私たち人類は、両手を使って食物をつかんで食べることで、何を得られるのか?興味深い食文化考察をお届けする

BY LIGAYA MISHAN, PHOTOGRAPH BY KYOKO HAMADA, SET DESIGN BY SUZY KIM, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: この記事に合わせてT マガジンはふたりのアーティストに依頼し、素手で食べる代表的な世界各地の料理のミニチュアを制作してもらった。左下から時計回りに、インドの卵カレー、ベジタブルカレー、ジャレビ(南アジアの小麦を使った揚げ菓子)、クミンの香りがきいたジーラライス、赤レンズ豆の料理、左ページの写真のものとは異なるダイングナ・バンガス(魚をマリネにした料理)、インドのフラットブレッドの玉ねぎと唐辛子添え。

この記事に合わせてT マガジンはふたりのアーティストに依頼し、素手で食べる代表的な世界各地の料理のミニチュアを制作してもらった。左下から時計回りに、インドの卵カレー、ベジタブルカレー、ジャレビ(南アジアの小麦を使った揚げ菓子)、クミンの香りがきいたジーラライス、赤レンズ豆の料理、左ページの写真のものとは異なるダイングナ・バンガス(魚をマリネにした料理)、インドのフラットブレッドの玉ねぎと唐辛子添え。

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 ロシア西部では2万3,000年~2万2,000年前のマンモスの骨で作られたスプーンが発見されている。中国では「zhu」(チュー、もしくはジュー)、そしてのちに「kuaizi」(クゥアイズ)という言葉で呼ばれるようになった箸が紀元前5,000年にはすでに使われていた。

 だが、歴史学者たちはこれらの太古の食器具が具体的にどう使われたのかを推測することしかできない。あらゆる場面で使われていたのか、それとも個人が食べるのに使うのではなく、調理用だったのか、など。ナイフはもともとは武器として使われていた。1927年に行われたアンティーク食器の蒐集品の調査で、イギリス人キュレーターのC.T.P.ベイリーは、中世の時代ですら、食卓で使う専用のナイフを所有していたのは貴族階級だけだったと述べており、「一般庶民は、当時、男性も着用していたガードルやコルセットの中にナイフを忍ばせて、あらゆる場面で使用していた。食べ物を切り分けるときも、敵の喉を掻き切るときも」と記している。17世紀のフランスでは、ルイ14世が先端がとがったナイフの一切を禁止した。それは恐らく「食事中の暗殺を避けるためだった」とベイリーは考察している。紀元前4世紀頃の中国では、人々は手づかみから、次第にスプーンや箸を使うことに移行し始めていた(当時のスプーンは短剣のような形をしていた)。中国系アメリカ人歴史学者のQ・エドワード・ワンは著書『箸はすごい』(2015年)の中で、スプーンへの移行の理由として、北部の寒冷地に住む人々は、ゆでた温かい料理や熱いスープ料理を好んだからではないかと書いている。

 ヨーロッパではスープにはスプーンを用い、切ったり刺したりするのにはナイフを使っていたが、それ以外のときは依然として手づかみだった。フォークが使われ出したのはかなりあとだ。紀元前8世紀に書かれた古代ギリシャの叙情詩『イーリアス』では、「先端が五つに分かれたフォーク」が、生け贄として捧げられた動物を丸焼きにするために配備されている描写が出てくる。だが、これらはもっぱら対象物を刺すために使われた巨大な道具だった。現代のイランではもっと小ぶりの5インチ(約13センチ)ほどの長さの銅製の道具が発掘された。波のような形をした先端が二つに分かれている、紀元6~7世紀頃のものだ。これは、当時のペルシャ人がものを食べる際に道具として使っていたという証拠になるかもしれない。

 11世紀には、イタリア人のベネディクト会の修道士が、ベネチア共和国の元首ドージェに嫁いだコンスタンティノープル生まれの女性が、フォークを使って食事をするという退廃的な習慣を西洋にもたらしたと非難する文章を記している。「彼女は手で食べ物に触れなかった」とその修道士は書き、憤り、彼女が伝染病によって死んだ際には「常軌を逸した美食」に溺れた人物の末路としてふさわしいと指摘した。神に仕える者にとって、フォークを使うという行為は、異教徒の危険きわまりない人工的な行動であり、自然への裏切りだったのだ。何世紀もの間、ヨーロッパではフォークは怪しげな道具であり、貴族たちの気取ったアクセサリーだった。17世紀の時点でも、ルイ14世は、ヴェルサイユの豪華な宮殿の中で、金の皿の上にのった料理を自分の指でつかんで食べることにこだわっていたと伝えられている。

 私たちはその歴史がどんな結末に終わったかをすでに知っている。人々がカトラリーを使うことへの抵抗を諦めたのは、やはり便利だからだ。衛生のためにカトラリーを使ったわけではない。そもそも当時、衛生の概念はまだほとんど理解されていなかったのだ。12世紀から13世紀初頭に活躍した、医師であり哲学者だったユダヤ人のマイモニデスは、スペインのアンダルシアで生まれ、生涯のほとんどを北アフリカで過ごした。彼は医療の現場での伝染を防ぐため、手を洗うように人々に啓蒙したが、細菌が病気を引き起こすという考え方が登場する19世紀になるまで、手洗いは一般的な行為にはならなかった(伝染という切り口で語るなら、当時、カトラリーに関して、一風変わった面白い考えがちまたに広まっていた。イギリス人歴史家のエマニュエル・グリーンは1886年にサマセット考古学自然史協会に提出した論文の中で、マレー半島出身のある男性が、イギリス式のテーブルセッティングに抵抗感を示して語った言葉を皮肉たっぷりに紹介している。「このフォークについて私が知っていることは一体何か? このフォークを今まで何百人という人間が、いや、それ以上の数の人々が使い、口に入れてきたということだ――もしかしたら、自分の宿敵の口にも入っていたかもしれないのだ」と)。

 そんな抵抗を受けつつも、カトラリーが広く普及したのは、やはりナイフやフォークを使うと単純に食べやすいからというのが一因だったのではないか。イタリア人歴史家のマッシモ・モンタナーリは著書『A Short History of SpaghettiWith Tomato Sauce(スパゲッティとトマトソースの短い歴史)』(2019年)の中で、イタリア人たちがいち早くフォークを使い始めたのは、フォークの先端がパスタをくるくると巻きつけるのにちょうどよかったからだと記述している(9世紀頃からシチリア島を支配していたアラブ人たちによって、フォークはイタリア南部に伝えられた)。

 同じような理由で、紀元1世紀頃の中国ではスプーンにかわって箸が圧倒的に普及し始めた。それは、小麦を原料とする餃子や麵類などの料理が人気を得ていった時期とちょうど重なっていたと前出のワンは書いている。またワンは、中国人にとって道具を使ってものを食べる行為は「文化的に優位」であることを意味したと記している。それは西洋でも同じで、ナイフやフォークはほかの物資と同様に外国からの輸入品であり、当初は資金力のある知識層のみが手にすることができ、ステイタスを示すものとなった。当然、ナイフやフォークなどの道具には、それを使うときのルールも付随してくる。前出のモンタナーリは、著書『MedievalTastes: Food, Cooking, and the Table(中世の味:食べ物と料理とテーブル)』(2015年)の中で、テーブルマナーの本質を「他者との違いを明確に示すために改まった規則を打ち立て、選ばれた権力者だけが、そのルールを駆使することで、外部の人間が入り込めない安全地帯のフェンスを自らの周りに形成する」(訳者訳)と書いている。ヒエラルキーを設定し、それを押しつけるために、またひとつ新たな方法が生まれたわけだ。ヨーロッパ人たちは剣や銃とともにナイフやフォークを携帯し、世界征服をめざして各地に遠征した。この新技術と、その技術がもたらすだろう進歩に抵抗した文化圏の人間は、ヨーロッパ人たちがつくり出す帝国にも抵抗した。

 イタリア人たちはヨーロッパの中でいち早くフォークを使っていたが、南部のナポリに住む一部の住民たちは1900年代の初期まで、手づかみでパスタを食べていた。その証拠に、白黒写真には通りに佇む人々が写っており、彼らが握りしめている拳の間からパスタが紐のように垂れ下がっている。観光客たちはそんな彼らの姿を見てはやし立てた(この場合、もしかしたら手づかみでパスタを食べる行為が、すでに過去の遺物となっていたのにもかかわらず、観光客たちを楽しませるためだけに、住民たちがその習慣を再現して見せていた可能性もあるが、そのあたりは定かではない)。

 イタリア人フード・デザイナーのジュリア・ソルダティは、このナポリの伝統に敬意を示すために、2016年にオランダのデザイン・アカデミー・アイントホーフェンで「Mangiamaccheroni」という観客参加型のパフォーマンスを行なった(註:Mangiaはイタリア語で食べるの意、Maccheroniはマカロニの意)。細い横長のテーブルの前に参加者が並んで立ち、椅子はない。テーブルの上にはトマトソースと和えたスパゲッティが絡まったまま、ひとつの塊としてどんと置かれている。参加者たちは、それぞれ自分の指にスパゲッティを巻きつけていく。ソルダティの別のパフォーマンスでは、彼女が参加者の身体の上にじかに料理をのせていく。ブッラータと呼ばれるフレッシュチーズや、つぶしたトマトを手首の内側に塗りつけ、コイル状に巻かれたスパゲッティを手のひらにのせ、にんにくパウダーや唐辛子を指先全体にふりかける。

 このパフォーマンスは、既存のエチケットや型にはまった行動に縛られることを拒否する挑発なのかもしれないし、または、単純に触覚の重要さを再確認する行動なのかもしれない。ナイフやフォークという媒介がない場合、私たちは身体で直接あらゆる感覚を受け止める。指に通っている神経の先が刺激され、感覚が拡張し、味覚の感度が上がる。

 イタリア人の詩人で「未来派」を提唱したフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティは、著書『The Futurist Cookbook(フューチャリスト・クックブック)』(1932年)にこんなレシピを載せている。右手でオリーブをつかんで食べ、次にキンカンと細く切ったフェンネルを右手で口に運びながら、同時に左手は絹やベルベットの端切れや紙やすりをなでる――。こうすることで、ナイフとフォークを食卓から完全に排除するという提案だ。

 こんな食べ方はちょっと生々しすぎるかもしれない。そして、もしかしたら、食べるという行為の本質をベールで覆い隠すために、テーブルマナーが必要なのかもしれない。フランス人の文学批評家で思想家のロラン・バルトは著書『表徴の帝国』(1970年)で、箸を次のように絶賛している。「私たちが使っているナイフとは正反対だ(刺すという野蛮な機能でナイフの代替品になり得るフォークと比べても箸は正反対)。箸は並行にして使う道具で、切ったり、突き刺したり、傷つけたりすることを拒否する」(訳者訳)。バルトは箸を使うと食体験がまったく違うものになると論じた。切り刻むという暴力的な行為や、食べ物を獲物のように征服する行為から人間を解放してくれ、食べ物は「調和を保ったまま口に運ばれていく」と記述している。いや、ちょっと待ってほしい。本当にそんな美しい調和が生まれるのだろうか? 確かに、私たちの顎は進化の過程で短くなり、弱体化し、私たちの歯は鋭さを失ったが、それでもまだ破壊の道具として存在しつづけている。私たちの内なる狼は、まだ死んではいない。

 結局のところ、カトラリーとは、食べる側と料理の間を隔てるだけでなく、食べる主体である人間と人間の本質の間を引き裂く支配のシステムなのだろうか? 中世を専門とするイタリア人歴史家のダニエラ・ロマグノリは「ふさわしいテーブルマナーの歴史は、偶発的な行動と、おおっぴらな身体性の表現の両方が次第にそぎ落とされることで形成されてきた」と書いている。歴史家のモンタナーリは著書『中世の味』の中で、この現象を「囲い込みのプロセス」と呼んだ。確かに、あらゆる歴史がこの言葉で総括できてしまう。周囲にいくつもの柵を立て――土地や領土や時空を囲い込み、作業のために閉め出す。そのあげく、私たちは自分自身をも柵の中に囲い込み、飼い慣らされた穏やかな存在へと変容していく。動物としての本能は、注意深く身体の中に囲い込んでいるつもりだが、それも、もうほんの少ししか残っていない。

HAND MODEL: AVISHA TEWANI AT PARTS MODELS. MANICURIST: MEGUMI YAMAMOTO FOR SUSAN PRICE NYC. PHOTO ASSISTANT: SARAH GARDNER. SET ASSISTANT: MAJA SECEROV. MINIATURE FOOD MODEL MAKERS: MATT WALLIS OF ETSY.COM/SHOP/FOODBUTSMALL, AGNIKA BANERJEE OF ETSY.COM/SHOP/AGNIKACREATIONS

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