プライベートな時間がまだ文字どおりプライベートで、スナップ写真が真の親密さを意味していた、あの頃。メアリー・ラッセルはヨーロッパ上流階級の人々と パーティに興じ、彼らの姿をカメラに収めていた

BY MARIAN MCEVOY, PHOTOGRAPHS BY MARY RUSSEL, TRANSLATED BY ASAHI INTERACTIVE INC.

 60年代半ば、ラッセルはパリのブルボン宮広場に『グラマー』の小さな事務所を開いた。「報酬はほんのわずかだったけれど、何とか前を向いていたわ。黒ずくめの服に完璧な身だしなみ、フランス風のおしゃれな髪型で身を固めてね」

 それから30年間、ラッセルはデヴィッド・ベイリー、ヘルムート・ニュートン、ロード・スノードン、スティーヴン・マイゼルといった有名ファッション写真家の撮影をアレンジし、ヨーロッパ上流社会についての記事を書き続けた。短命に終わったものの『タクシー』という雑誌の編集長も務めた。仕事と同じくらい遊びにも打ち込んだラッセルのお相手には、ベネチア映画祭の創設者で資産家の父を持つイタリアのレーシングチームのオーナー、ジョヴァンニ・ヴォルピ・ディ・ミスラタ伯爵や、ブリジット・バルドーと結婚する前のプレイボーイ王、ギュンター・ザックスがいた。「60~70年代のヨーロッパには、華やかで羽振りのいい独り身の男性がたくさんいた。そのうちの何人かと知り合ったわ」――ラッセルは淡々とした口調でそう語る。

 しかし彼女が本当に夢中になった恋の相手は、パリでの暮らしそのものだった。「私が泳いでいた世界はプライベートで、外からは入り込めない場所だった」と、ラッセルは話す。「マスコミの熱狂もソーシャルメディアもなく、〝差別や偏見のない正しい行動〞という概念もまだ生まれていなかった。誰もがシャンパンを片手に、みだらな生活を送っていたわ。私の知る人はみんな情事から情事へと渡り歩いていた。パリは私たちの手の中にあったの。パリを楽しみ、パリで遊ぶ。私は恋に恋し、暮らしに恋し、自分の仕事やあの時代の自由な空気に恋していた。そして何より、写真を撮ることに夢中だったの。どこへ行くにもカメラと一緒。ほとんど会う人ごとに写真を撮っていたけど、誰からも文句は言われなかったと思うわ」

 メアリー・ラッセルの写真を際立たせるのは、撮影相手とのパーソナルなつながり。そして彼女のカメラの、温かく愛情あふれる視線だ。ラッセルは今、自身の写真や手紙を本にまとめようとしている。「あの素晴らしい時代のスクラップブック」だ。本誌にそれらを公開しながら、彼女は当時を振り返った。

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