「パピーズ・パピーズ」の名で知られたアーティスト、ジェイド・クリキ=オリヴォ。創作活動を始めた頃、謎めいたベールに包まれ、また孤独だったという彼女は、コミュニティの仲間に支えられながら、ようやくありのままの自分に出会えた

BY JAMESON FITZPATRICK, PORTRAIT BY MELODY MELAMED, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 こうして生まれる彼女の作品は、政治的な強いメッセージをはらむだけでなく、ありのままの真実をストレートに語る。その姿勢を象徴するのが、ニューヨークのクィア・ソーツ・ギャラリーで催された最新の展覧会『大統領令9066号(慰霊塔)』だ。第二次世界大戦中に約12万人の日系アメリカ人と日本人移民が強制収容されたという史実をテーマに、彼女はアメリカ国旗の灰を入れた骨つぼなどを展示した。

 また、作品だけでなく、アーティストとしての存在を際立たせているのは、彼女が手にした“意見表明の場”を利用して「平等が存在しないなら作り出そう」とする強烈な熱意だ。この希望をかなえることは、ニューヨークの非白人のトランスジェンダーを支えるコミュニティを築くうえで、切実に求められる使命でもある。「私たちのネットワークには、素晴らしく、美しく、優れた、信じられないような才能をもつトランスジェンダーのアーティストや創造的な人たちがたくさんいます。もっと注目を浴びてもいいと思うんですが、世間の関心はなかなか集まらなくて」と彼女は話す。自らの名声を利用して周囲の人にチャンスを与えたいと願う彼女は、今後展覧会の依頼があれば、ほかのアーティストの作品を披露する機会にしたいと考えている。「みんなのために、面倒ないくつものステップを省いてあげられたらと思って。世間は手を差し伸べてくれないので、自分たちでトランスジェンダー・ファミリーを高みに導いていく必要があるんです」

「パピーズ・パピーズ」の名前の由来を尋ねると、かつて彼女に、消えてしまいたい願望があったことを明かしてくれた。昔の知り合いがFacebookのすべての投稿を削除して、全面を猫の写真で埋め尽くしたあと姿を消したらしく、これに着想を得て、彼女はアカウントの姓と名の両方を「パピーズ(子犬たち)」にして、小犬の写真だけのコンテンツに変えたそうだ。

「姿を消すことに憧れていた」と言う彼女は、1975年、小型ヨットで大西洋の横断中に遭難した、オランダのコンセプチュアル・アーティスト、バス・ヤン・アデルについても触れた。そもそもクリキ=オリヴォにとって「パピーズ・パピーズ」という分身は、自分にそぐわない名前と生き方から逃避するための脱出口だった。「自分自身と共鳴できなくて、アイデンティティを消し去ったんです。ところが脳腫瘍を患って、もう人生の終わりかと思った途端、できる限り自分の考えを表明したくなって。確かに『パピーズ・パピーズ』は苦悩から生まれたものですが、そこには、私の頭の中から生まれる美しいものを人々に見てもらいたいという願いも込められているんです」。しかしクリキ=オリヴォは性別移行を進めるうちに、匿名で活動するという選択を見直すべきだと気づいた。「性別移行前に姿を隠すことと、トランスウーマンになってから姿を隠すことは、まったく意味が違います。トランスウーマンに身を隠すように強いているのは社会なんです」

 ほかの人たちに表現の場を与えたいと願っている彼女は、当然ながら今、自分が手がけている作品や今後の展望についてはあまり話したがらなかった。代わりに、2020年6月から毎週木曜夜に行われている「ストーンウォール・プロテスツ」に参加していることを、かなり熱っぽく語ってくれた。この定期デモは大抵の場合、グリニッチビレッジにあるバー「ストーンウォール・イン」(註:1969年にLGBTQの人々がここで初めて警官と衝突し、LGBTQの権利獲得運動の契機になった)前からスタートするらしい。ブラック・トランスウーマンの、ジョエラ・リヴェラとクイーン・ジーンが組織するこのストーンウォール・プロテスツは、定期的にデモを行う団体であり、共同体でもある。グループのインスタグラム(@thestonewallprotests)で最初に投稿されたのは以下の宣言文だ。「私たちは、この国のブラックコミュニティにおけるクィアとトランスジェンダーの認知度を高め、差別撤廃のために戦う活動家から成るコミュニティです。ブラックコミュニティに貢献し、医療、教育、住宅、警備など国内のあらゆる面で蔓延している制度的人種差別をなくすためにここにいるのです」。このコミュニティは、多様なレギュラーメンバーに呼びかけて抗議デモを組織しているほか、食料や衣料品の定期的な寄付活動も行なっている。

 クリキ=オリヴォは今、アートパフォーマンスに取って代わり、「ストーンウォール・プロテスツ」に最大のエネルギーを注いでいる。このコミュニティの重要な役割は、メンバーが直面する構造的、また個人的な暴力から解き放たれ、喜びを感じ、自己表現のできる場を提供すること。そしてなくてはならないのがダンスだ。「このコミュニティは『とりわけブラックのトランスやクィアにとっての癒やしのスペース』だとクイーンは言っています。ちなみにデモは、ダンスパーティみたいなムードなんですよ。もともとダンスパーティの文化は、ブラック・アンド・ブラウンのトランスやクィアの人々に由来するものですから。全面封鎖した通りがまるでダンスフロアみたいになるんです」

 昨秋からクリキ=オリヴォは、OnlyFans(註:定額課金制のソーシャルメディアで性的なコンテンツが多い)を始め、撮影した動画を「@mosstransgirl」の名で配信している(アートとしてできることは「ある程度まで」だと言う彼女は、対面でのセックスワークにも携わっている)。セクシュアリティについてオンラインで学んだ彼女にとって、OnlyFansはその“複雑な過程”を受け入れ、自分との関わり方を変えるための手がかりになっているという。また動画を投稿することは「テキサスで育ち、キリスト教徒として洗脳された」彼女がもつセックスに対する羞恥心を取り払うための踏み台になっているそうだ。

 続いて、昨年始めたというパブリックパフォーマンスについての話も聞かせてくれた。セックスワークの収入で買った「鎧」を身につけて、ニューヨークを歩きまわるという内容で、すでに何度か行なったらしい。きっかけは1976年制定の“浮浪を禁止する法令”が今年2月に廃止されたこと(ニューヨークでは“トランスジェンダーの歩行を禁止する法令”と呼ばれ、強く批判されてきた)。この法令は非白人のトランスウーマンを不当に標的とし、逮捕するために濫用されているとして、反対派が撤廃を求めて長年圧力をかけつづけていた。「実際に、金属の鎧をまとって身を守らなければって気分になることが、今でもときどきあるんです」。クリキ=オリヴォは、アートの既定の範疇を超えたパフォーマンスを演じることに喜びを感じ、「自分が好きで、実現したいことをやってみることで、もたらされるパワー」を取り戻した。彼女はこの作品を、トランスジェンダーの姉妹兄弟へ、特にトランスウーマンたちに捧げている。「アーティストになろうと思ったのは、自分の声を届けたかったから」。そう切り出した彼女の目は、再び涙で潤んでいた。

「たとえ話すのが怖くても、誰かに聞いてもらっていると感じることはとても大切です。どんな人にとっても、自分の話に耳を傾けてもらっている、大切にしてもらえていると感じ、愛されていると感じることは、何ものにも代えがたい大事なことなんです。ほかの人にもこういう愛を感じてほしい。これが究極の願いです。私たちは少なくともその方向を目ざしていく必要があると思うんです」

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