装いやたたずまい、醸し出すムード。スタイルにはそのひとの生きてきた道、生き様が自ずとあらわれるもの。美しい空気をまとう先輩たちをたずね、その素敵が育まれた軌跡や物語を聞く。第8回は、スタイリストとして幅広く活躍しながら、ジュエリーブランド「CASUCA」のデザイナーとしても知られる安野ともこさん。数々のキャリアを重ねながら、今なお「閃くと居ても立ってもいられない」と語る原動力を伺った

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY KIKUKO USUYAMA

経験した“傷”の数だけ優しく輝く

画像: 「髪の色をアッシュ系にしたら似合う色がまた変わりました」と語る安野さん

「髪の色をアッシュ系にしたら似合う色がまた変わりました」と語る安野さん

 インタビューの場に現れた安野ともこさんは、深いピーコックグリーンのワンピースに色とりどりのパンジーを描いたパンツ姿。髪の色はベージュに淡いピンクを重ね、スパイシーでほの甘いメレンゲ菓子のよう。初対面にもかかわらず思わず“可愛い!”と口を衝いて出てしまったほどだ。

 ひと月後の撮影日には、ビオラ色の「Marni」のカーディガンとピスタチオグリーンの「Ma Robe(マローブ)」のスカートというヴィヴィッドな配色が、晩秋の陽光のなか一層鮮やかな彩りを放っていた。「色のあるものは、気持ちを引き上げてくれますから」と、チャーミングに微笑む。日々の様子を綴る自身のインスタグラムでも、とびきりの笑顔のコレクション。身を削るような忙しさの中でも、出会う人を幸せな気持ちで包み込む柔らかなオーラはどこからくるのかと尋ねると、安野さんは「傷を負うと、人は優しくなれるから」と即答。そんな“傷”の一部も含め、まずは現在の仕事に至るまでを語ってくださった。

画像: 20代の頃にパリのシャネル本店で求めた思い出とともに、大切に持ち続けているカメリアのコサージュ

20代の頃にパリのシャネル本店で求めた思い出とともに、大切に持ち続けているカメリアのコサージュ

 お洒落に興味を抱いたルーツは、小物作りを得意とした祖母が端裂でコサージュを作ってくれていたことにあるという。「新しい洋服やコートを買うと、そこに必ずコサージュを縫い付けてくれて。次第に自分でもポーチやお財布を作るように。すると祖母から“わずかな端裂でも、必ず役立つから絶対に捨てないように”と言われ、ちっちゃな余り裂をコサージュの花の芯に使うなど工夫する楽しさ教えられました」。バービー人形の洋服作りにも情熱を注いだ少女は、やがてパターンを学ぶためにバンタンデザイン研究所へ入学。百貨店に就職し、こぐれひでこさんの洋服に触れるうちにその独特のフレンチスタイルに陶酔、思い切ってアトリエの門を叩いたという。求人に応募したのではなく、「会っていただきたい」と電話で直談判。扉は開かれ、そこに集う様々なクリエイターとの出会いが繰り広げられた。

 こぐれさんが発表するコレクションのモデルを務めたカタログをメディア関係者が見染め、雑誌『オリーブ』や『アンアン』で読者モデルとして出演。さらに、独特の声に着目されて“ちょっと歌いに来てみない?”という誘いを受けると、CMソングやレコードを出す流れに。初めてのことに怖気付くことなく、周囲の大人たちが担ぐ“神輿”に素直にのることで、双方ともに心地よい刺激を楽しんでいたという。そんな大人たちから安野さんが特に刺激を受けたのは、“チープシック”という感性だ。壊れた時計や蚤の市で求めたアンティークのパーツを組み合わせてアクセサリーを作るなど……決して高価ではないものや廃棄してしまうものの存在を、アイディア次第で素敵に魅せる価値観は、その後の人生の礎となった。

画像: 大人になった今もコサージュ好きは健在で「身につけるだけで晴れやかな気持ちになる」と言う。舞台衣装やスタイリングでも装飾に欠かせないモチーフだそう

大人になった今もコサージュ好きは健在で「身につけるだけで晴れやかな気持ちになる」と言う。舞台衣装やスタイリングでも装飾に欠かせないモチーフだそう

 やがて安野さんは、編集者でありマルチ・クリエイターとして一時代を築いた秋山道男さんのもとで仕事をするようになる。次々と繰り出される難問珍問に夢中で答えながら、自分がどこに向かっているのかわからない日々。秋山さんが指揮をとっていた毎日新聞の季刊誌『活人』で、衣装制作の仕事を命じられる。“新聞”から想起し、 “レ・ジョーナリエール”と題した摩訶不思議な新聞紙のドレスを用いた個性的なビジュアルを展開。やがて『活人』の連載を通して知り合った小泉今日子さんのCMで、スタイリングを担当することに。「見様見真似ではじめたスタイリスト。動画の撮影なのに背中を大きなクリップで止めたままにしていて、小泉さんが横さえ向けないという失敗も(笑)今では、語り草になっています」と振り返る。

 CMやTVドラマ、数多くの映画作品のスタイリングを手掛け、トップ女優や俳優からも信頼を寄せられることに加え、フィギュアスケーターの浅田真央さんの衣装も約5年に渡って担当する。そんなある時、知り合いのジュエリーデザイナーにアドバイスを頼まれる。思い描いているイメージを共有しながら物作りを手伝い、形になったジュエリーを持ち歩いて自分のスタイリングでも活用。女優やモデルからオーダーを受けるようになる。それを繰り返すうちに、あるドラマで主人公がお守りのように身につけていたネックレスが、視聴者から話題を呼ぶ。「一緒にやっていたデザイナーさんに、“このラインナップは、安野さんの自身のものですね”と言われブランドを立ち上げることに」。2007年に、こうして「CASUCA」が誕生する。

画像: 表参道に店を構える「CASUCA」。ダリアやユリ、パピヨン、ウィンドウなど、森羅万象に心を寄せた、大人の女性を魅了する華奢なデザインが揃う

表参道に店を構える「CASUCA」。ダリアやユリ、パピヨン、ウィンドウなど、森羅万象に心を寄せた、大人の女性を魅了する華奢なデザインが揃う

画像: 「CASUCA」ジュエリーを、日々、自身も身に着ける。あえて同じデザインのピアスを3粒連ね、ダイナミックに交差するイヤカフと合わせたレイヤードに大人の遊び心がのぞく。

「CASUCA」ジュエリーを、日々、自身も身に着ける。あえて同じデザインのピアスを3粒連ね、ダイナミックに交差するイヤカフと合わせたレイヤードに大人の遊び心がのぞく。

 ブランド名となった「CASUCA」には、どんな意味があるのか。若い頃に育んだ“チープシック”な視点から、整い磨き込まれたものやゴージャスさよりも、大輪の花の隣で密かに咲く野の花や王道から少し外れた半端で傷ついたものに心が動くという安野さん。“微か”に輝く存在をブランド名に込めたいと思い、“カスカ”という音の響きでスペイン語の辞書を手繰る。 “CASUCA”は“荒屋”を意味することを知ると同時に、子供時代の記憶が蘇る。「友達と一緒に近所の廃墟と化した空き家に宝物を隠して基地を作っていたことを思い出して。ボロボロで誰も見向きもしなくなった家から醸し出される、個性や一瞬の煌めきを見出す気持ちを、ジュエリーで表現したかった」。さらに、「人間も同じ。傷を負って辛い思いをした人ほど優しくなれるのは、その傷が輝くから」と続けた。その言葉どおり、ひしゃげたフォルムのハートや、あえて粗い質感に加工したクロスモチーフは、傷ついたものを慈しむ「CASUCA」の代名詞となった。

画像: 新作コレクション「アドニス」。冬に咲き誇る福寿草を、心に光を灯すお守りに

新作コレクション「アドニス」。冬に咲き誇る福寿草を、心に光を灯すお守りに

画像: 「CASUCA」の店内を心地よく満たす安野さんのお気に入りは、バッハを独自解釈したサクソフォーン奏者・清水靖晃さんによる音色

「CASUCA」の店内を心地よく満たす安野さんのお気に入りは、バッハを独自解釈したサクソフォーン奏者・清水靖晃さんによる音色

困難は好転へのスイッチ、笑顔で前へ

画像: 愛用の眼鏡「オプティシャン ロイド」。レンズの奥の瞳が優しさを湛えている

愛用の眼鏡「オプティシャン ロイド」。レンズの奥の瞳が優しさを湛えている

 安野さんは「CASUCA」をターニングポイントに、2016年には下着ブランド「AROMATIQUE CASUCA(アロマティック カスカ)」をスタート。ブラジャーやキャミソールのアジャスターが洋服のシルエットに響かない、スタイリストならではの視点でカップ付きキャミソールを構築した。その下着がさらに進化を遂げ、2023年春に「CASUCA HADA(カスカ アーダ)」として新たに幕開けた。100%オーガニックコットンを用い、より通気性の優れたモールドカップは“裸より楽”というコンセプトを実現。そんなふうに側からは、順風満帆に自分らしい表現を重ねているように見える安野さんだが、「実際は傷だらけです」と一笑する。その傷の一つは、世界中が見えない壁に閉ざされたコロナ禍である。多くの人と同じく、店舗の経営が逼迫。加えて、2020年に舞台衣裳の制作で縫い子としてサポートしてくれた若手の女性スタッフが、コロナ禍の煽りで解雇や採用をキャンセルされるという現状に心を痛めた。

画像: 着心地とフォルムの美しさを兼ね備えた究極のスタイリングインナー「CASUCA HADA(カスカ アーダ)」。この秋の新色「マリーゴールド」(左下)と「パンジー」(右上)

着心地とフォルムの美しさを兼ね備えた究極のスタイリングインナー「CASUCA HADA(カスカ アーダ)」。この秋の新色「マリーゴールド」(左下)と「パンジー」(右上)

「もっともっと創作をしたい」という彼女たちの声に耳を傾け、過去にスタイリングや舞台で使用した衣裳や素材を再構築したリボーン・クチュールのブランドを作ることを閃く。「閃いてしまうと居ても立ってもいられない」と、ほどなくして2021年に、ファッションデザイナーの石黒望さんと共に「CASUCA CiRculo(カスカ シルクロ)」を立ち上げる。「捨てられずにいた洋服や衣裳の数々が、自由に形を変えて最後の最後まで輝く。単なるサスティナブルというだけでなく、“私たちは生きている限り諦めたりせず、それぞれの人生を謳歌する”というメッセージを、生まれ変わった洋服たちに込めたかった」という。さらに、見る人の気持ちを引き上げたいという思いから、衣裳を作るだけにとどまらずコレクションのショーを映像で配信。夫で写真家の伊島薫さん、ミュージシャンの梅津和時さん率いる「Pletra Nera」、個性豊かなモデルたちが集結した。CIRCULOとは円環を意味するスペイン語、「やるからには打ち上げ花火のように、とことん楽しもう」という全員の思いが、まさに円陣を組んだかのようにエモーショナルな映像へと仕上がった。

画像: 「CASUCA CiRculo(カスカ シルクロ)」ファーストコレクション。ディレクション:安野ともこ、デザイン・衣装制作:石黒 望ほか、出演・音楽:梅津和時ほか、制作:伊島薫

「CASUCA CiRculo(カスカ シルクロ)」ファーストコレクション。ディレクション:安野ともこ、デザイン・衣装制作:石黒 望ほか、出演・音楽:梅津和時ほか、制作:伊島薫

 いつも明るい笑顔と笑い声に持ち、ハッピーオーラを放つ安野さんに、あえて、泣きたくなるようなたいへんなことはないのか聞いてみた。「コロナ禍の波もようやく落ち着いた頃、今度はサイバートラブルに見舞われたという。「大切なお客様にご迷惑をおかけすることになり、もう泣きっ面に蜂、蜂、蜂という状況でした。」1年にわたりECサイトを閉鎖し、誠心誠意を尽くして顧客の対応に心を注いだ。昔、誰かに言われた‟そんな顔しているといいことがこないよ、つらくてても、同じ時間を過ごすなら、ニコニコしていることでハッピーなことが訪れる”という言葉を支えに、「泣きそうになっても、マスクの中でも、眠りにつくときも、口角を上げることを意識していました。」
 “悲しみのパンを口にすることなくしては、あなたは真実の人生を味わうことはできない”とは、明治・大正・昭和を駆け抜け、禅の心を海外へと説いた仏教学者で思想家の鈴木大拙の言葉。また訪れるかもしれない “悲しみのパン”を、安野さんはしっかりと口角をあげながら味わい、その傷を一層優しい輝きへと変えていくことだろう。

画像: 夫の伊島薫さんが手掛ける「贋作」をコンセプトにデザインしたTシャツを手に。エネルギーが泉のように湧いてくる秘訣は「夫の作る美味しいご飯を朝晩食べること」

夫の伊島薫さんが手掛ける「贋作」をコンセプトにデザインしたTシャツを手に。エネルギーが泉のように湧いてくる秘訣は「夫の作る美味しいご飯を朝晩食べること」

画像: 息子は俳優の伊島空さん、娘は落語も嗜む女優の伊島青(せい)さん。二人が幼少期に描いた絵を、今も大切に保管している様子に、安野さんの母としての一面が垣間見える

息子は俳優の伊島空さん、娘は落語も嗜む女優の伊島青(せい)さん。二人が幼少期に描いた絵を、今も大切に保管している様子に、安野さんの母としての一面が垣間見える

安野ともこ
1959年生まれ。1986年にスタイリストとしての活動をスタート、1994年にはスタイリスト事務所「コラソン」を設立し、映画や舞台、ドラマからCMまで幅広いスタイリングを手掛ける。また、フィギュアスケーターの浅田真央のコスチュームやミュージカル「キャバレー」の衣装デザイン・製作も担当。2007年にジュエリーブランド「CASUCA(カスカ)」、2016年には下着ブランド「AROMATIQUE CASUCA(アロマティック カスカ)」を立ち上げ、2023年春に「CASUCA HADA(カスカ アーダ)」として再デビューを果たす。
公式サイトはこちら

生き方がスタイルになる「素敵を更新しつづけるひと」記事一覧へ

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.