、大人数の集団に覚醒をもたらす力をもつ人物に興味があるのだ―たとえその才能が悪のために使われるのであったとしても。デフォーは、どんな役をやりたいかという質問には答えたがらなかった。彼にとっては、役柄うんぬんではなく、プロジェクト全体としての価値が決め手だからだ。彼はその場に欠かせない人物を演じたいと感じている。たとえば肉体的に必然性のある、船長などの役柄。または、ラブシーンを演じたり、動物とともに演じる役も。一方、頼まれても演じたくないのは、やさしい祖父や、病気の祖父役だ。

 コラグランデと私はふたりだけで30分近くも話し込んでしまい、もう帰りのタクシーを呼ぶ時間だと気づいた。たっぷり遊んで、ゆっくり昼食を食べているうちに、やらなければならないことが山積みになっていたデフォーは、端から見てもわかるぐらい、そわそわしていた。彼はイタリア語の勉強もしなければならず、動物たちに餌をやらなければいけないうえに、読むべき脚本もある―ありがたいことに、やるべき仕事があるのだ。そして、それは彼がやりたかった仕事であり、彼にはその仕事が必要なのだ。

HAIR BY ADLENA DIGNAM AT BRYANT ARTISTS USING ORIBE, GROOMING BY AYA IWAKAMI, SET DESIGN BY ROBERT SUMRELL, PRODUCTION BY HEN’S TOOTH, DIGITAL TECH BY JARROD TURNER, PHOTO ASSISTANTS: ARIEL SADOK, DYLAN GARCIA, TERRY GIFFORD, SET ASSISTANT: ERIN TURNER, TAILOR: EUGENIO SOLANILLOS. STYLIST’S ASSISTANT: VERITY AZARIO

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