豊かな風土に彩られた日本には、独自の「地方カルチャー」が存在する。そんな“ローカルトレジャー”を、クリエイティブ・ディレクターの樺澤貴子が探す連載。山間を染める桜や藤を見送ったころ、訪れたのは新緑を迎えた箱根。好奇心をくすぐる本との出合いが箱根の旅を締めくくる

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY YUKO CHIBA

画像: 本棚の一部となって本の世界に浸れる「箱根本箱」

本棚の一部となって本の世界に浸れる「箱根本箱」


《STAY&BUY》「箱根本箱」
思いがけない一冊と出合うブックオーベルジュ

画像: 著名人による「あの人の本箱」と題した本棚が、未知なる好奇心への扉を開く

著名人による「あの人の本箱」と題した本棚が、未知なる好奇心への扉を開く

 欲しい本はインターネットで注文するスタイルが定着したことで、書店離れが叫ばれて久しい。そんな現状を打破すべく、昨今では書店の在り方が自在に変容。あまねく所蔵する従来の書店型ではなく、ブックディレターのセンスが光る個性豊かな蔵書が魅力のセレクト型や、クリエイターや企業に棚を提供して書棚を構成する店子スタイルなど……付加価値のある書店に関心が集まっている。2018年8月にオープンした「箱根本箱」も、旅先で意外な一冊との出合いをもたらす全く新しい形の施設といえる。書店でも、図書館でも、ライブラリーを有する旅館やホテルとも異なる。同館のキャッチフレーズを借りて曰く、“本をテーマとしたインタラクティブ・メディアホテル” なのだ。

画像: 宿泊者だけが利用できるエントランスに設えた吹き抜けの本棚

宿泊者だけが利用できるエントランスに設えた吹き抜けの本棚

画像: 宿泊者以外も利用できるライフスタイル&アルチザンショップ

宿泊者以外も利用できるライフスタイル&アルチザンショップ

画像: 館内で体験したことを日常に取り入れられるように、というコトンセプトでオリジナル茶葉や調味料なども販売

館内で体験したことを日常に取り入れられるように、というコトンセプトでオリジナル茶葉や調味料なども販売

 客室は全18室、その全てに強羅温泉の源泉から引いた無色透明の温泉露天風呂を完備。さらに、本をこよなく愛する各界の第一線で活躍する著名人の選書による「あの人の本箱」を各部屋に設置。家具の配置も異なり、ひとつとして同じ部屋がない。本箱の配置も定期的に変わるため、何度訪れても新たな一冊と出合える。吹き抜けの本棚には、大人がすっぽり収まる読書スポットもあり、秘密基地のような仕掛けも遊び心をそそる。このほか館内には、さまざまな通路やレストラン、ライフスタイル&アルチザンショップなど、至る所に本が置かれすべての本は自由に手に取り、心ゆくまで読み耽ることも購入することもできる。

画像: ダイニングには食の空間にふさわしい蔵書が並ぶ

ダイニングには食の空間にふさわしい蔵書が並ぶ

“ブックオーベルジュ”と謳っているこちらでは、箱根という土地の息吹を再解釈し、東海道をテーマに宿場町の文化や歴史からインスピレーションを得たメニューを演出。単に地産地消を掲げた食の表現にとどまらず、ひと匙の知的なエッセンスが加わるだけ一皿一皿の味わい方が深みを増す。このオリジナリティ溢れるディナーは宿泊者以外でも予約できるため、近隣に連泊する通な旅人からも好評だとか。また、「食後に再び本をじっくり読みたい」という声を掬い上げ、ダイニングではノンアルコールドリンクのペアリングにも力を注いでいる。四季折々のハーブやフルーツに加え、森に抱かれた土地ならではの「樹々と野菜」のマリアージュも優しいほろ苦さを誘う。

画像: 人気のノンアルコールドリンク。左は杉と蓬に自家製のハーブシロップをブレンド。右は、奥静岡の川根茶をベースにイチゴとハイビスカスが爽やかな酸味を奏でる

人気のノンアルコールドリンク。左は杉と蓬に自家製のハーブシロップをブレンド。右は、奥静岡の川根茶をベースにイチゴとハイビスカスが爽やかな酸味を奏でる

 ダイニングから部屋に戻る際には、エントランスの書棚を媒介する。「衣食住遊休知」の6ジャンルから成る約12000冊の蔵書を、気ままに眺めているだけで、普段は手にしないような一冊に目がとまる。手にした本から、もしかしたら新たな人生の扉が開くかもしれない。そんな淡い予感を胸に、いつのまにか眠りに落ちる夜はなんと幸せなことだろう。

画像: ロシア人のアーティスト、エカテリーナ・パニカノーヴァさんが古書をキャンバスに描いた作品がダイニングに本の世界を奏でる

ロシア人のアーティスト、エカテリーナ・パニカノーヴァさんが古書をキャンバスに描いた作品がダイニングに本の世界を奏でる

住所:神奈川県足柄郡箱根町強羅1320-491
電話:0460-83-8025
公式サイトはこちら

《SEE&BUY》「箱根菜の花展示室」
特別な企画だけを、わずかな間のみ公開

画像: 4月に10日間だけで開かれた、染織家・牧山 花さんの企画展

4月に10日間だけで開かれた、染織家・牧山 花さんの企画展

 多くの文人墨客と縁が深い箱根では、研ぎ澄まされた審美眼を貫くギャラリーと出合えるはず……。そんな期待を裏切らない、静謐な空間が「箱根菜の花展示室」である。小田原で120年以上の歴史を誇る和菓子店の3代目で、「和菓子 菜の花」を立ち上げた髙橋台一さんが日々の暮らしに溶け込む工芸に心を寄せ、「うつわ 菜の花」を開いたのが約26年前のこと。その小田原の空間は、中村好文の設計により内田鋼一や黒田泰蔵、赤木明登、安土忠久といった人気作家の作品と出合える場として、器好きの女性たち憧れの存在として知られる。

画像: 保養施設だった建物を譲り受けて改装。外観はかつてのままの面影を残し、内装にプリミティブな手仕事を施した

保養施設だった建物を譲り受けて改装。外観はかつてのままの面影を残し、内装にプリミティブな手仕事を施した

「箱根菜の花展示室」は、オーナーのコレクションである書家・井上有一の大きな作品を、のびのびと展示したいという思いから2011年6月に誕生した。第一回の企画展は、井上有一と内田鋼一の二人展。「貧」「愛」「上」「夢」「花」など力強い書の一文字と、存在感のある内田の土器が呼応するように配置された光景は圧巻だったとか。そうした深い思い入れをプロローグとするギャラリーだけに、この空間が開かれるのは「これぞ」という企画展の時に限る。

 取材で訪れた4月下旬には、幸運にも企画展「牧山花 夏ころも」が開催されていた。絣糸から渾身の染めを施し、夏の着物だけにこだわって手機で凜と織り上げる染織家・牧山 花の着尺や絵羽が、ストイックな空間に涼やかな風を運び込んでいた。次の企画展は、夏を見送り、晩秋を迎えた11月。オーナーと長年の親交を深めてきた内田鋼一の大々的な個展が、ここ箱根で13年ぶりに催される。

画像: ギャラリーからほど近くに立つ「ルッカの森」

ギャラリーからほど近くに立つ「ルッカの森」

 ギャラリーを後に、坂道をくだった街道沿いには「和菓子 菜の花」を母体とする菓子店「ルッカの森」が佇む。「箱根菜の花展示室」の題字なども手がけるアーティスト、望月通陽の壁画を愛でながらひと休みするスペースも設置。もっちりとした食感と黒糖の風味がほどよい温泉饅頭「箱根のお月さま」をはじめ、望月氏がパッケージをデザインしたバウムクーヘンなど、気の利いた手土産が揃う。箱根旅の帰路、ギャラリーで眼福の機を逸っしたとしても、優しい味わいの菓子が口福を満たしてくれるだろう。

画像: 三重県の平飼いの有精卵にこだわったバウムクーヘン

三重県の平飼いの有精卵にこだわったバウムクーヘン

画像: 望月通陽の壁画はもちろん、店内にはオーナー所蔵のアンティークのアートが所々に飾られている

望月通陽の壁画はもちろん、店内にはオーナー所蔵のアンティークのアートが所々に飾られている

【箱根菜の花展示室】
住所:神奈川県足柄郡箱根町湯本351-2
電話:0460-83-8166
公式サイトはこちら

【ルッカの森】
住所:神奈川県足柄郡箱根町湯本307
電話:0460-85-6222
公式サイトはこちら

画像: 樺澤貴子(かばさわ・たかこ) クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

樺澤貴子(かばさわ・たかこ)
クリエイティブディレクター。女性誌や書籍の執筆・編集を中心に、企業のコンセプトワークや、日本の手仕事を礎とした商品企画なども手掛ける。5年前にミラノの朝市で見つけた白シャツを今も愛用(写真)。旅先で美しいデザインや、美味しいモノを発見することに情熱を注ぐ。

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