BY LINDSAY TALBOT, TRANSLATED BY MAKIKO HARAGA

COURTESY OF BRUNELLO CUCINELLI
「妻のフェデリカと出会ったとき、ふたりともティーンエイジャーだった。私は彼女を振り向かせたい一心で、彼女が乗ったスクールバスを、毎朝スクーターで追いかけた。あの頃、排気ガスをどれほど吸い込んだかわからない。この写真は、イタリア北部に残る古代ローマの神殿を訪れたときのもので、おそらく1973年あたり。彼女が18歳、私が19歳の頃だ。ふたりとも、立ったままでは脱げないようなタイトなベルボトムのデニムを着ていた」

COURTESY OF BRUNELLO CUCINELLI
「私がソロメオに移り住んだとき、村は荒れ果てていた。14世紀につくられた歴史のある村だが、1950年代に入ると、人も仕事も激減した。私は過去30年間、当社の工場はもちろんのこと、劇場やワイナリーなどを建てて、村おこしに励んできた。これらの施設が100年後も200年後も残っていることを願う。この村の四方には美しい田園風景が広がっている。自分はこの村の管理人であるという自負が、多少なりとも私にはあると思える」

COURTESY OF BRUNELLO CUCINELLI
「イタリア料理には力強い風味が最大3つまで必要だといわれる。トマトとモッツァレラにバジルを添えたこのピッツァは、クチネリの社員食堂の調理師が作ったもの。毎日800人分の食事をまかなう食堂では、できるかぎり新鮮な材料を用いるようにしている」