ストリート・スナップの写真家として愛されたビル・カニンガム。その昔、彼は魅惑的かつこのうえなくキテレツな帽子を作るデザイナーだった。近日出版予定の彼の回顧録には、 彼の知られざる姿が描かれている

BY THESSALY LA FORCE, PHOTOGRAPHS BY BILL CUNNINGHAM, TRANSLATED BY CHIHARU ITAGAKI

ビルはいつも、ファッション業界を外から覗き見している人のように振る舞った。実際には業界内部の人間だったが、部外者のままでいることを好んだのだ。距離感を保つことで、彼は公平さを維持した。その公平さは、誰にもまねのできない清廉潔白な印象を与えるものだった。

彼がしぶしぶ撮影に応じたドキュメンタリー映画『ビル・カニンガム&ニューヨーク』(’11)は彼の暮らしぶりを映したもので、われわれはカメラの後ろにいる彼自身について多くを知った。彼が住んでいたカーネギーホールの最上階のスタジオルームは、驚くほど質素で風変わりだった(スチールキャビネットがいびつに並び、針金ハンガーがかけられ、牛乳瓶を入れるプラスチックケースの上にマットレスが敷かれていた)。だが、そこは心安らぐ孤独に満ちた、魂の安息所だった。彼の真の生活は、家の外、ストリートにこそあったのだから。彼を特別な存在たらしめたのは、その途切れることのない好奇心であり、すべてを見たいという願望だった。冬のある日に街を彩る紫色のコート、ある晩に催されるパーティで誰かが着るエメラルドグリーンのドレス。そのすべてを見たいという願いだ。

画像: ビルがデザインした遊び心にあふれるビーチハットより。ウィリアム・Jのタコ型ハットに関しては、ビルは「誰もがひどく怖がった」と書き記している ほかの写真を見る

ビルがデザインした遊び心にあふれるビーチハットより。ウィリアム・Jのタコ型ハットに関しては、ビルは「誰もがひどく怖がった」と書き記している
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 アートのいちばんの鑑賞者は、実はアーティスト自身であったりする。婦人帽子の店を営むのは、骨の折れる仕事だった。ビルには、自分のために使えるお金がなかった(彼の家族は、ファッション業界で働くのは恥ずべきことだと考えていたので、ビルはそのプライドゆえに援助を求めなかった)。彼の風変わりな帽子は、大手の業者に簡単にまねされたりもした。帽子デザイナーとしての最初の4年間に、彼の言葉によれば不渡りを出して「7つの銀行から見捨てられた」。大新聞社の安定した仕事の口は、頼りになったのだろう。また、彼はレンズの後ろ側にいることにも安心感を覚えたのではないだろうか。

 筆者はかつて、ビルに声をかけたことがある。当時私は20代前半で、キラキラしたパーティドレスを着て、友人とアメリカ自然史博物館の前に立っていた。友人は私のことを失礼だと恥ずかしがったが、私は単に、憧れの人を見つけた興奮が抑えきれなかっただけだ。ビルは自転車のロックをはずしているところだった。彼は私を無視した(あくまで礼儀正しく、とつけ加えておきたい)。なぜ彼がそうしたのか、今なら理解できる。彼はきっと、自分でも自分自身の存在を無視していたのだろうと私は思う。

無名の存在でいることにかけて、彼は名人だった。それは彼の優れた能力のひとつだった。たとえ彼自身が、NYの歩く観光名所であり、青い服を着たこの街の“ウォーリー”のような存在であったとしてもだ。彼は何より、その粘り強さによって人々の記憶に残る存在なのだと思う。その人の着こなしの魅力が伝わるように撮ろうとすること、自分のおしゃれを見てほしいと思っている人を探し出すこと、そういったことにかけての粘り強さだ。でも今や幸いなことに、彼が自分自身のことをどう思っていたかについて、私たちはもう少し詳しく知ることができるのだ。

 

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