イタリアの町、イヴレーア。かつて、タイプライター製造業のオリベッティの城下町として栄えた。同社は労働者の権利を尊ぶ模範的な企業として、また先進的なデザインでその名を轟かせた。今、この町はひとつの教訓であると同時に、忘れ去られたユートピアの幻影でもある。――そして、人道的な労働を実現しようとした壮大な実験の証しでもあるのだ

BY NIKIL SAVAL, PHOTOGRAPHS BY NICK BALLÓN, TRANSLATED BY HARU HODAKA

 今振り返ると、オリベッティが建設したインフラは、19世紀に米国イリノイ州のプルマンにプルマン鉄道会社が作ったような標準的な「カンパニータウン」と思われるかもしれない。だが、オリベッティが作った町はプルマンとは違った。アメリカでのカンパニータウンは、権利が保障されず、さらに交通手段などの基本的な設備も持たない、低賃金労働者たちの存在ありきで台頭したシステムだった。労働者たちが、雇用されている企業に依存すればするほど、企業は彼らを管理する力を強めることができた。

与えられた現状を受け入れる以外になかった労働者たちにとって、彼らの職場のボスは同時に彼らの自宅の大家でもあった。つまり労働者はボスに対してストライキを起こしたり、病欠を願い出たり、よりよい医療を求めたりできない――そういうカラクリだった。アメリカで栄えたカンパニータウンは、やがて近代化が進み、ニューディール政策の導入によって労働者の権利が強化されると、次第に衰退していった。また企業が社宅から労働者を追い出そうとすると、労働者たちが時にはストライキを起こすようになった。交通機関が大規模に発達することで、職住接近も必須ではなくなった。

 しかし、ヨーロッパでは、カンパニータウンは、裕福な地主が労働者や使用人たちを狭い宿舎に住まわせていたヴィクトリア時代の代表的な領地制度にそのルーツがある。20世紀初頭、急速に工業化が進んだイタリアでは特に、数々の小さな町の富や資産は、多くの場合、依然として、その土地を拠点とする私企業と切っても切り離せない関係にあったのだ。たとえば、1912年にトスカーナ南部にできた観光地ロジニャーノソルベイの魅力は白い砂浜のビーチだが、その砂は現在もなお稼働し続ける、町の名前にもなったソルベイ社の工場から排出される化学物質が堆積したものだ。また、ローマ郊外の何の変哲もない町コッレフェッロは、弾丸を製造していた工場の城下町だった。

工場は1968年に閉鎖されたが、町は過去70年間にわたって、時々起きる爆発に悩まされてきた(イタリア国内には、今もまだ現役のカンパニータウンがある。デザイナーのブルネロ・クチネリは、ウンブリア州のソロメオ村に彼の名を冠した会社の本社を置き、過去30年間、地域の開発に尽力してきた。また、ファッションブランド、トッズ・グループのCEOであるディエゴ・デッラ・ヴァッレはイタリア東部沿岸のカセッテ・ドゥエテ地区の職人たちにその製品作りを頼っており、同地には彼の会社の主要な工場がある)。

画像: イヴレーアの中心部にあるカントン・ベスコと呼ばれる地区に1956年に建てられた住宅

イヴレーアの中心部にあるカントン・ベスコと呼ばれる地区に1956年に建てられた住宅

しかし、特定のある産業や、一企業の周囲に形成された有名な“城下町”のうちの多くは、どれもイタリアらしさのかけらもないように見える。それらの町の歴史の大部分は、ほとんど20世紀内に限定されており、古代建築や壮大な伝統文化がないからだ。これらの町に今も住んでいる人々は、そこにかつて存在していた企業の社員の子孫たちであることが多い。企業が荷物をまとめて町を去ってもう長いことたつのに、彼らはまだそこに住んでいる。だが、オリベッティはそんな企業城下町の中でもユニークだ。当時、恐らく世界中で最も先進的で成功したカンパニータウンであり、管理目的や利便性のためにではなく、短命に終わったものの、まったく新しい企業の理想主義を体現するために存在した。オリベッティが掲げた理想においては、ビジネス、政治、建築と社員の日常生活がすべてつながり合っていたのだ。

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