BY SHION YAMASHITA, PHOTOGRAPHS BY WATARU ISHIDA
主に古典の演目で女方として活躍しつつ、二枚目の立役でもその本領を発揮してきた中村梅枝さんが、由緒ある「中村時蔵」の名跡を六代目として襲名した。2024年6月、歌舞伎座の「六月大歌舞伎」で、新・時蔵さんと同時に父である五代目中村時蔵さんが初代中村萬壽を襲名、そしてご子息の小川大晴(ひろはる)さんが五代目中村梅枝として初舞台を踏むという、親子三代でのおめでたい公演がついに実現したのである。
襲名とは、名前を受け継ぐということ。曾祖父から祖父へ、祖父から父へと受け継がれてきた「中村時蔵」の名跡を襲名し、名乗るということは、歌舞伎俳優として大きな節目であり、新たな出発が始まることを意味する。まずは30年間にわたって名乗ってきた「中村梅枝」の歩みを振り返っていただいた。
──ご自身の歌舞伎俳優人生を振り返って、ターニングポイントだと思う出来事があれば教えてください。
時蔵:大阪松竹座(2012年5月)で『寺子屋』というお芝居の戸浪を23歳で勤めさせていただいた時のことです。この役を演じて、僕は役者になってから初めて、つまずいてしまいました。自分でいうのもおこがましいのですが、僕は器用なタイプでそれまでは何でもそつなくこなして、役者としても大きな挫折はなく過ごしていたので、つまずいたことは一度もなかったのです。
その時ご一緒していたのは(尾上)菊之助の兄さんの千代、(尾上)松緑の兄さんの松王丸、今の團十郎の兄さんの武部源蔵で、僕の戸浪との4人でのお芝居でした。
この4人の中で僕が一番下手であることは一目瞭然でしたが、父からも「お前がこんなにできないとは思わなかった」と、初めて言われました。あのひと月はとても辛かったです。でも、あの経験がなければ、今もきちんと真面目に取り組んでいなかっただろうと思います。
形を取るだけであれば器用にできるのですが、その形に気持ちが乗っていないという感じでしょうか。段階的に気持ちを作って重ねていくべきところを、気持ちが作れていないのに形だけ表現しても、それは上辺だけのことになってしまいます。それまでは気持ちを作る、ということをしないまま形だけで演じていたのだと思います。ただ、自分が本質的なことを理解できていなかったことがわかったのですが、当時はそれをどうすればいいのかはわかりませんでした。
──女方の大役などに挑むときにお父様の中村萬壽さんから教わって、印象に残っていることはありますか?
時蔵:父は事細かに説明するのではなく「見て覚えろ」、「こうだ。わかるだろう?」という感じの人です。一見、論理的に話すように見えるのですが、実は超感覚的なタイプの人でして、僕も感覚的な人間なので父の言いたいことは何となく汲み取ることはできます(笑)。でも、父に女方を教わって解決策が見えないままになっていることもありました。あるとき、玉三郎のおじさまに役を教わる機会があり、「こういうふうに考えて役を作るのか」という学びを得たことがありました。玉三郎のおじさまと父とで役の作り方が全く違うからこそ見えた事もあって、父の役者としての良さというものを改めて感じることもできました。
──坂東玉三郎さんから指導を受けたことで、具体的にはどんな学びを得ることができましたか?
時蔵:最初は『義経千本桜』 渡海屋・大物浦の典侍の局で、その後に『阿古屋』を教わりました。典侍の局の時は、これまで教わったことをすべて封印して、声の出し方、台詞の言い方からすべて一からやり直すようなご指導だったので、僕にとって、とても大きな出来事でした。そして典侍の局がやらなければならない仕事的な動きよりも、女方として何が大事なのか、どういう声の出し方をするのかという芝居の基本的なことや普段はどういう風に過ごしているのか、物事についてどういう風に考えるのかといったことまで教えてくださいました。芝居をする上での、“考え方”というものを示していただいたと思います。
玉三郎のおじさまは、まずは物事に対して疑問を持たれます。そして、その疑問にたとえ答えが出なかったとしても、解決しようとする過程の作業がいかに大事なのかということを教えてくださいました。僕も芝居に出させていただくようになった高校生の頃は、“どうして顔を白く塗るのだろうか?”とか、歌舞伎の世界のいろいろなことに疑問を抱いたり不思議さを感じたりしていました。しかし、「昔からこうだから、こうなのだよ」と言われて、そのまま受け止めてしまっていたのです。映像などを観てすぐに答えを見つけることもできますが、たとえ出来上がったものが同じものだったとしても、疑問に思ったことを解決しようとするその過程を経ることがとても大事だと思います。
──中村時蔵という名跡を襲名することへの率直な気持ちを教えてください。
時蔵:父から「時蔵を譲る」と言われたのは今から約3年前になります。まさかこれほど早く時蔵という名跡を譲られるとは思っておりませんでしたので、「ご自身はどうするんですか? 引退するんですか?」と聞くと、「私は新しい名前を作って、梅枝は子どもに譲ればいいじゃないか」と言われました。当時はコロナ禍の真っ只中で、歌舞伎の興行自体がどうなっていくのかが全くわからない状況でしたから、「ありがとうございます」とは即答出来ず、お断りしました。時蔵という名前は萬屋にとって大きな名前ですし、当代が亡くなられてから次の方が受け継ぐというのがこれまでの慣例でございましたので、全くの想定外の出来事だったからです。正式に決まったのは去年の6月くらいだったのですが、コロナもずいぶん収まってきて、歌舞伎の公演も継続的に上演されるようになりましたので、ようやく時蔵を譲っていただくということで、承りました。
襲名披露狂言としては『妹背山婦女庭訓』の四段目から「三笠山御殿」が上演され、時蔵さんは女方の大役、お三輪を初役で勤める。
『妹背山婦女庭訓』は大化の改新をモチーフに壮大なスケールの物語を描いた“王朝物(平安時代までの天皇家や公卿を扱った作品)”。舞台となる三笠山御殿は蘇我入鹿(そがのいるか)が建てたもので、入鹿の妹である橘姫がこの御殿に帰ってきて袖についていた赤い糸を手繰ると恋人の烏帽子折の求女(もとめ)が現れる。お三輪もまた恋する求女に会おうとして苧環(おだまき・麻糸を巻いたもの)の糸を頼りにこの御殿へとやってくるのだが、官女たちに意地悪をされて求女に会うことができない。そこに求女と橘姫の祝言の声が聞こえてくると、嫉妬のあまりにお三輪の形相は変わってしまう。この「疑着の相」と呼ばれる嫉妬の形相をした女性の生き血が、入鹿を討伐しようと図っている求女の役に立つと聞いて、お三輪は自ら犠牲となっていく……。
今回の公演では、お三輪を散々いじめる官女には、時蔵さんの本名と同じ小川家の立役の俳優が勢揃いし、通りがかりの豆腐買の役には、片岡仁左衛門さん、ご子息の中村梅枝さんが登場するなど見どころが満載となっている。
──襲名披露狂言で女方の大役であるお三輪を演じることにはどんな思いがありますか?
時蔵: 祖父(四代目中村時蔵)も父も襲名披露でお三輪をさせていただいているので、僕が初役でこのタイミングでさせていただけるのは、巡り合わせのように思います。
昨年9月に『妹背山婦女庭訓』の「吉野川」をさせていただいた際にも思いましたが、この作品には「大化の改新」という政変を扱っているという大きなパワーだけでなく、ファンタジー的な要素もあります。さらに、この壮大なスケールの世界観の中にお三輪という一人の町娘を放り込んで描いているところが面白いのだと思います。「三笠山御殿」では、その町娘が恋する男のために大きな屋敷に迷い込んで、さまざまな局面にあって、嫉妬に狂う「疑着の相」へと続いていきます。「疑着の相」という結末をどれだけ深めてお客様にお伝えできるかどうかは、お三輪としてどういうプロセスを踏んでいくかということが大事だと思います。
自分一人だけで世界観を創り上げなければならないという難しいお役ではありますが、(中村)歌右衛門のおじ様、(尾上)梅幸のおじ様、玉三郎のおじ様、父といったお三輪を演じてきた女方の皆様がこの役を大事にされているのは、それだけ魅力があるということなのでしょう。今回は襲名披露狂言でもありますので、代々のお三輪に引けを取らないように精一杯勤めます。
──お三輪をいじめる官女で本名の小川家の皆さんが勢揃いすることになったのは、どんな経緯で決まったのでしょうか?
時蔵:最初は(中村)歌六のおじと(中村)又五郎のおじに出てもらえればと思っていたのですが、途中で小川家(小川は本名の姓。時蔵さんの親戚にあたる俳優の中村歌六さん、中村又五郎さん、中村錦之助さん、中村獅童さん、中村歌昇さん、中村種之助さん、中村隼人さん)の立役で揃えられるのでは、という話に。劇中でお三輪はいじめの官女に持ち上げられる場面がありますので、若手の人たちの出演も必要だと思ってお願いしたところ、とてもありがたいことに皆が了承してくれました。
一方で、かつて6月の歌舞伎座の公演は大おじの萬屋錦之介が中心となって行われていたことがありまして、僕自身の初舞台もその公演の一環だったことを後になって知りました。今回は僕の父と息子の襲名、初舞台と同時に(中村)獅童さんの息子である(中村)陽喜くんと(中村)夏幹くんの初舞台でもあります。獅童さんは、錦之介のおじのようにまた小川家が中心となった公演を復活させたいという思いがあって、父の元に相談に来られたのですが、その獅童さんの思いと父の思いが合体して今回の公演になりました。そういう意味でも小川家だけで官女を揃えられるということは、僕たちにしかできないことだと思いますし、これをきっかけに今後も何らかの形で小川家の皆で共演したいです。
──新・時蔵として、どんな目標を掲げていますか?
時蔵:まず、どの役を演じる上でも品を大事にすることが萬屋の教えなので、時蔵の格に加えて、さらに品格のある大きな役者にならなくてはなりません。そして代々の時蔵に劣らぬように、芸をもっと磨かなければならないと思います。
女方としては『伽羅先代萩』の政岡のような「片外し(武家の女性の髪型の名前で、武家女房や御殿女中の役を意味する)」のお役が目標の一つだと思いますので、いつか大きな劇場で勤めさせていただけるようになりたいです。
僕の最終的な目標は『茨木』を歌舞伎座で演らせていただける役者になることですね。鬼の茨木童子を六代目の歌右衛門のおじ様、対する渡辺綱を二代目の(尾上)松緑のおじ様がなさっている映像を拝見したことがあるのですが、それがとても素晴らしくて。上演時間も長く、茨木も綱も、さらに長唄の皆さんもとても大変な演目なのでなかなか上演されませんが、だからこそ演じてみたいと思いました。
──初日を迎えて 6月4日に楽屋にて取材
中村時蔵になられたことをどんなときに実感しますか?
時蔵:まだ「時蔵さん」と呼ばれることもあまりないので、全く実感はありません。楽屋に入ってきた時に着到板(出演俳優の名前が記された板)の「時蔵」のところに赤いピンを刺すというくらいですね(笑)。
──初日にお三輪の姿で花道に出てこられた時、大きな拍手が沸き起こりました。その時の心境をお聞かせください。
時蔵:心境はと申しますと、少し泣きそうになりました。自分はそういう人間ではないと思っていたので、意外でした。
──『妹背山婦女庭訓』には片岡仁左衛門さんが豆腐買のおむら役で出演されて、劇中に舞台上で襲名披露口上をされています。そのお言葉を隣で聞いているときはどんなお気持ちでしたか?
時蔵:「六代目(中村時蔵)さんは古風な芸風で、必ず歌舞伎界を支える女方になると思っております」というお言葉を毎日皆様の前でおっしゃってくださるので、プレッシャーではありますが、そういう風にならなければならないということをとても感じています。
昨日(3日)の口上では、息子の梅枝が「昼の部は女方の役ですが、夜の部では怪童丸の立役を元気に勤めています」と内容を少し変えて話してくださったりもして、本当にありがたいです。
今回は立役の方が女方の衣裳を着るということでとても苦しくて大変だと思うのですが、松嶋屋のおじ様にはいつまでもお元気で今後の舞台にも出ていただけたらと思っています。
──楽屋にはお三輪の姿が描かれた画が飾られていますが、どなたの作品でしょうか?
時蔵: 祖父がお三輪を演じた時に、画家の大橋月皎 さんという方が描いてくださったものです。こういう時でないとなかなか機会がないので、楽屋に飾らせていただいています。
──実際にお三輪を演じてみて、何かこの役の魅力に気づけましたか?
時蔵: 『神霊矢口渡』のお舟のような今まで経験した娘役とは違う、お三輪は別格に難しいお役だと思いました。僕が娘役で想定する演技方法だけでは成立しません。金殿を背景に演じなければならないので、娘ではありますが、舞台空間を埋めるだけの役者としての度量が求められます。
かなりの体力も必要で、うまく配分しなければ息が続きません。そういう状況で無理に声を出そうとすると高い声になってしまうため、娘らしい柔らかさがなくなってしまいます。初日と2日目まではテンションで何とか乗り切りましたが、あのままでは今後続けていけないと思い、3日目からは少し落ち着いて演じることを目指しています。
官女たちからいじめられているところは受け身でいられますが、特に「疑着の相」からが難しいです。今朝、玉三郎のおじ様とお電話で話したときに「女でいてはダメ。女を越えて、すべてを超越していかなければ疑着の相には辿り着かない」とおっしゃっていただきました。頭では納得しました。今は疑着の相のところを抑え気味にしていますが、そこをどのようにしてクリアにしていくのか……、今後の課題だと思っています。
六月大歌舞伎
昼の部 11:00開演
一、『上州土産百両首』
二、『義経千本桜 所作事 時鳥花有里』
三、六代目中村時蔵襲名披露狂言
『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』劇中にて襲名披露口上申し上げ候
夜の部 16:30開演
一、『南総里見八犬伝』
二、初代中村萬壽襲名披露狂言
『山姥』
五代目中村梅枝 初舞台
劇中にて襲名口上申し上げ候
三、『魚屋宗五郎』
初代中村陽喜 初代中村夏幹 初舞台
※中村時蔵さんは、
昼の部
『妹背山婦女庭訓 三笠山御殿』杉酒屋娘お三輪
夜の部
『山姥』白菊
にて出演。
会場:歌舞伎座
住所:東京都中央区銀座4-12-15
上演日程:2024年6月1日(土)〜24日(月)
問い合わせ:チケットホン松竹 TEL. 0570-000-489
チケットweb松竹
山下シオン(やました・しおん)
エディター&ライター。女性誌、男性誌で、きもの、美容、ファッション、旅、文化、医学など多岐にわたる分野の編集に携わる。歌舞伎観劇歴は約30年で、2007年の平成中村座のニューヨーク公演から本格的に歌舞伎の企画の発案、記事の構成、執筆をしてきた。現在は歌舞伎やバレエ、ミュージカル、映画などのエンターテインメントの魅力を伝えるための企画に多角的な視点から取り組んでいる。
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