最近のフード・ムーブメントの焦点は地産の食材やオーガニック食品を買うことだが、一方でアメリカのフード・アクティビストたちの間で今までと違った、より深い議論が起きている。それはすべての人に良質の食事をという要求だけでなく、あらゆる人々に食料が行き渡ることを阻止している社会の構造自体を解体しようとする試みだ

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPH BY NYDIA BLAS, SET DESIGN BY BETH PAKRADOONI, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 今、アメリカのフード・アクティビストたちが向き合う食料問題。人種や経済状況に関わらず、すべての人々がよりよい食生活を送るためには何が必要なのか―― 現状を改善しようとする彼らの活動についての後編をお届けする。


 1980年代以来、フード・ムーブメントは、一般大衆に向けて、具体的な行動を呼びかけるのではなく、変革につながらない漠然としたお題目を唱えつづけてきた。たとえば、ファーマーズ・マーケットで健康的なオーガニック野菜や精製されていない商品を買って食べようとか、大企業が介在しない小規模農家の食品を食べようと呼びかけるなどだ。このような戦略は環境にはやさしく、中小の生産者を助けることにはつながったが、それは個人の健康を重視した際の副産物でしかない。たとえば、労働者や地球環境のために、ファストフードを食べないように人々を説得するには、消費者の個人的利益を強調するしかないという感じだ。

つまり、フード・アクティビズムには、個人の消費行動に訴えかけることで持続的な改革を実現させたいと願う側面と、改革のための具体的な行動を打ち出すというもうひとつの側面がある。そしてこのふたつの間には緊張関係が存在するのだ。「個人の購買選択によって物事を変えられると信じるやり方は、市場そのものには疑問を投げかけないという方法だ」と言うのは、67歳のエリック・ホルト=ギメネスだ。彼は農業生態学者で、オークランドを拠点とするシンクタンク「フード・ファースト」の元エグゼクティブ・ディレクターだ。「食の平等を守るため、独占禁止法を勝ち取る闘いに十分な時間や労力を使えたのにもかかわらず、私たちはオーガニック野菜を栽培する小さな農家という、ロマンティックな側面にだけ焦点をあてがちだ」

画像: (左より)ニューヨーク市のアーバン・ジャスティス・センターで露天商プロジェクトを担当するカリーナ・カウフマン=グティエレスとモハメッド・アティア。ブルックリンにあるローランド&アナ・ペレズの野菜スタンドにて。2021年1月15日撮影 SET DESIGNER’S ASSISTANT: HARRY SMITH

(左より)ニューヨーク市のアーバン・ジャスティス・センターで露天商プロジェクトを担当するカリーナ・カウフマン=グティエレスとモハメッド・アティア。ブルックリンにあるローランド&アナ・ペレズの野菜スタンドにて。2021年1月15日撮影
SET DESIGNER’S ASSISTANT: HARRY SMITH

 恐らく、アクティビズムにとって一番難しい課題は、人々の意識を目覚めさせることだろう。ナイジェリア生まれでニューオーリンズ在住の37歳のライター兼シェフのトゥンデ・ウェイは、それを実行しようと決めた。レストランの経営に縛られずに自由でいるために、彼はカウンター形式のフードスタンドを自分でつくり、そこで同じ料理を白人客には30ドルで、黒人客には12ドルで提供している。ニューオーリンズの白人世帯と黒人世帯それぞれの収入の中央値の差分を価格に反映させたのだ。また都市再開発に伴って家賃が上昇し、低所得者層が街の外に押し出されるジェントリフィケーション現象を議題とする教会でのディナーでは、白人客に鶏肉料理を5万ドル(約530万円)で提供し、黒人客には無料で提供した。この試みは、挑発や非現実的なジョークではなく、リアルな結果を引き出す頭脳ゲームにおける戦略だ。このプロジェクトによって「山積する問題を解決できるとはとても思わない」とウェイは言う。彼は逆に、このプロジェクトにすぐに乗り気になるような人々はあまり信用できないと見ている。「変化することがどれだけ大変なことか」を彼は知っているからだ。最も大事なことは「内面に変革を起こすこと」と彼は言う。「自分にとってもそれは言えるんだ」

「人々の権利を保護するには、もっともっと努力する必要がある」と言うのは、ワシントン州にある「コミュニティ・トゥ・コミュニティ・ディベロプメント」のエグゼクティブ・ディレクターで69歳のロザリンダ・ギエンだ。移民農家の娘である彼女は、1960年代の子ども時代、畑で苺を収穫して働いていた。30年後、彼女はワシントン州最大のワイナリーの「シャトー・サン・ミッシェル」でブドウ栽培に携わる労働者たちをまとめて労働組合を立ち上げた。ピケを貼り、株主総会でデモを行った。アクティビストたちが社の株を購入して総会に出席し物議を醸した。運動の中で最も重要だったのは、行動することにより、彼らの主張が世界中に伝わったことだった。運動に賛同したカントリー・ミュージックのアイコンである歌手のウィリー・ネルソンは、同ワイナリー主催のコンサートへの出演を取りやめ、ヨーロッパでは荷役たちが同社の製品が入った木箱の荷揚げを拒絶した。さらに航空会社の客室乗務員たちは同社の銘柄のワインを乗客にふるまうことを拒否した。組合運動の足固めには何年もかかった。ギエンは同社の警備員から脅され、彼女の車のタイヤには穴が開けられ、ガソリンタンクには砂糖がぶちまけられた。だが、最後には労働者たちは組合の団体交渉権によって労使契約を勝ち取った。それは同州の農場労働者にとって初めての快挙だった。

 また、48歳の食料システム学者でテキサス大学オースティン校で教鞭を執るラジ・パテルは、国際的に見ても、アクティビストたちは過去20~30年の間により幅広い意味で「食の主権」の考え方を採用するようになってきたと言う。この言葉は1993年にベルギーで開催されたカンファレンスで設立された農民と農業従事者のネットワーク団体「La Via Campesina」が最初に使ったものだ。「食の主権」とは、単に健康的な食物へのアクセスを確保するというだけの意味ではない。文化的背景を尊重し、生態系を保護し見守り、食の将来を決定づける過程において、基本的な主権を有する、ということだ。

「あなたがオーガニック農法で栽培されたバナナを食べるのは、自分の身体を聖なるもののように扱っているからか、それとも農薬によって一番身体に影響を受けるのは農民だからか?」とパテルは問いかける(実際のところ、オーガニック食品と白人中心主義人種ナショナリズムの間には厄介な歴史が存在している。それは、純潔という言葉と、その土地元来のルーツを持つ関係というロマンティックに理想化された概念に基づき、業務用の農薬や「外来の物質」によって食物が汚されてはいけないという考え方だ。ナチス党員かつ科学者のヴェルナー・コラスは、第二次世界大戦中に「我々の食物をできうる限り自然に保て」というスローガンを提唱した。さらにナチス党は優生学の思想に基づき、強制的な去勢や不妊手術も奨励した。今年の1月の初めに米国議会議事堂に侵入して逮捕された極右暴徒のひとりが、刑務所の中で、病気になりたくないとオーガニック食品を要求したという報道があったのは記憶に新しい)。

 アメリカの南北戦争後の時期は、いわゆる「金ぴか時代」と呼ばれていた。急速に工業化が進み、少数の人間に富が牛耳られていた当時、新規の移民の多くが人種を理由に高賃金の職人の仕事から締め出されていた。そんな彼らは、非常に汚い職場環境で、時には死の危険と隣り合わせの低賃金の仕事を引き受けざるを得なかった。作家のアプトン・シンクレアは、彼の代表作の小説『ジャングル』(1906年)で、家畜の食肉処理場や精肉加工工場の労働環境を描写して大反響を呼んだ。だが彼はすぐに間違った方向で注目を浴びたことに気づいた。読者は労働者の悲惨な運命よりも、自分たちが食べている肉が腐っているかもしれないことに、より恐怖を抱いたのだ。「大衆の心に訴えるつもりが、間違えて大衆の胃袋に訴えてしまった」とのちにシンクレアは書いている。

 だが、現在は、新型コロナウイルスの影響でどの業界でも雇用の先行きが見えず、肉体労働者もオフィスワーカーも、何百万人もが失業している。この状況が人々の考え方に変革をもたらすかもしれない。「こんな事態に至ってしまった原因を探ることなく、問題は何とか回避できるだろうと楽観視する考えは、個人主義と資本主義の精神に深く根ざしている」とナヴィナ・カンナは言う。「実際は、私たち全員が完全にシステムに騙されていたことに、今こそ気づくべきなのに」

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