ドロシア・ラングは、時代の波にさらされても決して色褪せることがない20世紀のイメージを創造したひとりだ。また、彼女は現代のフォトジャーナリストという概念もつくり出した。アーティストであり、記者であり、被写体に共感する魂と、あらゆるものをつぶさに捉える観察眼を備えた者として

BY ALICE GREGORY, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 ラングは、1963年にテイラーとともに世界中を旅して初めて、自分のことをアーティストだと心から思えるようになったと言った。その旅に出るまでの数年間、彼女は『ライフ』誌でフリーランスの写真家として働いており、自分の作品は報道ジャーナリズムに近いと考えていた。だが、知っている人が誰ひとりいない、言葉もわからない場所を人力車やバイクに乗って旅するうちに、彼女のビジョンの繊細な部分が自分でも際立ってはっきりと感じられるようになっていった。このときすでに、彼女は食道がんに苦しんでおり、げっそりと痩せてしまい、洋服を安全ピンで留めなければずり落ちてしまうほどだった。

 旅から戻ると彼女はMoMAで開催される自身の回顧展のために、数十年にわたって撮りためた作品の整理を始めた。写真に沿う文を考え、もし運がよければ何段落かの文章を書こうと思っていた。当時、ラングは柔らかい食べ物だけを食べ、外出はほとんどしなかった。だが、彼女はカメラを首から下げて「健康のため」に家や家族の写真を撮り続けた。彼女の息子は、回顧展のキュレーターに、母は自分の訪問を待つためだけに命をつないでいるようなものだと書き綴っている。彼は母が自身の回顧展の初日を生きて迎えられる確率は半々だと予想した。

 MoMAは、それ以来ラングの大がかりな写真展を開くことはなかったが、数カ月間のリノベーションを経て昨年の秋に再オープンしたとき、数々の根本的な優先順位の見直しを行った。そのひとつが、これまでほかの美術館から借りてきた作品に注いできた情熱と専門知識を、常設展にも注ぎ込むということだった。キュレーターのサラ・マイスターが手掛ける『Dorothea Lange: Words & Pictures(ドロシア・ラングの言葉と写真)』展は、その精神に基づいた企画だ。この展覧会にはおよそ100点の写真が出展されている。展示はほぼ時系列に沿っているが、写真の力は文字によってより強化される、というラングの信念を受け継ぎ、ギャラリーの中には読書コーナーが設けられている。来場者が壁に書かれたテキストを苦労して読むかわりに、本に書かれたテキストをゆっくり読む体験ができるようにした。

 ラングのキャリアは2020年の今、どのように受け止められるだろうか。彼女のキャリアは、最初から普通とは違っていたことは確かだ。男性ばかりの業界において、女性写真家のスター的存在であったことも明らかだ。さらにその作品は米連邦政府によって経済的に支えられ、同時に当時のアート界からも称賛された。彼女はこの国の歴史の中で最悪のときの証拠を記録しつづけた。大恐慌時代に病気や饑餓で苦しみながら国内を移動した集団出稼ぎ、日系人を強制収容した無慈悲な愚行と人種隔離政策という倫理の崩壊(1941年に彼女が南部で撮影した黒人農夫の写真は、リチャード・ライトが書いた『12 Million Black Voices』という本の中に、彼の文章とともに掲載されている)。だが、彼女のキャリアの本質は、過酷で、多くの場合無視されてきた人びとの生活の片隅をじっと見つめることで、諦めない底力や、尊厳、逆境の中を生き残る力が、人間の姿を通して具現化されているのを見いだすことにある。彼女の遺産はアートとジャーナリズムというふたつの分野を融合したことだ。このふたつは、まったく異なる限界と倫理をもつがゆえに、それぞれが最高の状態に達したとき、今でもまだ世界を変える力を有している。

 彼女が撮影した写真が人びとの生きざまを雄弁に語る一方で、彼女自身のことを語る材料はごくわずかしかない。大恐慌時代にアメリカ西部の廃虛を旅したときの彼女を写したピンボケした写真が数枚残っているだけだ。しかも、彼女が担いでいるカメラが大きすぎて、小柄な彼女の身体が隠れてしまいほとんど見えない。たぶん彼女の最高のポートレートは、1964年に撮影された、傷と雑音だらけのごく短い白黒映像フィルムだろう。その中で彼女は、ニューメキシコ先住民の、美しく配列されたプエブロ式住居を自分で撮影したそのネガについて語っている。写真には住居の横にゴミが少々散乱している様子も写っている。

「ある種の訓練を受けた人間は、決してこのふたつのゴミの缶をどかしたりしない。でもこれらをどかしてからでないと写真を撮れない人間もいる」と彼女は言う。ちょっとの間沈黙した。そして低い声で「ここに写っているみすぼらしい小さい缶だけど」とつぶやいてため息をつき、こう結論づけた。「つまり、そこにあるものだから」。ラングは彼女の周囲の世界の欠点を必ずしも受け入れるわけではなかったが、そこから目をそらすこともなかった。

 

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