人気俳優でありながら、前衛的なアーティストでもある。このふたつは両立可能だろうか? そんな芸当ができるのはウォーレス・ショーンだけだ。

BY SUSAN DOMINUS, PHOTOGRAPH BY SEAN DONNOLA, TRANSLATED BY T JAPAN

画像: 劇作家兼俳優のウォーレス・ショーン。ニューヨーク市内のチェルシー・スクエア・ダイナーで、2025年12月11日に撮影。

劇作家兼俳優のウォーレス・ショーン。ニューヨーク市内のチェルシー・スクエア・ダイナーで、2025年12月11日に撮影。

 生粋のニューヨーカーであるウォーレス・ショーン(82歳)と昼食をともにしたあと、彼は街を散策するのに快くつきあってくれた。その日は12月の極寒の日曜日。市内に降った雪のほとんどはすでに解け、いつもどおりにカチコチの氷になっていた。小柄な体格で知られるショーンは、ごく普通の黒いパーカを着て、一般的な黒いブーツを履いていた。レストランを出る前に、彼は濃い灰色のウールの帽子をほとんど髪の毛がない頭にぐっと押しつけた。帽子には虫に食われた穴が数カ所あったが、特に変哲のないデザインだ。つまり、彼は街の雑踏や群衆に紛れて自由に歩き回ることができるように見えた。だが、私たちが私の姪と待ち合わせるためにある劇場に着くと、劇場前で列をつくって待っている人々が彼の存在に気づいて、まるでさざ波が立つようにささやく声が聞こえた。私の姪の後ろに並んでいたふたりの女性は、彼が近づくと、跳び上がりそうになりながら、喜びを全開にして、驚きに満ちた表情で彼をじっと見つめていた。くすくす笑いながら近寄ってくるファンたちに、この日すでに二度ほど話しかけられていたショーンは、まるでそんなやりとりが日常茶飯事であるかのように瞬時に笑顔で応答した――にこやかな対応であると同時に、ほとんど感情の動きを感じさせないような、慣れた対応に見えた。

 この日タイムズスクエアに現れたショーンはまるで、歩く観光スポットのようだった。ニューヨークという街を象徴するテレビドラマ、『セックス・アンド・ザ・シティ』と『ゴシップガール』の両方に出演した彼は、マンハッタンに住むゴージャスな女性たちが誠実な男性(もしくはどんな男性でも)を切実に必要とするときに、彼女たちを救う恋人役として登場する役回りだった。彼はほかにもニューヨークの神髄を描いたような映画、たとえばウディ・アレンの『マンハッタン』(1979年)でニューヨーカーを演じた――この作品では珍しくプレイボーイ役で出演している――さらに、友人で俳優のアンドレ・グレゴリーと共演した映画『My Dinner With André(マイ・ディナー・ウィズ・アンドレ)』(1981年、日本未公開)では脚本も担当した。この作品はふたりのアーティストを架空の人物として描いたもので、インディ系の映画会社の製作にしては思いがけずヒットした。ショーンは垢抜けず、不器用な男性の典型のような役を演じることによって、彼いわく「中流の生活」を手に入れた。口もとは少し緩んでいて、容姿はギリシャ彫刻とは似ても似つかないが、彼は持ち前の知性と個性で見事に役を演じ、撮影用カメラがその才能を近距離でつぶさにとらえてきた。

 映画『クルーレス』(1995年)が公開30周年を迎えたこともあり、この作品で慈愛に満ちたおじさんのような教師を演じたショーンの演技に再び関心が集まっているのだが、タイムズスクエアに集まる観光客たちにとって一番なじみが深い彼の役は『プリンセス・ブライド・ストーリー』(1987年)に出てくる、殺し屋に憧れるシチリア人のビジニだろう。この作品の中で、ビジニは「信じられない!」と何度も叫ぶのだが、これがショーンの役者としてのキャリアの中で、最も有名な台詞となった。この作品の中で、彼はさまざまな口調でこの台詞を言うのだ――あるときはいかにも鼻にかかった舌足らずな言い回しで語り、別の場面では傲慢かつ洗練された口調でつぶやく――この台詞は、この世にインターネットが存在するはるか前からミーム的なものとして広く認識されていた。それは私たちが驚愕したとき、自然に頭の中に湧いてくる記号となったのだ――オタクっぽく響くが、愛らしく、重宝するフレーズとして。今でも彼が道を歩くたび、人々はこの言葉を彼に浴びせる。ハーバード大学の同窓会でも(ショーンは同大学の学部に通っていた)彼の同級生たちの子息である10代の若者たちが、彼の横を通りすぎる際にこの言葉を叫んでいった。彼はかつて取材時にインタビュアーに対し、幼い頃から「まともに扱われること」が人としての目標だったと語ったことがあるが、そんな願いをもつ彼がこういう扱いを受け続ける人生というのは、あまりにも皮肉でコミカルだ。

画像: ショーンはコメディやドラマでも活躍した。映画『クルーレス』(1995年)ではアリシア・シルヴァーストーン(左)演じるシェールとステイシー・ダッシュ演じるディオンヌら高校生の教師役として出演。 ⒸPARAMOUNT / PHOTOFEST / ZETA IMAGE

ショーンはコメディやドラマでも活躍した。映画『クルーレス』(1995年)ではアリシア・シルヴァーストーン(左)演じるシェールとステイシー・ダッシュ演じるディオンヌら高校生の教師役として出演。

ⒸPARAMOUNT / PHOTOFEST / ZETA IMAGE

 ショーンいわく、俳優業は「人生の後半になってからハマった愉快なこと」であり、自分のことを基本的には劇作家だと感じているという。彼は書籍版の『マイ・ディナー・ウィズ・アンドレ』の導入部分で「舞台の上で、自分自身の内面の葛藤や恐怖や希望や不安を隠さずにさらして見せた」と述べている。また、彼が戯曲を書いた舞台劇『Our Late Night(アワー・レイト・ナイト)』(1975年)では、ニューヨークでパーティが開催され、参加者たちがいきなり婚外セックスや放屁などの下世話な会話を淡々と繰り広げ、舞台裏で誰かがおおっぴらに嘔吐し始めたかと思うと、ある男性が初対面の女性に向かって、彼女とどんなふうにセックスをしたいかを赤裸々に語り始める。2013年には、ショーンは自らが戯曲を書いた舞台劇『Grasses of a ThousandColors(千色の草)』でジュリー・ハガティやほかの女優と共演した。科学者が未来世界で食糧危機を解決するためにある穀物を開発するが、その副作用として、人間たちは(今よりもっと)性行為や性器に執着するようになる。人間の欲望が倫理観やタブーを破壊し尽くし、社会規範を古くさい前世紀の遺物のように感じるようになる、というストーリーだ。

 ショーンの作品は冒瀆的な神話とでもいうべき作風が特徴で、人間が動物に変貌してしまうというよりは、人間が理性で隠していた本音の部分が露呈する感じに近い。彼の創作のこだわりは、登場人物が日頃隠している恥ずべき秘密をさらし出し、快楽や安穏をむさぼりたいという、恐らく人間なら誰もがもっているそんな本能を満たすためなら、他人の感情を逆撫ですることになろうと、またはもっと地球的な規模でいえば、弱者を踏みつけて抑圧しようと、どんな犠牲を払ってもかまわないという態度をとるところまで、描ききるところにある。

画像: 舞台劇『Grasses of a Thousand Colors(千色の草)』(2013年)でショーンが共演した俳優たち。左からエミリー・カス・マクドネル、ジュリー・ハガティ、ジェニファー・ティリー。 SARA KRULWICH/THE NEW YORK TIMES

舞台劇『Grasses of a Thousand Colors(千色の草)』(2013年)でショーンが共演した俳優たち。左からエミリー・カス・マクドネル、ジュリー・ハガティ、ジェニファー・ティリー。

SARA KRULWICH/THE NEW YORK TIMES

 3月から彼の新しい舞台劇『What We Did Before Our Moth Days(蛾の日々の前に我々は何をしたのか?)』(以下『蛾の日々』)がオフ・ブロードウェイのグリニッジ・ハウス劇場で開幕した。自らの家族が長い間秘密を隠していたという実体験を経たショーンが、『蛾の日々』に一体何が隠されているのかを探究し続ける――わけだが、この劇はより個人的なトピックへの移行やシフトを意味し、強い皮肉や政治的な趣はそれほどない。この作品の監督を務めるアンドレ・グレゴリー(91歳)いわく、この劇は一見するとあっけないほど単純だという。「観客から見える部分は氷山の一角にすぎず、本質のほとんどが水面下に潜っていて、目には見えない」と彼は言う。「つまり、この劇の裏には生涯にわたる執筆の歴史と、生まれてから今までの間、世界と格闘してきた日々が存在しているんだ」

 さらにショーンは、この作品とはまったく違った作風のひとり芝居『The Fever(ザ・フィーバー)』(1990年)をリバイバル上演することを決め、同劇場で週に2回、自ら演じる予定だ。特権階級のひとりが、世界情勢を維持するために暴力が蔓延していることに怒りを覚えるというあらすじだ。「『ザ・フィーバー』は中流階級の人間を辛辣で残酷なタッチで描いている」と彼は言う。「『蛾の日々』では、僕は同じ中流階級の人々に親近感を抱き、彼らに愛情を感じてすらいるんだけどね」

 彼の演劇界の重鎮としての業績や作家としての実績は(ショーンはエッセイをまとめた書籍を2冊出版しており、詩人や作家や劇作家たちのための団体PENから、彼の戯曲に賞が与えられている)何百万もの人々に認められ、彼はほぼ毎日のように人々から称賛を送られてはいるが、観客たちがこれからも永遠に覚えているのは彼が映画で何十年も前に、わずか数週間の間に演じた役なのだ。彼と昼食の間に話しながらふと思った。ショーンが人に見せている人格――つまり人々が彼の顔や体型を目にしてとっさに思い浮かぶ役の数々――は、彼が日常的に街中で出会う不特定多数の人々にとっては極めて魅力的なものだ。だが、それらの役はすでに何十年も前に公開された映画の役であり、彼にとって現在の関心事ではない。そんな人格をキープしつづけるのは、相当の疎外感を伴うのではないか。「信じられないほど不思議だよ!」と彼はテーブルに身体を乗り出しながら言う。「信じられないほど奇妙だ!」

画像: 映画『マンハッタン』(1979年)でダイアン・キートンの相手役を演じた。 COLLECTION CHRISTOPHEL/AFLO

映画『マンハッタン』(1979年)でダイアン・キートンの相手役を演じた。

COLLECTION CHRISTOPHEL/AFLO

 奇妙なことや、普段語られないこと、さらに私たちの外側の人格と内面の心情のギャップーーこれらは、早熟でちょっぴり反抗心に満ちていたアッパー・イーストサイドの子どもだったショーンが当時から今にいたるまでずっと関心を寄せ続けているトピックだ。彼が13歳だった頃、友人と一緒に劇作家ユージン・オニールの『夜への長い旅路』(1956年)の米国初上演の舞台をヘレン・ヘイズ劇場に観に行った。オニールが晩年に書いたこの戯曲は、彼の作品の中でも自叙伝に最も近い内容で、秘密を抱えた家族の痛みが描かれる。秘密のせいで彼らの将来は、なんとか耐えられはするが悲惨なものという見通しだ。世間的に成功している父の陰で、ふたりの息子が葛藤するが、実は父も深い失望を抱えている、という物語である。

 1956年当時、ショーンは自分が将来、劇作家兼俳優になるとは思っていなかったが、この劇が彼の心の中の扉を開けた。まるで船舶の丸い窓から宇宙全体を見渡すように、真実が公に赤裸々に語られ、目の前で人々が生きていると感じたのだ。「紛れもない真実がそこにあるという感覚に興奮した」と彼は私に言う。「そのときから僕の人生が変わった。それは今でも変わらず胸の中にある。『これが真実だ。ほかのことはみんな噓だ。本当はこうだったんだ』と感じたよ」

 ショーンは自分の両親にこの劇を観るべきだと伝え、彼らは劇場に観に行った――そして終演後、ショーンは両親に、劇中の家族は自分たちと似た状況にあると指摘した。「母は『坊や、どういう意味? 私はヤク中なんかじゃない!』と言った」と彼は記憶をたどる。「でも実際のところ、我が家にも秘密があったんだ」。彼がこう言ったとき、私たちはリンカーン・センターの近くのレストランの奥の席に座っており、ショーンは自らのプライバシーを守るため、この店の名前を記事に書かないでほしいと私に頼んだ。「僕は秘密の内容は知らなかった」と彼は続けた。「知るはずがない。でも、子どもって直感でわかるんだよ。自分の中では『これは自分の家族のことだ』という確信があった。母は笑っていたけど、父は無言だった。彼はわかったんだ。そりゃそうだよね! 父は『ウォーレスは何か気づいてるぞ』って悟ったんだ」(2記事目に続く)

※カタカナの人名表記は、編集部の判断により日本で広く使われている表記を使用しています。

ザ・ニューヨーカーの素顔 一覧

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.