「パピーズ・パピーズ」の名で知られたアーティスト、ジェイド・クリキ=オリヴォ。創作活動を始めた頃、謎めいたベールに包まれ、また孤独だったという彼女は、コミュニティの仲間に支えられながら、ようやくありのままの自分に出会えた

BY JAMESON FITZPATRICK, PORTRAIT BY MELODY MELAMED, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

 ブルックリン・クラウンハイツにあるアパートメントの吹き抜け階段に、ジェイド・クリキ=オリヴォが現れたとき、約束の時間からすでに30分以上がすぎていた。私は彼女の姿を見るまで、本当に会えるのかどうかとどこか心もとない気分でいた。2010年から「パピーズ・パピーズ(Puppies Puppies)」の名で創作活動をしてきた彼女とはインタビューの日程を決めること自体が難しかったので、玄関前の階段で待ちながら、この“雲隠れ”も彼女のパフォーマンスの一部なのではないかと思ったりもした。それらしき姿があるかどうかと通りを見渡したとき、そばにはスポーツ用のフルボディスーツを着て、技を駆使した縄跳びをしている人がひとりと、UPSの配達員がふたりいた。もしや過去のパフォーマンスと同様に、彼女がコスチューム姿で、はたまた馬に乗って通りに現れるのではないかと、私はなかば期待し始めてもいた。

 現在32歳の彼女は、従来のコンセプチュアル・アーティストと同様に、本名を伏せて「パピーズ・パピーズ(〔子犬たち・子犬たち〕の意味、以下、略してパピーズ)」とだけ名乗ったこともあり、トリックスター(註:神話などに登場するいたずら者)的な存在として注目を浴びるようになった。こんなふうに仮面の下にアイデンティティを隠すことは、巧みなマーケティング戦略とも、コンテンポラリーアート界が執拗にこだわる「プロフィール紹介」への拒絶とも受けとれる(2016年には『アートスペース』で「パピーズとはいったい誰? 何?」という題のインタビュー記事が掲載された)。

確かにプロフィールを紹介しなければ、鑑賞者はアーティストが「ペルソナを通して表現する」作品そのものに向き合うしかない。パピーズのインスタレーションは、レディ・メイド(註:大量生産された既製品をオブジェとして捉えた作品)を喚起させつつ、ときにそれをユーモラスに再文脈化したものだ。その作風は、きわめて個人的な経験をもとにアイロニーあふれる作品を生んだマルセル・デュシャンやフェリックス・ゴンザレス=トレスとたびたび比較される。「ピュレルのオートディスペンサー」はパピーズを象徴するオブジェのひとつだが、これは新型コロナが出現し、手指消毒剤の価値が高まるようになる数年も前から取り入れられてきた(この自動手指消毒機が繰り返しテーマになった理由のひとつは、クリキ=オリヴォの入院体験にある。彼女は2009年に悪性の脳腫瘍と診断され、その翌年に摘出手術を受けている)。

 パピーズのパフォーマンスでは、既製品の着ぐるみが現れるのが定番で、その中にいる人物に誰もが強い関心を示した。大抵の場合は、ひとりのパフォーマー(有償で雇われた役者たちが彼女の代役を務めることもあった)が、子ども向け娯楽作品のキャラクターを演じるという設定である。2015年、メキシコシティの「マテリアル・アートフェア」で見せた作品にはスポンジ・ボブが登場した。続いて同年、デトロイトのホワット・パイプライン・ギャラリーでは、クリキ=オリヴォが自宅で使っている日用品を並べ、映画『怪盗グルー』の黄色いミニオンが、オブジェをひとつひとつ観察した。ときには怪物のような悪役(悪者と誤解されている人物もいる)も出現する。

2015年、クィア・ソーツ・ギャラリーにおけるニューヨーク初の個展では、腰巻をまとったゴラム(註:J・R・R・トールキンの小説『ホビットの冒険』や『指輪物語』の登場人物)が石の台座にしゃがみ込んだ。翌年には、フレディ・クルーガー(註:ホラー映画『エルム街の悪夢』〈1984年〉の登場人物)が、「ハリウッドサイン」をデジタル加工で「The End Is Near」と書き換えた写真を手に、ロサンゼルスのアートフェア内をうろついた。2017年のホイットニー・ビエンナーレでは、ニューヨークで有名な大道芸のひとつである「生きた彫像」風の自由の女神が、美術館の8階にあるテラスで聖火を掲げた。《リバティ(リベルテ)》と題されたこの作品は、現在ホイットニー美術館に永久収蔵されている唯一のパフォーマンスアート作品だ。

画像: 2017年のホイットニー・ビエンナーレの際に、ホイットニー美術館8階で披露されたパフォーマンス《リバティ(リベルテ)》。同美術館に永久収蔵されている PUPPIES PUPPIES (JADE KURIKI-OLIVO), “LIBERTY (LIBERTГ),” 2017, AT THE WHITNEY MUSEUM OF AMERICAN ART. PHOTOGRAPH © PAULA COURT

2017年のホイットニー・ビエンナーレの際に、ホイットニー美術館8階で披露されたパフォーマンス《リバティ(リベルテ)》。同美術館に永久収蔵されている
PUPPIES PUPPIES (JADE KURIKI-OLIVO), “LIBERTY (LIBERTГ),” 2017, AT THE WHITNEY MUSEUM OF AMERICAN ART. PHOTOGRAPH © PAULA COURT

 謎に包まれたパピーズの匿名性がかたくなに保たれていたのは、ある部分、当時のパートナーのおかげでもある。「フォレスト」とだけ名を明かしていたこの人物は、アーティストと一般客の間を取りもつ仲介役を担っていたのだ。ふたりが暮らすロサンゼルスの家には、パピーズに会いたいというファンが押しかけてくることがあったが、「そばにいるがシャワー中」などの理由でクリキ=オリヴォに代わってフォレストが客を出迎え、あらゆる質問に答えていたという。

 だが2017年後半から、パピーズの作品は“私的な個人史”を物語るようになった。クリキ=オリヴォが初めて自らの性別移行について触れたのは、ロサンゼルスのオーヴァードゥイン&コー・ギャラリーにおける《グリーン(ゴースト)》という作品だ。内容はフォレストとともにアパートメントの荷物をギャラリーに移設し、そこで毎晩飼い犬と寝るというもの。こうして日ごとに変化していく展示スペースの様子を公開していたが、ある朝から、彼女は出かける前に毎日服用するエストロゲン剤(淡いブルーの楕円形の錠剤2粒)を壁に貼りつけるようになった。2018年には、自らの「デッドネーム(註:性別移行前の名前)の葬儀」として、展示会場の床に芝生を敷き詰め、名前を刻んだ墓を設置した。この展覧会のプレスリリースに載せた、性別移行前の自分に宛てた詩には、シンプルに「ジェイド」とだけ署名してある。現在は本名を公表しており、普段は「パピーズ・パピーズ」の名前に続けて、カッコ書きした本名のフルネームを添えている。

画像: デトロイト市のホワット・パイプライン・ギャラリーで催された『アンドリュー・D・オリヴォ6.7.1989-6.7.2018』展のインスタレーション PUPPIES PUPPIES (JADE KURIKI-OLIVO), “ANDREW D. OLIVO, 6.7.1989-6.7.2018,” 2018, AT WHAT PIPELINE, COURTESY OF THE ARTIST AND WHAT PIPELINE, DETROIT

デトロイト市のホワット・パイプライン・ギャラリーで催された『アンドリュー・D・オリヴォ6.7.1989-6.7.2018』展のインスタレーション
PUPPIES PUPPIES (JADE KURIKI-OLIVO), “ANDREW D. OLIVO, 6.7.1989-6.7.2018,” 2018, AT WHAT PIPELINE, COURTESY OF THE ARTIST AND WHAT PIPELINE, DETROIT

 インタビュー当日、私が知っていたのは通り名と番地だけで、アパートメントの部屋番号などは聞いていなかった。クリキ=オリヴォに到着したとメッセージを送り、返信を待っていると、黒いレザーのトレンチコートを着たダークヘアの女性がこちらに向かってきた。私は目を細め、マスク姿の人物が写真で見たことのあるクリキ=オリヴォかどうか確かめたが、彼女はクリキ=オリヴォのルームメイトでレン・ライト・パンだと名乗った。アーティスト兼デザイナーだという彼女は、ロビーで待つようにと私を建物の中に入れてくれたが、また数分がすぎていった。今日のインタビューは、彼女の代理人と行うことになるかもしれないと、私は覚悟し始めていた。

 クリキ=オリヴォがようやく現れたとき、アシッドグリーン色の髪がかかった顔には、すまなそうな表情が浮かんでいた。準備に気を取られているうちに時間の感覚がなくなってしまったと言う。だがどうやら彼女はインタビューの場を演出するために、あえて準備を終わらせていなかったようだ。私は彼女がメイクを終えるまで、鏡の中の彼女を見ながら話をすることになった。

 話し始めるとクリキ=オリヴォは驚くほど率直な人だった。これまでパピーズの作品の核となってきた“独特で連想的な思考”が、彼女が吐露する言葉にも感じられた。今の時代、多くの人が日々の出来事を事細かに記録してネットで公開し、自分をさらけ出すことが当たり前になっているが、彼女のアートは“傷つきやすさ”を新しい視点で捉えようとしている。「観衆をからかおうと思ったことは一度もない」と言い、クリキ=オリヴォは作品がよく招く誤解を払拭した。彼女は、創作活動にどこまでも誠実に取り組んでいるのだ。

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