BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY TAMEKI OSHIRO

宝塚歌劇団の雪組トップスターとして一世を風靡し、退団後も日本のミュージカル界の最前線を走り続けている望海風斗。近年の彼女の足跡を振り返ると、そこには常に“巨大な運命”の影があった。歴史の激流に立ち向かう王妃イザボー、そして芸術にすべてを捧げた稀代のソプラノ歌手マリア・カラス。壮絶な人生を背負ったヒロイン像は、まさに望海風斗という表現者の真骨頂とも言えた。しかし、次なるステージとして彼女が選んだのは、等身大の女性たちの狂騒曲だった。
それがヴェネツィア国際映画祭で脚本賞に輝いたペドロ・アルモドバル監督の名作映画を原作とした、日本初上演のミュージカル『神経衰弱ぎりぎりの女たち』。1980年代のマドリードを舞台に、男に振り回され、人生の岐路に立たされた女性たちが巻き起こすノンストップの人間ドラマだ。望海がこの作品に初めて触れたのは、原作である映画だったという。
望海風斗(以下望海):すごく大人な作品だな、というのが第一印象でした。何かが分かりやすくハッピーエンドで終わるとか、すべての問題が綺麗に解決して幕が閉じるわけではない。それなのに、観終わった後にどこかすっきりとした心地よさが残る。さまざまなバックグラウンドを持つ女性たちが、それぞれの欲望や感情に正直に描かれているところがとても面白いなと感じました。映画はその時代の空気や、公開された当時の時代背景が強く反映される良さがあります。一方でミュージカルは、その“今”という瞬間を生きている人間が、目の前で演じるものです。時代設定自体は映画と同じ1980年代のマドリードですが、現代に生きる私たちが肉体を通して演じることで、どこか今を生きる人々の心にも繋がるような、生々しい感覚が生まれる。映画のスクリーンから飛び出すことで、観客の皆さんにより身近に、リアルな存在として感じてもらえるのではないかと思っています。登場する女性たちは皆、それぞれに等身大の葛藤や生活の悩みを抱えています。本当にありがちな、誰もが人生のどこかで直面するような身近でシリアスな悩みです。


限界の先で抗うエネルギー
タイトルにある「神経衰弱ぎりぎり」という、一見するとネガティブで痛々しい極限状態。それをどう表現していくのだろうか。
望海:神経が衰弱して、もうぎりぎりになって、弱り果てている状態を指しているのではないと思うんです。むしろ、その限界の淵に立たされながらも、どうにかしてそこから抜け出そうと、必死に抗っている状態。その瞬間に生まれる爆発的なエネルギーこそが、この作品の真髄ではないでしょうか。日本の情緒のように、悲劇を一度内側に溜め込んで嘆くようなワンクッションが彼らにはありません。何かが起きたとき、その感情がダイレクトに外へと向かう。それこそ、常に自分が沸騰寸前の状態でないと追いつかないほどのエネルギーが必要なんです。大切なのは、その瞬間、その瞬間に役として湧き上がる感情を嘘偽りなく感じること。頭では考え過ぎないことが大事なのではないでしょうか。こうあるべきという“暗黙のマナー”はあると思いますが、本作はそういうものではない、演者同士が綺麗に予定調和で噛み合ってしまうと、この作品の本当の面白さは逃げてしまうんです。誰も相手の話をまともに聞いていないような、よくある友人同士のテンポのいい会話(笑)。それぞれが自分の感情の赴くままに突っ走っているのに、なぜか会話が進んでいってしまう。その絶妙なアンバランスさを成立させるためには、爆発的な、その瞬間のエネルギーがものすごく必要になります。みんなで緻密に計算して積み重ねるお芝居も当然不可欠ですが、それ以上に、その場でぽぽぽぽっと自然発火するような、その瞬間に生まれる役それぞれの感情の火花が散っていなければならない。だから、稽古場にいるときは常に自分が沸騰寸前の状態でいる。落ち着いて静観している暇なんて、一瞬もありません。私自身は、役の感情に私生活まで引きずられるタイプではないと思っています。むしろ、これだけ感情の振れ幅が大きい役の方が、演じていて圧倒的に楽しい。舞台上で思い切り感情を発散することで、自分の中のストレスも一緒に発散できているような気がします。
本作において、望海は“演じる”という行為を「自分を消すことではなく、自分を使うこと」だと捉えている。作り込まれた嘘の仮面を被るのではなく、自分という人間の肉体と経験をすべて使い、目の前で嘘のない火花を散らす。それこそが、映画から舞台という生の世界へ移ることで立ち上がる、唯一無二のリアリティなのだ。


音楽がもたらすアンバランスな魔法
ミュージカルという形式において、音楽は時に言葉以上に雄弁に物語を語る。しかし今作における音楽の役割は、単に感情を美しく増幅させることだけにとどまらない。
望海:今回も音楽には本当に助けられています。物語の中で起きる出来事が、とにかく急なんです。急に男に振られたり、急に事件が起きたり(笑)。言ってみればたった2日間の、ごく身の回りの出来事なのですが、そこにドラマチックな音楽がつくことで、状況がよりおかしく、大げさに引き立てられているなと感じます。本人たちはその場でいたって真剣に、本当にいい歌を歌っているのですが、とにかく状況がおかしい(笑)。いい歌だな、と思いながらもどこかアンバランスで面白い、そんなミュージカルならではの仕掛けを、客席の皆さんにも一緒に楽しんでいただけるのではないかと思います。
この緻密な計算と遊び心に満ちた世界を一から共に立ち上げるのが、演出の上田一豪だ。俳優の感情の流れを丁寧に汲み取る確かな視線に加え、劇中の音楽や効果音への細やかなこだわりを持つ上田に、望海は深い信頼を寄せている。
望海:一豪さんは、感情の積み重ねを大切にしてくださる一方で、全体のイメージを確かなこだわりを持って作っていかれるので、すごく安心して身を委ねられる演出家さんです。今回の稽古場で改めて発見したのが、音へのこだわり。声のトーンだけでなく、「ここでこういう音が欲しい」という具体的なビジョンが明確なんです。コメディにおいて、セリフの間の「間」を音が埋めてくれることで、芝居のテンポ感が劇的に生まれ変わる。演じていても、その緻密な音の設計にものすごく助けられています。


芸術が果たすべき誇り
多忙を極める望海だが、本作の稽古に入る前、まとまった休暇を利用して念願だったギリシャへと旅立った。それは、『マスタークラス』でマリア・カラスを演じたことをきっかけに、彼女の故郷の空気に触れてみたいという強い思いから計画した旅だった。
望海:アテネの街を歩くと、まるで奈良のように古代の遺跡が当たり前のようにゴロゴロと転がっているんです。それも完璧な形ではなく、欠けていたり一部しか残っていない状態なのですが、それが本当に綺麗で。何千年も前に、自分と同じようにここで人間が生きて、生活していたんだという実感が地続きのリアルとして迫ってきました。それに比べたら、自分たちが生きている瞬間なんて本当に短いものなんだなと。自分の存在の小ささをポジティブに実感させてもらえて、行って本当によかったと感じています。
マリア・カラスを演じた経験は、これまでの舞台人生における数々の学びや、演出家、先輩、後輩たちから受け取ってきた教えのすべてが自分の肉体に凝縮されているような、特別な重みを持つものだった。セリフの一つ一つが自分自身に深く刺さり、声として発するまでは痛みを伴うほどに向き合ったからこそ、ギリシャの遺跡の前に立った時、マリア・カラスが作中でオペラ歌手を目指す若者たちに語りかけていた「芸術の本質」が改めて鮮烈に蘇ったという。
望海:オペラ『椿姫』がこの世界になくても地球は回り続けていくけれど、芸術というものは人の心を豊かにしてくれるものであり、自分たちがやっていることにはとても大事な意味があるんだよ、と彼女は伝えているんです。その気持ちを持って、自分たちの表現には意味があると言い聞かせて向かっていかないと、せっかくの作品を無駄にしてしまう。困ったときや何かにぶつかったとき、マリア・カラスの残したその言葉たちが、これからの舞台人生においても私の背中を後押ししてくれるだろうと思っています。
俳優は自らの身体を差し出し、自分ではない誰かの人生を生きることで、自らの感性や経験を無限に広げていく。望海風斗という表現者は、マリア・カラスの孤独や、今回のミュージカルで演じるペパの愛すべき狂騒といった実体験を通して、その大いなる旅路を実に誠実な言葉で私たちに手渡してくれた。そして私たち観客もまた、劇場という同じ空間で彼女らと時間を共にし、その沸騰するエネルギーや、心でたゆたう空気感を文字通り“体感”することができる。それこそが、劇場に足を運ぶことの、そして演劇という芸術の持つ何よりの面白さではないだろうか。
完璧ではない人間たちが織りなすドラマの幕が上がる時、客席にはきっと、笑いと混乱の先にある“生きるエネルギー”が湧き起こるだろう。
望海風斗(のぞみ・ふうと)
2003年宝塚歌劇団入団、17年雪組トップスターに就任し、21年4月に退団。主な受賞歴に、第30回読売演劇大賞 優秀女優賞、第48回菊田一夫演劇賞、令和7年度(第76回)文化庁芸術選奨 文部科学大臣新人賞など。第33回読売演劇大賞で「大賞」および「最優秀女優賞」を受賞。「ミュージカル・ベストテン!」女優部門第1位を4年連続(22年〜25年)で獲得するなど、退団後も日本のミュージカル界の最前線で活躍している。
ミュージカル『神経衰弱ぎりぎりの女たち』
原作:ペドロ・アルモドバル(映画「神経衰弱ぎりぎりの女たち」)
脚本:ジェフリー・レーン
音楽/歌詞:デイヴィッド・ヤズベク
翻訳/訳詞/演出:上田一豪
出演:望海風斗 秋山菜津子 和希そら 長井短
溝口琢矢 黒川桃花 遠山裕介 髙嶋政宏 ほか
(東京公演)
2026年6月7日(日)~21日(日) 日本青年館ホール
(福岡公演)
2026年6月26日(金)〜28日(日) 博多座
(大阪公演)
2026年7月2日(木)〜6日(月) SkyシアターMBS
(名古屋公演)
2026年7月10日(金)〜12日(日) 御園座
ヘアメイク:yuto スタイリング:加藤万紀子
ジャケット(ALLSAINTS)・ブラウス(レジーナロマンティコ)・パンツ(ローレンラルフローレン)・イヤリング(アビステ)・靴(MANGO)






