BY HIROKO NARUSE

(写真左)月岡芳年「風俗三十二相 遊歩がしたさう 明治年間 妻君之風俗」1888(明治21)年 KCI蔵
(写真右)ウォルト「コート」1910年頃 KCI蔵 操上和美撮影
(FROM LEFT)COURTESY OF YOKOHAMA ART MUSEUM, PHOTOGRAPH BY KAZUMI KURIGAMI
第2章 日本 洋装の受容と広がり
このパートでは、日本人が西洋の文化をどのようにとり入れていったかが、年代を追って紹介されている。「日本の洋装化は、官主導で始まりました。その象徴となったのは、明治天皇と昭憲皇太后。会場には、皇太后がお召しになった、日本製の大礼服(マントー・ド・クール)も展示されています」
周防さんは、貴族の装いだけでなく、一般の女性たちに洋装がどのように浸透していたか、という点にも着目していると語る。「当時の絵画や風俗画から、女性たちが思い思いに洋のエスプリを自分の装いにとり入れていたことがわかります。ハイカラさんたちは、きものに洋風の髪型や靴をあわせたり、きものと洋服を重ね着したりと、新しい着こなしを考えて楽しんでいたようです」そこには、現代女性にも通じるおしゃれ感覚が感じられる。
第3章 西洋 ジャポニスムの流行
西洋における日本ブーム、すなわちジャポニスムのきっかけとなったのは、19世紀後半のパリやロンドンで開催された万国博覧会だった。「西洋ではまず最初に、テキスタイルとしてのきものが注目されました。この展覧会のメインビジュアルになっているターナーのドレスは、日本から輸出された小袖をほどいて仕立て直したものです。こうして日本ならではの、自然に対する愛のこもった繊細な表現が脚光をあび、フランス・リヨンのような絹織物の産地で、日本の文様をとりいれたテキスタイルが作られました」
日本的な視点を持った図柄の流行は、やがてきものの形への注目に変わっていく。「20世紀の初め、パリのモードはきもののゆとりに目を向け、きものを着たときのかたちを服に落とし込むことを考えつきました。写真のウォルトのコートは、きもの風の打合せで、抜き衣紋とお引きずりを思わせるデザインは、まさに見返り美人。このようにゆったりと着こなす服の誕生は、コルセットからの解放を意味しています」と周防さん。しかしこのドレスは、きもの姿に着想を求めながらも、西欧的な手法で作られたもの。「この段階からさらに進んで、きものの平面性に着目したのがマドレーヌ・ヴィオネです。彼女はバイアス・カットを用いて、直線的・平面的なデザインと同時に、身体の自由な動きを可能にしました。それが現代の衣服の源となったのです」
このように東西の文化が融合した結果、日本のきものによってヨーロッパのファッションからコルセットが姿を消し、身体を束縛しない、現代に通じる衣服が誕生した。その事実を体現するドレスを通して、日本と西洋の文化の交流がもたらした意義を、「ファッションとアート 麗しき東西交流」展は伝えている。文化の違いに根ざした問題が深刻になりつつある今だからこそ、寛容に異文化を受け入れて新たな創造の糧とした、先人たちの心にふれてみたい。
『ファッションとアート 麗しき東西交流』展
場所:横浜美術館
会期:~6月25日(日)木曜休(5月4日(木)は開館、5月8日(月)は休館)
開館時間:10:00~18:00 ※5/17は~20:30まで(入場は閉館30分前まで)
住所:横浜市西区みなとみらい3-4-1
料金:一般1,500円
電話:045(221)0300
公式サイト