鳥取県西部、伯耆(ほうき)富士とも呼ばれる大山の山懐に佇む宿「森のスープ屋の夜」へ。それは、空想の世界のような森で過ごした“ひと夜”の私的トリップだった。豊かな風土に彩られた日本に存在する独自の地方カルチャー=ローカルトレジャーを、“手仕事案内人”クリエイティブ・ディレクターの樺澤貴子が探す旅。web人気連載の番外編としてお届けする。

BY TAKAKO KABASAWA

画像: 窓辺を愛らしく灯す、野の花や木の実。森の優しい息吹が、其処此処に

窓辺を愛らしく灯す、野の花や木の実。森の優しい息吹が、其処此処に

「森のスープ屋の夜〜お手当のための宿」
森の精気と滋味を心と身体に満たす宿

画像: 大地の健やかさが凝縮した野菜は、生命力に溢れるスープへと生まれ変わる

大地の健やかさが凝縮した野菜は、生命力に溢れるスープへと生まれ変わる

 ひょんな出逢いは、昨秋へと遡る。銀座の老舗画材店「月光荘」のギャラリーにて、鳥取県は大山の森からやって来たという女性の個展が開かれていた。こじんまりした無機質な空間に飾られていたのは、聖なる森の断片を映したような美しい情景だった。しばらく作品の世界を逍遥したのち、振る舞われたのは、自家製のクロモジ茶だった。身体の隅々まで清らかさが届くお茶の美味しさに、この女性が暮らす森への好奇心がグッと高まる。よくよく聞けば、伯耆富士で名高い大山の中腹で、一日一組限定の「森のスープ屋の夜〜お手当のための宿」を営んでいるという。教えられたInstagramを日々眺め、幻想的な森の宿に思いを馳せること2カ月半。旅人魂に火が灯り、冬至を目前に控えた週末に羽田を発った。

画像: 絵を創作しながら宿を営むかずぅさん(藤川和恵さん)。リネンのワンピースにターバンを巻いた、どこかノスタルジックなスタイルが印象的

絵を創作しながら宿を営むかずぅさん(藤川和恵さん)。リネンのワンピースにターバンを巻いた、どこかノスタルジックなスタイルが印象的

画像: “スープ屋のマスター”であり、森の管理人でもあるパートナーの藤川知也さん

“スープ屋のマスター”であり、森の管理人でもあるパートナーの藤川知也さん

画像: 寒さがます冬は暖炉の炎もご馳走となる

寒さがます冬は暖炉の炎もご馳走となる

 宿の前身は2016年に始まった「森のスープ屋」。折々の季節に生命力が高まる土地の野菜だけを20種類以上、屋外に設えた窯に薪をくべ、直火でコトコト煮つめること約半日。個々の原形を留めないほど優しく溶け合ったスープは、瞬く間に評判を呼び、目まぐるしい毎日が続く。「心が温かくなるものを届けたい、その一心でスープを作っていたはずが、次第に運動会のようにスープ作りに追われるようになった」と、かずぅさんは当時を振り返る。何のために街から離れ森に住まうのか――その原点に立ち返るために、かずぅさんとマスターは潔く“スープ屋”を閉じた。ささやかな離れを建て増し、週末だけの一日一組限定の宿へとシフト。屋号を「森のスープ屋の夜」に改め、再出発を迎えたのは2019年の秋のこと。何でもない森の時間と目には見えない闇夜を舞台に、人々に愛されたスープをご馳走に据えて、旅人の心を手当てする宿として幕開けた。

画像: 満月の日にクロモジの枝葉を摘み、旅人を迎える前日の夕暮れから大鍋で煮出すという、濃厚なクロモジの薬草湯

満月の日にクロモジの枝葉を摘み、旅人を迎える前日の夕暮れから大鍋で煮出すという、濃厚なクロモジの薬草湯

画像: 旅人のために建て増した「森の休憩室」。薪ストーブを主役にしたリビングの上には、ロフトタイプの寝床が設られている

旅人のために建て増した「森の休憩室」。薪ストーブを主役にしたリビングの上には、ロフトタイプの寝床が設られている

 ここでの時間は、“森の時間割”に添って流れる。15時のチェックイン後、まずは敷地内を案内。薬効のある枝葉やハーブを保管する「森のお薬箱」、手仕事の器などを扱う「小さなお店」、翌朝のメディテーションルームとなる「草屋根の教会」など、あたかも絵本の世界を巡るよう。ダイニング棟「森のスープ屋」に戻ると、温かなクロモジ茶にほっと一息つく。香り高く透明感のあるお茶の風味に、初めて銀座で振る舞われた時の感動が蘇る。そして、夜の帳が降り始めるマジックアワーには、早々とバスタイムを迎え、都心から纏ってきた“浮世の衣”に別れを告げる。

画像: “夜”を愛でる最小限の灯りのもとで夕食がはじまる

“夜”を愛でる最小限の灯りのもとで夕食がはじまる

画像: 雪を迎えたら電灯に頼らず、キャンドルと雪灯りで

雪を迎えたら電灯に頼らず、キャンドルと雪灯りで

 待ちかねた夕食は、「夜のお手当スープ」と称したコース仕立て。メニューに綴られた言葉は料理名でも素材の名前でもない。森のひとしずく、ようこそ山の夜へ、赤い記憶、森のお手当スープ、甘いひみつ――。一編の詩を食すように、余韻を感じながら一皿一皿と向き合う。メインとなるスープは、時間をかけて煮込んだミネストローネのようなベースに、グリル野菜がドラマティックな変化をもたらす。野菜の奥に秘めた声を聴いたかと思えば、スパイシーなグリル野菜が変化に富んだリズムを刻む。これまでに体験したことのない不思議なスープであった。

画像: “長い夜”を過ごすロフトの寝床は、どこか教会のよう。新月を迎えていたこの日は、夜空を埋め尽くす星がパヴェダイヤモンドのように輝いていた

“長い夜”を過ごすロフトの寝床は、どこか教会のよう。新月を迎えていたこの日は、夜空を埋め尽くす星がパヴェダイヤモンドのように輝いていた

 出発の朝のお手当メニューは、スムージーから始まる。メインはもちろんスープだ。ベースは野菜に玄米クリームを合わせたもの。エディブルフラワーや豆乳クリームを用い、その人に合わせたイメージがスープに描かれている。名脇役となるのは、古代スペルト小麦を鉄鍋で揚げ焼きしたパンケーキ。ほどよく溶けたバターと添えられたレモンの酸味も絶妙だ。美味しい記憶に満たされながら、森での時間を振り返る。ふと気づいたのは、この空間はかずぅさんとマスターの日常の空間であるということだ。森を慈しみながら、自分に嘘のない誠実な毎日を、淡々と重ねている。この“嘘のない毎日”を続けることこそが、ふたりが森に住まう礎だと知り、我が暮らしを振り返る。

 慌ただしい生活に戻った今でも、ふとした時に森の気配を思い出す。その瞬間、心に灯る温かな光を束ね続けたら、5年後、10年後には、どんな変化が起こるのだろう。優しく瞬くブーケを思い描きながら、一日一日を送っている。

画像: 「クロモジの養生エッセンス」と題したスムージー。コクのある甘味の奥からクロモジが香る

「クロモジの養生エッセンス」と題したスムージー。コクのある甘味の奥からクロモジが香る

画像: 朝のお手当スープは、彩りも鮮やか

朝のお手当スープは、彩りも鮮やか

画像: 雪に覆われた2月は、どの建物も粉砂糖をまとったように美しい PHOTOGRAPHS: COURTESY OF SOUP-YA-NO-YORU

雪に覆われた2月は、どの建物も粉砂糖をまとったように美しい

PHOTOGRAPHS: COURTESY OF SOUP-YA-NO-YORU

住所:鳥取県西伯郡伯耆町真野649-19
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画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

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