BY HISAE HIGUCHI
舞台上で人形遣いに命を吹き込まれる人形が、楽屋や舞台袖でどのような息遣いで出番を待っているのか、我々には垣間見ることができない。化粧をほどこされた首(かしら)、美しく結い上げられた鬘、衣裳を着付けられた胴が一体となる瞬間、艶やかな遊女や威厳に満ちた武将が静かに鼓動を打ち始める。人形たちは、物語の時間の流れから切り離されている間にも、確かに「役」を演じている。それゆえに、ある種、脈絡なく「本」の中に並べられると、舞台上のそれとはまた別の様相で「役の性根」を色濃く放ち始める。
「人形を遣っていながら、時折、人形に遣われているような感覚をおぼえる」と語る簑紫郎。意志ある「生」としての存在感を放つ人形たち。人形遣い自らが写真に閉じ込めたのはまさにこうした濃密な空気を纏った人形の姿だった。公演の間のわずかな期間、役を与えられて生きる人形と、束の間の人生、ペルソナを被りながら何かに操られているように生きる我々との間に、一体どれほどの違いがあるのだろうか。そんな思いが去来する。
写真集『INHERIT』に収録された人形たちは、それぞれが登場する物語の住人でありながら、物語世界とは別次元で切り取られた一瞬の「生」を謳歌しているように見える。それは、他でもなく簑紫郎がファインダー越しに捉えた人形が、人形遣いから切り離された姿であったからであり、また同時に、ただ切り離されているのではなく、役の性根を知り尽くした人形遣いの眼差しで見出された姿であったからでもある。
大学在学中、演劇を専門に学んでいた三浦は、当時から伝統芸能に触れる機会が多かったという。その後、小説家となり文楽を題材にした小説『仏果を得ず』や、体当たりで文楽を取材したエッセイ『あやつられ文楽鑑賞』を執筆。文楽ファンのみならず、文楽に馴染みのない人々へ向けた入門書としても広く愛読されている。
長年にわたり人形を操り、時に人形に操られるように文楽の世界を生きて来た簑紫郎が、物語の登場人物を見事に操る三浦に、どのように解体されるのか。とりわけ文楽は、人間が演じるのではなく人形を遣って演じるということにおいて、操り・操られる両者のせめぎ合いをひときわ強調した演劇であるといえよう。そういう意味では、小説においてもまた同様に、「語り手」と「登場人物」の間に起こる操り・操られる駆け引きの中に、針の穴ほどの精度が要求される「表現者」としての創造性が秘められている。
文楽と文学、そして写真。表現者として操り・操られる両氏の心境がどのように交錯するのか、それぞれのフィールドの舞台裏が明かされる貴重な対話の機会となることは間違いないだろう。
トークの中盤には、写真集『INHERIT』のカバー写真に採用された幽玄な佇まいの‟稲荷明神”(「小鍛冶」)が登場。簑紫郎による人形解説も行われる。劇場とは一味も二味も違った空間で迫力ある人形の姿をぜひ目撃してもらいたい。会場となるファッションの殿堂DSMGは、今年開店10年目を迎えた。様々なアーティストが集結した熱気を帯びた会場を、束の間「文楽人形」がジャックする催しはDSMGの遊び心そのものであると言って良いだろう。
ドーバー ストリート マーケット ギンザ 10th Anniversary Talk Event
日時:2022年10月29日(土)
16:00〜18:00
会場:ドーバー ストリート マーケット ギンザ 7F ローズベーカリー
住所:東京都中央区銀座 6-9-5
入場無料