BY MIKA KITAMURA, PHOTOGRAPHS BY MASANORI AKAO
目の前でマグロ節が削られている。ふわりふわり。うま味をたたえた香りが漂う。削り節をお椀にたっぷり盛り、筍たけのこを炭火で焼いてさっと醬油をまぶし、削り節の中に沈ませる。雑味のないうま味の中で、筍のやさしい甘みがひときわ引き立つ。お造りは液状にした塩をソースのように添えて味のバランスを調えたり、ゆり根を低温で長時間ローストすることで本来の甘みを極限まで引き出し、デザートに仕立てたり。奇をてらってはいないが、今まで出会った日本料理とは何かが違う。素朴で力強いうえに繊細、食べていて楽しい。そんな料理に東京・立川の「オーベルジュ ときと」で出会った。
立川は飛行機の町といわれてきた。1922年に陸軍航空部隊立川飛行場が開設、1929年に民間飛行場として、立川〜大阪間で日本最初の定期航空が運航された。太平洋戦争中はこの飛行場から特攻機が飛び立った。1937年、将校用の宿としてホテル「無門庵」が開業。戦中は特攻隊の最後の晩餐の場となり、戦後は駐留米軍の社交場となった。この歴史ある店はその後、料亭となるが2019年に閉店。新たな物語が始まった。
その歴史を大切に遺し、つないでほしいとの「無門庵」の願いを受け、和のオーベルジュとして生まれ変わることに決まった。総支配人 料理長に任命されたのは大河原謙治だ。大河原は「京都吉兆嵐山本店」での修業時に日本文化への造詣を深め、「京都吉兆洞爺湖店」料理長としてミシュラン二ツ星を、京都の懐石料理店「いと」では料理長就任直後に一ツ星を獲る。その実力はつとに知られていた。ひとりの力よりチーム力が大切と考えた大河原は、「京都吉兆嵐山本店」の大先輩である石井義典に声をかけた。
石井は「京都吉兆嵐山本店」で副料理長を務めてから海外へ。ロンドンの高級懐石料理店「UMU(うむ)」の総料理長のとき、欧州の日本料理店で初めてミシュラン二ツ星に輝く。ロンドンでも石井は食材や器などの設えに妥協せず、本物を追求した。新鮮な魚介類が手に入らないため自ら船に乗り込み、日本の技法「活け締め」を漁師たちに伝授し、納得のいく食材を手に入れた。料理に合う器がないからと作陶にも挑んだ。
そんな石井が約20年ぶりに「オーベルジュ ときと」開業のために帰国。釣りが趣味の石井は、ヨーロッパでも海を見てきた。「日本は寒流と暖流がぶつかり合う海を擁しています。これ自体がミラクルで、世界有数の豊かな海となっている。イワシひとつとっても、日本のものは脂がのってどこよりもおいしい。そして古来、日本人は山海の恵みを余すところなくいただいてきた。この食への向き合い方を大切に守りたい」「オーベルジュ ときと」開業準備中に根室で出会った雑魚の「カジカ」。船に揚がっても売れないからとほぼ廃棄されていた。石井はこれを燻製にして「カジカ節」に仕立てた。雑魚でだし?と筆者は驚いたが、お椀をいただいたら味わい深く、だしとして十分な品格が見事に備わっていた。
今では作り手も使い手も減ってきているマグロ節を見直し、料理の主役に据えている。独自の視点で食材に向き合い、余分な手を加えず、ストレートにその風味を引き出す。さらに、日本料理の技を駆使して繊細な料理に仕立てている。その味の多彩さに次世代の日本料理の姿が垣間見える。
「日本料理は世界的に人気が出てきたものの汎用性が低い。私たちは世界のどこにいても、質の高い日本料理が作れるようにしたい。土台となるだしは、昆布とカツオ節を揃えてもヨーロッパの水では日本と同じようにはひけません。ならば、その土地に合っただしを使えばいい。カジカ節を作ったのは世界で応用できると考えたから」
世界のどこでもその土地に合う形で日本料理が親しまれてほしいーー。ここは、日本料理の神髄を究めつつ、そのための技を磨き、考えを構築する実践の場でもある。未来の日本料理の姿を立川から世界へ発信していくのだ。
彼らにはやりたいことがもうひとつある。「世界に日本料理を広めるために、優れた料理人を育成し、送り出していくのも目標です」。スタッフはサービス担当も含め、ほぼ全員が料理人だという。「若者がここで学び、世界へ飛び立ってほしい。でも、何かあればいつでもここに戻っておいでと伝えるつもりです。戻る場所があれば、安心して頑張れるでしょう?」
オーベルジュ ときと
住所: 東京都立川市錦町1の24の26
TEL: 042-525-8888
公式サイトはこちらから
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