BY MARI SHIMIZU
坂東玉三郎
次世代へ芸を伝承しながら革新をもためらわない。
坂東玉三郎が今、舞台に託す思い
(2018年11月公開記事)
類まれな美貌と華のある存在感、そして確かな演技力。坂東玉三郎はまぎれもなく歌舞伎界を代表する女形(女性の役を演じる俳優)だ。
その玉三郎が主役をつとめる注目の舞台が、今月から来年にかけて、生の舞台と映像で立て続けに観られる。歌舞伎座で上演中の「十二月大歌舞伎」夜の部の『壇浦兜軍記 阿古屋』と、2019年1月12日より各地で公開されるシネマ歌舞伎『沓手鳥孤城落月/楊貴妃』だ。このふたつの舞台に託す思いを玉三郎に取材した。そしてそこから浮かびあがったキーワードは伝統と革新だった。
ーー芸の伝承
『壇浦兜軍記 阿古屋(だんのうらかぶとぐんき あこや)』は極めて芸術性の高い作品だ。
まず目を引くのは、豪奢な衣裳を身に纏い優雅な物腰でタイトルロールの阿古屋を演じる女形の圧倒的な美しさ。耳を愉しませるのは、その姿で演奏する三種の弦楽器の繊細な音色。そして、時に唄いながら奏でられる曲の詞章からは高雅な文学の香りが立ち上る。五感の刺激が知性と心に共鳴したとき、劇空間はえも言われぬ至上の歓びで満たされていく。
だがそれも、阿古屋という至難の役を演じきるだけの技量を備えた俳優あってこそ、到達できる境地だ。そして1997年以来、阿古屋を何度も演じ続けている稀有な存在が玉三郎なのである。

『壇浦兜軍記 阿古屋』遊君阿古屋=坂東玉三郎
PHOTOGRAPH BY KISHIN SHINOYAMA
物語の背景となっているのは源平の争い。傾城の阿古屋は、平家の残党・平景清の恋人であった。景清の行方を詮議する場に引き出された阿古屋は、琴、三味線、胡弓の演奏を命じられる。恋人の居どころを知らないという阿古屋の言葉に偽りがないか、演奏する楽器の音色で判断しようというのである。
「現実にはあり得ないことですが、そこがこの芝居の独特なところです。そして阿古屋は琴を演奏しながら景清の名を歌詞に織り込んで、知らないと応えます。そういうことが即座にできる知性ある女性なのです」
さらに三味線では謡曲『班女』の、胡弓では謡曲『望月』の一節を演奏。琴、三味線、胡弓という、それぞれに趣の異なる楽器の調べに、阿古屋の内なる思いが投影される。それにじっと耳を傾けた詮議役の重忠は、阿古屋の言葉に偽りがないと判断する。
「その音色に、重忠ははかなさと虚無を感じとったのでしょう。これほど凝った趣向の作品も珍しいのではないでしょうか」
そうした作品世界を深く理解した上で、傾城としての華と品格を体現し、恋しい相手を思う女心と情をこまやかに見せることができなければ、阿古屋の役はつとまらない。
「恋人の景清をひたすら思い楽器を奏でる。曲をただ聴かせるのではなく、常に阿古屋という人物であり続け、その心を曲に込めなければなりません。そこにこの役の何よりの難しさがあります。技術、体力、精神力が必要とされる役なのです」

坂東玉三郎
歌舞伎俳優。美貌、演技力、華を備えた現代歌舞伎屈指の女形。 1957年に初舞台を踏む。’64 年に十四代目守田勘弥の養子となり、五代目坂東玉三郎を襲名。『桜姫東文章』の桜姫、『助六由縁江戸桜』の揚巻、『伽羅先代萩』の政岡、『壇浦兜軍記』の阿古屋など当たり役は多い。海外での評価も高く、フランス芸術文化勲章最高賞コマンドゥールを受章。また2012 年には、重要無形文化財(人間国宝)認定された。
PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO
玉三郎が演じる以前は、名優とうたわれた六世中村歌右衛門(2001年没)の独壇場だった。玉三郎はその歌右衛門から役を受け継いだ唯一の存在なのだ。
「成駒屋さん(歌右衛門の屋号)は『弾きすぎないでね』とおっしゃっていました。演奏に夢中になってしまうと、阿古屋の心がおろそかになり、演技に気を取られると演奏が乱れます。このふたつを同時に成立し続けられるようになるには時間がかかるのです」
実感のこもった静かな語り口に、阿古屋として舞台で生き抜いてきた時間がしのばれる。あの絢爛たる衣裳や鬘、そして楽器までもが今や身体の一部であるかのような玉三郎であるが、そこに至るまでには託された者にしかわからない孤高の努力があったのだ。
この12月、歌舞伎座で上演中の舞台は、玉三郎と中村梅枝、中村児太郎のトリプルキャストとなっている。若い二人の抜擢は玉三郎の推挙あってのことだ。
「梅枝さんと児太郎さんが楽器の稽古をしていることを耳にし、それならと思ったのです」。
そこには「自分が立って動けるうちに」という思いがあった。というのも、玉三郎が歌右衛門に芸を伝授された時、名優の体調は万全ではなかったのだ。もし歌右衛門に緊急事態が発生すれば、芸の伝承が途絶えていたかもしれないのである。
「教えていただいたことを次世代に託す。伝承の積み重ねによって歌舞伎は成り立ってきたのです」
ーー解釈と表現
先人の教えを守り伝統を受け継ぐことで質の高い芸能を維持してきた歌舞伎であるが、時代の空気を敏感にキャッチし新たな可能性を探り続ける進取の精神もまた、この演劇の大きな特色だ。
人間の内面に着目しリアルな心理描写で近代文学の先達となった坪内逍遙作による『沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)』が、歌舞伎として初演されたのは明治38年のことだった。秀吉亡き後の豊臣家の没落を描いた悲劇で、後に「新歌舞伎」というジャンルにカテゴライズされることになる。

シネマ歌舞伎『沓手鳥孤城落月/楊貴妃』(左)楊貴妃、(右)淀の方=坂東玉三郎
PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO
原作は三幕六場で構成されているが、近年は第二幕の二場と三場をフォーカスしての上演がほとんどだった。その際に大きな見どころとして着目されてきたのは、秀吉の側室・淀の方を演じる俳優の狂乱の演技だ。そのリアルな心理描写は江戸時代の歌舞伎にはなかったもので、明治期から淀の方を当たり役とした五代目歌右衛門には役づくりのために精神科病院を訪れたというエピソードが残されている。
「私は狂乱ではなく錯乱ととらえています。そしてそれは(近年上演されない一幕の)『奥殿』からすでに始まっていると思うのです」
そうした解釈のもと、玉三郎が淀の方を歌舞伎座で初めて演じたのは2017年10月。一幕の「奥殿の場」からの上演だ。2019年1月よりシネマ歌舞伎として上映されるのは、その折の舞台である。奥殿で描かれているのは、秀頼の正室・千姫を逃がそうとした徳川方の目論見が露見し、失敗に終わる出来事だ。夫・秀頼を捨ておき、祖父・徳川家康の庇護のもと大坂城を出ようとする千姫に、秀頼の母である淀の方は見境もなく激昂する。
「戦乱の世に生まれ自分の思うように生きられなかった淀の方は、自身の人生の矛盾をぶつけているのではないでしょうか。ただただ千姫が憎いという、単純なことではないのだと思います」

『沓手鳥孤城落月』(左)豊臣秀頼=中村七之助、(右)淀の方=坂東玉三郎
PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO
続く二幕で、千姫はついに大坂城脱出に成功する。その二幕でひとつの見どころとされてきたのが、締め込み姿で大立廻りをする“裸武者”の活躍だ。
「原作を見つめ直していく過程でわかったのは、“裸武者”のくだりは坪内先生がお書きになったのではなく、幕内のスタッフによって付け加えられたものだということでした。当時のお客さまに楽しんでいただくためには、それが必要だったのでしょう」
庶民の娯楽として江戸時代に誕生した歌舞伎には荒唐無稽なものが多く、そうした芝居に慣れ親しんでいた観客の期待を裏切るわけにはいかなかったのだろう。裸武者の登場は慣例となり、この作品の上演が決まると、その役を「誰が演じるのか」も注目されるようになっていった。その注目の場面を、玉三郎は思いきってカットした。
「大切なのは千姫が徳川の手引きによって逃れていくという事実。それをしっかりと見せることに重きを置きました」
場面が天守閣の糒庫(ほしいぐら)へと移ると、淀の方は正気を失った態となっている。千姫がいなくなったことを知り、その怒りが身体にも影響して癪を起こしているのである。
「けれど我が子である秀頼を目にして、ふっと我に返る。戦に翻弄され続けてきた一生のなかで、彼女にとって秀頼だけが無償の愛を注げる唯一の存在だったのです」
しかし正気を取り戻すのは一瞬に過ぎない。錯乱する母の姿を前にして秀頼はついに、降伏と開城を決断する。
「光を当てたかったのは、大坂城の落城と母子の心情。淀の方は歴史上の人物としても歌舞伎の役としても大きな存在ですが、描きたかったのはひとりの女性としての生きざまなのです」
歌舞伎座での上演時、いつにも増して多くの、とりわけ女性客が見入っている様子が印象的だった。従来の上演形態を見直し、ともすれば見どころが分散しがちだった物語に軸を通した成果だ。玉三郎流に筋を通したドラマが、臨場感を伴って観客の心を揺さぶったのである。
伝統があるからこそ、こうした革新が生まれる。その両者が歌舞伎を未来へとつなぐ源となるのだ。伝統と革新、相反する要素を自在に行き来しながらしなやかに融合させているところに、玉三郎の芸の神髄がある。
【歌舞伎座百三十年 十二月大歌舞伎】(本公演は終了しています)
会期:~2018年12月26日(水)
演目:昼の部『幸助餅』『於染久松色読販 お染の七役』
夜の部 Aプロ『壇浦兜軍記 阿古屋』『あんまと泥棒』『二人藤娘』
Bプロ『壇浦兜軍記 阿古屋』『あんまと泥棒』『傾城雪吉原』
(※坂東玉三郎の『壇浦兜軍記 阿古屋』阿古屋役での出演はAプロ。日程は公式サイトにて)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
坂東玉三郎が誘う『楊貴妃』の幻想世界
(2020年10月公開記事)
10月、坂東玉三郎さんは前月に引き続き、歌舞伎座第四部の幕をひとりで開ける。2カ月連続、「映像×舞踊 特別公演」と題されたそれは、同一演者による映像と実演による舞踊がダイナミックかつ繊細に溶け合った舞台だ。9月の『鷺娘』は大好評のうちに幕を閉じ、10月には『楊貴妃』が上演される。
「歌舞伎座という、伝統ある劇場で実演ではなく映像を上映するのは冒険です。お客様が本当に喜んでくださっていらっしゃるのか不安はありますが、少しでも楽しんでいただけるものをと思い構成(註)を考えました。それにしても一部分とはいえ、歌舞伎座で『鷺娘』を踊る日がまた訪れるとは思いませんでした」

坂東玉三郎(BANDO TAMASABURO)
歌舞伎俳優。歌舞伎界を代表する立女方(たておやま)。1957年12月、東横ホール『寺子屋』の小太郎で坂東喜の字を名のり初舞台。1964年6月、十四代目守田勘弥の養子となり、歌舞伎座『心中刃は氷の朔日(しんじゅうやいばはこおりのついたち)』のおたまほかで五代目坂東玉三郎を襲名。『兜軍記』の阿古屋、『籠釣瓶』の八ツ橋、『先代萩』の政岡など女方の大役を数々務める。舞踊『鷺娘』は30代でニューヨーク・メトロポリタン歌劇場に招聘されて踊り絶賛された。アンジェイ・ワイダやモーリス・ベジャール、ヨーヨー・マなど、世界的芸術家たちとのジャンルを超えたコラボレーションも多数。2012年、重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2013年フランス芸術文化勲章コマンドゥール章。2014年紫綬褒章。ほか受賞歴多数。文化功労者、日本芸術院会員
PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO
9月に上演された『鷺娘』は海外でも絶賛された玉三郎さん畢生の代表作。一面の雪景色の中、恋に翻弄される娘の切なくも激しい思いを、白鷺の精に託したドラマティックな舞踊である。彩りの異なるいくつかのパートを全編ひとりで踊りぬくため体力的にハードな作品だ。完全な形での上演を望む玉三郎さんは、2009年1月歌舞伎座での上演を踊り納めとしていた。

『鷺娘』鷺の精=坂東玉三郎(2020年9月歌舞伎座)
©️ SHOCHIKU
「映像×舞踊 特別公演」では、舞台手前と奥に設置されたふたつのスクリーンに映し出された玉三郎さんの過去の映像と、実在の玉三郎さんとが巧みに入れ替わりあるいは同時に存在しながら、幻想的な空間をつくり出していた。
歌舞伎座独特の横長の広い舞台ならではの巨大スクリーン、そこに映し出される迫力ある映像は2005年5月に歌舞伎座で上演され翌年に「シネマ歌舞伎」として公開されたもの。つまり観客は異なる時間軸に存在する玉三郎さんの踊りを同時に鑑賞するという不思議な体験をすることとなる。
そこで気づかされるのは、現実の玉三郎さんの圧倒的な存在感である。生身の身体表現こそが、舞台芸術の神髄であることを如実に物語っている。
「人間が存在している以上、この世から実演による表現芸術がなくなることはないと信じています」

『鷺娘』鷺の精=坂東玉三郎(2020年9月歌舞伎座)
©️ SHOCHIKU
ただし、それは「現実から離脱できる環境が整ってこそ」という。
「時間と空間が限られた、日常とは違う場所へ移動して観るということです。例えば映画監督はその作品の中で時間や空間を設定しているわけです。コロナの影響でさまざまな分野で動画配信が盛んなようですが、芸術に関しては急いて結論を出さないことが大切なのではないでしょうか。配信では途中で映像を止めることもでき、日常の音も容赦なく聞こえてきます。そうなるとそれは時間の配分や音を調整し演出した作品とは別のものです」
歌舞伎座という「限られた空間」で10月に上演される舞踊は『楊貴妃』で、これも玉三郎さんの代表作だ。「すでにこの世の者ではなくなっている楊貴妃のもとへ、玄宗皇帝の使いとして方士(神仙の術を身につけた者)が訪ねて来る幻想的な物語です」
中国風の衣裳を身に纏い、京劇の女方に学んだ技術を駆使して優美に舞う玉三郎さんの美しさは、まさにこの世を逸脱した存在だ。「紗幕に映像を投影するなど、『鷺娘』とはまた違った趣向も取り入れてお見せいたします」
豪華な髪飾りやみごとな刺繍が施された衣裳の細部、ゆったりと繊細な身のこなしをつぶさに観ることができるのは映像の特権だ。1991年の初演以来、何度も上演を重ねている作品だが、過去のどの上演とも違った世界感を形成することになるだろう。
そもそもこの創作舞踊はどんないきさつで誕生したのだろうか。
「1987年に新橋演舞場で『玄宗と楊貴妃』という作品で楊貴妃を演じたことがあるのですが、その折に京劇の名女方でいらした梅蘭芳(メイランファン)さんのご子息でやはり女方の梅葆玖(メイパオジュウ)さんに歩き方や身のこなし、特徴ある袖の使い方など、さまざまな技術を教えていただいたのです。そして『玄宗と楊貴妃』の一場面を膨らませて独立させたのが『楊貴妃』なのです」

『楊貴妃』楊貴妃=坂東玉三郎
PHOTOGRAPH BY TAKASHI OKAMOTO
きっかけはひとつの作品との出会いだが、以前から玉三郎さんは中国の文化・芸術に憧れを抱いていたという。「祖父の十三代目、父の十四代目守田勘弥は京劇と交流があり、梅蘭芳先生の舞台に接した父からはその芸がいかに素晴らしかったかを聞かされて育ちました。それでいつしか私も憧れるようになっていったのです」
芸術や美への純粋な憧憬をたゆまぬ芸の鍛錬で独自の境地へと昇華させ、新たな創造を続けた来た玉三郎さん。その積み重ねと応用が、密を避けた「新たな生活様式」を余儀なくされたコロナ禍における上演スタイルに「映像×舞踊 特別公演」という形でフィットした。
「急に考えたことではなく、これは熊本県の八千代座での公演のために5年前に始めた企画なのです。映像と実演を融合させるのは非常に難しいのですが、経験を重ねいろいろなことがわかってきたなかで、たまたまこのタイミングと重なったのです」
最新技術を駆使して音響の調整をした『鷺娘』のサウンドリマスター版が公開となったのも『楊貴妃』がシネマ歌舞伎化されたのも昨年ことで、その映像があったからこそ2カ月連続の上演が実現した。『楊貴妃』という作品を通して人々の心に届けたいものとは何なのだろうか。今のこの時期を踏まえて改めて尋ねてみた。
「天国、という言葉が正しいかどうかはわかりませんけれど、争いも悲しみもないところでうらうらと過ごしている楊貴妃という存在そのもの、でしょうか。絶世の美女として知られる楊貴妃ですが、ここで描かれている彼女はそうしたことをすべて通り抜けてしまっています。心穏やかな、悟りの境地にいる存在。その宇宙観に浸っていただけたらと思います」
実際にはあり得ない世界に心を遊ばせリフレッシュすれば、立ち戻った現実でまた違った風景を見出すこともあるだろう。
「現実と飛躍した世界との行き来、その往復が人生をより豊かなものにしてくれるのではないでしょうか」
註)『楊貴妃』上演前には『口上』(舞台挨拶)があり、これも「お客様に少しでも楽しんでいただきたい」という玉三郎さんの意向によるものだ。9月の公演では、せりや回り舞台など歌舞伎座の舞台機構を自ら紹介したが、これも映像と実演とを巧みに融合した展開となっていた。10月の公演では基本的な部分を踏襲しながら、映像で楽屋にも案内するという
【シネマ歌舞伎『沓手鳥孤城落月/楊貴妃』】(本上映は終了しています)
2019年1月12日(土)より、東劇ほか全国の映画館にて公開
公式サイト
【歌舞伎座『十月大歌舞伎』】(本公演は終了しています)
第一部『京人形』
第二部『双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)角力場』
第三部『梶原平三誉石切(かじわらへいぞうほまれのいしきり)鶴ヶ岡八幡社頭の場』
第四部 映像×舞踊 特別公演『口上』『楊貴妃』
会期:2020年10月2日(金)~27日(火)
休演日:10月8日(木)、19日(月)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
公式サイト
片岡仁左衛門
片岡仁左衛門に聞く
「時代物」の味わい方
(2019年3月公開記事)
歌舞伎という日本の伝統演劇は、実に多彩なレパートリーを持つ。芸術性の高い作品もあればスペクタクルな娯楽作もあり、半日がかりで上演される大作から20分にも満たない舞踊までさまざまだ。最初に出会う作品次第で、歌舞伎から受ける印象はガラリと変わる。歌舞伎ファンはもとより、まだ見たことがない、見たけれど意味がわからなかった、そんな方々を、歌舞伎の豊かな世界へご案内する新連載がスタート。毎回スペシャルなゲストをお迎えして、奥深い歌舞伎の楽しみ方をひも解いていく。
歌舞伎の演目のなかで、とくに難解だと思われがちなのが“時代物”と呼ばれるジャンルだ。武士の世界の出来事を描いた作品で、人形浄瑠璃にルーツを持つ。敷居が高く見える要因としてまず挙げられるのは、現代とは異なる言葉遣いだろう。そのことに関して、以前あるインタビューではっとさせられたことがある。
「外国の音楽をお聴きになるとき、すべての方が歌詞を全部理解していらっしゃるわけではありませんでしょう?」歌舞伎の立役として重要無形文化財(人間国宝)の指定を受けている片岡仁左衛門さんの言葉である。

片岡仁左衛門(KATAOKA NIZAEMON)
歌舞伎俳優。1944年3月14日生まれ。すらりとした容姿、華のある芸風、爽やかな口跡で、現代の歌舞伎を代表する立役のひとり。義太夫狂言の主役、荒事、上方の和事から色悪まで、幅広い芸域で活躍。『菅原伝授手習鑑』の菅丞相をはじめ、当たり役も数多い。十三代目片岡仁左衛門の三男。1949年に本名の片岡孝夫で初舞台。1998年に十五代目片岡仁左衛門を襲名。2006年紫綬褒章受章、日本芸術院会員。2015年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2018年には文化功労者に選出された。
© SHOCHIKU
理解と感動は決してイコールではない。それはどんな芸術にも当てはまるし、仁左衛門さんにそう言われると何やら勇気が湧いてくる。だがその一方で、理解によって感動が深まることがあるのも確かだ。今回はその理解への一歩を踏み出すべく、この3月、歌舞伎座で時代物の名作『盛綱陣屋(もりつなじんや)』に主演している仁左衛門さんを訪ね、この作品の鑑賞のポイント、そして時代物をより楽しむための手がかりをうかがった。
『盛綱陣屋』はその名の通り、佐々木盛綱という武将の陣屋、つまり戦場のベースキャンプが舞台となった物語である。題材となっているのは、大坂冬の陣。豊臣から徳川へ政権がまさに移ろいつつあるなか、ある家族に起こった出来事が描かれている。「実は、この佐々木盛綱は、真田信幸なんですよ」と、仁左衛門さん。「その弟の高綱は真田幸村のこと。これを頭に入れておくと、より物語を理解しやすいでしょう」(註1)。真田一族といえば、2016年のNHK大河ドラマを思いだす方もいるかもしれない。盛綱は、大泉洋さんが演じた真田信幸がモデルというわけだ。

『盛綱陣屋』佐々木盛綱=片岡仁左衛門
© SHOCHIKU
盛綱は徳川(劇中では鎌倉)方、高綱は豊臣(同じく京)方。兄弟は敵対関係で戦に臨んでいる。盛綱の子である小三郎が、高綱の子、小四郎を生け捕りにして陣屋に戻った直後から物語は始まる。兄弟ばかりでなく、幼い従兄どうしもまた敵味方となって戦わなければならない現実の中、盛綱は実の甥の命を絶つ決断をする。現代の感覚でとらえるには、あまりに悲劇的ななりゆきだ。
「理屈で考えたらあんな小さな子供が戦に行くわけがありません。そこが歌舞伎独特なところで、子供が演じるからこそ、物語に込められた悲しみがより一層伝わります。小三郎で出演していた子供の頃、難しいことはわからないまでも小四郎がかわいそうだなと思ったのを覚えています」。仁左衛門さんの言葉が象徴するように、ここで何より際立つのは、肉親どうしが殺し合わねばならない不条理と哀しみだ。
現代人にとって、時代物のもう一つのハードルは、封建時代の価値観だ。主君への忠義は武士にとって至上のもの。転職がキャリア・アップにつながる現代の感覚とは大きく異なる。しかし、ここでも仁左衛門さんは次のように語る。「その価値観がわかれば物語をより深く理解できます。でも不思議なもので、そこをあまり意識せずとも、ご覧になっている人を納得させてしまうものが歌舞伎にはあるのです。人間を取り巻く環境も生活様式もまるで変ってしまったのに、こうして今も上演され続けているのは、そこに”何か“があるからなのでしょう」。何かとは、変わらざるもの。その究極は人としての情だろう。『盛綱陣屋』においても、物語の根底にあるのは、盛綱の弟に対する愛である。
物語は、弟・高綱の討死の知らせを受け、クライマックスの“首実検”(註2)へと突入していく。結論を書いてしまうと――盛綱のもとに届けられた”弟の首”は、別人の偽首。それを見た盛綱は――。仁左衛門さんによると、盛綱の見せ場であるこのシーンには、長年伝わってきた演技の手順があるが、今はそれを変えているという。

© SHOCHIKU
「最初はどうしても型(註3)が先行します。ですから教わった通りの型に、心を乗せていくのです。それが、経験を重ねるうちに逆になっていきました」。逆とは、すなわち“心に型を乗せる”こと。まず心が動いて、それが表情や動きに表れるということだ。心と身体とが融合してこそ、型は生きる。そうして演技という意識を越えて舞台上で役を生きるうちに、変化が訪れたのだった。その結果、現在は「定番として従来演じられてきたやり方」ではなくなった。
「変えようとして変えたのではなく、自然にそうなっていきました。型で何より大切なのは心なのです」。どう変わったのか。その詳細は敢えてここに記さないが、効果音としての三味線の入れ方なども含め、独自の工夫を盛り込んだやり方には、盛綱の聡明さと潔さ、そしてこの場にいない弟や、甥に対する肉親の情が横溢している。わずかな時間に揺れ動く盛綱の胸中が、無言の演技に凝縮される。その密度の高い劇空間はライブでしか味わえない。
一見、堅苦しい武家社会を扱った時代物。しかしそこに描かれているのは、人と人との関わりであり、そのはざまで揺れ動くさまざまな感情である。いつの時代も変わらぬ根源的な人間ドラマなのだ。ストーリーや人間関係の複雑さに惑わされず、まずは主人公の、『盛綱陣屋』であれば盛綱という人物の、生きざまを見据えることから始めてはどうだろう。そしてひとつ軸が決まれば、そこから少しずつ視野は広がっていくはずだ。
「登場人物それぞれには立場というものがあり、そのうえで互いに思い合っています。ですからお客様には“仁左衛門の芝居”ではなく、“そこにいる登場人物”をご覧いただきたいというのが私の願いです。そして、物語を現場で目撃しているような気持ちになってくださったらうれしいですね」
註1)なぜ、実在の人名を劇中で使わないのか
江戸時代、当時の武家にまつわる実話を面白おかしく芝居にすることが、幕府によって禁じられていたため。そこで登場人物の名を変え、物語の時代背景をわざわざ鎌倉時代や室町時代などに置き換えて上演していたのだ
註2)首実検
討ち取られた首が本物かどうか、顔を知る者が見て確かめ、役人などに対して証言する場面。時代物の作品にたびたび登場し、緊迫した心理劇が展開される
註3)型
様式的な演技スタイルを持つ歌舞伎には、“型”というものが存在する。スポーツやダンスにおけるフォームや振付けに当たるもの、さらには演出全般にわたる決まり事などを総称してそう呼ぶ
【三月大歌舞伎】(本公演は終了しています)
<演目>
昼の部『女鳴神』『傀儡師』『傾城反魂香』
夜の部『盛綱陣屋』『雷船頭』『弁天娘女男白浪』
会期:~2019年3月27日(水)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
公式サイト
片岡仁左衛門に聞く
続・「時代物」の味わい方
(2019年4月公開記事)
歌舞伎の演目のなかでも、武士の世界を描く“時代物”(註1)。言葉や生活様式、物事の価値観などに現代との隔たりこそあれ、描かれているのは普遍的な人間ドラマであると、連載第一回で教えてくれた仁左衛門さん。実際に3月の歌舞伎座を訪れると、仁左衛門さん演じる盛綱の一挙手一投足を食い入るように見つめる観客に出会うことができた。注目の首実検の場面では、固唾を呑む、その音さえも聞こえてしまいそうな静けさで、臨場感あふれる“現場”となっていた。
4月も引き続き歌舞伎座に出演する仁左衛門さん。演じるのはやはり時代物『実盛物語』の主人公・斎藤実盛だ。この役について語る仁左衛門さんの言葉の中から、前回とはまた違った視点で時代物を味わうためのヒントを探してみたい。

片岡仁左衛門(KATAOKA NIZAEMON)
歌舞伎俳優。1944年生まれ。すらりとした容姿、華のある芸風、爽やかな口跡で、現代の歌舞伎を代表する立役のひとり。義太夫狂言の主役、荒事、上方の和事から色悪まで、幅広い芸域で活躍。『菅原伝授手習鑑』の菅丞相をはじめ、当たり役も数多い。十三代目片岡仁左衛門の三男。1949年に本名の片岡孝夫で初舞台。1998年に十五代目片岡仁左衛門を襲名。2006年紫綬褒章受章、日本芸術院会員。2015年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。2018年には文化功労者に選出された
『実盛物語』の舞台は源平の時代。源氏の大将、源義賢の妻である葵御前は、臨月の身で、とある農家に匿われている。そこに姿を現すのが平家の侍、斎藤実盛だ。時は平家全盛の世。源氏への詮議は厳しく、それは成人だけでなく子供や胎児にまで及び、見つかれば命を取られるという状況である。
一見、登場人物たちはシンプルな敵対関係にあるようだが、そこにはいくつかの真実が隠されている。そして彼ら、彼女たちをつなぐ鍵は、農家のあるじの孫・太郎吉が琵琶湖で見つけた“白旗を握りしめた女の腕”である。
仁左衛門さんが初めて実盛を演じたのは1972年、26歳の時だった。それは子供の頃からせりふをよく真似していたという憧れの役。「先輩方の素敵な舞台を拝見すると、パァーっと華やかになさっているんです」。実盛は思慮分別に富み、情理をわきまえた人物。時代物に登場する典型的な“爽やかで格好いい侍”の役どころだ。その華やかさを舞台に現出させるには技術が必要で、それを習得するには年月がかかる。「初役のときは、がむしゃらにやっていたら最後まで声がもちませんでした」と笑い、「せりふというのは言葉ではなく、心を伝えなければなりません。それをお客様の耳にスーッと馴染んでいくように届けなければならないのです」と、実盛という人物を演じる難しさを語る。

『実盛物語』斎藤実盛=片岡仁左衛門
PHOTOGRAPH BY TAKASHI KATO
技術に加え体力も必要だ。実盛には特有の“しんどさ”があるという。「この役はとにかく出ずっぱりで、常に芝居の流れに関わっています。『勧進帳』(註2)の弁慶もそこは同じなのですが、弁慶は舞台の上で体力をすべて使いきってしまったとしても役として成立します。けれど実盛はそうはいかない。最後まで余裕をもって、常に爽やかにそこにいなければならないのです」
全編を貫いているその爽やかさこそが、この役の最大の魅力。仁左衛門さんがそれを最も象徴していると感じるのは、太郎吉との終盤でのやりとりだという。——琵琶湖で見つかった“白旗(源氏の象徴)を握りしめた女の腕”は、太郎吉の母のものであり、その腕を斬り落とした張本人こそが実盛であることが判明する。太郎吉は、幼子ながら母の仇を討とうと実盛に勝負を挑む。それを受けて実盛は、太郎吉が成人して挙兵したときに討たれてやると約束するのである。小さな子供を相手にそんなことを、しかもさらっと言ってしまうところに、何ともいえない格好よさがある。
実盛という人物の潔い生き様や作品の魅力について改めて訊ねると、意外なことに「あまり深く考えたことはない」という答え。「そうしたことにこだわってばかりいると、芝居がこせこせしてしまいます。芝居や役によってその度合いは異なりますけれども、このお役は掘り下げすぎるのはよくないですね」

さて、仁左衛門さんにとって今回の『実盛物語』は12年ぶりとなる。仁左衛門さんが実盛という役を初めて演じてからは半世紀近い時が経った。「体力が衰えても芸でカバーできるお役もあります。けれど、実盛はそうではありません」。今ならやれる。しかし永遠にやれるわけではない。芸の成熟度と体力と、両者のバランスがもっとも均衡した時の舞台に出会えた観客は幸せだ。それがいつなのかは明確にはわからない。ただ、今度の舞台が仁左衛門さんにとって、貴重な上演であることは確かだろう。
今やっておきたい、という思いには別の理由もある。「同じ演目でも役者によっていろいろなやり方があります。こういうやり方もある、ということをご覧いただきたかったのです。これは若いころに憧れていた寿海のおじさん(註3)がなさっていたように、爽やかさを大事にしたいんです」
人形浄瑠璃にルーツのある時代物の作品には、必ず義太夫と呼ばれる語りと三味線が入り、さまざまな場面で舞台を盛り上げている。そこに俳優の発するせりふがどう融合していくのかは聴きどころで、その劇的効果を音楽的に楽しむのに理屈は不要だ。
「演目によっては深く掘り下げなければいけませんが、こういう演目は、ご覧になる方にもドラマや理屈ばかりを追い求めるのでなく、歌舞伎独特の雰囲気というものを味わっていただきたいですね。歌舞伎には役者の華で魅せる芝居というものもあるのです」。義太夫とせりふが融合する心地よいテンポ、役の人物がもつ清々しい格好よさ、そして何よりそれを演じる”役者の華”。頭でばかり理解しようとせず、目や耳から入るものをまず純粋に受け取る。五感を解放して向き合えば、時代物、ひいては歌舞伎の愉しみ方は自ずと広がっていくはずだ。
註1)『時代物』
江戸時代の庶民の日常に起こった出来事を扱った”世話物“に対して、武士階級以上を主人公とした作品のこと。狭義では源平から戦国時代の武将を主人公とするものを指し、広義では平安期までの公家社会を舞台とする物語や、徳川時代に起こった武家の事件を時代を置き換えて描いた作品などが含まれる。
註2)『勧進帳』
歌舞伎の人気演目のひとつ。兄・源頼朝に追われる身の義経が、弁慶の必死の活躍により安宅の関を無事に通過するまでの、義経主従と関守の富樫が繰り広げる物語
註3)寿海のおじさん
三世市川寿海(1886~1971)のこと。戦後の関西歌舞伎を牽引した立役のひとりで、朗々たる名調子で観客を魅了した。1960年、重要無形文化財(人間国宝)に歌舞伎立役として初めて認定される。1963年文化功労者
【四月大歌舞伎】(本公演は終了しています)
<演目>
昼の部『平成代名残絵巻』『新版歌祭文』『寿栄藤末廣』『御存 鈴ヶ森』
夜の部『実盛物語』『黒塚』『二人夕霧』
会期: 2019年4月2日(火)~4月26日(金)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
公式サイト
中村吉右衛門
中村吉右衛門が
「秀山祭」に託す思い
(2019年9月公開記事)
歌舞伎座で令和初となる「秀山祭九月大歌舞伎」の幕が開いた。中村吉右衛門さんを中心とするこの公演は、初代中村吉右衛門生誕120年を記念して2006年に始まったものだ。吉右衛門さんの養父である初代は、明治、大正、昭和の歌舞伎界に大きな功績を残した名優。それを裏付けるエピソードが吉右衛門さんの幼い日の記憶にある。
「『盛綱陣屋』に小四郎という役で出ていたときのことです。お客様というお客様が、初代の演じる盛綱をじっと見つめ、集中しているのがひしひしと伝わってきました。そして要となるせりふになると、劇場が揺れているかのような、とてつもない拍手に包まれたのです。盛綱という人物に心をつかまれ、思わず身を乗り出し無心で手をたたいている、そんな感じでした」
人間の内面を深く掘り下げた役づくりと、磨き抜かれた技術に基づく確かな演技力が熟成を極めた、晩年のエピソードだ。

中村吉右衛門(NAKAMURA KICHIEMON)
歌舞伎俳優。1944年生まれ。現代歌舞伎を代表する立役の一人。八代目松本幸四郎(初代白鸚)の次男。祖父の初代吉右衛門の養子となる。1948年6月東京劇場『俎板長兵衛』の長松ほかで中村萬之助を名のり初舞台。1966年10月帝国劇場『金閣寺』の此下東吉ほかで二代目中村吉右衛門を襲名。2002年日本芸術院会員。2011年重要無形文化財(人間国宝)、2017年文化功労者に認定。受賞歴多数。池波正太郎原作のテレビドラマ『鬼平犯科帳』でも知られる
PHOTOGRAPH BY NARUYASU NABESHIMA
発祥から400年以上を経ている歌舞伎は、時代と共にさまざまな色あいを加味しながら発展してきた。江戸時代、庶民の娯楽として親しまれた頃は、奇想天外な物語や男女の色恋などセンセーショナルな出来事を取り上げた話題性、斬新なファッション、大胆な仕掛けなどで、大衆の興味を惹きつけていた。それは魅惑的なエンターテインメントであったに違いないが、言葉を変えれば庶民的でどこか通俗的な芝居ともいえた。
そして西欧文明が一気に流入した明治という新たな時代を迎えた時、歌舞伎の世界にも芸術としての高みを目指そうという気風が生まれてきたのである。その中心となったのが、初代が薫陶を受けた九代目市川團十郎だった。
「外国の演劇にも劣らない舞台芸術として歌舞伎を盛り上げようと、九代目團十郎さんや文学者の坪内逍遥先生といった方々が力を尽くされ、さらに二代目(市川)左團次さんをはじめとする方々がいらしたからこそ今の歌舞伎があるのです。そしてその志を受け継いだのが初代吉右衛門なのです」
初代を通してそれは昭和へとつながり、その舞台に学んだ名だたる名優たちによって、当代の吉右衛門さんへと伝わったのである。

初代中村吉右衛門
© SHOCHIKU
「役者の芸というものは舞台に立っているその時その場にしか存在し得ないもので、いなくなれば消えてしまいます。けれどその功績まで忘れ去られてしまってはあまりも悲しい。お客様の心をこんなにもつかんだ、初代吉右衛門という役者がいたのだということをいつまでもご記憶いただき、一代で築き上げた播磨屋(吉右衛門さんの屋号)の芸というものを微力ながらもお客様にお見せすることが二代目としての使命です」
還暦を過ぎた頃からより一層強くなったというその思いが結実したのが秀山祭だ。秀山とは俳人としても秀作を残した初代の俳名であり、吉右衛門さんも一度はその名も受け継いだ。だが秀山祭の始まりをきっかけに返上。唯一無二の存在として初代を敬う心の表れなのだろう。
歌舞伎古来の大胆な要素と近代的精神に則った細やかな心理描写とを融合させ、巧みなせりふ術で観客を魅了したという初代吉右衛門が、評判を取った役のひとつに、今月夜の部で上演されている『寺子屋』の松王丸がある。
物語の舞台となるのは、武部源蔵という人物が営む平安時代の寺子屋。源蔵は藤原時平によって失脚させられた菅丞相(菅原道真)の子・菅秀才を匿っているのだが、それが時平方に知れ、菅秀才の首を討って差し出すよう命じられたところから始まる。首の検分役を務めるのが、時平に仕える松王丸だ。豪華な刺繍が施された衣裳に、病であることを示す紫の鉢巻を締め、月代が伸びた大ぶりの鬘での登場となる。
「雪持ちの松に鷹が描かれた見事な刺繍です。どんなに病に伏せっていたとしても月代があんなにも伸びるはずはないですし、そこに病鉢巻の紫で色気を醸し出す。今だったらとても考えつかない、素晴らしい発想だと思います」
インパクトある登場の、その瞬間から松王丸は心情的に「辛い役」なのだという。なぜなら、源蔵が恩義ある菅丞相のために下した決断は、その日新しく入門した寺子を菅秀才の身替りに討つことで、その子供こそ松王丸の実子なのである。時平に仕えながらも秘かに菅丞相に心を寄せていた松王丸は、身替りとなることを承知で、我が子を源蔵のもとへ入門させた。彼が”菅秀才の首”として検分するのは、我が子の首。これはすべて、松王丸の作戦だったのだ。
「子供を身替りに死なせて辛くない親はいませんよね。でも事実を知られたらすべてが台無しになる。だから絶対に悟られてはいけない。その一方、大半のお客様は討たれたのが松王丸の子であることをわかってご覧になっています。父としての苦しい心情を常に抱きながらも、最初から底を割ってしまったら芝居としてつまらないものになってしまう。演じる身としてはそこが難しいところで、作劇として非常によくできています」

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』松王丸=中村吉右衛門
PHOTOGRAPH BY NARUYASU NABESHIMA
我が子の首と対面するその時まで、ものごとが作戦通りに進行したか否かは松王丸にはわからない。そこにいる人々と松王丸との細やかな心理戦が展開される。かと思えば、かっと目を見開きその一瞬にすべてを凝縮させる、歌舞伎独特の演技である見得で周囲を圧倒する。目を離せない場面が続く。
作戦を成功に導いたのは松王丸と源蔵の、菅丞相を敬う心。『寺子屋』は、菅丞相という絶対的存在を軸に、松王丸、梅王丸、桜丸という三つ子の兄弟の運命をからめて描いた、壮大な大河ドラマ『菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)』の終盤の物語なのだ。
「我が子を犠牲にするなどありえない話ですが、それだけ菅丞相つまり菅原道真公が素晴らしい人物だったということです。そして昔の人にとって天神様として崇め奉られた道真公は今よりもずっと身近な存在だったのでしょう。時代物で大切なのは、想像力を最大限に膨らませてその時代の人になることです。そしてその中に今を生きる人間としての思いを乗せて、松王丸という人物や歌舞伎という芝居の面白さをいかにお見せできるかなのです」
虚実も時代も超えて吉右衛門さん演じる松王丸に心を寄せる観客が、その心情に共感し、同化しているかのような様子を、初日の劇場で目の当たりにした。
「お客様が一緒に松王丸の苦しさに耐え、同じ気持ちで泣いてくださるような芝居ができたらと思うのですがまだまだです。本当に難しいです」
さらなる高みを求めて今なお邁進するその姿を、今月、菅秀才として舞台上で見つめているのは尾上丑之助さんだ。令和最初の月となった5月に初舞台を踏み、尾上菊五郎家の大切な名跡を七代目として襲名した、吉右衛門さんにとっては外孫である。5歳の丑之助さんは今、昭和、平成、令和の名優が演じる松王丸に何を感じているのだろうか。そしてそれは令和の先の歌舞伎界に何をもたらすのだろうか。それがわかるのは、ずっとずっと先のことだ。
【秀山祭九月大歌舞伎】(本公演は終了しています)
<演目>
昼の部『極付 幡随長兵衛』『お祭り』『伊賀越道中双六 沼津』
夜の部『菅原伝授手習鑑 寺子屋』『歌舞伎十八番の内 勧進帳』
『秀山十種の内 松浦の太鼓』
会期:~2019年9月25日(水)
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
公式サイト
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