イタリアの町、イヴレーア。かつて、タイプライター製造業のオリベッティの城下町として栄えた。同社は労働者の権利を尊ぶ模範的な企業として、また先進的なデザインでその名を轟かせた。今、この町はひとつの教訓であると同時に、忘れ去られたユートピアの幻影でもある。――そして、人道的な労働を実現しようとした壮大な実験の証しでもあるのだ

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY NICK BALLÓN, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 そんな、完全に自己に埋没しているような人間性は、彼が率いた会社とその商品に込められた魂にも映し出されていた。短命だったが、非常に影響力の強いドイツのデザイン学校のバウハウスが志したように、商品の製造から広告戦略まで同じ美意識で統一しようと試みたが、労働環境そのものを人間らしいものにしようという意識はさらに強かった(ある商品においては、バウハウスの影響が特別はっきりと打ち出されていた。バウハウスの卒業生であるアレキサンダー・ジャンティ・シャウィンスキーはオリベッティの新しいタイプライター「スタジオ42」をデザインし、新社屋の建設のコンサルティングも担当した。また、彼の教師のひとりだったヘルベルト・バイヤーが同社の広告デザインを担当した)。モダニズム建築批評家のマリオ・ラボは、オリベッティが作りたかったのは「進化によって形作られ、正義によって導かれ、美の輝きで情熱が燃え上がるような仕事場」だったと書いている。社員たちは経営陣と同じ志を共有し、彼らの要望にぴったり合った福利厚生施設を建設するのに尽力した。

 そんな中、オリベッティは世界中で有名になった商品をいくつか生みだしている。軽くて(やや)持ち運びやすい「レッテラ22」はこれまで製造された機械の中で、最も美しく機能的で、業務用としても、プライベート用でも、人気のタイプライターとなった。そのベイビーブルーの色と、丸いキーの軽く跳ねるような動きは、タイプライターというものを、音がうるさく、いかにも機械という感じの、業務に使う物体から、思索に富んだ私的な文書を綴れる物体に変身させた(「レッテラ22」はアメリカ人作家の間でも人気だった。たとえば、トマス・ピンチョン、シルヴィア・プラスやゴア・ヴィダルなどが使っていた)。20年後の1968年には、デザイナーのエットレ・ソットサスJr.の助けを得て、オリベッティは、楽しむために使うタイプライターの最高峰である「ヴァレンタイン」を製造した。ロリポップキャンディのような真っ赤な色のそのマシンは、ポップアートデザインの頂点だ。「ヴァレンタイン」の広告は、人々がタイプライターをビーチに持っていくシーンを描いた。

画像: オリベッティの1932年製のMPIタイプライター

オリベッティの1932年製のMPIタイプライター

 だが、70年代までには、人々はタイプライターから電子機器に移行していく。オリベッティは、最初のパーソナル・コンピュータといわれた「P101」を生みだしたが、この分野での同社の成功はそこで停滞した。何人かの事情通は、オリベッティの転落は、同社の失敗よりも、海外勢力による犯罪工作が原因だと語る。オリベッティの頭脳だったチーフプログラマーのマリオ・チョウが交通事故で死亡すると、巨大テレコム企業に吸収される前のオリベッティの最後の社長、カルロ・デ・ベネデッティは、オリベッティ関係者の間で広く信じられている説として「彼はアメリカの諜報機関と結びつきのある勢力に殺されたのだ」と示唆した。同社のエンジニアだったガルツィエラも、アメリカ人たちは、コンピュータ分野の発展が、いつ共産党に転ぶかわからない国に握られつつあることを警戒していたと断言する。そして、ジャーナリストのメリル・セクレストは2019年に出版した書籍『The Mysterious Affair at Olivetti』でその仮説をさらに詳しく追究した(ただ、彼女が殺人説の根拠を証明したわけではないことはつけ加えておかねばならない)。理由が何であれ、コンピュータ分野で結果を出せなかったことで同社は衰退し――少なくともこれまでの間――イヴレーアもその運命をともにしてきた。

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