BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

中庭に多彩な色の世界を宿す《ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ》
《SEE》ゲルハルト・リヒターの鼓動を感じる時空
「Richiter Raum(リヒター・ラウム)」

展示室「Raum 2」にて。反射ガラスを絶妙な傾斜で並べた作品《8枚のガラス》越しに、リヒターが撮影したモノクロームの写真作品が幻想的な空間を作り出す
人生には突然、何の脈略もなく“さぁ、存分に理解してください”と言わんばかりの作品との出合いがある。ドイツの現代アートの巨匠、ゲルハルト・リヒターが90歳を迎えた2022年。日本で16年ぶりとなった個展で、そんなふうにリヒターの作品と向き合ったのは、私だけではないはずだ。油彩画や写真、デジタルプリントからガラスや鏡まで、多岐にわたる技法を用いて具象と抽象を行き交う表現に、確かな輪郭を掴みきれない感動を味わった。
そんな記憶の引き出しを再び開けてみたいと訪れたのが、軽井沢に誕生したアートスペース「Richiter Raum(リヒター・ラウム)」だ。ドイツ語で“リヒターの空間”という名称を冠したこの場所は、部屋の構成や窓のデザイン、書斎のインテリアに至るまで、リヒターのアトリエの一部をほぼ忠実に再現。ケルンの森・ハーンヴァルトを彷彿とさせる樹々に包まれ、静謐な空間に佇むことができる。

街道沿いからエントランスへと伸びる小径は、リヒターのアトリエと自宅を繋ぐ情景を再現

展示室「Raum 2」の奥に垣間見える「Raum 3」は、リヒターの書斎空間を再現
リヒターへの並々ならぬリスペクトに裏付けられたスペースを手がけるのは、「Wako Works of Art(ワコウ・ワークス・オブ・アート)」である。代表の和光 清氏がリヒターの作品と出会ったのは1991年11月のこと。ロンドンの「TATE GALLERY」(現・テート美術館)で開催された回顧展にて、一堂に介したリヒターの作品群に息を呑み、日本でも作品を紹介したいと心に刻む。
帰国後すぐに、それまで仕事をしていた画廊を辞め自らのギャラリーを立ち上げる。その上で現代美術評論家の市原研太郎氏にリヒターの評論集を依頼、1993年1月にリヒターの展覧会を開催し、アトリエにコンタクトを取り始めた。
初めてリヒター本人と会うことができたのは、その8カ月後のニューヨークでの個展会場だった。パリから始まり、ボンやマドリードの美術館を巡る1993年の大回顧展のオープンの少し前のことだ。この巡回展を機にリヒターの名は世界のアートシーンを席巻するため、他国のギャラリーに一歩先んじて、和光氏は特別な存在感を示すことができたのかもしれないという。

1991年にロンドンの「TATE GALLERY」で開催された回顧展のポスター。額装され「Raum 1」から「Raum 4」へ続く廊下に飾られている

リヒターが自宅のダイニングに飾っていた作品を特別に展示
そうした運命の出合いから30余年。幾度となくケルンのアトリエへ足を運び、巨匠との信頼関係を築いてきた。あるときから、和光氏は訪れる度に歩数で距離を測り、自らの体感で設計図を構築。リヒターの協力を得ながら、2023年7月に「Richiter Raum」はお披露目の日を迎えた。ドイツの空間の気配を可能な限り感じられるように、エクステリアのシンボルツリーをはじめ、窓枠のパーツや色に至るまで忠実に再現。非公開ではあるが、書斎スペースとなる「Raum 3」では壁を彩る作品や置かれている書籍、家具から、デスクに置かれた蛍光ペンまで、同じアイテムを探し求めて構成。人目に触れないディテールにも、微に入り細に入り思いを寄せている。

「Richiter Raum」の建築に合わせて、リヒターに依頼した作品《ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ》

中庭に設えた特等席。時間帯によって表情が移ろう《ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ》を心ゆくまで鑑賞できる
「Richiter Raum」は、空間の魅力もさることながら、展示される作品のキュレーションも格別だ。約半年おきの企画展では「Wako Works of Art」所有のコレクションをはじめ、日本初公開となる作品、かつてはリヒターの自宅のダイニングに飾られていた作品なども公開。さらに、ここ軽井沢のために制作され、中庭をヴィヴィッドに彩る《ストリップ・スカルプチャー・カルイザワ》も見応えがある。上から見ると十字型をなす高さ5mの立体の壁は、リヒターの代表作のひとつであるシリーズ《ストリップ》をアルミニウム板に直接プリント。その上からガラスを重ねているため、8パターンの重層的な色の世界に森の樹々が映り込み、時間帯や四季折々によって豊かな表情が立ち現れる。リヒターがかつてインタビューで語った“イメージが環境となり、それ自体が建築となること”という情景が、この場に充溢しているようだった。近寄ったり遠のいたり、さまざまな角度から作品を見つめていると、ただ、この時間を共有して生きていることへの、静かな共感と感謝が胸に宿った。

オーナーの和光 清氏と共に企画・運営を行う妻の環さん。六本木にも現代アートを扱うギャラリーをもつ
「Richiter Raum(リヒター・ラウム)」
住所:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢1323-1475
公式サイトはこちら
《BUY》五感を開く、暮らしのカタチ
「SAMNICON (サムニコン)」

人間の目線の高さではなく、あえて足もとに配した店名
座辺師友(ざへんしゆう)──自分をとりまく環境は皆が先生である友となるという意味を表す言葉である。2023年の新緑の季節にオープンを迎えた「SAMNICON」を訪れ、デザイナーの宇南山加子さんと話をしながらジワジワと実感した言葉である。宇南山さんにとって“先生”とは、この森そのもの。パートナーで家具デザイナーの松岡智之氏とともに、自然エネルギーを循環させる暮らしをここ御代田で実践。地球の未来を見つめながら、日々の暮らしの一瞬一瞬を慈しむ、オリジナルのインテリア小物を手掛けている。

緩やかな斜面を利用した丘の上に立つギャラリーショップと、奥は住まいの空間

東京の蔵前にて、ライフスタイル・プロダクトのブランド「SyuRo(シュロ)」を営む、デザイナーの宇南山加子さん
訪れた季節は、夏の名残に色濃く染まる9月の初旬。天井の高い吹き抜けの空間では、冷房を使用せず風の抜け道を作るように窓が開け放たれている。けっして涼しいとは言えないが、それほど暑さも感じない。キンキンに冷えた空間になれきった身体が、正常な呼吸へと導かれるようである。美しい家具もさることながら、まずは空間の心地よさが気になって仕方がない。ギャラリーと住まいをつなぐエクステリアで、宇南山さん手製のコーラで喉を潤しながら、この森に根を宿すまでのストーリーに耳を傾けた。
「きっかけは息子と毎年訪れていた北海道でのこと。家中に銅管を張り巡らせ、日々の食事から出るゴミを燃やした熱を暖房へと利用している仕組みを知り、エネルギーを生み出す心地よい家づくりを考えるようになりました」。森の中に佇む理想の家を思い描き、ここ御代田に土地を求めたのは2019年のこと。大型の重機で一気に森を開墾するのではなく、苗木が無理なく自然と枝葉を広げるように、可能な限り自分たちの手を使い、必要以上には木を切らず森を開いていった。また、屋根に溜めた雨水を循環させるために敷地内に川を造作し、敷き詰めた火山岩を通して水を濾過。さらにバイオジオフィルターを通して、栄養のある水を貯めて生活に再利用している。電力はもちろん太陽光エネルギー。「次の世代の暮らし方を考えた先に、自然のエネルギーを恵として用いる設計へと辿り着きました」と語る。

敷地の勾配を利用して手掛けた小川には、クレソンやワサビが育つ。食材になるだけでなく、水をきれいにする役割も担うとか

宇南山さんのデザインをはじめ、その審美眼でセレクトした器とともに。さりげなくも、暮らしの止まり木になるような形に惹かれる
そんな暮らしの中から生まれるものは、デザインと日常の豊かな関係の延長線上にある。その根底には「手を使って人を和ませたい」という、宇南山さんのフィロソフィーが息づく。たとえば一見すると奇を衒ったように見えるアボカドのような形の器は彫刻家・大村大悟氏の作で、両手で持つとすっぽりと掌に収まる。自らデザインするものはもちろん、セレクトするアイテムにおいても、使うことで慈しみが増すデザインに心を寄せる。都市の暮らしで鈍った感性をこじ開け、底に沈んだものを拾い上げるためには、森から享受される自然の輝きが必要なのかもしれない──研ぎ澄まされたプロダクトを見つめながら、そう感じた。この場に渡る風や光を一片の記憶として、一緒に持ち帰ってほしい。

ギャラリーショップには、松岡氏の家具を中心に配置。キャビネットやサイドボードの引き出しを開けると、宇南山さんのプロダクトがそっと収められている
「SAMNICON (サムニコン)」
住所:長野県北佐久郡御代田町塩野482-10
電話:050-1288-9340
公式サイトはこちら

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。
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