障害のある俳優たちが、ブロードウェイの演劇やハリウッド映画、そして評判の高いテレビ番組にキャスティングされるケースが増えつつある。彼らは、アーティストであると同時にアクティビストとして活躍する新しい土台を創造してきた。エンターテインメント産業とその観客たちがもつ常識に異議申し立てをし、「インクルージョン」という言葉が、真に何を意味するのかを問い直すために

BY MARK HARRIS, PHOTOGRAPH BY PHILIP CHEUNG, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

 時として、実際に現場で問題が発生するまで、必要なものは何なのかがわからないこともある。今年の初めに、オコンネルは『スペシャル』のエピソードのひとつで、障害のある俳優数人が出てくるシーンを撮影する準備をしていた。そのとき初めて、車椅子利用者が使用できるヘアメイク用のトレーラーを探すのがいかに難しいかを知った。「トレーラーを製造する人々は、障害者がヘアメイクをする必要があるなんて想像したことすらないに違いない」と彼は言う。だが、障害のある演者たちにとっても、自分たちに必要なものが、撮影第一日目からちゃんとわかっていない場合もある。たとえば『ちいさき神の、作りし子ら』の上演半ばになって、リドロフは初めて自分の首、背中、そして腕が痛むことに気づいた。一週間に8公演をこなし、手話をやり続けるのがこれほど身体的に過酷なものだとは知らなかったのだ。

 最初、彼女は理学療法士を頼まなかった。当然、頼んでもよかったのだ。だが、何かを要求することすら、ストレスになりうるのだとウェイルズは言う。そもそも、役に起用されること自体、難しいのだ。要求を口にすると、次の作品では障害のある人が起用されにくくなるのではないか? 彼らが口に出して言わないこと――言っていいと心から思えないこと――それがよけいな心配の種になってしまう。

 どんな職業についていようと、マイノリティに属する一定の年齢のほとんどの人が知っている事実がある。それはマイノリティがひとりだけしかいない空間は、精神的にきついということだ。人々が、あなたの目をじっと見つめて、あなたを起用した確かな理由を見いだそうとする。あなたが採用されたのは、感謝を常に示し、彼らのしきたりに従うことを約束するという交換条件あってこそだったのではないかと考えてしまう。そんな不安は、しんどい以上に、集中力をそいでしまう。時として――いや、ほとんどの場合において――あなたはただ仕事に集中したい。俳優にとって、それは深く役にのめり込むことだ。それは周囲から期待され、一般化された普遍的な全体像を体現することとは、ほとんど正反対の行為だ。

「私はただ役を通して生きたいし、それだけで観客にとっては十分なはず」と俳優のマディソン・フェリスは言う。「今、現場で仕事をしていて違和感を感じるのが、『この役は車椅子に乗っている設定だから、車椅子の人が経験する物語をすべて伝えないと』と考える脚本家がいること。実際の生活では、そんなことはあり得ないのに」。フェリスは28歳で、筋ジストロフィーを患っており、19歳のときから車椅子を使ってきた。2017年にゴールドが、ブロードウェイで『ガラスの動物園』を再演するときに、彼女をローラ・ウィングフィールド役で起用した。批評家からの評判は二分していた。

 ザ・ニューヨーカー誌は、ゴールドが台本に書いた、ローラの弟トムがローラの足を伸ばすのを助けるシーンを指摘した。「なぜ、フェリスの持病がスリルを呼び起こすために使われたのか?」と批評家は書いた。ゴールドはこの点について今でも激怒している。「複数の批評が、劇中でローラが母親のアマンダに言った『ちょっと散歩をしてきたの』というセリフにこだわっていた。『歩く』という台詞ありきで、車椅子に乗った役者を起用するには一体どうしたらいいんだ?」と彼は言う。「私の娘と私は『散歩に行く』という言葉をいつも使っている。そこに文句をつけるなんてバカらしい。歩くという言葉は、歩行可能な人間しか使ってはいけないみたいな言い草じゃないか」

「私の演技がどうだったかではなく、私の身体のことだけを語りたい人が何人もいるってことがショックだった」とフェリスは付け加えた。「ある批評家は『演技に集中できない』という言葉を使っていたと思う」。彼女はそんな批評を無視しようとした。そして実際に、ゴールドが彼女に、車椅子から降りて、客席の最前列の前の部分からステージをつなぐ短い階段の上に、身体を移動できるかと聞くと、彼女はことのほか喜んでその動きをこなした。その動作はフェリスにとって、いつもやっている自然な行動なのだが、ほかの人にとっては、上半身の強さと強固な意志が必要な動きで、周囲はハラハラしてそれを見守ることになる。ほとんどの人がそのシーンを見ながら、自分にそんな動きが果たしてできるだろうかと自問自答してしまうのだ。「私は彼を見ながら思ってた。『こんなの日常茶飯事だから』って」と彼女は言う。「バーやレストランに友達と一緒に行くと、この動きは必要だから」

 彼女が初めてこの動作を実際に劇中でやったとき、彼女は観客が沈黙し、息を呑むのを感じた。みんなが不安になり、彼女の身体の緊張は、各列の客席に座っている観客たちの身体に次々に伝わっていった。観客は一斉に前のめりになり、恐らく初めて、ごく普通の身体の限界というものを理解し始めたのだった。「あれだけのパワーが自分にあるということがすごく新鮮」と彼女は言う。「1000人の人々に、彼らが今まで一度も見たことがないものを見せられたんだなって」。私がそのシーンを見たとき、私もフェリスの勇気に感動したひとりだった。あの瞬間を「勇敢だ」ととらえたのは「演技に集中できない」と表現した批評家と、実は同じなのではないかと気づいたのは、あとになってからだった。どちらも彼女の演技ではなく、彼女自身を見ていたという意味で。

PRODUCTION: PETER McCLAFFERTY. PHOTO ASSISTANT: SILVIA RAZGOVA. LOCATION: GRASS ROOM

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