エントランスには時代を変えた一着、「バー」スーツ。

1947年「ニュールック」と称されたコレクションから、今のモードが始まった

 言うまでもないことだが、モードの世界の中心はパリである。

モードの専門家でなくとも、多少なりともファッションに興味を持ち、流行を意識しているならば、たとえそれがティーンエイジャーの女子であれ、「パリ・コレ」と聞けばなんのことかわかる。日本では「パリ・コレ」と略称で呼ばれている、モード界最大のフェスティバル、パリのファッションウィーク。レディース、メンズのプレタポルテ、オートクチュールの他にも、プレコレクション、クルーズとジャンルを分けて毎年開催され、流行の発信源となっている。ファッションウィークはニューヨーク、ロンドン、ミラノ、東京などでも開催されているが、なんといってもパリ。パリを抜きにしてモードの地球は回らないのである。


 実は私は、常々この事実を不思議に思っていた。というのも、私は主に20世紀の戦前/戦後のモダン・アート、コンテンポラリー・アートとその周辺を専門としてキュレーターを務めた経験をもとにアート小説を書き続けている。だから、「世界経済の中心地が文化の中心地となる」という歴史的事実を知っているつもりである。たとえば、19世紀末から20世紀初頭にかけて、世界中からアーティストたちがパリを目指して集まってきたのは、まぎれもなくパリこそが世界の富が集中する場所だったからだ。しかし、第二次世界大戦が終結してからは、美術市場の軸足はアメリカへ、ニューヨークへと移された。21世紀となったいま、それはアジアへと移りつつある。にもかかわらず、現代文化の重要な一端を担っているモード界の地軸は、やはりパリにある。そしてきっとこのさきも動かない─という事実。なぜだろう。現代のカルチャー・シーンにおいて、アートも音楽も演劇も文学も、もはやパリがその中心であると言い切るのは難しいだろうに、モードだけ例外なのには、どのような理由があるのだろうか? その答えらしきものを、私はついに見いだした。パリ装飾芸術美術館で開催中の『クリスチャン・ディオール、夢のクチュリエ』展で。


 夏のバカンスシーズンを目前に控えた7月下旬、私はパリの装飾芸術美術館のエントランスに立っていた。ファッションと装飾デザインに特化したコレクションと企画展でその名を知られるこの名門美術館が、初めての試みで全館延べ3000m²を使い、今年創業70周年となる<ディオール>とその創設者――<ムッシュ ディオール>と呼ばれる伝説のデザイナー、クリスチャン・ディオールの全貌を展観する企画展を開催している。何やらとてつもない展覧会だと、始まるまえから評判は聞こえていたのだが、その人気は相当なもので、休日には入場制限が出るほどであるという。それほどまでに評判となっている展覧会には、見どころがいくつも用意されているらしい。ディオール社のアーカイブと世界各国の美術館から本展のために集められたオリジナル・ピースの数々はもちろんのこと、クリスチャン・ディオールという稀代のデザイナーを創った「人」と「物」と「事」をつまびらかにし、鮮烈なデビューのからくりを解き明かす。つまり、クリスチャン・ディオールはいかにして<ムッシュ ディオール>になったか、そのプロセスと背景を見せているのだ。さらには、ディオールのDNAがどのように後続のアーティスティックディレクターたちに引き継がれていったか。ディオールの歴代のディレクターたちはいずれ劣らぬ個性的なデザイナーばかりである。彼らが<ディオール>の名の下にどんなふうに輝きを増し、またどんなふうにその輝きをクリエイションに昇華させていったのか、興味は尽きない。私は前のめりで会場に足を踏み入れた。