静かな情熱をもって着実に芸を磨き続け、今充実した舞台を見せる30代の実力派たち。令和の歌舞伎を芯で支えていく4人の、熱いインタビューをプレイバック!

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

中村時蔵

(2024年6月公開記事)

画像: 「妹背山婦女庭訓」杉酒屋娘お三輪=中村時蔵

「妹背山婦女庭訓」杉酒屋娘お三輪=中村時蔵

 主に古典の演目で女方として活躍しつつ、二枚目の立役でもその本領を発揮してきた中村梅枝さんが、由緒ある「中村時蔵」の名跡を六代目として襲名した。2024年6月、歌舞伎座の「六月大歌舞伎」で、新・時蔵さんと同時に父である五代目中村時蔵さんが初代中村萬壽を襲名、そしてご子息の小川大晴(ひろはる)さんが五代目中村梅枝として初舞台を踏むという、親子三代でのおめでたい公演がついに実現したのである。
 襲名とは、名前を受け継ぐということ。曾祖父から祖父へ、祖父から父へと受け継がれてきた「中村時蔵」の名跡を襲名し、名乗るということは、歌舞伎俳優として大きな節目であり、新たな出発が始まることを意味する。まずは30年間にわたって名乗ってきた「中村梅枝」の歩みを振り返っていただいた。

──ご自身の歌舞伎俳優人生を振り返って、ターニングポイントだと思う出来事があれば教えてください。

時蔵:大阪松竹座(2012年5月)で『寺子屋』というお芝居の戸浪を23歳で勤めさせていただいた時のことです。この役を演じて、僕は役者になってから初めて、つまずいてしまいました。自分でいうのもおこがましいのですが、僕は器用なタイプでそれまでは何でもそつなくこなして、役者としても大きな挫折はなく過ごしていたので、つまずいたことは一度もなかったのです。
 その時ご一緒していたのは(尾上)菊之助の兄さんの千代、(尾上)松緑の兄さんの松王丸、今の團十郎の兄さんの武部源蔵で、僕の戸浪との4人でのお芝居でした。
 この4人の中で僕が一番下手であることは一目瞭然でしたが、父からも「お前がこんなにできないとは思わなかった」と、初めて言われました。あのひと月はとても辛かったです。でも、あの経験がなければ、今もきちんと真面目に取り組んでいなかっただろうと思います。
 形を取るだけであれば器用にできるのですが、その形に気持ちが乗っていないという感じでしょうか。段階的に気持ちを作って重ねていくべきところを、気持ちが作れていないのに形だけ表現しても、それは上辺だけのことになってしまいます。それまでは気持ちを作る、ということをしないまま形だけで演じていたのだと思います。ただ、自分が本質的なことを理解できていなかったことがわかったのですが、当時はそれをどうすればいいのかはわかりませんでした。

──女方の大役などに挑むときにお父様の中村萬壽さんから教わって、印象に残っていることはありますか?

時蔵:父は事細かに説明するのではなく「見て覚えろ」、「こうだ。わかるだろう?」という感じの人です。一見、論理的に話すように見えるのですが、実は超感覚的なタイプの人でして、僕も感覚的な人間なので父の言いたいことは何となく汲み取ることはできます(笑)。でも、父に女方を教わって解決策が見えないままになっていることもありました。あるとき、玉三郎のおじさまに役を教わる機会があり、「こういうふうに考えて役を作るのか」という学びを得たことがありました。玉三郎のおじさまと父とで役の作り方が全く違うからこそ見えた事もあって、父の役者としての良さというものを改めて感じることもできました。

──坂東玉三郎さんから指導を受けたことで、具体的にはどんな学びを得ることができましたか?

時蔵:最初は『義経千本桜』 渡海屋・大物浦の典侍の局で、その後に『阿古屋』を教わりました。典侍の局の時は、これまで教わったことをすべて封印して、声の出し方、台詞の言い方からすべて一からやり直すようなご指導だったので、僕にとって、とても大きな出来事でした。そして典侍の局がやらなければならない仕事的な動きよりも、女方として何が大事なのか、どういう声の出し方をするのかという芝居の基本的なことや普段はどういう風に過ごしているのか、物事についてどういう風に考えるのかといったことまで教えてくださいました。芝居をする上での、“考え方”というものを示していただいたと思います。
 玉三郎のおじさまは、まずは物事に対して疑問を持たれます。そして、その疑問にたとえ答えが出なかったとしても、解決しようとする過程の作業がいかに大事なのかということを教えてくださいました。僕も芝居に出させていただくようになった高校生の頃は、“どうして顔を白く塗るのだろうか?”とか、歌舞伎の世界のいろいろなことに疑問を抱いたり不思議さを感じたりしていました。しかし、「昔からこうだから、こうなのだよ」と言われて、そのまま受け止めてしまっていたのです。映像などを観てすぐに答えを見つけることもできますが、たとえ出来上がったものが同じものだったとしても、疑問に思ったことを解決しようとするその過程を経ることがとても大事だと思います。

画像1: 中村時蔵

──中村時蔵という名跡を襲名することへの率直な気持ちを教えてください。

時蔵:父から「時蔵を譲る」と言われたのは今から約3年前になります。まさかこれほど早く時蔵という名跡を譲られるとは思っておりませんでしたので、「ご自身はどうするんですか? 引退するんですか?」と聞くと、「私は新しい名前を作って、梅枝は子どもに譲ればいいじゃないか」と言われました。当時はコロナ禍の真っ只中で、歌舞伎の興行自体がどうなっていくのかが全くわからない状況でしたから、「ありがとうございます」とは即答出来ず、お断りしました。時蔵という名前は萬屋にとって大きな名前ですし、当代が亡くなられてから次の方が受け継ぐというのがこれまでの慣例でございましたので、全くの想定外の出来事だったからです。正式に決まったのは去年の6月くらいだったのですが、コロナもずいぶん収まってきて、歌舞伎の公演も継続的に上演されるようになりましたので、ようやく時蔵を譲っていただくということで、承りました。

 襲名披露狂言としては『妹背山婦女庭訓』の四段目から「三笠山御殿」が上演され、時蔵さんは女方の大役、お三輪を初役で勤める。
 『妹背山婦女庭訓』は大化の改新をモチーフに壮大なスケールの物語を描いた“王朝物(平安時代までの天皇家や公卿を扱った作品)”。舞台となる三笠山御殿は蘇我入鹿(そがのいるか)が建てたもので、入鹿の妹である橘姫がこの御殿に帰ってきて袖についていた赤い糸を手繰ると恋人の烏帽子折の求女(もとめ)が現れる。お三輪もまた恋する求女に会おうとして苧環(おだまき・麻糸を巻いたもの)の糸を頼りにこの御殿へとやってくるのだが、官女たちに意地悪をされて求女に会うことができない。そこに求女と橘姫の祝言の声が聞こえてくると、嫉妬のあまりにお三輪の形相は変わってしまう。この「疑着の相」と呼ばれる嫉妬の形相をした女性の生き血が、入鹿を討伐しようと図っている求女の役に立つと聞いて、お三輪は自ら犠牲となっていく……。
 今回の公演では、お三輪を散々いじめる官女には、時蔵さんの本名と同じ小川家の立役の俳優が勢揃いし、通りがかりの豆腐買の役には、片岡仁左衛門さん、ご子息の中村梅枝さんが登場するなど見どころが満載となっている。
 

──襲名披露狂言で女方の大役であるお三輪を演じることにはどんな思いがありますか?

時蔵: 祖父(四代目中村時蔵)も父も襲名披露でお三輪をさせていただいているので、僕が初役でこのタイミングでさせていただけるのは、巡り合わせのように思います。
 昨年9月に『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」をさせていただいた際にも思いましたが、この作品には「大化の改新」という政変を扱っているという大きなパワーだけでなく、ファンタジー的な要素もあります。さらに、この壮大なスケールの世界観の中にお三輪という一人の町娘を放り込んで描いているところが面白いのだと思います。「三笠山御殿」では、その町娘が恋する男のために大きな屋敷に迷い込んで、さまざまな局面にあって、嫉妬に狂う「疑着の相」へと続いていきます。「疑着の相」という結末をどれだけ深めてお客様にお伝えできるかどうかは、お三輪としてどういうプロセスを踏んでいくかということが大事だと思います。
 自分一人だけで世界観を創り上げなければならないという難しいお役ではありますが、(中村)歌右衛門のおじ様、(尾上)梅幸のおじ様、玉三郎のおじ様、父といったお三輪を演じてきた女方の皆様がこの役を大事にされているのは、それだけ魅力があるということなのでしょう。今回は襲名披露狂言でもありますので、代々のお三輪に引けを取らないように精一杯勤めます。

画像2: 中村時蔵

──お三輪をいじめる官女で本名の小川家の皆さんが勢揃いすることになったのは、どんな経緯で決まったのでしょうか?

時蔵:最初は(中村)歌六のおじと(中村)又五郎のおじに出てもらえればと思っていたのですが、途中で小川家(小川は本名の姓。時蔵さんの親戚にあたる俳優の中村歌六さん、中村又五郎さん、中村錦之助さん、中村獅童さん、中村歌昇さん、中村種之助さん、中村隼人さん)の立役で揃えられるのでは、という話に。劇中でお三輪はいじめの官女に持ち上げられる場面がありますので、若手の人たちの出演も必要だと思ってお願いしたところ、とてもありがたいことに皆が了承してくれました。
 一方で、かつて6月の歌舞伎座の公演は大おじの萬屋錦之介が中心となって行われていたことがありまして、僕自身の初舞台もその公演の一環だったことを後になって知りました。今回は僕の父と息子の襲名、初舞台と同時に(中村)獅童さんの息子である(中村)陽喜くんと(中村)夏幹くんの初舞台でもあります。獅童さんは、錦之介のおじのようにまた小川家が中心となった公演を復活させたいという思いがあって、父の元に相談に来られたのですが、その獅童さんの思いと父の思いが合体して今回の公演になりました。そういう意味でも小川家だけで官女を揃えられるということは、僕たちにしかできないことだと思いますし、これをきっかけに今後も何らかの形で小川家の皆で共演したいです。

──新・時蔵として、どんな目標を掲げていますか?

時蔵:まず、どの役を演じる上でも品を大事にすることが萬屋の教えなので、時蔵の格に加えて、さらに品格のある大きな役者にならなくてはなりません。そして代々の時蔵に劣らぬように、芸をもっと磨かなければならないと思います。
 女方としては『伽羅先代萩』の政岡のような「片外し(武家の女性の髪型の名前で、武家女房や御殿女中の役を意味する)」のお役が目標の一つだと思いますので、いつか大きな劇場で勤めさせていただけるようになりたいです。
 僕の最終的な目標は『茨木』を歌舞伎座で演らせていただける役者になることですね。鬼の茨木童子を六代目の歌右衛門のおじ様、対する渡辺綱を二代目の(尾上)松緑のおじ様がなさっている映像を拝見したことがあるのですが、それがとても素晴らしくて。上演時間も長く、茨木も綱も、さらに長唄の皆さんもとても大変な演目なのでなかなか上演されませんが、だからこそ演じてみたいと思いました。

──初日を迎えて 6月4日に楽屋にて取材
  中村時蔵になられたことをどんなときに実感しますか?

時蔵:まだ「時蔵さん」と呼ばれることもあまりないので、全く実感はありません。楽屋に入ってきた時に着到板(出演俳優の名前が記された板)の「時蔵」のところに赤いピンを刺すというくらいですね(笑)。

──初日にお三輪の姿で花道に出てこられた時、大きな拍手が沸き起こりました。その時の心境をお聞かせください。

時蔵:心境はと申しますと、少し泣きそうになりました。自分はそういう人間ではないと思っていたので、意外でした。

──『妹背山婦女庭訓』には片岡仁左衛門さんが豆腐買のおむら役で出演されて、劇中に舞台上で襲名披露口上をされています。そのお言葉を隣で聞いているときはどんなお気持ちでしたか? 

時蔵:「六代目(中村時蔵)さんは古風な芸風で、必ず歌舞伎界を支える女方になると思っております」というお言葉を毎日皆様の前でおっしゃってくださるので、プレッシャーではありますが、そういう風にならなければならないということをとても感じています。
 昨日(3日)の口上では、息子の梅枝が「昼の部は女方の役ですが、夜の部では怪童丸の立役を元気に勤めています」と内容を少し変えて話してくださったりもして、本当にありがたいです。
 今回は立役の方が女方の衣裳を着るということでとても苦しくて大変だと思うのですが、松嶋屋のおじ様にはいつまでもお元気で今後の舞台にも出ていただけたらと思っています。

画像3: 中村時蔵

──楽屋にはお三輪の姿が描かれた画が飾られていますが、どなたの作品でしょうか?

時蔵: 祖父がお三輪を演じた時に、画家の大橋月皎 さんという方が描いてくださったものです。こういう時でないとなかなか機会がないので、楽屋に飾らせていただいています。

──実際にお三輪を演じてみて、何かこの役の魅力に気づけましたか?

時蔵: 『神霊矢口渡』のお舟のような今まで経験した娘役とは違う、お三輪は別格に難しいお役だと思いました。僕が娘役で想定する演技方法だけでは成立しません。金殿を背景に演じなければならないので、娘ではありますが、舞台空間を埋めるだけの役者としての度量が求められます。
 かなりの体力も必要で、うまく配分しなければ息が続きません。そういう状況で無理に声を出そうとすると高い声になってしまうため、娘らしい柔らかさがなくなってしまいます。初日と2日目まではテンションで何とか乗り切りましたが、あのままでは今後続けていけないと思い、3日目からは少し落ち着いて演じることを目指しています。
 官女たちからいじめられているところは受け身でいられますが、特に「疑着の相」からが難しいです。今朝、玉三郎のおじ様とお電話で話したときに「女でいてはダメ。女を越えて、すべてを超越していかなければ疑着の相には辿り着かない」とおっしゃっていただきました。頭では納得しました。今は疑着の相のところを抑え気味にしていますが、そこをどのようにしてクリアにしていくのか……、今後の課題だと思っています。

画像4: 中村時蔵
画像5: 中村時蔵
画像: 「山姥」白菊=中村時蔵

「山姥」白菊=中村時蔵

画像: 中村時蔵(NAKAMURA TOKIZO) 東京都生まれ。父は初代中村萬壽、長男は五代目中村梅枝。屋号は萬屋。91年6月、歌舞伎座『人情裏長屋』の鶴之助で初お目見得。94年6月、歌舞伎座〈四代目中村時蔵追善〉『幡随長兵衛』の倅長松と『道行旅路の嫁入』の旅の若者役で四代目中村梅枝を襲名し、初舞台。2024年6月、歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』杉酒屋娘お三輪で六代目中村時蔵を襲名。 ©SHOCHIKU

中村時蔵(NAKAMURA TOKIZO)
東京都生まれ。父は初代中村萬壽、長男は五代目中村梅枝。屋号は萬屋。91年6月、歌舞伎座『人情裏長屋』の鶴之助で初お目見得。94年6月、歌舞伎座〈四代目中村時蔵追善〉『幡随長兵衛』の倅長松と『道行旅路の嫁入』の旅の若者役で四代目中村梅枝を襲名し、初舞台。2024年6月、歌舞伎座『妹背山婦女庭訓』杉酒屋娘お三輪で六代目中村時蔵を襲名。

©SHOCHIKU

画像6: 中村時蔵

六月大歌舞伎 (本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『上州土産百両首』
二、『義経千本桜 所作事 時鳥花有里』
三、六代目中村時蔵襲名披露狂言
『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』劇中にて襲名披露口上申し上げ候

夜の部 16:30開演
一、『南総里見八犬伝』
二、初代中村萬壽襲名披露狂言
  『山姥』
  五代目中村梅枝 初舞台
劇中にて襲名口上申し上げ候
三、『魚屋宗五郎』
初代中村陽喜 初代中村夏幹 初舞台

※中村時蔵さんは、
昼の部
『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』杉酒屋娘お三輪 
夜の部
『山姥』白菊
にて出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年6月1日(土)〜24日(月)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

坂東巳之助

(2024年8月公開記事)

画像: 「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助

「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助

「納涼歌舞伎」は1990年に十八世中村勘三郎(当時勘九郎)と巳之助さんの父である十世坂東三津五郎(当時八十助)が中心となって始まり、今なお夏の風物詩として楽しまれている。今年の第一部では坂東巳之助さんが『ゆうれい貸屋』で主人公の桶職弥六を演じる。
 この作品は山本周五郎が風々亭一迷のペンネームで発表した同じ題名の小説を原作として、1959年に明治座で初演され、2007年歌舞伎座と2012年大阪松竹座で再演されたときには十世三津五郎が同じ桶職弥六を演じた。
 幽霊を貸すという奇想天外な物語は、働くのが嫌で仕事をせずに酒浸りになっている弥六を女房のお兼が家主の平作とともに真人間にしようと考え、お兼が家を出るところから始まる。一人でだらだらと過ごしている弥六の前に、恨みを抱いていて成仏できない幽霊の染次が現れ、弥六を見初めた染次は女房にしてほしいと頼み、一緒に暮らすことになる。染次は、店賃を払うために幽霊を貸して人の恨みを晴らすという商売を提案し、幽霊仲間を呼び集めて“ゆうれい貸屋”を始める。そして商売は大繁盛するのだが、幽霊の一人、紙屑屋の幽霊・又蔵が言った「人は何事も生きている内だ」という言葉に気づきを得た弥六は……。
 父が演じた弥六に挑む巳之助さんに、その心境や作品の見どころなどについて聞いた。

──『ゆうれい貸屋』はお父様(十世坂東三津五郎)に縁のある作品ですが、実際にその舞台をご覧になって覚えていらっしゃることがあれば教えてください。

巳之助:父が演ったのも2007年の八月納涼歌舞伎の時で、すごく夏らしくてわかりやすい筋立てなので、面白いお芝居だなと思いました。1961年以来、上演されていない作品だったので、面白いものを見つけてきたなという印象でした。上演時間や、夏から秋口を描くという作品内の時間経過、幽霊が出てくるという点など、今改めて考えてみても、納涼歌舞伎にぴったりだと思いました。

画像1: 坂東巳之助

──その2007年の歌舞伎座で『ゆうれい貸屋』が上演された時の配役は、お父様の他に、染次を中村福助さん、紙屑屋又蔵を(十八世)中村勘三郎さんがなさっています。今回は同じ役を、それぞれの子息である中村児太郎さん、中村勘九郎さんが演じます。この組み合わせで上演されることにはどんな思いがありますか?

巳之助:父と勘三郎のおじ様、福助のお兄さんが中心になってやっていた納涼歌舞伎というものが、まさに私たちの中にある納涼歌舞伎です。勘三郎のおじ様と父が亡くなってからは、先んじて勘九郎さんと七之助さんが八月の公演を牽引されてきました。その中に自分も組み込んでもらえる時期がきたのかなと思いつつ、思い出の中にある納涼歌舞伎というものを自分たちの手で取り戻しているような感覚があります。

──古典ではない作品ですが、どのようにして芝居作りに取り組んでいますか?

巳之助:父が勤めた時も大場正昭さんが演出されていたので、今回も大場さんにお願いしました。父たちが演じた時のことを踏まえつつ、勘九郎さんや僕、児太郎くんという配役で演じることや、令和の世に上演することも含めて、大場さんと相談しながらやっていこうと思います。ありがたいことに福助のお兄さんが監修という形で参加してくださることも、すごく頼もしいです。
 作品自体は歌舞伎の世話物の感じで作られているお芝居なので、概ね、それに則って演じるつもりです。ですから歌舞伎をあまりご覧になったことがない方には、古典の作品に見えるかもしれません。笑える部分もありますし、幽霊が登場することで涼んでもいただけるのではないでしょうか。そして、人間の浅はかさなども描かれています。歌舞伎をよくご覧になる方にも、ご覧になったことがない方にも、いろいろな見方をしていただけるのではないでしょうか。

画像2: 坂東巳之助
画像: 「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助(左)、芸者の幽霊染次=中村児太郎(右)

「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助(左)、芸者の幽霊染次=中村児太郎(右)

──2024年の1月に新春浅草歌舞伎の主要メンバーとしては最後の公演を迎えたわけですが、ご自身の学びや成長につながったターニングポイントのようなことはありましたか?

巳之助:僕にとって最後となった新春浅草歌舞伎では自分の演し物として『どんつく』という踊りをさせていただきました。これは何を上演するかという相談の際に、せっかく最後だしメンバー全員が顔を合わせる幕があれば、お客様にも喜んでいただけるのではないかと思って、僕から提案したものです。責任のある立場として、自身のことばかりでなくお客様や興行のことを考える視点というのは、浅草歌舞伎を通して養ったと言えるかもしれません。今回の『ゆうれい貸屋』も1時間半くらいで上演できるものというところから話が始まって、僕から提案させていただいたところ、実現しました。
 他にも新春浅草歌舞伎に出演して勉強させていただくことはたくさんありましたが、それがどういう結果になって、どういう風に見えているのかは役者が自分で決めることではなく、ご覧になった方がどう思われるかということだと思います。

画像: 「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助(左)、魚屋鉄造=中村福之助(右)

「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助(左)、魚屋鉄造=中村福之助(右)

画像: 「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助(右)、弥六女房お兼=坂東新悟(左)

「ゆうれい貸屋」桶職弥六=坂東巳之助(右)、弥六女房お兼=坂東新悟(左)

──今回の『ゆうれい貸屋』のポスターは文字の色合いがポップで、興味をそそられるビジュアルです。歌舞伎にはいろいろな作品があって、見方もそれぞれですが、今回はどういう意図でこのポスターを作られたのでしょうか。

巳之助:
歌舞伎を初めて観劇した感想で一番多いのは、“内容が全然わからなかった”ということだと思います。台詞が何をいっているのかがわからないし、何を演じているのかもわからないという声が多い中で、本作はおそらく8割の方が“とりあえず話はわかった”というところには到達できると思います。物語の内容を気に入っていただけるかどうかは好き嫌いもありますが、今回のポスターが初めての方の目にも留まって、“全然わからなかった”ではない歌舞伎観劇のスタートを切ってもらえたらいいなと思って作らせていただきました。

──初日を迎えて 8月7日に楽屋にて取材
  実際に開幕してから『ゆうれい貸屋』のおすすめポイントとして鮮明になったことがあれば、教えてください。

巳之助:改めて“夏”を感じるところが、大いにあると思いました。序幕ではゴロゴロと雷が鳴って夕立が降ったり、お祭りに浴衣を着たり、ひぐらしの鳴き声が聞こえたりと、どれも江戸の夏を感じさせてくれますし、今も昔も変わらない季節感を感じていただけるのではないでしょうか。2幕目は秋口になるので、虫の鳴き声もあって季節を先取りするという芝居の面白さも味わっていただけます。季節に合わせた芝居の雰囲気を感じてもらえたらいいですね。

──『ゆうれい貸屋』は分かりやすく言うとどんなお店なのでしょうか?

巳之助:幽霊を貸すんですよ(笑)。それが山本周五郎さんの発想の面白さだと思いますが、今の時代でいえば、人材派遣みたいなものです。作品が書かれた当時から考えると、かなり時代を先取りしていると思いました。物を売ったり、貸したりするのではなく、幽霊とはいえ、人そのものを商売道具にして、個性のある幽霊を集めて、オーダーに応じて適した人材を派遣するということに、現代人は実感が湧きやすいのではないのでしょうか。屑屋の男性の幽霊、大人の女性や若い女性、そして老人という多岐にわたるジャンルの人材を揃えている派遣会社。設定としては面白く、分かりやすいと思います。
 死んだとしても幽霊にはそれぞれの人生があって、人格が変わるわけでもないというところが、この作品の死者への独特な捉え方だと思います。死んだ人から、「何事も生きているうち」という言葉を聞いたら、そうなんだと納得せざるを得ないですね。

──第二部では『髪結新三』で下剃勝奴を演じてみて、いかがでしたか? 

巳之助:菊五郎劇団の人間としては、馴染みのある演目でもありますし、勘九郎さんが初役で念願の新三をなさるということで、“いいものを作りたい”という勘九郎さんの気持ちに乗りたいと思います。しっかりと『髪結新三』という作品の歯車の一つとなって、お客様に楽しんでいただける舞台を創る。これに尽きます。

画像: 「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」下剃勝奴=坂東巳之助

「梅雨小袖昔八丈 髪結新三」下剃勝奴=坂東巳之助

画像: 「艶紅曙接拙 紅翫」庄屋銀兵衛=坂東巳之助

「艶紅曙接拙 紅翫」庄屋銀兵衛=坂東巳之助

画像: 坂東巳之助(BANDO MINOSUKE) 東京都生まれ。父は十世坂東三津五郎。屋号は大和屋。91年9月、歌舞伎座『傀儡師』の唐子で初お目見得。95年11月、歌舞伎座『蘭平物狂』の繁蔵と『寿靭猿(ことぶきうつぼさる)』の小猿で二代目坂東巳之助を襲名し、初舞台。2015年スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』では存在感のある芝居で注目される。近年は2018年新作歌舞伎『NARUTO−ナルト−』、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』などの話題作や新春浅草歌舞伎、八月納涼歌舞伎などでも活躍。映像のメディアにも出演し、NHK大河ドラマ『光る君へ』では円融天皇役を演じた。辺見学役で出演した映画『朽ちないサクラ』も上映中。 ©SHOCHIKU

坂東巳之助(BANDO MINOSUKE)
東京都生まれ。父は十世坂東三津五郎。屋号は大和屋。91年9月、歌舞伎座『傀儡師』の唐子で初お目見得。95年11月、歌舞伎座『蘭平物狂』の繁蔵と『寿靭猿(ことぶきうつぼさる)』の小猿で二代目坂東巳之助を襲名し、初舞台。2015年スーパー歌舞伎Ⅱ『ワンピース』では存在感のある芝居で注目される。近年は2018年新作歌舞伎『NARUTO−ナルト−』、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』などの話題作や新春浅草歌舞伎、八月納涼歌舞伎などでも活躍。映像のメディアにも出演し、NHK大河ドラマ『光る君へ』では円融天皇役を演じた。辺見学役で出演した映画『朽ちないサクラ』も上映中。

©SHOCHIKU

画像3: 坂東巳之助

八月納涼歌舞伎 (本公演は終了しています)
第一部 11:00開演
一、『ゆうれい貸屋』
二、『鵜の殿様』

第二部 14:30開演
一、『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』
二、『艶紅曙接拙 紅翫』

第三部 18:15開演
『狐花 葉不見冥府路行』
※坂東巳之助さんは、
第一部『ゆうれい貸屋』
第二部『梅雨小袖昔八丈 髪結新三』、『艶紅曙接拙 紅翫』
に出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年8月4日(日)〜25日(日)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

中村歌昇

(2024年9月公開記事)

画像1: 「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」白楽天=中村歌昇

「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」白楽天=中村歌昇

 九月の歌舞伎座で行われている「秀山祭」は、初代中村吉右衛門の生誕120年を記念し、その功績を称えるために俳名の「秀山」を冠して2006年9月に始まった公演である。そして今年の秀山祭には2021年に亡くなった二代目中村吉右衛門の思いを託して、夜の部の『勧進帳』に「二代目播磨屋八十路の夢」という副題がつけられている。弁慶を演じる甥の松本幸四郎さんをはじめ、80歳で弁慶を演じることを目標としていた二代目吉右衛門にゆかりの配役がなされ、今回ご紹介する中村歌昇さんも播磨屋の一人として出演している。

画像: 「勧進帳」片岡八郎=中村歌昇

「勧進帳」片岡八郎=中村歌昇

──秀山祭で印象に残っているエピソードがあればお聞かせください。

歌昇:秀山祭が始まるちょうど1年前の2005年のことなのですが、私が初めて大人の役で歌舞伎座に出させていただいたのが、同じ9月でした。この時に演らせていただいたのが、まさに今回と同じ『勧進帳』の四天王の一人である片岡八郎だったんです。子役の時代から数年のブランクがあったので久しぶりの舞台となりましたが、初めて自分で顔(化粧)をしなければならないなど、右も左も全くわからない状態でした。
 初日が開いて数日経った頃、自分の中で少し緊張が解けてきたのか、花道での台詞が急に飛んでしまって頭の中が真っ白になり、少し間が開いてしまいました。終演後、吉右衛門のおじ様から「台詞が出てこないなんて、決してあってはダメなことだよ。わざわざ劇場に足を運んでくださるお客様にご覧いただくのだから、役者としてやっていくのだったら、どんな時も、常に集中してやりなさい」とお叱りを受け、恥ずかしいやら、悔しいやら、悲しいやらで、泣いてしまいました。その時におじ様がいろいろと強いお言葉で言ってくださったことが私の中で今なおすごく残っていますし、そういうことがあったのにもかかわらず見捨てることなく、それからお亡くなりになるまでずっとお世話になりっぱなしでした。歌舞伎俳優として歩み始めたばかりの頃に舞台に立つ上で大切なことに気づかせていただいたこと、本当にありがたく思っています。
 その後、2006年の初めての秀山祭では『車引』の杉王丸、2007年は『竜馬がゆく』や『二條城の清正』に出させていただくなど、いろいろな経験をさせていただきました。今年は同じ勧進帳の四天王の役なので、原点に立ち帰る思いで勤めます。

──吉右衛門さんが弁慶をなさっていたとき、同じ舞台に立っていてどんな光景が記憶として残っていますか?

歌昇:『勧進帳』には吉右衛門のおじ様だけでなく、幸四郎のお兄さんやいろいろな方がなさった弁慶とご一緒させていただいています。それぞれの良さがあって素敵だと思いますが、吉右衛門のおじ様がなさる弁慶はすごく大きかったですね。身長も高い方でしたが、それだけではなくて、弁慶の背中を眺めているときにその大きさを感じながら、実際の弁慶はこういう人だったのだろうと思わせるような感じでした。四天王は弁慶を後ろから見る機会が多いのですが、おじ様の後ろ姿には、“動かない大きな山”というイメージがありました。おじ様は最後の最後まで、どういう風に演じたら芝居が良くなるのかということを常に考えていらして、生涯をかけて険しい山をずっと登り続けていらっしゃるお姿を目にしていたので、私たちも“吉右衛門”という大きな山を目指さなくてはいけないと思います。同じ舞台に出させていただいたときの光景は忘れられないです。

画像2: 「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」白楽天=中村歌昇

「沙門空海唐の国にて鬼と宴す」白楽天=中村歌昇

画像1: 中村歌昇
画像2: 中村歌昇

──昼の部では『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』に初演に続いて出演されますが、どのような作品でしょうか?

歌昇:私にとって原作者の夢枕獏さんのお名前を聞いて真っ先に思い浮かぶのは、読破している『陰陽師』なのですが、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』は初演で出演させていただいたときに知りました。当時は小説を歌舞伎化する“原作物”の新作に出演する機会はなかなかないことだったので、まずは夢枕さんが描く作品の世界観に自分が入ることができることがとても嬉しかったです。
 幸四郎のお兄さんが演じていらっしゃる主人公の空海という人物は、私たち日本人からすると、本当は近いのに遠い存在でもあって、名前は知っていても実際にどういう人だったのか、あまり知られていない面が多々あると思います。ですから、2016年の初演ときは、この作品で空海が日本を離れて中国で活躍する姿を中国の歴史と織り交ぜながら描かれていることにワクワクしました。さらに、この作品の空海は普通のお坊さんではなく、真言を唱えることで呪術のようなものが使える一風変わったお坊さんです。劇中には兵馬俑が登場するというファンタジーな要素もあるので、作品を通して1本の映画をご覧いただいているような感覚を味わっていただけたらと思います。

──歌昇さんが演じる白楽天はどういう人物だと捉えていますか?

歌昇:白楽天は詩人で、玄宗皇帝と楊貴妃を題材にして書いた『長恨歌』という長編の漢詩の作者です。本作では彼はまだ青年期で、心から詩を愛しているというオタク気質なところがあり、李白に憧れつつ、皇帝陛下に仕えながらも詩を通して楊貴妃という人物を描きたいと思っています。そうした中で白楽天は空海という人物と出会って、様々な事件に巻き込まれつつ、その『長恨歌』を書き上げるという件を演じさせていただいています。
 自分の好きなもの、自分が描きたいものに相対したときに、興味が赴くままに猪突猛進していく人物なのですが、単に頭が良くてまっすぐなところだけではなく、一癖あるような面を表現したいです。例えば、白楽天は、自分の詩を書くために妓楼へ行きます。尊敬している李白に酒を飲めば飲むほど言葉が湧いてくるというエピソードがあったことからそれを試そうとしたり、妓楼の女性たちに楊貴妃を真似て踊ってもらうことで何か言葉が思い浮かぶのではないかと思ったり……。空海とはその妓楼で初めて会うのですが、お互いに「この男、なかなかすごいな」と思って行動を共にしていきます。ですから、幸四郎のお兄さんが演じる空海というキャラクターに対しても負けないようなキャラクターに仕上げたいと思っています。

画像3: 中村歌昇
画像4: 中村歌昇

──本作の見どころについて教えてください。

歌昇:
場所は唐の国という設定なので、歌舞伎の大道具では見られないようなセットや色づかいなど楽しんでいただけるのではないかと思います。衣裳や鬘は初演と同じですが私は中国人という設定なので普段の歌舞伎とは違いますし、出てくる道具や持っている刀も違いますから、どこを切り取っても新鮮な感じがします。新作なので堅苦しくないですし、それでも“やっぱり歌舞伎だ”と感じる要素も沢山あるので楽しんでいただけるのではないでしょうか。
 また、幸四郎のお兄さんのエネルギーが空海に重なるところがあって、空海に引き寄せられて皆が集まって宴をして、そこにいろいろな歴史的な事件が起きていくことがものすごく面白い作品だと思います。初演とは趣向が変わっているところも多く、前回ご覧になった方も同じ作品の再演という印象は持たないのではないかと思います。宴では幸四郎のお兄さんが琵琶の演奏と歌唱を披露してくださるところも必見です。

──2024年は、若手の挑戦の場である新春浅草歌舞伎の主要メンバーとしての出演が最後となりましたが、この一区切りには何を感じていらっしゃいますか?

歌昇:
新春浅草歌舞伎では吉右衛門のおじ様から教えていただき、いくつもの作品を演らせていただくことができ、本当にありがたい機会に恵まれたと思っています。今年は『熊谷陣屋』を幸四郎のお兄さんに教わり、勤めさせていただきました。直接吉右衛門のおじ様に教えていただくことは叶いませんでしたが、おじ様が熊谷直実をなさったときに私も何度か四天王で出させていただいたことはありました。何度も拝見していたつもりでしたが、自分はまだまだ勉強不足だと思いました。これからは、おじ様の意図やお気持ちをしっかりと思い出して、その時の感覚や見ていたものをしっかりと考えながら演じていかなければならないと思います。そして、教わったお役を演らせてもらえる役者にならなければなりませんし、自身でその場所を作っていかなければならないと思います。私の歌舞伎俳優としての人生は、一生をかけておじ様の姿を追い求めていくことなのかもしれません。
 新春浅草歌舞伎は私たちの上の世代の方々が築いたものなので、そのレールに乗せていただいてきました。ですから、これを機に自分たちの力でジャンプをして、自分たちの力を発揮できる場を作っていきたいです。

──歌舞伎以外で夢中になっていることはありますか?

歌昇:
演劇作品を観に行くのが結構好きで、パルコプロデュースで上演されているショーン・ホームズという英国の演出家の方が手がけている作品はすべて拝見しています。『セールスマンの死』『桜の園』、今年は『リア王』を観に行きました。演出の手腕もすごいですし、こういう世界があるのかということに衝撃を受けました。『リア王』の世界なのに、ウォーターサーバーが舞台に置かれているんですよ! 主演の段田安則さんが本当に素敵でした。この観劇が歌舞伎に生かせるかどうかはわかりませんが、いろいろなところにアンテナを立てて吸収しようと努めています。

画像5: 中村歌昇
画像6: 中村歌昇

──初日を迎えて 9月8日に電話にて取材
  今回の『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』では、幕が開いてからどんな心境で舞台に立っていらっしゃいますか?

歌昇:今回は台本が大きく変わっているところも多いので、前回はこうだったと思い出しつつも、みんなで新しいものを生み出していくような感覚で毎日取り組んでいます。この作品に登場するキャラクターはみんな方向性が違っていて、主人公の空海は天才肌で真実を知りたいという興味が原動力となっていますし、今回(中村)吉之丞さんが演じている橘逸勢(たちばなのはやなり)はそれに付き添う存在で、二人はシャーロックホームズとワトソンみたいなバディ関係だと思います。では白楽天がどういうキャラクターなのかと考えた時に、純粋な詩人として表現するべきで、 楊貴妃を知りたい、会いたいという気持ちが全面的に出ていた方がいいと思いました。ですから楊貴妃に対しての気持ちを今回は強く出そうと思っています。型がないものですから、その時その時の流れで自分もリアクションしないと成立しないところもありますので、それを楽しみながら演じていこうと思います。

──今年の秀山祭にかける思いを教えてください。

歌昇:秀山祭は、初代中村吉右衛門の偉業を後世に残そうと始まったものです。これからは播磨屋の一員として初代と二代目という偉大な名優たちについて後世に語り継いでいくという使命があると思います。まだまだそのような大きなことを言える立場ではないですが、この秀山祭ができる限り続いてほしいという思いとともに、多くの学びをくださったおじ様への恩返しになるように少しでもその力になりたいです。

画像: 中村歌昇(NAKAMURA KASHO) 東京都生まれ。父は三代目中村又五郎。94年6月歌舞伎座〈四代目中村時蔵三十三回忌追善〉の『道行旅路の嫁入』の旅の若者で四代目中村種太郎を名乗り初舞台。2011年9月新橋演舞場『舌出三番叟』の千歳ほかで四代目中村歌昇を襲名。 ©SHOCHIKU

中村歌昇(NAKAMURA KASHO)
東京都生まれ。父は三代目中村又五郎。94年6月歌舞伎座〈四代目中村時蔵三十三回忌追善〉の『道行旅路の嫁入』の旅の若者で四代目中村種太郎を名乗り初舞台。2011年9月新橋演舞場『舌出三番叟』の千歳ほかで四代目中村歌昇を襲名。

©SHOCHIKU

画像7: 中村歌昇

秀山祭九月大歌舞伎 (本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『摂州合邦辻 合邦庵室の場』
二、『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』

夜の部 16:30開演
一、『妹背山婦女庭訓 太宰館花渡し 吉野川』
二、歌舞伎十八番の内『勧進帳』

※中村歌昇さんは、
昼の部『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』
夜の部『勧進帳』
に出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年9月1日(日)〜25日(日)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

中村米吉

(2024年4月公開記事)

画像: 『夏祭浪花鑑』団七女房お梶=中村米吉

『夏祭浪花鑑』団七女房お梶=中村米吉

 2023年9月の歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、2024年1月の新春浅草歌舞伎『本朝廿四孝』の八重垣姫を演じ、2、3月には新橋演舞場のスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で兄橘姫、弟橘姫の2役を見事に演じ分けた中村米吉さん。若手の女方として着々とその存在感を増している。立役で人間国宝の中村歌六さんを父に持つ彼が、なぜ女方という道を選んだのか? まずはその決意に至る理由について伺った。

──米吉さんは、何が決め手となって“女方”という道を選んだのですか?

米吉: これが決め手だとはっきり言えることはないのですが、いろいろな要素が積み重なって選択しました。一つは、私自身の顔立ちです。武張った感じではないので、お芝居で考えると『夏祭浪花鑑』の団七や『引窓』の濡髪長五郎のような役柄は不向きな顔だとは思っていました。ですから、方向性としては優しい役になるだろうという漠然としたイメージがありました。そして子どもの頃から舞台を拝見していて「素敵だな」と思うお役は立役より、女方が多かったように思います。
 また、京都の祇園町の出であった亡くなった父方の祖母が、私がまだ芝居をする前に「あなたは手が小さいし、女方をやってみたらいいんじゃない?」と言っていたことがありました。こういうことが蓄積された結果、女方という道を選んだということではないでしょうか。

──これまでのご経験の中で、気づきを得た舞台があれば教えてください。

米吉:まず、直近では昨年9月に三姫と呼ばれる女方の大役の『金閣寺』の雪姫を歌舞伎座の舞台で演らせていただけたことは、すごく大きなことでした。また、それ以前の2022年に、『風の谷のナウシカ』のナウシカを勤めさせていただいた経験からも、古典とはまた表現方法が異なりますが、大きな学びを得ることができました。
 古典の作品は“教えを受けた先輩”という目指すべきものがあるので、その目標を目指して登っていくことが大切です。しかも、登っても頂上を見ることができないので、歌舞伎俳優は永遠に高みを目指して精進しなければなりません。
 一方、新作歌舞伎『風の谷のナウシカ』では、私がナウシカを演じる上で何を目指すべきなのかということ自体がとても難しかったです。アニメーションのナウシカなのか、それとも菊之助兄さんがなさったナウシカなのか……。初演とは拵えや演出も変わり、その目指すべきところが曖昧になった点もありました。準備期間も含めて、もがき苦しむ時間があって、それはまるで『ドラゴンボール』の“精神と時の部屋”にいるような感覚でした。
 また、これまで女方として、ありがたい大役を経験させていただきましたが、それらはすべて主役の立役さんのお相手でした。ところが、ナウシカは一幕を通して引っ張っていかなければなりません。それまでの女方では経験したことのないものが、そこにはあったと思います。

──スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』では2役を演じる上で何を大切にされましたか?

米吉:(中村)隼人くんも(市川)團子くんも、初めての“ヤマトタケル”役。私も初めて『ヤマトタケル』に携わらせていただきました。お互いに悩み、考えながら勤めていたのではないでしょうか。その上で、 “存在感”を醸し出すということを意識して芝居に臨みました。   
兄橘姫と弟橘姫は、物語のポイント、ポイントに出てくるお役なので、私が1人で二役を勤める以上、兄橘姫は姉であること、弟橘姫は妹であることがお客様にもちゃんと伝わらなければなりません。お話の中で二人の姉妹が1本の軸として流れていくようにすることで、隼人くんと團子くんが長いお芝居の中で“ヤマトタケル”として生きていく力になれればいいなと思いました。ヤマトタケルとともに2人の女性の物語が存在することで、お客さまにも多角的にお芝居を楽しんでいただけたらとも考えながら、勤めていました。

──プライベートでは、今年1月にご結婚されましたこと、おめでとうございます。ご家族で旅行をされたそうですが、いかがでしたか?

米吉: ありがとうございます。結婚したからといって、何かが大きく変わることはなく、これまで通り生きています(笑)。旅行は、母の強い要望で結婚前の“最後の家族旅行”でした。「最後だなんて、聞こえが悪いから、そんな言い方はやめてください」って言ったんですが、案の定、父方の大叔母に甥である父の体調でも悪いのかと誤解されました(笑)。旅先としてはヨーロッパは遠いし、冬だから温かいほうがいいだろうということで、ベトナムとラオスを選びました。ラオスでは“托鉢セット”みたいなものが、観光客目当てに街中で販売されていて、托鉢そのものも明け方からベルトコンベアのような流れ作業で行われていて、なんとなく生臭い話だなと思いましたね(笑)。でも母が好きな東南アジアに家族揃って行くことができて良かったです。
 

──最近、何かハマっていることはありますか?

米吉:私は無趣味なのですが、しいて言えば、“鉄瓶”を育てています。全国の銘品をセレクトした“日本を贈るカタログギフト”みたいなものをお祝いでいただいて、そのカタログで南部鉄器の鉄瓶を見つけたんです。毎朝お水を沸かして白湯を飲んでいますが、お手入れがなかなか大変です。最初は硬度の高いお水を入れて、3回ほど沸かすと白い湯垢がついて、お湯をタンブラーに移したら空だきをして水気を飛ばすとか、手間がかかって本当に大変(笑)。奥さんからは「私はどうすればいいのかわからないので、この子(鉄瓶)の世話はあなたに任せた!」っていわれているので、私が毎朝、お湯を沸かして白湯を飲ませています。鉄瓶で沸かしたお湯で紅茶を入れると美味しくないとか、鉄瓶を育てることで発見もありますよ。そろそろ名前でもつけようかしら(笑)。

画像1: 中村米吉
画像2: 中村米吉
画像3: 中村米吉

 米吉さんは、4月の歌舞伎座で『夏祭浪花鑑』で片岡愛之助さんが演じる団七九郎兵衛の女房お梶役を勤める。この役は2023年の尾上右近さんの自主公演で初役として勤めたので、今回は2度目となる。
『夏祭浪花鑑』は大坂で実際に起きた事件を元に、浪花の侠客と妻たちの物語を描いた義太夫狂言。喧嘩沙汰が原因で牢に入れられていた主人公の団七は出牢を許され、女房お梶と倅長吉、釣船三婦は住吉神社の鳥居前で団七を迎える。義理堅い団七平は大恩人の息子である玉島磯之丞とその恋人琴浦を救おうとするが、強欲な舅の義平次がその琴浦を金目当てに悪人に引き渡そうとする。団七がそれを阻もうとして揉みあううち、誤って義平次を斬ってしまうという惨劇だ。

──『夏祭浪花鑑』のお梶にはどんな印象をお持ちでしょうか?

米吉:私にとって『夏祭浪花鑑』といえば、(中村)吉右衛門のおじ様の団七のイメージがすごく強く、お梶もおじ様のお相手を度々なさっていた(中村)雀右衛門のおじ様のイメージが強いです。昨年、(尾上)右近くんの自主公演「研の會」に『夏祭浪花鑑』のお梶役で出演させていただいた時、雀右衛門のおじ様に教わりました。お梶は従来の上演では序幕の「住吉神社の鳥居前」にしか出てこない役で、団七と徳兵衛の喧嘩を止めるいわば“留女”としての要素もあるお役です。今の歌舞伎界のトップを走っていらっしゃる(片岡)愛之助兄さんと(尾上)菊之助兄さんの間に入って、3人の見得のような場面になります。役者が役者の大きさで見せていくというのは、歌舞伎の面白さであり、難しさでもあるので、名だたる先輩の間に入ることがそれ相応に見えるお梶を演じなくてはならないと思います。

──歌舞伎俳優として、ご自身に課している目標はありますか?

米吉:まず、女方として必要とされる役者にならなければならないと思っています。立役さんからはもちろんのこと、歌舞伎界という大きな枠組みからもそうですし、お客様からも米吉でこの役が見たいと思っていただけるようにならなければなりません。4月の歌舞伎座では(片岡)仁左衛門のおじ様と(坂東)玉三郎のおじ様が『神田祭』に出演されていますが、わずか20分くらいの演目であってもお客さまは大満足で帰っていく。これはおじ様方の芸に裏打ちされているからこそですよね。歌舞伎役者が歌舞伎役者として今まで続けてこられたのは、自分の芸を磨き、先人の築いたものを守り、先人たちのように演じることを目指していくことを続けてきたからだと思います。また、それと同時に、歌舞伎に関心を持っていただくために、窓口を広げていくことにも取り組まなければなりません。愛之助兄さんも菊之助兄さんもその努力をなさって、実際に歌舞伎の窓口として大きな活躍をなさっていますが、私自身も役者としての魅力をもっと手に入れなければならないと思います。

──初日を迎えて 4月5日、歌舞伎座にて

歌舞伎座でお梶を演じてみて、どんなことを感じていますか?

米吉:お梶は一度経験しているお役なので、それを演じることは、台詞や動きを把握しているので役には入りやすいです。しかし、お客さまもそれを踏まえた上でご覧になるので、それがある種の枷にもなりますね。私のニン(役柄が要求する身体と芸風のこと)でいえば、これまで娘や姫といった若い役が多かったので、お梶のような“まみえ(眉)”のない年増のお役の経験はそれほどありません。こういう役柄が身の丈にあってきたと思っていただけるようにならなければと思って演じています。
 今回は歌舞伎座という間口の広い舞台で、愛之助兄さんと菊之助兄さんに見合うお梶を目指しています。少しでも大きさや厚みのようなものを出していけるように、日々演じることを積み重ねていくしかないのかと思います。実際に演じてみて思ったのは、2人に割って入るということは喧嘩を止めることではあるけれど、そこで一度鎮火するのではないということ。喧嘩を止めることが一つの決まりになって盛り上がったところから、またお話が進んでいくという流れを作らなければならないと実感しています。

 今回の『夏祭浪花鑑』は上方(関西)の松嶋屋さんの演り方で上演されていますが、これは歌舞伎座で初めてのことだそうです。序幕の床屋の位置が真ん中になっていることや、台詞のやりとりや泥場の見得など播磨屋や中村屋系統の演り方とは少し違うんです。吉右衛門のおじ様(播磨屋)や中村屋の(中村)勘三郎のおじ様の舞台を拝見して見覚え、聞き覚えたものとの違いが、私自身も新鮮で面白いです。そういうこともあって、お梶を演じる上でも雀右衛門のおじ様を土台としつつ、亡くなられた(片岡)秀太郎のおじ様(松嶋屋)のお梶もイメージして演じたいと思いました。「関西で歌舞伎を育てる会」の自主公演(1986年)として国立文楽劇場で『夏祭浪花鑑』が上演された時の、(片岡)我當のおじ様が団七で秀太郎のおじ様がお梶をなさっている映像を拝見して、上方の演り方に感じるものがありました。松嶋屋の愛之助兄さんをお相手に私がお梶を演じる上で、秀太郎のおじ様のバランスや味わいなどを取り入れていきたいと思っています。『夏祭浪花鑑』を関西の方がなさる意義と(自身の)播磨屋のルーツが関西だということなどをふまえ、上方の歌舞伎への出来る限りのリスペクトを持って勤めることが、上方の芝居であることに意識的にも繋がっていくと思っています。ぜひ劇場でご覧いただきたいです。

画像4: 中村米吉
画像5: 中村米吉
画像: 中村米吉(NAKAMURA YONEKICHI) 東京都生まれ。父は五代目中村歌六。2000年7月歌舞伎座『宇和島騒動』の武右衛門倅武之助役で五代目中村米吉を襲名し、初舞。2011年から女方を志して、本格的に歌舞伎俳優として歩み始める。2022年7月歌舞伎座『風の谷のナウシカー白き魔女の戦記』にナウシカ役で出演。2023年9月歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、2024年1月新春浅草歌舞伎『本朝廿四孝』の八重垣姫を演じた。2024年2月、3月は新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で兄橘姫と弟橘姫役を演じ、35年ぶりに早替りで2役を1人で演じたことも話題に ©SHOCHIKU(左)

中村米吉(NAKAMURA YONEKICHI)
東京都生まれ。父は五代目中村歌六。2000年7月歌舞伎座『宇和島騒動』の武右衛門倅武之助役で五代目中村米吉を襲名し、初舞。2011年から女方を志して、本格的に歌舞伎俳優として歩み始める。2022年7月歌舞伎座『風の谷のナウシカー白き魔女の戦記』にナウシカ役で出演。2023年9月歌舞伎座『金閣寺』の雪姫、2024年1月新春浅草歌舞伎『本朝廿四孝』の八重垣姫を演じた。2024年2月、3月は新橋演舞場でスーパー歌舞伎『ヤマトタケル』で兄橘姫と弟橘姫役を演じ、35年ぶりに早替りで2役を1人で演じたことも話題に

©SHOCHIKU(左)

画像6: 中村米吉

四月大歌舞伎 (本公演は終了しています)
昼の部 11:00開演
一、『双蝶々曲輪日記 引窓』
二、『七福神』
三、『夏祭浪花鑑』

夜の部 16:30開演
一、『於染久松色読販 土手のお六 鬼門の喜兵衛』
二、『神田祭』
三、『四季』
  春 紙雛
  夏 魂まつり
  秋 砧
  冬 木枯らし

(出演)
中村梅玉、片岡仁左衛門、坂東玉三郎
中村扇雀、中村芝翫、中村錦之助、片岡孝太郎
片岡愛之助、尾上菊之助、尾上松緑ほか
※中村米吉さんは、
昼の部『夏祭浪花鑑』団七女房お梶
にて出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年4月2日(火)〜26日(金)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。

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