異文化への憧れ、多様性への寛容が「新しい美」を生んだーー。ファッションと美術における東西文化の交流の軌跡とその影響を、横浜美術館で開催中の同展にて、知る。

BY HIROKO NARUSE

画像: ターナー「ドレス」1870年代 KCI蔵 リチャード・ホートン撮影 PHOTOGRAPH BY RICHARD HAUGHTON

ターナー「ドレス」1870年代 KCI蔵 リチャード・ホートン撮影
PHOTOGRAPH BY RICHARD HAUGHTON

 いま横浜美術館で開催中の、「ファッションとアート 麗しき東西交流」展。1859(安政6)年の開港時から1920年代にかけて、横浜を拠点として繰り広げられたファッションと美術における日本と西洋の交流と、その影響を受けて誕生した生活文化の美が、KCI(京都服飾文化研究財団)所蔵のドレスや服飾品を中心に紹介される。

 KCIはパリ・ロンドン・NYをはじめとする世界中の美術館でも展覧会を開催し、内外で高い評価を受けている。パリのオートクチュールを中心とするその収蔵品が約100点も揃う展示は見のがせない。展示構成は、横浜・日本・西洋それぞれに着眼点をおいた3つのパートから成る。第1~3までの各章のポイントを、KCIキュレーターの周防珠実さんにうかがった。

画像: 「椎野正兵衛商店 輸出用室内着」1875(明治8)年頃 KCI蔵(椎野秀聡氏寄贈) 林 雅之撮影 PHOTOGRAPH BY MASAYUKI HAYASHI

「椎野正兵衛商店 輸出用室内着」1875(明治8)年頃 KCI蔵(椎野秀聡氏寄贈) 林 雅之撮影
PHOTOGRAPH BY MASAYUKI HAYASHI

第1章 東西文化の交差点 YOKOHAMA

 19世紀後半に開国した日本に対し、西洋の国々は熱いまなざしを向けた。いっぽう日本は、今まで知らなかった西洋文化に興味津々であったと同時に、外国人に向けて新しい商売を始めるたくましさも持ちあわせていた。その舞台となったのが、横浜だった。

「江戸時代末期に結ばれた日米通商条約によって開港した横浜に、絹を求める外国商人が集まってきて、彼らが絹と共に持ち帰ったきものや美術工芸品が、本国で評判をよんだのです」と周防さん。「そして横浜に、絹糸や絹織物にとどまらず、日本的な刺繍を施した室内着を手作業で製作し、海外に輸出する絹物商が生まれました」海外の消費動向を研究し、人気商品の開発に知恵を絞っていた当時の人々が、今に重なる。

 なかでも椎野正兵衛は、開港の年にいち早く横浜で絹織物を扱い始め、積極的に輸出に乗り出した。「彼が輸出用に上質の羽二重で作った手刺しのキルティングの室内着は、19世紀に横浜から旅立って21世紀に再びこの地に戻ってきたという、特別な物語を秘めた一着です」

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