BY REIKO KUBO
中国の地方都市・富陽を舞台に、悠久なる大河の流れの傍で時代に揉まれる大家族の姿を、たゆたうように描き出した映画『春江水暖〜しゅんすいだん』。カンヌ国際映画祭批評家週間のクロージングを飾った初長編作を携え、彗星のごとく現れた新鋭グー・シャオガン監督に世界が湧いた2019年から5年を経て、待望の新作『西湖畔(せいこはん)に生きる』が公開される。
舞台は杭州。最高峰の中国茶である龍井(ロンジン)茶の広大な畑が広がる西湖のほとり。「山起こし」の儀式から始まる茶摘みの風景は天国のよう。タイホア(苔花)は、この山で茶摘みをして一人息子ムーリエン(目蓮)を育ててきた。ところが山を追われた彼女は都会に降り、違法なマルチ商法の闇に取り込まれてしまう。そんな母を救い出すため、ムーリエンの地獄めぐりが始まる。
新しい自分に生まれ変わりたいと叫ぶ母タイホアの変貌をスリリングに表現するのは、実力派女優のジアン・チンチン。そして『長歌行』等の人気スター、ウー・レイが、母の変化に戸惑う息子、ムーリエンの清廉さを滲ませて好演する。
ーー前作同様、伝統と現代の対立が描かれますが、前半の緑美しい茶畑の雄大な風景から一転、主人公らが街に降りると、マルチ商法の闇の中に観客もろとも荒々しく引きずり込まれます。新たな挑戦となった攻めの姿勢は圧巻でした。
グー・シャオガン(以下、グー) 『春江水暖〜しゅんすいだん』はインディペンデントの作り方だったので、今回は対極の作り方を採りました。前作同様、山水(画)と映画の関係に取り組みながら、今回はスターを起用し、クライム・ムービーとしてのジャンルの側面ももたせたかったので、伝統と現代をもっと明らかな形で衝突させようと試みました。
――主人公親子はマルチ商法に翻弄されますが、監督のご親戚が実際にこの違法ビジネスにはまってしまったことから、今回のドラマを思いつかれたそうですね。
グー そうです。これまで中国映画でマルチ商法が描かれたことはありませんでしたが、欲望に取り憑かれた現代人の姿を描くのに格好の題材だと思いました。欲望が極限に達した時に現れる人間の狂気や心の中の“魔”の部分にも迫ることができる。一方で山水はすなわち自然、そして人間の内面の探究に通じるものなので、このマルチ商法と山水というテーマを掛け合わせ、狂った人間がどうやったら本来の性質、本来の姿に戻ることができるのかを描きたかったのです。
――グー監督はこのビジネスの内側をリサーチするため、違法ビジネスに潜入したそうですね。実際に見聞きして映画に盛り込んだのはどのような部分ですか。
グー 最初は親族がはまったマルチ商法の会場に行ってみて、人間の欲望がどんどん変化していく過程というものを目の当たりにしました。タイホアも最初はお金が欲しくてこのビジネスに関心を持ちます。その後、息子に良い暮らしをさせたいとか、もっと良い自分になりたいとか、自己実現や承認欲求が入ってくる。それでも家族に良い暮らしをさせたいという原動力には、そもそも愛があったわけです。この愛を利用するのは、邪悪な新興宗教と同じだと思いましたね。その後、かつて中国の南方で勢力を伸ばし、社会問題になった“1040工程”にも潜入しました。呼び込んだ人々を大型バスに乗せて自己紹介させたり、スローガンを叫ばせたりして洗脳する。最初は冷静を保っていても、次々ともっともらしい言葉を浴び続けるうちに心身ともに疲れ、頭痛に襲われ、跳ね返せなくなるという洗脳の過程を体験しました。“1040工程”以外にもさまざまな集団をリサーチして、脚本に落とし込んでいきました。
――ドローンで撮影された、鮮やかな緑の茶畑の風景と幽玄な音楽から一転して、マルチ商法のくだりでは目眩、幻覚作用を思わせるような映像と音に圧倒されました。これは監督自らの体験を通して得た映像と音だったのですね。
グー 洗脳シーンの脚本には膨大な台詞を書きこんでいました。ある日、撮影監督がこれは全部撮らなきゃならないのか、それとも役者にイメージさせるために書いているだけなのかと聞かれ、僕は全部撮って下さいと言いました。なぜなら、どのような目線でこの映画を撮るかという問題に関わっているから。というのも私はこのマルチ商法の場面は、観客もその集団に入り込んでいくような目線で撮りたかったからです。監督の目線、作家の目線、あるいは上から見下ろすような神の目線からこの映画を撮りたくはなかった。美学的に美しいものにならなくても、マルチ商法に取り込まれた被害者たちの後ろをついていくような目線で撮りたかったのです。一方でこの地獄に落ちる前の天国、天上界の視点もあり、この2つの眼差しの衝突を取り入れるプランは最初から持っていました。
――前作『春江水暖〜しゅんこうすいだん』は、監督お一人で脚本を書かれていましたが、今回は同世代の女性小説家グォ・シュアンさんと共同で書かれています。また音楽には日本の梅林茂さんが招かれて。この布陣を見ると、女性作家の朱天文さんと共同で脚本を書き、音楽を日本の立川直樹さんが担当した『悲情城市』等の、侯孝賢監督の座組みを思い出します。
グー いやぁ実は、侯孝賢監督は一番好きな監督の一人です。映画学校で学んでいない僕にとって、侯孝賢監督はすごく大切な師匠であるのは確かで。実際にお会いしたことはないのですが、私淑しているというか、勝手に弟子だと思っていて(笑)。今回の『西湖畔に生きる』は大きなチャレンジだったので、もしかしたら崇拝している師匠のようなコラボレーターと一緒に仕事をしたい、という気持ちが無意識に働いたのかもしれないです(笑)。梅林茂さんは本当に憧れの音楽監督で、ご一緒できて本当に幸せでした。今回、彼からどんな映画を撮りたいのかと問われ、「塵のような小ささと、宇宙のような広大さ」と答えたら、即座に理解してくれて感動しました。
――では、グォ・シュアンさんとの脚本執筆はどのような共同作業でしたか。
グー 『西湖畔に生きる』の主人公・ムーリエンは、「目連救母」という仏教故事に登場する、釈迦の十大弟子のひとり、目連からイメージしています。前作『春江水暖〜』は自分の家族をベースにドキュメンタリーの手法から出発しましたが、今回は主人公はじめ、登場人物はみな架空のキャラクターです。この実在しない人たちにリアリティを持たせるのは、やはり小説家の能力を持っていないと叶わないと思い、グォ・シュアンさんに参加を依頼しました。僕がプロットやアイデアを話して、彼女が細部から形作ってくれて。ゼロから完璧なキャラクターを作り出す彼女の能力なくして、今回のドラマは描ききれなかったと思います。
侯孝賢監督のくだりでは頬を赤らめ、照れながら話す場面もありながら、終始穏やかに言葉を尽くして『西湖畔に生きる』の世界観を語ってくれたグー・シャオガン監督。「中国文化の中でお茶は禅と深い関係がある」という彼が、会話の合間に自身で持参した水筒から湯気の立つお茶を注ぎ、静かに口にしていた姿も印象的だった。
『西湖畔(せいこはん)に生きる』
9月27日(金)より 新宿シネマカリテ、Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、ヒューマントラストシネマ有楽町、アップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
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