BY NATSUME DATE, MARI SHIMIZU, HIROMI SATO, SHION YAMASHITA
受け継ぎ、そして挑戦する。
新・松本幸四郎が目指すもの

(2017年10月公開記事)
2018年の歌舞伎界は、実の父、子、孫である三人が同時に襲名するという、希有な大イベントで幕をあける。いまや歌舞伎界の重鎮で、『ラ・マンチャの男』などのミュージカルや現代劇でも当たり役を持つ<父>九代目松本幸四郎(75)が、二代目松本白鸚を。その長男で、幼少のころから才気とスター性で注目され、古典歌舞伎では高麗屋の役柄の広さを更新しつつ、新作歌舞伎から劇団☆新感線、ラスベガス公演まで、無限大の活躍を続ける<子>市川染五郎(44)が、十代目松本幸四郎を。その長男で、父譲りの知性と紅顔の美少年ぶりで話題の<孫>松本金太郎(12)が、八代目市川染五郎の名を、それぞれ実父から引き継ぐ。
特に、これからの歌舞伎界を背負って立つ世代である新・幸四郎には、大きな期待がかかるところ。その名を譲る父の九代目幸四郎が「染五郎は”幸四郎”の名を鷲づかみにして奪い取ったのかもしれない」とたとえるほど、満を持しての襲名だ。それだけ、8歳の時から37年間名乗った染五郎時代も充実していたということだろう。

(右から)
松本幸四郎改め 二代目 松本白鸚、市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎、松本金太郎改め 八代目 市川染五郎
PHOTOGRAPH BY KISHIN SHINOYAMA, COURTESY OF SHOCHIKU
―― 思えば少年時代から、12歳で『連獅子』の仔獅子の精、14歳で『ハムレット』と、最年少記録を打ち立ててきたトップランナーでしたね。
父の育て方なんでしょうね。これができたから次はあれ、と徐々に与えていくのではなく、大きなものにいきなり飛び込ませて、グンと伸びるように仕向けるという。その時にはできなくても、経験をさせることでいつか気づくだろう、ということだったのだと思います。こちらとしては、まあその年頃で感じることといえば、偉くなったような気分ぐらいでしょうね(笑)。「14歳でシェイクスピアができたんだ!」なんて、できたわけじゃなく、チャンスをもらっただけの話なんですが。
ただ僕は、ハムレットの時に初めて、「役を演じる」という感覚を知ることができたんです。それまでは、歌舞伎で「教わったことをきっちりやる」ということしか経験していなかったので、「好きにやっていいよ」と言われて最初はかなり苦しみました。「自然に見える形ってどんな形だろう」と行き詰まってしまうんです。歌舞伎でも、父から怒り、悲しみ、喜び、といったさまざまな感情に心を動かすように言われながら、それがなかなかできずに悩んでいた時期だったので、ハムレットで、しだいに“役になり切るおもしろさ”を感じられるようになったことは大きかったと思います。

―― 14歳にして演技開眼。そのせいでしょうか。現代劇やテレビドラマに登場した際に「歌舞伎俳優」の匂いがまったくせず、すんなりとその世界になじむのは。
どうでしょうね。そうできているとは思いませんが、テレビドラマを撮っている時は、ドラマの役者としてどれだけ通用するかだけを考えていますし、現代劇をやっている時は自然と、「歌舞伎なんかより現代劇の方がわかりやすいじゃん!」という立場になってはいますね。歌舞伎をやる際も、自分のホームグラウンドとはいっさい思っていません。歌舞伎も帰るところではなく、行くところ。ホームではなく戦場です。

―― 襲名に臨んでも、松本幸四郎という名跡の大きさにひるむ様子がまったくなく、お父さま(九代目幸四郎→二代目白鸚)もその姿勢を「むしろ清々しい」と感服するほど。そんな中で『勧進帳』の弁慶は、曾祖父(七代目幸四郎)から代々の幸四郎がひときわ大事にしてきた役であることを強く自覚しておられるようで。
そうですね。まあ、この役に憧れて歌舞伎が好きになり、歌舞伎をやり続けている――というほどのお役ですので、自分でもよくわからない次元なんですが、曾祖父から受け継がれたものを僕の身体を使って演じ、自分の憧れを体現する、というのが弁慶をやる時の気持ちです。37年前の父の幸四郎襲名の時も、やはり『勧進帳』の弁慶でした。父はこれまで千何百回と弁慶をつとめているので、僕は父の弁慶を観て育ってきたんですが、僕自身はまだ一回しか弁慶をやっていません。なのに、せがれ(四代目金太郎→八代目染五郎)も弁慶にいちばん憧れているというから、うれしいことですが、なんだか不思議ですよね。ともあれ、松本幸四郎になることより、名乗って何をするかの方が大事。責任はありますが、気負うことなく代々の精神を受け継ぎたいと思っています。

『勧進帳』武蔵坊弁慶
市川染五郎改め 十代目松本幸四郎
PHOTOGRAPH BY TAKASHI KATO, COURTESY OF SHOCHIKU
歌舞伎座での襲名興行は2カ月間。新・幸四郎が披露するのは、一月は凛々しく鮮やかな隈取りで歌舞伎の様式美を味わえる『菅原伝授手習鑑』(すがわらでんじゅてならいかがみ)「車引」の松王丸と、曾祖父の七代目以来「幸四郎」の代名詞的存在となっている『勧進帳』の弁慶。「『高麗屋(松本幸四郎家の屋号)の十代目である。弁慶をやるべき人間である』と自分にプレッシャー、あるいは暗示をかける」という新・幸四郎の、堂々たる船出を寿ぎたい。
BY NATSUME DATE, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO(INTERVIEW)
歌舞伎座百三十年 (本公演は終了しています)
松本幸四郎改め 二代目 松本白 鸚
市川染五郎改め 十代目 松本幸四郎
松本金太郎改め 八代目 市川染五郎 襲名披露
「壽 初春大歌舞伎」
会期:2018年1月2日(火)~1月26日(金)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
電話:0570-000-489(チケットホン松竹)
03(6745)0888
公式サイト
目指すは“未来の古典”。
――三谷幸喜との新作に挑む松本幸四郎の視点

松本幸四郎(MATSUMOTO KOSHIRO)
歌舞伎俳優。1973年生まれ。松本白鸚の長男。1979年3月歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を名のり初舞台。1981年10、11月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。2018年1、2月歌舞伎座で『勧進帳』弁慶ほかを勤め、十代目松本幸四郎を襲名。父・二代目松本白鸚、長男・八代目市川染五郎と三代同時襲名で話題を集めた。古典歌舞伎から新作、現代劇、映像、スポーツまで、ジャンルを超えて今もっとも充実した活躍を見せる俳優のひとり。舞踊の松本流家元・松本幸四郎を兼ねる
(2019年6月公開記事)
歌舞伎座で上演中の「三谷かぶき『月光露針路日本(つきあかりめざすふるさと)風雲児たち』」は松本幸四郎さん主演の新作歌舞伎だ。だが、幸四郎さんには、この作品をとりたてて歌舞伎にしようという意識はないのだという。
「三谷さんとすごい芝居をつくりたいという思いだけです」
幸四郎さんが三谷幸喜作・演出の「PARCO歌舞伎『決闘! 高田馬場』」で主人公を演じたのは2006年。それは幸四郎さんの熱烈なオファーにより実現した舞台で、その折に約束を交わした次回作がようやく実現したというわけだ。そもそも幸四郎さんは三谷作品のどこに惚れ込んだのだろうか。
「テンポのいい会話とユーモアのセンス、それから人間味ある登場人物たちに魅力を感じます。超人的なヒーローとは正反対の、自分自身に置き換えて共感できる人たちの物語になっているところです。逆に言えば、歌舞伎ではそういう作品が珍しいということなのかもしれません」
現在、演じている大黒屋光太夫もまさにそんなキャラクターだ。江戸時代に実在した光太夫は、船で伊勢から江戸に向かう途中に暴風雨に見舞われアリューシャン列島に漂着。その後、ロシアの地を転々としながら10年の時を経て日本に帰国した人物で、この舞台は歴史漫画『風雲児たち』(みなもと太郎作)を原作としている。
物語は、光太夫を船頭(ふながしら)とする商船神昌丸が、嵐で帆を失い大海原を漂流しているところから始まる。乗組員17人は年齢も性格もばらばらで、漂流生活で健康を損なっている者もいる。時にぶつかりながらもわずかな食糧を分けあい、ひたすら陸地を探し求めた結果、一行は八か月後にようやく見知らぬ土地に上陸する。

『月光露針路日本』稽古風景
そこはロシア。極寒に耐えながら、言葉の通じない異文化の土地での暮らしが始まった。海上からここに至るまでに、仲間はひとりまたひとりと命を落としている。帰国の許可が得られる場所を求めて、光太夫はさらに奥地へ進むことを決意する。
「原作を読まれた三谷さんはこれを歌舞伎で観たい!と思われたそうで、乗組員個々の人格、人生が描き込まれた物語は、群像劇として非常に魅力的です。光太夫の成長に焦点を当てたところに三谷さんのオリジナリティーがあります」
三幕構成の物語のうち、登場したばかりの光太夫は何とも頼りない性格。ところが、洋上で仲間を失いながら困難に立ち向かっていくうちに、次第にリーダーシップを発揮していくのである。ようやく上陸した地で見つけたかすかな希望が絶たれる場面。幸四郎さんが放つせりふに稽古場が静まり返った。それはまさに等身大の人間の心の叫びだ。
「大切なのは(観客と)何を共有し、どうすれば共感してもらえるかを考えていくこと。忘れてならないのは、歌舞伎は演劇であるということです。ただそこにたまたま歴史があるだけで。新作だからといって特別なことはありません。今まで通りのことをやり、演劇としていかに見せるかです」
その「歴史」によって育まれた「今まで通り」が、あまりにさりげなくそして深い。この作品にも、演者のちょっとした所作やせりふの間合い、たたずまいそのものに、歌舞伎を感じる刹那がある。稽古場では、三味線や鳴り物などの邦楽器による音楽、歌舞伎独自の効果音であるツケなどが、演者と奏者の手短かな会話で即座に決まっていく。蓄積されたノウハウの応用で、台本上の物語はみるみる三次元に立ち上がっていくのだ。当たり前の話だが、古典となった作品も最初はこうした道程を経ているのである。
「いつの時代もいろいろなエンターテインメントが誕生し、技術を含めその影響を受けた歌舞伎が生まれています。そしていいものは洗練され古典の傑作となる。そういうことです」

『月光露針路日本』大黒屋光太夫=松本幸四郎
PHOTOGRAPH BY KATSU NAGAISHI
幸四郎さんはこれまでにも、埋もれていた作品の復活や数々の新作歌舞伎に取り組んできた。製作の現場において「どれだけ稽古場で苦しむことができるか」を信条に、より良い方法をギリギリまで追求する姿勢は常に同じだが、方向性においては変わった部分があるという。「20代のころは、それまで誰もやっていない新しいことをやろうという思いが強くありました。その時にしかできないことを考えていたのですが、今は新たに生まれるその作品を一生やり続ける覚悟がなければ!と思うようになりました」
それは古典になり得る、傑作をつくるということ。新しい、誰もやっていないことを思いついたつもりでも、歌舞伎の歴史を紐解いていくとすでに誰かがやっていた……。そんな経験を経ての路線変更だった。
近年で目立つのは、演劇という枠に収まらないチャレンジだ。最新の映像技術を融合させた『鯉つかみ』を、ラスベガスのベラージオの噴水で上演したのは2015年。大喝采を浴びたその内容は、まさに光と水の歌舞伎エンターテイメントと呼ぶにふさわしいものだった。
「自分にとってあの公演は歌舞伎にはこういう表現の仕方があるのだということを、世界中の方に知ってもらいたいという願いの現れなんです。日本にミュージカルやオペラがあるように、海外にも演出のひとつとして歌舞伎というジャンルがあってもいい。というより存在してほしいんです。なぜなら歌舞伎にはそれだけの力があると思うから」
国境を越えた思いは、さらにスポーツ界にも波及する。2017年には『氷艶 hyoen2017ー 破沙羅 ー』で、荒川静香、高橋大輔といった一流スケーターたちと幸四郎さんを始めとする歌舞伎俳優が競演した。
「アイススケートショーに歌舞伎演出という選択肢があったらいい、そう思ったんです。さぁーと滑っていた人がパッと止まって見得をしたらカッコイイじゃないですか」
至ってシンプル、その衝動的な発想こそがすべての源なのだ。
「こんなことがあったらおもしろいだろうな、自分が見たいな、と思ったものをつくる。ただそれだけのことです」

『月光露針路日本』
(左から)
小市=市川男女蔵、九右衛門=坂東彌十郎、大黒屋光太夫=松本幸四郎、新蔵=片岡愛之助、磯吉=市川染五郎、庄蔵=市川猿之助
PHOTOGRAPHS: © SHOCHIKU
その信念をひたすら貫き続けて来た幸四郎さんに、改めて『月光露針路日本』で演じている光太夫に共感する部分を尋ねてみた。「常に立ち止まらず前を向いて進み、日本に帰るんだという思いで10年ブレずに生き続けた強さです。自分についてこいというタイプの人間ではない光太夫が、どう成長し、どう変わっていったのか、そこを大事に演じていきたいと思います」
技術だけにとどまらない、幸四郎さんがこれまでの歩みのなかで得た蓄積が舞台上の人物に投影されている。
BY MARI SHIMIZU
六月大歌舞伎(本公演は終了しています)
<演目>
昼の部『寿式三番叟』『女車引』『梶原平三誉石切』『恋飛脚大和往来(封印切)』
夜の部『月光露針路日本』
会期:~2019年6月25日(火)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
料金:1等席¥18,000、2等席¥14,000、3階A席¥6,000、3階B席¥4,000、1階桟敷席¥20,000
公式サイト
松本幸四郎の歌舞伎メイク進化論
(2019年11月掲載記事)
歌舞伎俳優ほど、自分の顔を熟知している人間はいないだろう。物心ついたときから鏡台の前に座り、白粉(おしろい)や紅で、まるで遊ぶようにしながら顔をつくることを覚えていく。骨格や微妙な凹凸を筆や指先で感じながら、大胆に色を重ね、自らを役柄に重ねていく。「メイクは歌舞伎役者にとって救いです」と十代目松本幸四郎は言う。
「化粧することは、キャンバスに絵を描くみたいなことだと、よく言いますが、厚塗りすることで役者は変身することができます。素顔でやれと言われたら限界があるけれど、顔をつくることができるから、自分でもいい男になれるんじゃないか、強い男になれるんじゃないか、美しい女性になれるんじゃないかと思うことができるんです」
現在、彼が挑んでいるのは、そんなメイクの可能性をさらに広げるアートワークだ。周知のとおり、歌舞伎には、演出やセリフ、衣裳や小道具に至るまで「型」があり、化粧にも色使いや隈取などに一定のルールがある。その決まりをあえて逸脱することで、どんなものが生まれるのか。グローバルに活躍するメイクアップアーティスト・鷲巣裕香とともに、昨年から試行を重ねている。


伝統的な荒事の隈取(写真上)をあえて崩すことで、赤のあらたな可能性を探った
「歌舞伎のメイク技法と現代のメイクの手法のコラボレーションによって、どんなものが生まれるか、実験しています。たとえば隈取の赤は『善』を表す色で、血気盛んな強い男を演じるときに使います。『悪』には絶対使いません。でも、今回試したように、その赤をちょっとぼかしたり、崩したりすることで、悪のイメージに変えることもできる。善という定義に縛られない、赤の可能性をひとつ探ることができたと思います。いずれは赤で水を表すこともできるんじゃないか――そんな無限の可能性を感じます」
挑んでいるのは、伝統の否定ではない。それよりもはるかに難しい、伝統を超えていく作業だ。「いわゆる隈取と呼ばれるものは江戸時代からありましたが、現在のようなパターンを完成させたのは、九代目市川團十郎の門弟・三代目市川新十郎で、意外と新しくて明治時代のことです。彼が亡くなったときは、死顔に隈の筋が浮かび上がったという逸話もあるほどで、その功績は大変大きなものですが、かといって、『これ以上のものはない』ということでもないと思うんです。確かに先人たちが作り上げたものは、演出も衣裳もどれをとっても素晴らしい。でも、すごいと思えば思うほど悔しいと感じるところがあって、だったら自分は、彼らの技術を礎にして、さらに進化させてみたいと。それがこういうチャレンジをしたり、新作を作ったりするエネルギーになっています」

幸四郎が隈取を描くときなどに用いる化粧道具。正義や勇気を表す赤は善人に、冷酷さを表す青は敵役に、茶は妖怪や鬼など、人間ではない役柄に用いられる
400年の歴史をもつ、堅牢な伝統に萎縮したり、平伏したり、懐柔される様子はない。むしろ伝統を生かし続けるためには革新が必要だと考えている。ひとところにとどまっているだけでは、伝統は錆さびていくだけで、進化していくことでしかそれは守られないと、人生の大半を劇場で過ごす彼は、肌で感じているからだろう。
593――。彼が初舞台から染五郎時代を通して演じた役の数である。幸四郎を襲名してからの2年で、その数は62増えた。驚異的な数だが「歌舞伎役者はみんなそんなものでしょう」と、さらりとかわす。彼にとって舞台は現実と地続きであり、遠い昔の先達にも手が届く実感があるに違いない。いずれは、「言葉の本当の意味での『新作』を作るのが目標」だと言う。
「新作歌舞伎は毎年、出る時代になりましたし、僕もいくつか作ってきましたが、最終的には、歌舞伎の引き出しを一切使わない新作を作りたいと思っています。脚本はもちろん、演出、衣装、メイク、すべてこれまでやったことのないやり方でやる。それはもう歌舞伎とは言わないんじゃないかと言われそうですが、型を使わないと歌舞伎じゃないとも言えません。『チョンという柝(拍子木)の音で始まらなきゃ歌舞伎じゃない』と言うなら、この夏、歌舞伎座で上演した『三谷かぶき』(三谷幸喜作・演出)は歌舞伎ではないです。でも、あの作品は確かに歌舞伎公演として上演されました。だから何でもあり……といっても歌舞伎に昇華することが前提の『何でもあり』ですが、歌舞伎というものの枠組みは、これからもっと広がっていくんだろうと思います」

歌舞伎らしい直線的な眉は生かしつつ、冷たいニュアンスを放つ青みの強いベースで、“色悪”をよりクールに進化させた
歌舞伎の未来を見据えての果てない冒険。くわえて新しいもの好きは、高麗屋の気質でもある。父・松本白鸚が現代劇やミュージカルでも活躍してきたように、幸四郎もチームラボによるIT技術をいち早く演出に取り入れたり、フィギュアスケート選手と氷上で共演したりと、果敢な攻めの姿勢で歌舞伎に新風を吹き込んできた。
その一方、近年は父をはじめ、中村吉右衛門や片岡仁左衛門など、重鎮たちとがっぷり四つに組んでの芝居が、昔からの歌舞伎ファンの心をしっかりとつかんでいる。重厚な荒事から上方のやさ男まで、その芸域は幅広く、大名跡・幸四郎を背負っての古典との取り組みは濃密さを増すばかりだ。
「父世代の方々とやらせていただくのは、それはもうありがたいですし、うれしいし、勉強になります。限りある時間の中で、先輩方からどれだけ吸収できるかが今の自分の課題です。ただ、お客さまに対しては、『勉強でやらせていただくので観てください』とは、もう言ってはいけない立場だと思います。『面白いので、ぜひ観てください』と自信をもって言えないといけないし、『幸四郎だったら大丈夫』と思ってもらえるような信頼のおける役者に、もうならないといけない」
その自覚は40半ばという年齢もあるが、ここ数年、市川團十郎、中村勘三郎といった、ひとつ上の世代の俳優が立て続けに亡くなったことが大きい。自分たちの世代が盛り上げていかなければという計り知れない責任と覚悟が、幸四郎という役者の器をさらに大きくしている。ただ、そこに悲壮感やナルシスティックなヒロイズムはない。彼の歌舞伎への愛はいつも透徹している。「目指すのは歌舞伎職人」と、襲名公演の口上でも宣言した。「あえて職人と言ったのは、歌舞伎のために一生をかけて、命を尽くしてやるということです。自分の名前は残らなくていい。歌舞伎を残すために何ができるか。僕にとってはそれがすべてです」
BY HIROMI SATO, PHOTOGRAPHS BY TAMAKI YOSHIDA, MAKEUP BY KOUSHIRO MATSUMOTO, YUKA WASHIZU, HAIR BY ASASHI
400年、生き抜いた力を信じてーー
‟ニューノーマル時代”に松本幸四郎が届けたい歌舞伎とは
(2020年8月公開記事)
2020年8月1日、歌舞伎座は新型コロナウィルス感染拡大予防のため中止していた公演を5カ月ぶりに再開した。松本幸四郎さんが出演したのは第四部の『与話情浮名横櫛』。舞台から客席後方にまっすぐに伸びる花道の奥で待機する幸四郎さんが、開演を待つ間に目にしたのは「異様な光景」だった。
「お客様は一様にじっと黙って幕が開くのを静かに待っていらして、まったく誰の声も聞こえませんでした。リスクを覚悟してそんな極度の緊張を強いられながらも、いらしてくださったことを何よりありがたく思いました」

松本幸四郎(MATSUMOTO KOSHIRO)
歌舞伎俳優。1973年生まれ。松本白鸚の長男。1979年3月歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を名のり初舞台。1981年10、11月歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。2018年1、2月歌舞伎座で『勧進帳』弁慶ほかを勤め、十代目松本幸四郎を襲名。父・二代目松本白鸚、長男・八代目市川染五郎と三代同時襲名で話題を集めた。古典歌舞伎から新作、現代劇、映像、スポーツまで、ジャンルを超えて今もっとも充実した活躍を見せる俳優のひとり。舞踊の松本流家元・松本幸四郎を兼ねる
幕が開くと、客席を半分以下に制限しているにもかかわらず割れんばかりの拍手。それは第一声を発する俳優がそのタイミングを逸するほど鳴りやまなかった。「本当にうれしかったです。そして芝居ができる環境を整えてくださった関係者の方々への感謝の気持ちでいっぱいになりました」
歌舞伎座の舞台に立つのは、3月半ばに動画配信のために行われた一日限りの無観客上演以来のこと。「その幕が閉まった時、明日の舞台はないという現実に驚愕しました。役者は役を与えていただかないことには何もできません。絶望にも近い無力感に襲われ、この先どうなるのだろう、再び開けられる日がくるのだろうかと思うと、しばらくは何も考えることができませんでした」
空虚な時を過ごすうちに湧き上がってきたのは、「このまま何もしなかったら歌舞伎はなくなってしまうかもしれない」という焦り。「今できること」を「早くしなければならない」という思いは動画配信という形で実を結ぶ。
まず、5月末に立て続けに2本を公開。自宅で歌舞伎の化粧をする様子を自撮りした『歌舞伎ましょう』と、尾上松也さんとのオンライン・トークを生配信した『歌舞伎家話』だ。そして、6月27日からは『図夢歌舞伎』と銘打ち、土曜日の午前11時から5週にわたって『忠臣蔵』を上演し生配信したのだ。ベースとなっているのは古典の大作『仮名手本忠臣蔵』、それを映像で体感する歌舞伎として昇華させたのである。

『図夢歌舞伎 忠臣蔵』高師直=松本幸四郎(第一回より)
©️ SHOCHIKU
幸四郎さんは主要キャスト6役を演じ分けた上、顔をみせることのない着ぐるみの猪までやってのけ、予め撮影した別の役を演じる自分とも共演した。「3密を避けるためカメラ1台につき登場人物はひとり。同じセットを別室にふたつ用意して離れたとこにいる共演者とは、モニター越しに動きを確認しながら演技をするという現場でした」
塩冶判官が高師直に斬りつけるシーンでは、師直に扮した幸四郎さんがカメラ目線で憎々しく相手をなじり、視聴者は判官がそこで目にした光景と憤りを疑似体験できるという効果が生まれた。劇場では間近にみることができない象徴的な小道具のアップはドラマに奥行を与え、単なる劇場中継では味わえない映像だからこそのアプローチが随所に施されていた。
そんななかでひらめいたのが、亡き名優との共演だ。『七段目 祇園一力茶屋の場』で祖父の初代松本白鸚と共演したのである。「祖父の映像が残っていたからできたことです。これによって、今はご存命でない方も出演者のひとりになれるという道が拓けました」
動画配信による歌舞伎は、生の舞台と両立する形で今後も進化発展をしていくだろうと予測する幸四郎さん。こだわりは「いつもの歌舞伎座のお芝居を観ていただく」ことにあるという。「作品世界を映像用にアレンジするのではなく、声の出し方や立ち居振る舞いなどの演技法、大道具、小道具、衣裳、様々なしかけや演出など、伝統として伝わっている歌舞伎の素晴らしさを、画面を通してどう効果的にお見せしていくかということです」
再開した歌舞伎座は四部制の公演となり、それぞれの部ごとに出演者もスタッフもすべて入れ替え制とし、その都度消毒を行っている。楽屋内の往来も制限され共演者とは舞台で会うのみだという。「前の部の人がすべて出てからでないと楽屋には入れませんし、大道具さんが仕事を終えたら小道具さんが所定の場所に必要なものを置き、小道具さんがいなくなったら役者が入るという徹底ぶりです」。売店は必要最小限の水やお茶の販売に限られ、場内の換気など専門家の指導に基づく感染防止対策は観客にとってはかなりの安心感がある。

『色彩間苅豆 かさね』与右衛門=松本幸四郎(令和元年7月巡業)
© SHOCHIKU
そんな体制のもと幸四郎さんは引き続き9月も歌舞伎座に出演する。第二部で上演される『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)かさね』だ。昨年の全国巡業公演で好評を博した市川猿之助さんとの共演による舞踊劇である。幸四郎さんが演じるのは悪の魅力たっぷりの与右衛門という浪人、猿之助さん演じる腰元のかさねとは恋人関係にある。
「恋人とはいっても破綻したカップルです。かさねのことがいやでいやでたまらない。いろいろなやり方がありますが、自分はそういう解釈です。清元の名曲が素晴らしい舞踊作品である一方、人間らしい人間ドラマでもある。傑作を傑作としてお見せする、ということを第一につとめます」。与右衛門が過去に犯した罪が怪奇味を帯びた現実となってかさねの身に降りかかる展開で、ある出来事をきっかけに破綻したカップルの色模様は凄惨な悲劇へと向かってゆく。

8月に続き、9月も公演が実現したことに喜び感謝しつつ、幸四郎さんが目指しているのは完全再開。「食堂や売店、筋書、イヤホンガイド。劇場で過ごす日常が戻ってこそ真の再開です。また歌舞伎座の周辺にはいくつものさまざまな店があり、観劇前後に過ごす時間も含めて歌舞伎を楽しんでもらえる日が再びやって来ることを願っています。400年を超える歌舞伎の歴史を振り返れば危機は何度もありました。でもここまで生き抜いて来た実績があります。それを信じてできることをひとつひとつ実現させていきたいと思います」
BY MARI SHIMIZU, PHOTOGRAPHS BY SHINSUKE SATO
歌舞伎座『九月大歌舞伎』(本公演は終了しています)
第一部『寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)工藤館の場』
第二部『色彩間苅豆(いろもようちょっとかりまめ)かさね』
第三部 秀山ゆかりの狂言『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)引窓』
第四部 映像×舞踊特別公演『口上』『鷺娘』
会期:2020年9月1日(火)~26日(土)
休演日:9月7日(月)、17日(木)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
料金:1等席¥8,000、2等席¥5,000、3階席¥3,000
※ 1・2階桟敷席および、4階幕見席の販売はなし
公式サイト
夏こそ歌舞伎!
『裏表太閤記』で松本幸四郎が3役と宙乗りに挑む

『裏表太閤記』鈴木喜多頭重成=松本幸四郎
(2024年7月公開記事)
『裏表太閤記』は多くの復活狂言の創出に取り組んでいた三代目市川猿之助(二世市川猿翁)が手がけた作品で、1981年に奈河彰輔の脚本、六世藤間勘十郎(二世藤間勘祖)の演出・振付で上演された。本作はその名の通り、豊臣秀吉の出世を描いた輝かしい「表」の物語と明智光秀をはじめとした悲劇的な「裏」の物語を、巧みに虚実を混ぜ合わせて描かれたもの。新たな構想での再演となる今回は、本水(本物の水を使う演出)を使った大立廻り、宙乗り、早替りなどのケレン味溢れる演出や所作事(舞踊)など、歌舞伎の魅力を凝縮した舞台となっている。
序幕は明智光秀の父親で極悪人の松永弾正が織田信長軍に包囲され、息子に御家再興を託して、自らが放った火で最期を遂げるところから始まる。復讐心を抱いている光秀は、信長から耐えがたい屈辱を受け、本能寺で信長を討つ。一方で信長の嫡子である織田信忠との間に三法師という男子を設けた光秀の妹・お通の物語が描かれている。
二幕の始まりは秀吉から水攻めを受けた備中高松城の軍師・鈴木喜多頭重成と息子・孫市の悲劇から。さらに、お通が嵐を鎮めようと三法師を秀吉に預けて海中に身を投じ、その思いを讃えた大綿津見神から秀吉はご加護を受け、琵琶湖の坂本の大滝で光秀と死闘を繰り広げる……。
大詰では天界での孫悟空の活躍が描かれるが、それが“猿”と呼ばれていた秀吉の夢だったという趣向を舞踊仕立てで展開し、大坂城の大広間に名だたる諸大名が勢揃いして三番叟を踊ることで幕が閉じるという壮大なスケールの物語だ。
──今回の振付と演出は藤間勘十郎さんがなさっています。勘十郎さんならではのアイデアや初演と再演との違いなどについて教えてください。
松本幸四郎(以下幸四郎): 勘十郎さんは今回、初めて三代目猿之助歌舞伎を単独で演出されるとのことですが、歌舞伎に関する引き出しをたくさん持っていらっしゃる方なので、さすがだなと思いました。まずは初演をいろいろと検証されて、初演では場面や役によって年代などが異なる拵えだったのを、今回は時代を統一しています。お通に関しては、時代物の拵えにすることで、その役割がより引き立つとお考えになったのだと思います。
ドラマとしては二幕目で終わって、三幕目は2つの所作事にするという構成にされました。
初演と比べて一番大きな違いがあるのは、二幕目の鈴木喜多頭重成と息子の孫市が登場する場面です。初演では孫市が死ぬのですが、今回は倅に自分の首を討たせて親の喜多頭重成が死ぬという設定に変更しました。
また、登場人物を実名にしたこと、大詰の西遊記の場面が夢として描かれていたのを、西遊記に至るまでのすべての物語が夢だったことにしたのも初演と異なります。
二幕目に本水を使った立廻りがありますが、その場面も新たに加わった演出です。
──幸四郎さんのアイデアで変えた部分はありますか?
幸四郎:基本的には勘十郎さんが打ち合わせを重ねて創り上げてこられてきた作品なので、その中の部分的なことですね。例えば自分の拵えですが、早替りに関していえば喜多頭重成から秀吉になるということは本来なら顔の化粧をし替えることはまずあり得ません。時間的に足りないからです。でも、3日間の稽古の際に、もしかしたらできるのではないかと考えました。喜多頭の顔が白塗りでないことは台本を読んで思っていたので、どうやったら化粧を変えることができるのかを衣裳の脱ぎ着の段取りも含めて真剣に考えました。
ほかには序幕の(市川)中車さんが演じる弾正が亡くなる場面でも、茶釜を壊して火を付けて自害しますが、これは史実にあるエピソードなのでそこにこだわりました。小屋が燃える中に一人で堂々といて、自分の最期を自分で閉めるというのは、台本にもあるのですが、それを形にしたいと思いました。また、わからない程度のことなのですが、二幕目の最初に秀吉が登場するときは、照明の効果を狙って明るさを調整してもらいました。

『裏表太閤記』羽柴秀吉=松本幸四郎

『裏表太閤記』羽柴秀吉=松本幸四郎、鈴木孫市=市川染五郎

『裏表太閤記』大綿津見神=松本白鸚、鈴木孫市=市川染五郎、羽柴秀吉=松本幸四郎

『裏表太閤記』羽柴秀吉=松本幸四郎
──稽古は連日遅くまで行われていたそうですが、どのようなことが大変でしたか?
幸四郎:昼の部の演目の稽古もありますから、丸1日かけて稽古ができるわけではありません。稽古の期間も短いことから時間は少ないのですが、道具、拵えなどスケールの大きな作品なので、それなりの時間は要します。1つのタイミングに何十人もの人たちが合わせていかなければなりません。僕は序幕には出ていないので、序幕を見ながら待っていて、二幕目の稽古が始まった時はかなり時間が経っていたと思います。そこから大道具の転換や宙乗りのタイミングなど、演出の勘十郎さんが指揮者となって、打ち合わせをしながら舞台を創っていきました。
──二幕目では松本白鸚さんと幸四郎さん、そしてご子息の市川染五郞さんのお三方が舞台で共演される場面がありますが、親子の役で共演するときはどんな気持ちで演じますか?
幸四郎: 僕自身は何とも思わずに演じていますが、染五郎は彼なりに考えることがあるようです。ご覧になる方も親子だと思ってご覧になりますし、演じる立場からしてもそれが前提で成立します。さらにいえば、本物の親子でなければできない作り方というものは、確かにあると思います。ただ、喜多頭親子は全く次元の違う親子だと思うので、意識して自分に当てはめてしまうと小さくなりそうですし、今の生活感が出てしまってはいけないと気をつけています。
最近の染五郎は役の気持ちを通そうというのが感じられますので、そういう意味では戦力の一部になったのかなとは思います。特にドラマとして核になる部分には義太夫が入っているので、そういう表現をしっかりと見つけてほしいと思います。なかなか気持ちがついていかない難しい部分はありますが、それが歌舞伎なのです。
──今回の作品の見どころを教えてください。
幸四郎:表現の仕方、その形、動き、台詞、気持ちの持っていき方など、歌舞伎でなければ成立しない作品であり、歌舞伎のすべてが詰まったお芝居だと思います。色彩的にも音楽的にも、また義太夫の部分があるのでドラマとしても見応えがありますし、本水での立廻りや宙乗りというケレン味もあります。光秀が信長から恥辱を与えられる「馬盥」の場面では、上敷(じょうしき)を一気にバーッと舞台に敷くのも演出の一つで、客席から大きな拍手が起こりますが、これは役者だけでなく、大道具のスタッフも活躍しているということです。実際に大変な技術なのでそれがお客様にも伝わっているのだと思います。そういった部分も含めて、楽しんでいただければと思っています。

『裏表太閤記』孫悟空=松本幸四郎


『裏表太閤記』豊臣秀吉=松本幸四郎
松本幸四郎(MATSUMOTO KOSHIRO)
東京都生まれ。1973年3月、歌舞伎座『侠客春雨傘』で三代目松本金太郎を襲名して初舞台。81年10月、歌舞伎座『仮名手本忠臣蔵』七段目の大星力弥ほかで七代目市川染五郎を襲名。18年1月、歌舞伎座 高麗屋三代襲名披露公演『壽 初春大歌舞伎』で十代目松本幸四郎を襲名。父は二代目松本白鸚、息子は八代目市川染五郎。
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

七月大歌舞伎 (本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
通し狂言『星合世十三團 成田千本桜』
市川團十郎十三役早替り宙乗り相勤め申し候
夜の部 16:30開演
『千成瓢薫風聚光 裏表太閤記』
松本幸四郎宙乗り相勤め申し候
※松本幸四郎さんは、
夜の部
『裏表太閤記』豊臣秀吉、鈴木喜多頭重成、孫悟空
にて出演。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年7月1日(月)〜24日(水)
問い合わせ:チケットホン松竹
TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹
松本幸四郎 × 尾上松也
最強タッグで挑む"歌舞伎NEXT"

(2024年11月公開記事)
伝統と革新の両輪によって400年以上受け継がれてきた歌舞伎に、新しい息吹を注いだ歌舞伎NEXT『阿弖流為〈アテルイ〉』。劇団☆新感線の中島かずきが脚本、いのうえひでのりが演出を手がけて2015年に上演され、当時、市川染五郎を名乗っていた松本幸四郎と中村勘九郎、中村七之助が熱狂と興奮に満ちた劇空間を創り上げた。この"歌舞伎NEXT" とは何か? 発案者の一人である幸四郎にその思いを聞いた。
「ひと言で言えば"混ぜる"ということです。新作歌舞伎は、何かを原作に歌舞伎化するとか、作家の方に歌舞伎の脚本を書いていただくというコラボレーションですが、"歌舞伎NEXT"は、歌舞伎の伝統と新しい手法を混ぜ合わせることで、今までにないものが生まれることを目指したものです。『阿弖流為』は、いのうえさんと中島さんと3 人で何か新しいものを創ろうと話していたことが実現し、さらに勘九郎くんと七之助くんが出演してくれて、理想どおりの配役で始められたのがうれしかったです。実は、そのときすでに次の歌舞伎NEXTは『朧(おぼろ)の森に棲む鬼』にしようというご提案をいのうえさんからいただいていました」
その言葉どおり、第二弾となる歌舞伎NEXT『朧の森に棲む鬼』では松本幸四郎と尾上松也がダブルキャストで、主人公のライと、対峙する武将のサダミツの二役をそれぞれが演じる。『朧の森に棲む鬼』は2007年に劇団☆新感線が幸四郎(当時は市川染五郎)を主演に迎えて初上演し、のちに演劇を映像化して映画館の大スクリーンと大音響で楽しむ「ゲキ×シネ」でも上映されている傑作だ。尾上松也には本作に出演する心境について聞いた。
「うれしさと同時に、幸四郎さんがなさっていたオリジナル作品の素晴らしい印象があります。幸四郎さんのライは僕の憧れですので、ダブルキャストで演じるということは、冷静に考えるとハードルの高い挑戦だと思います。わかりやすく言えば、古畑任三郎役を田村正和さんとダブルで演じてほしいといわれたようなものです(笑)」

ユーモアたっぷりに答えつつも、そのプレッシャーは伝わってくる。ふたりは、歌舞伎で共演したことはもちろんあるが、劇団☆新感線で主演を務めたという共通点もある。劇団☆新感線の作品にはどのような魅力があるのだろうか。
「いのうえさんの演出は"それができたら格好いいし、お客さまが驚くだろう" と想像はできますが、とてつもなく大変なことが求められます。でも理屈にはかなっているから、それを演るしかない、というところに魅力があります(笑)」と幸四郎。
一方で松也は「僕は『メタルマクベス』に出演しましたので脚本は宮藤官九郎さんでしたが、いのうえさんが体現したいと考えている楽しさや面白さは刺激的で共感できるものばかりです。いのうえさんご自身の中に歌舞伎の要素をどこかしらに備えていらっしゃるので、歌舞伎に携わっている僕自身もワクワクしますし、純粋にうれしいです」と語った。
ひと回り年が離れているふたりは、これまでの共演でどんなことが印象として残っているのだろうか。
「1992年に僕が初めて香川県の金丸座に行ったときに、共演はしていませんが、松也くんと一緒に(中村)時蔵(現・萬壽)さんのファミコンで遊んだことを覚えています。時蔵さんが所有者だから、強かった(笑)。僕たちは負けてしまって、彼が大泣きしたのを覚えています」と幸四郎。
松也は「僕も金丸座に行くのはそのときが初めてでしたが、まだ10歳にもなっていなくて、確かに悔しがって号泣していましたね(笑)。金丸座のこんぴら歌舞伎には2014年のときも幸四郎さんとご一緒させていただいて、僕は『車引』の桜丸や『寺子屋』の源蔵を勤めさせていただきました。若手だけで金丸座の幕を開けることや通し狂言に出させていただく機会は珍しいことでしたので、僕にとって忘れられない公演の一つです。そのときに幸四郎さんから"歌舞伎NEXT" をなさると伺って、僕もいつか出させていただきたいと思いました」と続けた。

まったくタイプの違うふたりはどんな世界観を描くのだろうか。
「僕が演じるライは、これまで見てきたものとは、また違うライになると思っています。それよりもライバルである幸四郎さんのライを同じ舞台上で、生で見させていただけるのは、とても楽しみです。僕の脳裡に残っている初演時の名台詞や名場面が舞台で再現されるのを、ファン的な目線で見られることにも期待しています」。
そう語る松也の言葉を聞きつつ、幸四郎自身も第二弾への思いを語った。
「歌舞伎NEXTが『阿弖流為』で第一歩を踏み出し、それがあるからこそ、次がある。僕からすると、今はまだ、何かが"生まれた" というよりも"始まった" という感じです。混ぜ合わせることで、この世にないものを生み出す。それを目指して、挑みます」。
その成果を見るのが待ち遠しい。
松本幸四郎(まつもと・こうしろう)
1973年、東京都生まれ。父は二代目松本白鸚、息子は八代目市川染五郎。屋号は高麗屋。2018年1 月、歌舞伎座 高麗屋三代襲名披露公演『壽 初春大歌舞伎』で十代目松本幸四郎を襲名。古典から復活狂言、新作歌舞伎まで幅広い演目に取り組む一方で、劇団☆新感線の舞台や映像作品にも出演し人気を博す。
尾上松也(おのえ・まつや)
1985年、東京都生まれ。父は六代目尾上松助。屋号は音羽屋。近年は『魚屋宗五郎』の魚屋宗五郎、『東海道四谷怪談』の民谷伊右衛門など、古典作品の大役に挑んだ。ミュージカル『エリザベート』のルキーニ役など歌舞伎以外の演劇や映像作品でも活躍している。『メタルマクベス disk2』で劇団☆新感線の舞台にも出演。
BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY KAZUYA TOMITA, STYLED BY ATSUSHI KIMURA, HAIR & MAKEUP BY TOMOYO TSURUSAKI(FOR KOUSHIRO), YASUNORI OKADA(FOR MATSUYA)
歌舞伎NEXT『朧の森に棲む鬼』 (本公演は終了しています)
公式サイトはこちら
2024年11月30日〜12月26日 新橋演舞場
チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
2025年2 月4 日〜25日 博多座
博多座電話予約センター TEL. 092(263)5555
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