トム・ハンクスが短編小説集『Uncommon Type』を上梓。私小説のような作品の逸話から、ハリウッド、ひいてはアメリカでいま起こっている問題についてまで、胸の内を語った

BY MAUREEN DOWD, PHOTOGRAPHS BY JAKE MICHAELS, TRANSLATED BY G. KAZUO PEÑA(RENDEZVOUS)

 ハンクスと彼の妻である女優のリタ・ウィルソンは、ハリウッドの王様と女王のように讃えられている。にもかかわらず、『Uncommon Type』に描かれた、地方の小さな町に暮らす人々の物語の多くに沈鬱でメランコリックな空気が漂っているのは興味深い。
 収録作のひとつ、『A Special Weekend』は、9歳のケニーが大勢の兄弟や義兄弟とともに、北カリフォルニアの町で気まぐれな父と厳しい義母に育てられる物語だ。美貌のウェイトレスだった実の母は、ケニーがまだ幼い頃に父親と別れた。誕生日の週末だけ、ケニーは母親と過ごすことができる。しかし現れた母は、乗ってきた赤いロードスターと同じ
赤い口紅をつけ、香水の匂いをぷんぷん漂わせていた。

 ハンクスがカリフォルニア州のレディングで暮らしていた5歳のとき、両親が離婚した。ウェイトレスであった母親は4人の子どものうち、末っ子だけを引き取った。ある夜、兄弟と遊んでいると、突然、父親が一緒について来るように言い、ハンクスとほかの2人の兄弟は父親と暮らすことになったという。料理人であった父親はその後2度再婚し、ハンクスには異母兄弟が大勢いる。なかなかに複雑な家庭環境だ。「10歳までに10軒の家で暮らしたよ」とハンクスは語る。

「だいたいにおいて兄弟はみなポジティブな性格で、出たとこ勝負、“持ち寄り料理の食事会”みたいな奇妙な家庭環境だった」。幼い少年だった頃の困惑を、彼は今も鮮明に覚えていると言う。「部屋や車のなかで母と2人きりになった機会は、片手で数えられるくらいしかなかったと思う。厳密には違うかもしれないけど、母にしろ父にしろ、彼らと2人きりになると『これは特別な時間なんだ』みたいに思ったことは覚えているよ。ほかの人からすると特別でもなんでもないんだけど。彼らにとっては日常の一部であり、あたりまえのことだからね」

画像1: ハリウッドNo.1のナイスガイ
トム・ハンクスが語る
エンタメ、政治、歴史<前編>

 彼はエフロンのアドバイスを真摯に受け止めた。ハンクス固有の文体に、画家ノーマン・ロックウェルが描くアメリカの田舎の庶民が使いそうな言い回しが多く用いられた。「Lollygagging(時間を浪費しながら)」「yowza(そうですとも)」「thanked his lucky stars(幸運に感謝する)」「titmouse(カラ類という山野の小鳥)」「knothead(間抜け)」「atta baby(よくやった、偉いぞ)」といったフレーズだ。

 この本のタイトルは、ヴィンテージのタイプライターに対する彼の愛着から来ている。彼の制作会社であるプレイトーン社のサンタ・モニカ事務所には、上の階と下の階の本棚に、合わせて300台ほどのタイプライターが置かれている。ターンテーブルと、うらやましいほどのLP盤と45回転盤のレコードコレクションもある。いま、インタヴューしているわれわれの隣にも、黒と赤と緑の珍しいタイプライターが何列にも並んでいる。それらは今はもう使えないものの、ハンクスにとっては「芸術的なオブジェ」として価値あるものなのだ。

 事務所には、米紙「ワシントン・ポスト」の編集主幹を務めたベン・ブラッドリーの魅力的な写真も飾られている。“ペンタゴン・ペーパーズ暴露事件”で「ワシントン・ポスト」が果たした役割を題材にしたスティーヴン・スピルバーグ監督作品『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』で、ハンクスはこのブラッドリーを演じている。「ベンという男は、自分が一番イケていることを自覚しているやつなんだ」とハンクスは言う。
 隣の部屋の書棚は、カバーのかかったタイプライターであふれ返っていた。壁にはタイプライターのヴィンテージ・ポスターも吊るされている。「学校に通っている頃、唯一、父から課されたのがタイピングだった。『いいか、タイプライティングの授業は必ず受けるんだ!』って。若い頃に受けた父からのアドバイスは、それだけだった気がするよ」

 ハンクスの作品に登場する人物のひとり、ワシントン州トリシティズの新聞社に勤める昔かたぎのコラムニストは、タイプライターのキーを押す時の“カタカタ”という音、“チーン”というベルの音、改行レバーの“ガチャ”、さらに原稿の紙を引き抜くときの“ビリリ”という音について、愛を込めて語っている。
 ハンクスは小説をタイプライターで書こうとしたが、結局あきらめた。「5ページくらいでお手上げだったね」。削除キーのついたノートパソコンの魅力には打ち勝てなかったのだ。

 短編集には、ロイヤル、レミントン、コンチネンタルなど、あらゆるブランドのタイプライターが、ゲスト出演するかのように写真付きで登場する。アルフレッド・ヒッチコックは自分の監督作品で通行人役としてよく登場したが、その「The quick brown fox jumped over the lazy dogs:アルファベット26字をすべて用いた、タイピング試験で使われる文章」バージョンだ。

 タイプライターに心を奪われたきっかけを尋ねると、彼は短編のひとつ、『These Are the Meditations of My Heart (わが心の瞑想録)』のあらすじを話して説明してくれた。ある若い女性が、教会の駐車場で開かれた慈善バザーで安いタイプライターを見つけ、それを修理するためにポーランド人の修理工の元を訪れる。物語の最後では、それは「エポカ」という書体がついた、海の泡のような緑色をした「エルメス2000」に生まれ変わる。タイプライター界のメルセデスとも呼ばれる、スイス製のマシンだ。「短編がどれも混乱した少年の話ばかりにならないよう、この物語は主人公を女性に変えたんだ」とハンクス。

 女性の視点から書くにあたって、ハンクスが女性専用のアパートに住むために女装する男を演じた80年代初めのホーム・コメディ『Bosom Buddies』は役立ったのだろうか?
「あのドラマの脚本家、レニー・リップスとクリス・トンプソンは、『Bosom Buddies』の2人の主人公を女性の視点で書いたわけではないんじゃないかな」。ハンクスはニヤリとしながら言う。「仕事で一緒になった女性、結婚相手、そのあいだに授かった娘――僕にとっては、こうした身の回りの女性たちからの影響が大きかったと思う」

 この女性主人公がタイプライターを必要としたのは、自分の字があまりも汚いためだった。同じ悩みを抱えているというハンクスの字は、彼いわく「めちゃくちゃにひどい」ものだとか。
 彼は私の書いた字を見て、自分に負けず劣らずひどいと言う。「もしあなたが殺人容疑で疑われたら、筆跡鑑定人がその字を見て『ほら、この“Y”とブロック体の“J”を比べてみろ。こいつがやったにちがいない』と言うだろうね」

 私がもうひとつ興味深く思ったのは、タイム・トラベルを題材にした未来的な短編だ。中年の男が過去にタイム・スリップし、1939年の万国博覧会で若い女性と恋に落ちるというものだが、この物語はハンクス主演の映画『ビッグ』(’88年)に登場する占い機械「ゾルダー」からアイディアを得たものなのだろうか?
「いいや。あの作品は実は、1939年の万国博覧会を見てみたかったという僕の願望から生まれたんだよ」

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