世界の音楽シーンの新たな地平を切り開いてきた「メイド・イン・ジャパン」。その知られざる功績とはーー

BY JON PARELES, TRANSLATED BY JUNKO HIGASHINO

画像: 1980年、ローランドのアンプ「ジャズ・コーラス」の前で演奏するトーキング・ヘッズのティナ・ウェイマスとデヴィッド・バーン。 GIE KNAEPS/GETTY IMAGES

1980年、ローランドのアンプ「ジャズ・コーラス」の前で演奏するトーキング・ヘッズのティナ・ウェイマスとデヴィッド・バーン。

GIE KNAEPS/GETTY IMAGES

 1969年8月18日月曜の朝、ウッドストック・フェスティバル最終日のトリを飾ったジミ・ヘンドリックスは、真っ白な「ストラトキャスター」をかき鳴らし、アメリカ国歌「星条旗」を驚愕のアレ
ンジで披露した。サウンドの実験と探求を重ねてきた彼の軌跡において、このギターソロはまさにサイケデリックの頂点といえるものだった。エレクトリックギターの誕生とともにアンプが開発されたのは1930年代。それ以来ミュージシャンたちはこの装置を駆使して独創的な音作りを追求してきた。具体的には、スピーカーのコーンに穴を開けて音のひずみを増幅したり、「レスリー・スピーカー」とつないで幻想的な揺らぎや厚みを与えたりといった工夫を加えていた(冷蔵庫サイズの重厚な木製キャビネットに内蔵されたレスリー・スピーカーは、音の出口である「ホーン」を回転させることでドップラー効果を生んだ)。

 ウッドストック・フェスティバルでヘンドリックスが使ったのは、その前年に日本のShin-ei(新映電気)が開発した「Uni-Vibe」(ユニ・バイブ)という小型のエフェクターだ。この黒とグレーカラーの装置は足もとのフットコントローラーで操作すると、レスリー・スピーカーに似た音響効果をもたらした(註:レスリー・スピーカーは巨大で重く、移動には不向きだった)。こうした機器を介して、ヘンドリックスのギター音はまるで米軍ヘリコプターの回転翼や銃撃の連続音のようにとどろいた。国歌のメロディに、鋭い金切り音や急降下するような挿入音を加え、彼がギターで表現したのは「空中で炸裂する爆弾」(註:国歌の一節)──つまり、当時アメリカ政府が介入していたベトナム戦争の状況だった。

 このShin-eiのエフェクターは、日本のテクノロジーが、欧米の音楽表現に新しい風を吹き込む嚆矢(こうし)となった。日本のポップスは、グローバルな成功を遂げたK-POPのようなジャンルに影響を与えたものの、ほとんどの曲が今も昔も日本語で歌われているため、欧米ではあまり注目されてこなかった。だが、日本人特有の効率性と実用性を追求する姿勢とこだわりが、パンクロックにヒップホップ、EDM(エレクトロニック・ダンスミュージック)にヘビーメタルまで、あらゆる音楽に新たな表現の可能性をもたらす"名機" を生みだしたのだ。日本がこうした革新的なツールを開発しなければ、21世紀の音楽は現在とはまるで違う様相を呈していただろう。

 第二次世界大戦後、長らく「メイド・イン・ジャパン」は安価な粗悪品の代名詞だったが、1970年代以降は日本製品に対する評価が一気に高まった。ホンダ、ソニー、トヨタ、パナソニック、カワサキ、ヤマハ、ニコンといった日本企業のブランドが欧米の家庭に浸透し、高速道路の広告でもよく見かけるようになった。急速に発展した日本のエンジニアリングは音楽分野にも革新をもたらし、1972年に大阪で創業した電子楽器メーカー「ローランド」は業界の旗手として、1974年に「スペース・エコー」(註:磁気テープレコーダーの仕組みを使ってディレイを作り、エコー効果を生む機器)を発表。コンパクトで高性能なテープループ機能(註:ループ状にテープが回転してエコー効果が繰り返される)を搭載したこのエコー・ユニットは、アヴァンギャルドな音楽の制作に必須の名機となり、「ダブ」(註:既成の楽曲にエフェクトを加えたり、リズムを強調したりして別の作品に作り変える手法)の巨匠でジャマイカの伝説的プロデューサー、リー・"スクラッチ"・ペリーのレゲエから、レディオヘッドのアート・ロックに至る広いジャンルで活用された。

 翌年、同社が発表したギターアンプ「ジャズ・コーラス」は、透きとおったクリーントーン(註:ひずみなどを加えない、楽器本来の音色)と、波打つように広がるコーラス・エフェクト機能(註:原音をわずかに遅延させたエフェクト音を加え、音の揺れや厚みを表現)でギタリストたちを魅了した。このアンプが生んだのは、パンク、ニューウェーブ、プログレッシブ・ロックに欠かせない音色だった。デヴィッド・ボウイ、トーキング・ヘッズ、キング・クリムゾン、フランク・ザッパなどのレコーディングに参加してきたギタリスト、エイドリアン・ブリューは「ジャズ・コーラス」が作りだすサウンドをこんなふうに評している。「すべての音にきらめくような透明感があってね。このアンプの、ステレオ・コーラス(註:二つのスピーカーから原音とエフェクトのかかった音を出力し立体的な広がりを生む)とビブラートの機能のおかげで、ほかの機器にはまねできない、美しいギター音が得られるんだ」

 ローランドのギター関連ブランドであるボスをはじめ、マクソン、アリオン、アイバニーズといった競合メーカーは、より微妙なニュアンスや、多彩で斬新な音を表現できるペダルエフェクター(註:フットコントローラーで操作し、ギターの音色を加工する装置)を設計しようとしのぎを削っていた。こうして誕生した製品名には、「オーバードライブ」(註:アンプ回路に過大な入力を与えたときに音がひずむ現象)や「ディストーション」(註:ひずみ)、「デジタル・ディレイ」(註:音を一定時間遅らせて繰り返し再生し、エコー効果を生む)といった単純明快なものもあれば、「チューブ・スクリーマー」(註:中音域が強調され音質が引き締まったような効果を生む)のように、その特性を強く印象づけるものもあった。

 このような名機に恩恵を受けたのはギタリストだけではない。たとえば1972年にパナソニックが発売したターンテーブル「テクニクスSL-1200」は、耐久性、高精度な速度制御、ピッチコントロール機能(註:レコードの再生速度を変えて曲のテンポやピッチを調整)などが、ビートメイクやスクラッチに理想的で、クラブDJやラッププロデューサーたちのスタンダードとなった。また1980年に誕生したローランドの画期的なリズムマシン「TR-808」は、音楽的な素養がなくても使いこなせるほど操作がシンプルで、ポップミュージックに欠かせない神器となった。ドンドンという重低音や、カチカチと刻むビート、カチャカチャといった機械音など独特のサウンドは、マーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」から、アフリカ・バンバータの「プラネット・ロック」、ホイットニー・ヒューストンの「すてきなSomebody」、ケンドリック・ラマーのアルバム『GNX』まで、発売以来、現在まで幅広い楽曲に取り入れられてきた。ちなみに人気のポップスター、ホールジーが2019年にリリースしたシングル「クレメンタイン」には「The 808 beat sends your heart to your feet」 (TR-808のビートに心と身体が躍りだす)という歌詞がある。これを見れば、TR-808が今もなお音楽界で揺るぎない存在感を放っているのがわかるだろう。

 1980年代、音楽業界はデジタル・テクノロジーの発展に伴って劇的な変革を遂げたが、その先駆者となったのが日本だった。ヤマハはデジタル・シンセサイザーの草分け的存在である「DX7」を、アマチュアでも買える手頃な価格で販売した。あらかじめ収録された音色プリセットは、当時あらゆるポップミュージックに取り入れられていたので、今その響きを耳にすると懐かしさを覚えるだろう。日本の各メーカーは、キーやボタンを押すだけで録音ずみの多様な音を利用できる、最先端のサンプリング技術を取り入れ、低価格化も進めた。

 ソニーは1979年、「音楽を持ち歩く」をコンセプトに、ウォークマンを世に出した。続いて1982年、同社はオランダのフィリップスと共同開発したCDを、世界に先駆けて初めて日本で発売。1983年にはアメリカ人デイヴ・スミスとローランドの創業者、梯郁(かけはし)太郎が中心となって開発した、MIDI (Musical Instrument Digital Interface)が登場した。MIDIとは、電子楽器とコンピュータ間で演奏データなどをやりとりするための世界標準規格で、今では"あって当然" と思われるほど広く普及している。日本の先達たちはこのように誇るべき数々の偉業を成し遂げてきたが、あいにくそれを知る人は少ない。60年代後半以降の世界の音楽シーンを、ひそやかに、だがラジカルに塗り替えてきた日本の革命者たちの功績に、いま改めて光をあてたい。

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