歌舞伎の未来のために奮闘する令和の花形歌舞伎俳優たち。彼らの熱い思いを、美しい撮り下ろし舞台ビジュアルとともにお届けする本連載。第15回は、秀山祭九月大歌舞伎で『菅原伝授手習鑑』の「筆法伝授」「寺子屋」で武部源蔵、「車引」で梅王丸を初役で勤める市川染五郎が登場。父から受け継いだ教えと、自らの表現で切り拓く新たな境地について語ってくれた。ナビゲーターは歌舞伎案内人、山下シオン

BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA

画像1: 『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

 今年の「秀山祭九月大歌舞伎」は、松竹創業130周年を記念して、三大狂言の一つである『菅原伝授手習鑑』を通しで上演する特別な公演となった。物語全体が一気に描かれる貴重な機会に、20歳の市川染五郎が二つの大役に挑む。その一つが5歳のときに菅秀才として『寺子屋』の舞台に立ってから15年、幾度となく見つめてきた名作に登場する武部源蔵である。受け継いできた教えと自身の感性を融合させながら、次代を担う表現者としての一歩を踏み出そうとしている。

──初日を迎えて 9月6日に歌舞伎座にて取材
武部源蔵と梅王丸、二つの大役が決まったときのお気持ちをお聞かせください。

染五郎:源蔵は20歳で歌舞伎座で演らせていただけるとは思っていなかったので、お話をいただいたときは、とても驚きました。実は梅王丸は少し前から話を聞いていたのですが、その後、正式に「梅王丸と源蔵を」と言われて、間違いではないかと思ったほどです。
『寺子屋』はこれまで見てきた歌舞伎の作品の中でも一番といってもいいほど好きな作品です。その中で源蔵は重い責任と苦悩を背負う人物で、その心の変化をどう段階的に描くかが難しい役ではないかと思っていました。まさかこんなに早く勤められるとは思っていなかったので、身が引き締まる思いでした。今回は秀山祭で演らせていただくので、播磨屋の芸、大叔父(二世中村吉右衛門)の芸というものをしっかりと自分に染みこませる1か月にしたいと思います。

──小さい頃から『寺子屋』をご覧になってきたそうですが、どんなことが印象として残っていますか。

染五郎:5歳のときに菅秀才を演じています。幼い頃はまず松王丸の存在感に圧倒されていて、祖父(松本白鸚)が演じる松王丸のどっしりとした姿に憧れました。父(松本幸四郎)が源蔵を演じるのは今回が6度目で、これまでに観た父が演じた役でも一番といっていいほど好きなお役です。そのお役を父から教わって演じることができるのはとても嬉しいことです。年齢を重ねて作品全体をドラマとして深く考えるようになると、その緻密な構成に心を奪われるようになりました。今後、演じてみたい役としては『勧進帳』の弁慶をはじめいろいろとありますが、ドラマとして好きなのは『寺子屋』や『熊谷陣屋』などです。

──今回はお父様(松本幸四郎さん)と源蔵をダブルキャストで勤められます。お父様の源蔵は、開幕後もご覧になっていらっしゃいますか?

染五郎:父の稽古場での稽古から舞台稽古、初日まで、すべて見ました。同じ場所で同じお役を自分自身が演じることもそうですが、教えをいただいた方が実際に演じる姿を同じ公演で見る機会はなかなかないので、とても貴重です。なるべく父の源蔵の細かいニュアンスまで吸収できるよう、何度も見て自分の中に取り込んでいます。
 大叔父の映像も参考に観ているのですが、公演中に繰り返し観ると新たな発見があります。
また、自分が演じているのを客観的に観ることは当然できないので、毎日映像で撮って、日々工夫を重ねながら演じています。

画像1: 『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』武部源蔵=市川染五郎

画像2: 『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』武部源蔵=市川染五郎

画像3: 『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』武部源蔵=市川染五郎

──お父様はお稽古ではどのような指導をなさっているのでしょうか?

染五郎:父の教え方は、とても細やかです。セリフの間合いや言葉と言葉の間の息継ぎ、語尾の伸ばし方や止め方など、技術的な部分を丁寧に教えてくれます。もちろん気持ちの部分も教わりますが、舞台は感情を声に乗せて届けないとお客様には伝わらないので、気持ちを音に乗せる技術的な部分も細かく教わっています。

──お父様の源蔵を観て学んだことは?

染五郎:松王丸は重厚な時代物の拵えであるのに対して、源蔵はより現実的な拵えです。作品自体は時代物ですが、源蔵が世話物のリアルさを出すことで松王丸と対峙したときに芝居全体にバランスをもたらす存在になって、お客様が作品を重く感じすぎないようにすることが大事だと思いました。松王丸と源蔵、二人の関係がきちんと釣り合ってこそ、『寺子屋』は生きるのだと学びました。

──舞台に立ってみて実感したことはありますか?

染五郎:拵えをして演じることが感覚的に一番違いますね。稽古場では想像で補っていた小道具や空気感が、舞台に立つと実際に道具を使うので一気に現実になります。さらに共演者の皆さんが役の扮装をして並ぶ中に自分がいると実感したときに、寺子屋の芝居の世界の中に自分が源蔵として生きているということが不思議な感じでしたし、このシチュエーションに馴染めるようになりたいとも思いました。
 それから、5歳で菅秀才として舞台に立ったとき(2010年4月「歌舞伎座さよなら公演 御名残四月大歌舞伎」)の記憶が甦ってきました。その時の松王丸は祖父、女房千代は玉三郎のおじ様、武部源蔵は(片岡)仁左衛門のおじ様、戸浪は(十八世中村)勘三郎のおじ様でした。その当時、もちろん今もそうですが、勘三郎のおじ様は僕にとってヒーローのような存在で、憧れの先輩でした。しかし、おじ様は『鏡獅子』の印象が強かったので、獅子の扮装でないことや、女方を演じていらっしゃることが、子どもながらに違和感があったことを思い出しました。憧れの方と同じ舞台に立っていることはとても嬉しかったのですが、それまでイメージしていたおじ様のビジュアルと違うことに複雑な思いがしたようです。

画像2: 『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

画像3: 『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

画像4: 『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

画像5: 『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

『菅原伝授手習鑑 寺子屋』武部源蔵=市川染五郎

──もう一役演じる『車引』の梅王丸についてはいかがでしょうか。

染五郎:桜丸と松王丸を演らせていただいたことはあったので、いつかは演じてみたいと思っていたお役です。高麗屋にとっても大事なお役ですし、播磨屋の大叔父も演じているので、そのお役を秀山祭で演らせていただけること、その意味を考えながら勤めさせていただきたいと思います。
源蔵は抱え込み耐える人物ですが、梅王丸は力強く発散する人物。その対比が面白いです。僕が桜丸を演じた時は梅王丸が父でしたが、桜丸はあまり発散する場面がないので、見得をする父を横で見ながら、うらやましいと思っていました。
 今回勤めさせていただくのは対照的な二つの役なので、まったく違う分、切り替えがしやすいところもありますし、(AプロBプロで)それぞれの日に集中できるのがありがたいです。

──玉三郎さんとは昨年は『妹背山婦女庭訓 吉野川』と『源氏物語』、今年は『火の鳥』で続けて共演されました。ご自身にとってどんな学びを得ることができましたか?

染五郎:「寺子屋」を観てくださって、終演後に楽屋に来てくださいました。その時に「最近の時代物は長くなりすぎている」とお話しくださいました。昨年、共演させていただいたときも伺っていたことなのですが、気持ちを込めつつも、とんとんと運べるところは運んで演じないと、芝居が間延びしてしまい、お客様が疲れてしまうと。だからこそテンポよく運ぶ場面は運びつつ、気持ちはきちんと伝える。そのバランスが大切だと教えていただきました。時代物に取り組む上で、心に刻んでおきたいお言葉です。

──次世代を担う立場として、今何を大切にしていますか?

染五郎:古典をとにかくたくさん演じたいです。新作は新作でもちろん大切なのですが、古典を演じている時が一番歌舞伎をやっている実感があり、今月は歌舞伎と向き合えている感じがして充実しています。特に高麗屋は時代物の家系であり、曾祖父の初代白鸚などはまさに時代物役者だったので、目指さなければならないところです。時代物の義太夫狂言の台詞の間合いや、気持ちの込め方など、経験を積ませていただきながら、体に染みこませなければと思っています。

──次の時代を築いていく存在としてのビジョンはありますか?

染五郎:まずは、自分自身が本物の歌舞伎をすることが大前提だと思います。表面的な口調や型だけで“歌舞伎風”になってしまうのは、本物ではありません。台詞回しにはその奥にある心の積み重ねがあってこそ、歌舞伎は演劇として成立すると思います。また演劇として1本筋が通るように見せないと、今のお客様に受け容れていただくのは難しいと感じます。様式美や、リアリズムの演劇ではできないような大胆な表現など、歌舞伎ならではの魅力があっても、そこに演じる役者の心が重なり合っていなければお客様には届きません。そして、お芝居は一人で演るものではなく、化学反応を起こし合いながら生まれるものですので、同世代の役者さんたちとも、しっかりと意見を共有しながら作って行けたらいいなと思っています。
 僕は祖父の考えにとても影響されているのですが、祖父も常々「歌舞伎は演劇でなければならない」と言っています。この言葉は以前から時々聞いていましたが、最近になって祖父が20代か、30代くらいのころのインタビューで、すでに“演劇として成立していなければならない”と語っていたことを知りました。僕もこれからの歌舞伎役者人生において追求していきたいテーマのひとつです。 

 
 

 市川染五郎は、その華やかな存在感にとどまらず、舞台人として真摯に歌舞伎と向き合い、常に「本物」を目指して歩みを進めている……。それをインタビューを通して実感することができた。新たな役を体現するたびに表現の幅を広げ、自分自身を更新し続けている。その過程には、祖父や父への深い敬意があり、教わったことを一つひとつ丁寧に受け止め、自分の言葉として語る誠実さがある。いま、この瞬間に感じていることを率直に言葉にし、それを芝居に生かしていく。その柔らかさと強さを併せ持つ彼の姿に、歌舞伎の未来への希望が重なる。これからどのような舞台で、どんな新しい世界を見せてくれるのか。劇場でその姿に出会える日々が、ますます楽しみになった。

市川染五郎(Ichikawa Somegoro)
東京都生まれ。父は松本幸四郎。祖父は松本白鸚。2007年6月歌舞伎座『侠客春雨傘』の高麗屋齋吉で、本名の藤間齋(ふじま・いつき)の名で初お目見得。09年6月歌舞伎座『門出祝寿連獅子(かどんでいおうことぶきれんじし)』の童後に孫獅子の精で四代目松本金太郎を名のり初舞台。18年1・2月歌舞伎座で八代目市川染五郎を襲名。

秀山祭九月大歌舞伎
上演日程:2025年9月2日(火)〜24日(水)
休演日:12日、20日
昼の部 11時開演
序幕 『菅原伝授手習鑑 加茂堤』
二幕目『菅原伝授手習鑑 筆法伝授』
三幕目『菅原伝授手習鑑 道明寺』

夜の部 16時30分開演
四幕目『菅原伝授手習鑑 車引』
五幕目『菅原伝授手習鑑 賀の祝』
六幕目『菅原伝授手習鑑 寺子屋』寺入りよりいろは送りまで

※市川染五郎さんは、
昼の部のBプロ「筆法伝授」
夜の部のAプロ「車引」、Bプロ「寺子屋」に出演。

吉例顔見世大歌舞伎
上演日程:2025年11月2日(日)〜26日(水)
休演日:10日、18日

昼の部 11時開演
一、『御摂勧進帳』
二、『道行雪故郷 新口村』
三、『鳥獣戯画絵巻』
四、『曽我綉俠御所染 御所五郎蔵』

夜の部 17時開演
一、『當年祝春駒』
二、三谷かぶき『歌舞伎絶対続魂 幕を閉めるな』

※市川染五郎さんは夜の部の三谷かぶき『歌舞伎絶対続魂 幕を閉めるな』に出演。

会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹

新春浅草歌舞伎
上演日程:2026年1月2日(金)〜26日(月)

第1部 11時開演
  お年玉〈年始ご挨拶〉
一、梶原平三誉石切
二、上、相生獅子 下、藤娘

第2部 15時開演
  お年玉〈年始ご挨拶〉
一、傾城反魂香
二、男女道成寺

※市川染五郎さんは、
第1部『梶原平蔵誉石切』と
第2部『傾城反魂香』に出演。

会場:浅草公会堂
住所:東京都台東区浅草1-38-6
※休演と貸切日は「歌舞伎美人」の日程詳細でご確認ください。
歌舞伎美人
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL 0570-000-489
チケットweb松竹

山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。

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