前衛的なアーティストであること。人気俳優であること。このふたつは両立可能だろうか? そんな芸当ができるのはウォーレス・ショーンだけだ。

BY SUSAN DOMINUS, PHOTOGRAPH BY SEAN DONNOLA, TRANSLATED BY T JAPAN

ザ・ニューヨーカーの素顔①へ

画像: テレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(2004年)でサラ・ジェシカ・パーカーと共演。 HBO/PHOTOFEST

テレビドラマ『セックス・アンド・ザ・シティ』(2004年)でサラ・ジェシカ・パーカーと共演。

HBO/PHOTOFEST

 ショーンと彼より5歳年下の弟のアレンは、まるで舞台劇のような皮肉な状況下で育った。彼らの周囲にいる誰もが虚構だと知っている世界の中で、ふたりは自分を律しながら大きくなったのだ。彼らの父、ウィリアム・ショーンは、ザ・ニューヨーカー誌の2代目の編集長だった。彼は元ジャーナリストのセシル・ショーンと結婚し、ウォーレスとアレンが生まれた。だが、ウィリアムと同誌のライターのリリアン・ロスは不倫関係にあり、ロスの養子をふたりで育ててもいた。ウィリアムとロスの婚外恋愛については、ザ・ニューヨーカー誌のスタッフの多くが知っていた。それだけでなく、ウィリアムの妻も、自分の夫とロスが長年愛人関係にあることを、ほぼ最初から終わりまで知っていた。だが、夫妻の息子で劇作家兼俳優であるショーンは、実家に20代の半ば頃まで住んでいたにもかかわらず、父の不倫の事実を知らなかった。不倫関係が始まってから30年以上たち、ショーンが35歳になる頃に、彼の友人がこのことをポロッと会話に出した。この友人はショーンと弟が父親の不倫のことを当然知っているものだとばかり思っていたのだ。

「秘密のある家庭で育った人間はたくさんいるよ」とショーンは言う。「でも、外部の多くの人間にとってその秘密は周知の事実となっているのに、その家の子どもたちだけが秘密を知らされていないという家で育った人間は少ない。かなり珍しいケースだと言える」

 彼が演じた多くの登場人物と違って、ショーンの話し方はゆっくりだ。何かを言いかけて、途中で何度も沈黙をはさむ。だが、言葉が口から出てくるときには、完璧なセンテンスになっているという具合だ。彼は丁寧で上品で、人を傷つけないように常に最大限の注意を払っている。そんな用心深い彼と話していると、自分が知らないうちに彼を傷つける言葉を発してしまっているのではないかと心配になるほどだ。私的なことを人に知られたくないという気持ちが強い彼は、私たちの会食の際に彼が何を食べたかを記事に書かないでくれと私に言う。彼が執筆する戯曲は、話の大筋や、胸をえぐるような感情を伴う細部に至るまで、あからさまに自叙伝だと思える内容を描いているのに、だ。『蛾の日々』では――登場人物のひとりが、自分が死ぬ前にこれまでの思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡る瞬間がくるだろうと想像する場面がある――そこで一連のモノローグの形で、長年の婚外恋愛の事実が次の4人の違った人物のそれぞれの視点から明らかになる。まず、ジョシュ・ハミルトン演じる、有名作家である父親。次にジョン・アーリー演じる、思索好きで心にトラウマを抱えながら人生の意味を追求する息子。そしてマリア・ディッツィア演じる、長年の心労に耐えてきた母親。さらにホープ・デイヴィス演じる、本好きで知識レベルが高い愛人の4人だ。話の展開はゆっくりで、ノスタルジックな雰囲気の中にほんのりコメディの味つけもある。舞台装置やステージ展開は最小限に抑えてあるため、観客は役者たちが内面を吐露し、物語を伝える姿だけに集中でき、魅了される。ショーンが描く登場人物たちは、自分の立場や、自分を失望させる人間の立場をも思いやれるエンパシーの持ち主だ。彼らは恋に落ちたり、愛が冷めてしまうという自分では制御できない衝動に対して、まず石橋をたたいて渡るような慎重な態度をとる。だが、やがてコントロールできない自分の感情のうねりに圧倒され、恋に落ちて愛を求める。その後、潮が引くように恋愛感情が消滅していく。そのことを息子のティムはこう指摘する。「心の中に芽生えた目に見えない感情を言い表そうと僕たちは必死に言葉を絞り出そうとし、同情を誘うような言葉を吐くが、感情の波は僕たちの体内でとてつもない大きさに肥大してしまい、我々の生活をめちゃくちゃにし、僕たちを呑み込んで、最後には僕たちを食い殺すんだ」

 この劇の中で最も美しい描写のひとつは、誰かに捨てられたことによって生じる痛みではなく、相手への愛が冷めてしまった人物が感じる苦しみだ――相手に対して薄れていく愛情を自分ではどうすることもできず、結果的にかつて自分が愛した、何も悪いことをしていない相手に対して、甚大な感情的打撃を与えてしまうのを避けることができない人物が抱える苦悩だ。ショーンの作品があぶり出すこの世の奇妙さは、私たちに閉塞感を与えて圧迫しつづける社会構造や、私たちが回避することが不可能な人生の苦しみに対して、私たちがほとんど疑問を呈することがないまま生きてきたということだ。

画像: テレビドラマ『ゴシップガール』(2008年)で彼の妻を演じたマーガレット・コリンと。 GIOVANNI RUFINO/THE CW

テレビドラマ『ゴシップガール』(2008年)で彼の妻を演じたマーガレット・コリンと。

GIOVANNI RUFINO/THE CW

 ショーンと会話をしている間、彼はやさしく、にっこりと微笑(ほほえ)んでくれさえする。こちらが何か言って、彼がそれによって傷つくということはあまりないかもしれないが、彼を傷つける質問を投げてしまうことはあり得る。この劇の内容と彼の育った家庭環境の類似点を知りたくて、そこにさりげなく話を向けようとすると、ショーンは言い方はあくまでソフトだが、はっきりと私にこう言った。「両親には不満はまったくない」。彼の作品を観ると、彼の興味は、人間のもつ本能の残酷さを探ることにあることがわかる。だが、彼の作品に出てくる最も腐敗した登場人物たちでさえ、彼らの意志力やコントロールが及ばない環境に置かれて、仕方なくやったことなのだと語り、その語り口にはかなりの説得力があるのだ。『蛾の日々』では婚外恋愛を求める男性への同情が描かれているだけでなく、裏切られて心がズタズタになったであろう美しい女性にも自尊心があり、彼女の複雑な内面を描写し、そんな状況下でも彼女の息子は、彼女の強さと知性を称賛していることを明確にしている。そして息子は――有名作家の父とは比較にもならないが、彼も作家であり、性的に不適切な描写を含む子ども向けの物語を書き、一部の読者からカルト的な人気がある――両親をふたりとも愛しており、そのどちらに対してもジャッジしたりせずに、彼らに同情して心を痛めている。

 ショーンがつくり出す演劇は、反抗の証しであり、ソフトな方法であれ、強烈な方法であれ、一般的な演劇の定型を拒絶するものであることが多い。登場人物が互いに会話することは少ないため、『蛾の日々』の演技は静謐さに満ちており、聴いている側がじっと耳を澄ます必要がある。「まるで4人の登場人物が精神科医の診療室の椅子に座っているように感じた」と語るのは、ウースター・グループという実験劇場の創設メンバー、エリザベス・ルコンプト(81歳)だ。彼女はこの劇のリハーサルを見学していた。「そして、いつしか私自身が精神科医の立場から彼らを観ていた」

 ショーンの弟のアレンは、自分の家族の歴史を掘り起こして3冊の回想録を書いて出版し、その書籍の中で彼自身のメンタルヘルスの葛藤も詳細に書き記している。だが、ショーンはアレンと違い、一度もセラピーを受けたことがないという。唯一の例外は、大学時代にショーンが尊敬していた心理学の教授が、授業の延長のような形で、厚意で精神分析を数カ月間行なってくれたときだけだ。

 彼は、なぜこの題材を演劇という手法で自ら分析する対象に選んだのかを、心理学的な見地から解明したいという興味はほとんどないという。特に現在の彼の人生のステージにおいては。ウースター・グループのもうひとりの創設メンバーである女優のケイト・ヴァルク(68歳)は、人は晩年になるとより個人的なトピックに惹かれていくのだと言うが、ショーンはそれを否定した。「僕はこの戯曲を25年前に書くことができたとは思わない」と彼は言う。「だって、25年前にはザ・ニューヨーカー誌の過去とミスター・ショーンにみなが興味津々だったから」。もしほかにもつけ加えることがあるとすれば、と彼は言い、この戯曲を今書いたのは、彼自身がさまざまな人生経験を通して、思いを内省したことで、昔とは違った人間になったからだと語る。つまり、彼の書くものは年月を経ることによって自然と変わっていき、戯曲がどんなふうに変化していくかは、彼が事前に想像できるものではなく、コントロールできるものでもないのだと。

 弟のアレンは双子として生まれ、その双子のもうひとりがメアリー・ショーンであり、彼女は自閉症で施設に入っていた。アレンは1冊目の回想録『Wish I Could Be There(あそこにいられたら)』(2007年)で、父親の不倫のことだけではなく、ショーン家では秘密扱いだったこと、もしくは家族があえて触れなかったさまざまなトピックを列挙している。彼らはユダヤ系であり、みな総じて身長が低いこと(ウォーレスは157センチだ)。両親ともに精神科医の診断を受けていたこと。金の心配をしていたこと(彼らの父は1952年から1987年まで同じ仕事に就いており、その仕事から抜け出せないと感じていたが、社の経営陣に賃上げ交渉をするのを後ろめたく感じ、一度も自分からは交渉しなかった)。

 作曲家として名を成したアレンは、音楽にのめり込んだ。音楽は、すべてを感情に置き換えて表現できる一方、言葉で具体的に何かに言及することはない。彼の兄は創造の場として、自分が言うべきだと思ったことはどんなにショッキングなことでも何でも言える媒体を選んだ。一部の批評家に言わせれば、ショーンの言論は倫理的に強引すぎるそうだが。「世界はめちゃくちゃで、それは全部あんたたちのせいだ」という見出しが2007年のニューヨーク・タイムズ紙に印刷された。これは同年にニュー・グループが制作した舞台劇『ザ・フィーバー』を批評した記事だ。

画像: 3 月からリバイバル上演となった彼のひとり芝居『ザ・フィーバー』(1990年)。 EVERETT COLLECTION/AFLO

3 月からリバイバル上演となった彼のひとり芝居『ザ・フィーバー』(1990年)。

EVERETT COLLECTION/AFLO

 俳優のイーサン・ホーク(55歳)は2005年にオフ・ブロードウェイでの、デイヴィッド・レイブが戯曲を書いた舞台劇『Hurlyburly(ハーリ・バーリ)』で6カ月間ショーンと楽屋をともにしていたことがある。ホークはタイムズ紙に掲載された『ザ・フィーバー』への批評記事の辛辣さに激怒し、ショーンの作品を擁護するため、同紙の編集長に手紙を書いた(手紙は実際に紙面に印刷されることはなかった)。ホークいわく、『ザ・フィーバー』の舞台を観た彼の母親は自らの人生のあり方を見直して、海外でボランティアを始めたという。「『ザ・フィーバー』は、私たちが、自分たちが恵まれた生活を享受していることにモヤモヤした気持ちを抱えていることをズバリと言いあてて、多くの人間が感じているその違和感を肯定してくれた」とホークは編集長への手紙に書いている。「私の母は『ザ・フィーバー』のおかげで、彼女がやりたいと思っていたことを実践するのは理にかなうのだ、と気づくことができた。海外ボランティアは英雄的、または聖人的な行動ではなく、あくまで論理的に納得のいく行動なのだと」

 ホークが書いた手紙を読んで、私はショーンと一緒に劇場に行ったときのことを思い出した。彼の生活の具体的なディテールの中で、彼が記事に書かないでほしいと言ったことはいくつかあるが、そのひとつが、私が姪と行き、彼も同行して観た舞台劇の作品名だった。それは自らのプライバシーを案じてというよりも、誰も傷つけないようにという気遣いからの頼みだった。彼の説明によれば、もし私が舞台劇の作品名を記事に書いたうえで、その劇を彼がどう思ったかとインタビュー取材中に尋ねたとしたら? もし彼がその芝居を気に入っていなかったら? または気に入っているかどうかも答えなかったとしたら? それによって傷つく俳優たちがいるかもしれない。さらに、もし彼がその芝居を気に入っているとしたら? ほかの役者、たとえば同時期に上演されている別の舞台劇に出演しているほかの友人たちからしてみれば、自分たちの芝居についてもショーンがひと言良いことを言ってくれればよかったのにと思うだろうし、それをしなかったことで友人たちの心情を害してしまうかもしれない。(3記事目に続く)

※カタカナの人名表記は、編集部の判断により日本で広く使われている表記を使用しています。

ザ・ニューヨーカーの素顔 一覧

▼あわせて読みたいおすすめ記事

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.