ストリート・スナップの写真家として愛されたビル・カニンガム。その昔、彼は魅惑的かつこのうえなくキテレツな帽子を作るデザイナーだった。近日出版予定の彼の回顧録には、 彼の知られざる姿が描かれている

BY THESSALY LA FORCE, PHOTOGRAPHS BY BILL CUNNINGHAM, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

 1948年、ビル・カニンガムはボストンの中流階級の何不自由ない暮らしと、将来を約束されたハーバード大学奨学生(彼は、授業中は「牢獄の中にいるようだった」と記している)の立場を捨て、チャンスを求めてNYへやってきた。当時19歳、棒のように細かった彼は、高級百貨店のボンウィット・テラーで見習いとして働き始め、やがて宣伝部門に職を得た。彼はこう回想している、「私のNYライフはまるで、夜空に輝く流れ星のようだった」と。

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ビルがデザインした遊び心にあふれるビーチハットより、魚の形をしたもの
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 ビルを有名にしたのは、『ニューヨーク・タイムズ』紙で彼が担当したコラム、「オン・ザ・ストリート」と「イヴニング・アワーズ」だ。連載開始は公式には1989年だが、ビルは70年代末から2016年に87歳で亡くなるまで『タイムズ』紙でファッションの記事を担当した。「オン・ザ・ストリート」は、人々がたとえば仕事へ、ランチへ、精神科医へ出向くときなど、どんな着こなしをしているかをルポするもので、彼は年がら年じゅう、獲物を探しに街へ出ていった。「イヴニング・アワーズ」は社交界日誌のようなもので、名門の一家や一族に敬意をもってスポットライトを当てるもの。そういった人々の主催するタキシード姿のチャリティ活動はトルーマン・カポーティの時代が過ぎ去ってもなお、NYではノスタルジックな輝きを放っていたのだ。

ふたつのコラムは、ビルの観察眼のもとに融合していく。大理石の大階段を降りる女性のフォーマルなロングドレスのサッシュベルト。雪解け水でぬかるんだ道に踏みだすコート姿の女性の、なだらかな肩のライン。マンハッタンの周辺では、自転車に乗った彼の姿がよく目撃された。作業員の着る青いブルゾンとチノパン姿で、いつでも写真が撮れるようカメラを首にかけて。

 だが、ほかのデザイナーが作った服のルポをするようになる前は、ビル自身がデザイナーだった。NYに来た最初の年、彼は婦人の帽子のブランドを立ち上げた。その名は「ウィリアム・J」(Jは彼のミドルネーム、ジョンの頭文字だ)。マンハッタンに住む社交界のおしゃれな女性に向けて、夢のような帽子を作ろうとしたのだ。それはささやかな成功を収めたーー可能な限りの成功というべきかもしれないが。数年後、ビルは朝鮮戦争に出征することになり、その間、帽子のビジネスは中断せざるを得なかった。こういった話が、ペンギン・プレスより出版される回顧録『Fashion Climbing(ファッション・クライミング)』に記されている。これは、彼がひそかにしたためていたもので、同じコピーが2部、遺品の中で誰かに発見されるのを待っていた。たいていのジャーナリストと違って注目されることにあまり関心のなかった彼ではあるが、人生の最後には自らの言葉で語ることを決意したのだろうか。

 

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