スタイルにはそのひとの生きてきた道、生き様が自ずとあらわれるもの。レザーブランド「HIROKO HAYASHI」のデザイナー、林ヒロ子さんをはじめ、美しい空気をまとう先輩たちをたずね、その素敵が育まれた軌跡や物語を紐解くインタビューを、アーカイブ記事から厳選してお届けします

*記事内で紹介している内容は、記事公開時点のものです。

チャンスを素直に受け止め、人生の扉を開く
デザイナー 林ヒロ子さん

【2023年3月公開記事】

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY KIKUKO USUYAMA

画像: デザイナーの林ヒロ子さん。自らの名前を冠したレザーブランド「HIROKO HAYASHI」のデザイナーとしてイタリアのミラノに長く暮らした。その前身はパリコレにも登場するトップモデルだった

デザイナーの林ヒロ子さん。自らの名前を冠したレザーブランド「HIROKO HAYASHI」のデザイナーとしてイタリアのミラノに長く暮らした。その前身はパリコレにも登場するトップモデルだった

「渋谷で肉マンを売っていたのよ、アルバイトで。その時、あなたはスターになる!と声をかけられて、その気になっちゃったのね」。トップモデルからデザイナーへ……その華麗なるキャリアチェンジを目にすると近寄りがたいようだが、本人はいたって気さくで、淡々とモデル誕生までの秘話を語る。
 声をかけた人物は、戦後初の女性作詞家であり越路吹雪のマネージャーも務めた岩谷時子さんだった。岩谷さんに勧められるまま歌のレッスンに通い、“歌手募集”という張り紙を見て五反田のキャバレーに無邪気に飛び込んだ経験も。やがて、しなやかな長身を活かして1960代からモデルの道を歩き出した。 
 イッセイミヤケやヨウジヤマモト、ヨーガン・レールのファッションショーでも活躍した。彼らの前衛的な感性に刺激され、ランウェイの隙間を縫っては「この素材はなんだろう、どうやって作られているんだろう」と洋服の素材や仕組みに興味の眼差しを注いでいた。その姿にデザイナーとしての才を見初めたのが、ヨーガン・レールである。「あなたは他のモデルとは違う、うちに来なさい」というヨーガン・レールの言葉を機に、林さんはモデルとしてのキャリアを離れた。

画像: 「横顔は左から……」とフォトグラファーにそっと伝える。その様子に、自分に対して小さなこともうやむやにせずに生きてきた姿が垣間見えた

「横顔は左から……」とフォトグラファーにそっと伝える。その様子に、自分に対して小さなこともうやむやにせずに生きてきた姿が垣間見えた

 ヨーガン・レールのスタジオに通いはじめると、物作りの学びの場はフィールドにあったという。「道端をよく見なさいと言われ、石や木の葉を拾ったり、空の写真を撮ることが日々の課題に。最初は意味がわからなかったけれど、だんだんと“それぞれの美”を感じるようになったのね」。普通なら見過ごしてしまうようなものに美や面白さを見出す視点と、それを唯一無二の価値へと昇華させる感性を育む。そんな経験を積み重ねるという幸運は、誰にでも訪れることではない。

画像: 2017年頃、ミラノの林さんの自宅にて撮影。テーブルのアクセントに置かれた琥珀色の小石。ヨーガン・レールのもとで培われた美意識が、さりげない日常のシーンに溶け込む PHOTOGRAPH BY TAKAKO KABASAWA

2017年頃、ミラノの林さんの自宅にて撮影。テーブルのアクセントに置かれた琥珀色の小石。ヨーガン・レールのもとで培われた美意識が、さりげない日常のシーンに溶け込む
PHOTOGRAPH BY TAKAKO KABASAWA

 5年間のアシスタントを経て、やがて自身のブランドを設立。それがワールドの目にとまり『HIROKO HAYASHI』を立ち上げ1993年に渡伊。約30年という時間をミラノに捧げた。「時代と若さも後押しして、失敗してもいいから、とりあえずやってみたいと思ったの。挑戦したいという衝動には抗えなかった」。

画像: 「HIROKO HAYASHI」で人気の高いコレクション。(上)・(下左)箔仕上げが型押しに華やぎを添える『Night and Day』ウォレット/各¥42,900。(下右)丸みを帯びたフリンジの甘さとモードな顔立ちが絶妙な『FRANGIA』ウォレット/¥31,900 HIROKO HAYASHI 渋谷スクランブルスクエア店 TEL.03-6427-5035 https://store.world.co.jp/s/brand/hirokohayashi/ ※記事公開時点(2023年3月)の情報です

「HIROKO HAYASHI」で人気の高いコレクション。(上)・(下左)箔仕上げが型押しに華やぎを添える『Night and Day』ウォレット/各¥42,900。(下右)丸みを帯びたフリンジの甘さとモードな顔立ちが絶妙な『FRANGIA』ウォレット/¥31,900

HIROKO HAYASHI 渋谷スクランブルスクエア店
TEL.03-6427-5035 
https://store.world.co.jp/s/brand/hirokohayashi/
※記事公開時点(2023年3月)の情報です


毎朝、“今日一日”のテーマを自分に与える

 何気ない日常からデザインソースを発見する審美眼は、イタリアでさらに開花する。「見るもの全てが新鮮。土木工事用のフェンスネットでさえ素敵に見え、そこからインスピレーションを得たバッグを発表したことも」。廃材から椅子や作品を作るアーティストの友人からも影響を受け、生活の道具に宿る機能性を自らのデザインへと反映。「HIROKO HAYASHI」のバッグのファスナーに、アイコンとして下げられた小さなスプーンもその一つ。「開閉する際に驚くほど親指にフィットするの。このピタッとする感触に出会った瞬間は思わず唸ったわね」。

画像: スプーン型のファスナーの引き手。シャープな雰囲気のバッグに、遊び心が添えられて。バッグ¥57,200/HIROKO HAYASHI COURTESY OF HIROKO HAYASHI ※記事公開時点(2023年3月)の情報です

スプーン型のファスナーの引き手。シャープな雰囲気のバッグに、遊び心が添えられて。バッグ¥57,200/HIROKO HAYASHI
COURTESY OF HIROKO HAYASHI
※記事公開時点(2023年3月)の情報です

 ミラノでの暮らしは、日本との時差に対応しながら仕事を進めるため、スタジオを兼ねた自宅で一日の大半を過ごした。そんな日々に欠かせなかった習慣が散歩である。「目覚めると、まずは新聞を買いに家を出てエスプレッソを飲む。ただそれだけで頭の中がゼロになるの。そのうち新聞の面白い写真が目にとまり、それが着想のもとになったことも。煮詰まると、一日に何度だって散歩に出かけたわ」。

画像: 愛犬のブルドック、さくらちゃん。ミラノ時代の散歩の良きパートナーだった PHOTOGRAPH BY TAKAKO KABASAWA

愛犬のブルドック、さくらちゃん。ミラノ時代の散歩の良きパートナーだった
PHOTOGRAPH BY TAKAKO KABASAWA

 穏やかな空気をまとう林さんだが、「実は、じっとしていられない性分なのよ。家で時間を持て余すとね……何でも自分の好みに塗ってしまうの」と、極上の“ひとり遊び”を打ち明けてくれた。ミラノではピアノをペンキで白く塗り、さらにその上から珈琲で煉瓦モチーフを描いた。東京に戻ってからも、拾ってきたドングリやエッフェル塔や手の模型をマジックで黒く塗ってみたのだと笑う。

画像: ミラノの自宅の一室。壁に溶け込むように白化粧を施したピアノは、わずか一日で仕上げたそう PHOTOGRAPH BY TAKAKO KABASAWA

ミラノの自宅の一室。壁に溶け込むように白化粧を施したピアノは、わずか一日で仕上げたそう
PHOTOGRAPH BY TAKAKO KABASAWA

画像: 「黒いマジックは何本も揃えている。そういうことへの努力は惜しまないの」と言う林さんは、悪戯を企てる少女のよう

「黒いマジックは何本も揃えている。そういうことへの努力は惜しまないの」と言う林さんは、悪戯を企てる少女のよう

「今日はどんなテーマを自分に与えようか、そう思って毎日を過ごすことを自分に課している。特別なことに限らず、何だっていいのよ。どうせ目が覚めるんだから(笑)、充実の焦点をどこに置くかを真剣に考えなきゃ。煮詰まったら、散歩に行けばいい」。
  そうは言っても、生きるということは煩わしいことも隣り合わせでは?と問うと、少し考えて「自分を助けるのも自分、ダメになるのも自分。」という答えが静かに返ってきた。

画像: 「人間だから余計な感情もあるけれど、固執せずに捨ててしまえばいいの」。散歩の途中で拾った枯葉やドングリをマジックで無心に塗っていると、いらない感情はいつの間にか消えてしまうと言う

「人間だから余計な感情もあるけれど、固執せずに捨ててしまえばいいの」。散歩の途中で拾った枯葉やドングリをマジックで無心に塗っていると、いらない感情はいつの間にか消えてしまうと言う

“クスッ”と笑えるエッセンスをまとう

画像: 「HIROKO HAYASHI」のブティックにて。この日の装いは、イントゥーカのカシミアニットに、ヨウジヤマモトのベルベットのパンツというオールブラックの装い。存在感のあるセルフレームの眼鏡は林さんのアイコン、パールのように艶めくホワイトヘアとのコントラスも美しい

「HIROKO HAYASHI」のブティックにて。この日の装いは、イントゥーカのカシミアニットに、ヨウジヤマモトのベルベットのパンツというオールブラックの装い。存在感のあるセルフレームの眼鏡は林さんのアイコン、パールのように艶めくホワイトヘアとのコントラスも美しい

 約3年前、林さんはミラノから東京へ拠点を移した。ワードローブを満たしていた洋服も厳選し、100足あったシューズは10分の1に。「好きなものしか買わない。だから持っているもものは全てが一軍なの」と言う林さんだが、その多くを潔く手放し、わずか6個のスーツケースにミラノでの30年間を詰め込んで、帰国した。

画像: 100足の中から選び抜いてスーツケースに収められたという、ミラノ時代から愛用のパラブーツ

100足の中から選び抜いてスーツケースに収められたという、ミラノ時代から愛用のパラブーツ

「洋服のほとんどは、黒、白、ベージュ、グレー。色がベーシックなだけに、素材に魅力を感じることが選ぶ基準。その中にクスッと笑える要素を感じられたらベストね」。よく見ると、ヨウジヤマモトのパンツはアシンメトリー、左右で幅も長さもさりげなく異なる。林さんのユーモアを求めるセンサーが、すかさず引き寄せたという。

画像: 「HIROKO HAYASHI」のアーカイブより、林さんお気に入りのバッグ。「牛革なんだから、牛に戻してあげたいと思ったのよ」という思いから角の生えたバッグをデザイン(左のバッグ)。ユーモアのある発想だが、根底には上質な素材へのリスペクトがある

「HIROKO HAYASHI」のアーカイブより、林さんお気に入りのバッグ。「牛革なんだから、牛に戻してあげたいと思ったのよ」という思いから角の生えたバッグをデザイン(左のバッグ)。ユーモアのある発想だが、根底には上質な素材へのリスペクトがある

 「たとえば、同じデザインのシューズを黒と白の色違いで2足買って、その日の気分で左右異なる色を履くのよ。散歩をしながら“黒、白、黒、白”と呟くだけで楽しいじゃない」。既存のジャケットのボタンを、ひとつひとつバラバラのデザインのものに付け替えることもお手のもの。左右のレンズでフォルムが異なる、ユニークな眼鏡も愛用品のひとつだ。
 お気に入りのアクセサリーを撮影用にお持ちいただきたいというリクエストには、「作る人もさることながら、買った私も見事でしょ」と陶製の蛸のネックレスをご披露。

画像: 吸盤までリアルに表現された蛸のネックレスも、林さんが身につけた途端にモードな気配に変わりそう。下は、シャボン玉のネックレス。ともにミラノで購入したもの

吸盤までリアルに表現された蛸のネックレスも、林さんが身につけた途端にモードな気配に変わりそう。下は、シャボン玉のネックレス。ともにミラノで購入したもの

 ある時は、友人と待ち合わせたレストランへ、縁日で見つけた黒猫の風船を連れて、何食わぬ顔で林さんが登場したと聞く。隙のないモノトーンの出で立ちと、ヒョウキンな猫の表情とのギャップに、一同は相好を崩したそうだ。またある時には、自宅で真っ赤な口紅つけて鏡の前にひとり向かい、マスクをずらしながら“こんにちは”と挨拶をしてみたとも。モードでクールなたたずまいと、独創的な遊び心が溶け合い、なんともチャーミングな空気が林さんから放たれる。

画像: 時計は、“大人の不良”をテーマに「Grand Seiko」とのコラボレーションから誕生した限定モデル。リングは裁縫用のシンブル(指ぬき)をモチーフにした「HIROKOHAYASHI」のロングセラー

時計は、“大人の不良”をテーマに「Grand Seiko」とのコラボレーションから誕生した限定モデル。リングは裁縫用のシンブル(指ぬき)をモチーフにした「HIROKOHAYASHI」のロングセラー

「自分で自分を楽しくするんです。自分が凹むことが一番よくないから」と柔らかな声で語る。「身にまとうものにユーモアを加えて、自分の気分を上げる。くすっと笑えるものは、とっても大事。ファッションも、自分を助ける“味方”なのだと思います」。
 これまでで最も記憶に残る買い物は何かと伺うと、「ピンクの毛皮!」と、またも意表をつく答え。「スカラ座に行くのに一度着たきりよ」。そんなコートを羽織った林さんは、満開の桜のごとく美しいだろう。

画像: 光の加減でシャンパンゴールドに輝くホワイトヘア(ナチュラルヘアなのだそう!)は、ジュエリーを纏っているかのよう。ふとした仕草さえも優雅に感じさせる

光の加減でシャンパンゴールドに輝くホワイトヘア(ナチュラルヘアなのだそう!)は、ジュエリーを纏っているかのよう。ふとした仕草さえも優雅に感じさせる

林ヒロ子(デザイナー)
18歳から20年間トップモデルとして活躍。モデル時代からモノ作りに強い関心をもち、デザイナーを志す。1984年にデザイナーとして独立し、'93年から単身ミラノにわたり、『HIROKO HAYASHI』を設立。「モノを作ることは、自分と向かい合うこと、自分を探求すること」と、情熱をもってモノ作りに取り組んでいる

好奇心を羅針盤に、今も続く創造の巡礼
染色家 二宮とみさん

【2023年4月公開記事】

BY TAKAKO KABASAWA, PHOTOGRAPHS BY MASATOMO MORIYAMA

画像: 二宮さんの好奇心が一つ一つ輝く、宝箱のようなアトリエ

二宮さんの好奇心が一つ一つ輝く、宝箱のようなアトリエ

 色鮮やかなスモックや幾何学的なストール、優しい物語を秘めたテキスタイルアートからダイナミックなタペストリー、植物の姿を映したエコプリントのTシャツまで……。これまでに二宮さんが手がけてきた作品のスタイルは実に幅広い。どんな肩書きで表記すべきかという筆者の問いかけに、「私ね、Netflixで観た映画『Mr.ノーバディ』のような人になりたいのよ。肩書きは何もないのに、実はプロフェッショナルな面を持つという人に」とチャーミングに微笑む。
 染色との出合いは、高校時代に遡る。お母様が民藝協会に所属していたことから、住まいには日本中から集められた、名もなき職人の手による藍染めや更紗のタペストリーが飾られていた。ある日、学校から帰ると出入りの呉服商が手にしていた鳥文様の琉球紅型に目を奪われる。鮮明な配色、大胆な図形に一瞬で魅了され、そんな反物を自分で染めてみたいと女子美術短期大学のテキスタイルデザイン学科(現在のアート・デザイン表現学科)へ進む。卒業後は、無形文化財保持者である芹沢銈介が主宰する「このはな会」に所属。型絵染めの“いろは”を学びながら、芹沢銈介の審美眼に間近で触れる時間を過ごす。

画像: 「このはな会」で初めて手がけた型絵染めの立ち雛。軸装して今でも上巳の節句に飾っている

「このはな会」で初めて手がけた型絵染めの立ち雛。軸装して今でも上巳の節句に飾っている

 高校時代に一目惚れをした紅型の世界を目指していた二宮さんだが、「このはな会」で様々な人の作品を目にするうちに、広幅の木綿を規則的に彩る幾何学的な文様の美しさに目覚める。民藝の世界の作家の登竜門である国画会を目指し、国展の公募に挑戦。「実はね、6回落ちちゃったのよ。7回目でようやく審査が通って、上野の東京都美術館に作品が飾られたときは本当に嬉しかったわ」。“七転八倒”しながら、“六転び七起き”で掴んだ国画会には、その後40年以上在籍し続けることとなる。

画像: ご自宅の庭に広げたシルクスクリーンの作品。二宮さんの視線を通すと、何気ない景色さえも異彩を放つ

ご自宅の庭に広げたシルクスクリーンの作品。二宮さんの視線を通すと、何気ない景色さえも異彩を放つ

 二宮さんは、学び続ける人である。いつでも感性のアンテナに従って挑戦し、その度に壁にぶつかっても道を探求し続ける。国展に入選した後、母校の染色研究室に在籍し教鞭を執りながら、もっと自由なテーマや色を求め続けた。50歳を過ぎた頃に大学の夏休みを利用し、ロンドン芸術大学のカレッジ「セントラル・セント・マーチンズ」にて、シルクスクリーンの短期講座に通う。「それまでは分厚い木綿にばかり作品を染めていたので、薄いシルクが教材で配られた時に、びっくりしたのよ。それはもう、刺激的だったわ」と当時の興奮が蘇るよう。日本でも再現したい、学生にも教えたいという情熱から八王子でシルクスクリーンの加工を手がける工場に直談判し、10年間通い続けながら染料の知識と技術を習得する。

画像: 自宅の庭に集う小鳥を描いた作品は、どこかユーモラスな表情と独創的な配色が愛らしい。シルクスクリーンとの出合いによって、ストールやトートバッグなどファッション小物を手がけ始めたのもこの頃

自宅の庭に集う小鳥を描いた作品は、どこかユーモラスな表情と独創的な配色が愛らしい。シルクスクリーンとの出合いによって、ストールやトートバッグなどファッション小物を手がけ始めたのもこの頃

感動をパッチワークして、自分にしかできない作品を

画像: 作品の制作過程を配信している二宮さんのInstagramにアメリカ人からコメントが寄せられ、スケッチに馬を描き足したという

作品の制作過程を配信している二宮さんのInstagramにアメリカ人からコメントが寄せられ、スケッチに馬を描き足したという

 シルクスクリーンは、色数が多い手描きの図案が転写できる面白さが型絵染めとの大きな違いだという。「当時はマリメッコのような大きな柄が主流だったので、それも惹かれましたが、他に人がやっていないこと?自分は一番好きなものは何か?本当に自分にしかできないことは?といつでも考えていました」。二宮さんが自問自答の疑問符を地図に行き着いたのは、微細なラインを自在に操れるシルクスクリーンの特徴を生かした、緻密な描写を凝縮させた作風だった。「心に焼き付いた印象を、熟成させるの。写真をコラージュするように、感動したものをパッチワークする感覚で図案化するのよ」と、図案を生み出す最初の一歩について語る。

画像: クールマイユールにて、ご主人とのスキー旅行の思い出を収めたコラージュ。教会のステンドグラスだけを集めたページや、スキー板のように空を切り抜いたりと遊び心が凝縮。作品のインスピレーションの素となることも

クールマイユールにて、ご主人とのスキー旅行の思い出を収めたコラージュ。教会のステンドグラスだけを集めたページや、スキー板のように空を切り抜いたりと遊び心が凝縮。作品のインスピレーションの素となることも

 3年前に世の中がコロナ禍で静まりかえった時期に、二宮さんはエコプリントという新たな染色のツールを手にする。「Instagramを見ていたらね、イギリスのの女性が彩度の低い沈んだ色の染物をとっても嬉しそうに染めているの。私の作品は、色の選定が大切で理想的な色を出すのに、長いときは1週間かかることも。だから、何でこんなに沈んだ色を染めるのか信じられなかったの (笑)」。驚きは感動と紙一重だ。この摩訶不思議な染物が“エコプリント”と呼ばれ、オーストリアやフィンランドなどで約100年続く技法ということを知ると、二宮さんの研究心に火が灯った。

画像: 庭で摘んだドウダンツツジや梅もどきを、「あなたは、こっちね」などと植物と会話するように並べる

庭で摘んだドウダンツツジや梅もどきを、「あなたは、こっちね」などと植物と会話するように並べる

 見よう見まねで染めてみたら、植物のアクが凝縮したような色に。独学でひたすらトライ&エラーを繰り返し、配合は全てノートに記録。失敗したレシピがノート3冊にも及んだほど。そのうちに、Instagramを通してフロリダ在住の日本人のエコプリンターと繋がり、ようやくコツがつかめてきたという。「とにかく実験しかないの。まだ自分だけのスタイルは築けないけど、毎日取り組んだらいつかはできると思うわ」と嬉々として語る表情は、誰も解けない数式に挑む数学者のような一途な純粋さに彩られていた。
 エコプリントのグレイッシュな世界に費やした時間を経て、今はその反動で改めて強烈な色の強さに心が動いているそうだ。「自分を定義せずに“Nobody”でありながら、誰もやったことのない作品を表現していきたいわ」。自分が何者かではなく、どんな物を残すか……それは“誰が作ったのかわからないものにも美しさがある”と説かれた、民藝の世界ともクロスオーバーするようだ。

“美味しい暮らし”が育む優しい笑顔

画像: 季節ごとに彩りを見せる庭の植物はエコプリントの材料にもなれば、食卓や料理を彩るスパイスにも

季節ごとに彩りを見せる庭の植物はエコプリントの材料にもなれば、食卓や料理を彩るスパイスにも

 自宅にアトリエを構える二宮さんにとって、料理は心安らぐ息抜きの時間でもある。「作品に追われて朝方近くまで仕事をしなければならない時でも、ちゃんと料理をして食べることは、とっても大切。そして黙って食べるよりも、誰かと食べることも大切な時間」。ご主人との二人暮らしで互いにキッチンに立つため、料理は夫婦のコミュニケーションの場にもなっている。さらに、二宮家にはアーティストとして巣立った教え子も度々集い、食卓はいつでも賑やかな笑い声が満ちているとか。撮影時にも手料理が振る舞われ、サラダに数種類のナッツやドライフルーツをトッピング。「どうせなら、美味しいものが食べたいじゃない。複雑に混ざると味が深くなるの。お料理も染料を作るのとおんなじね。まだアトリエを構えていなかった頃は、シチューを煮込みながら隣のコンロで染料を煮ていたこともあるのよ」と笑いながら手際よく料理を盛り付ける。

画像: 藍の装飾が美しいロイヤルコペンハーゲンのオーバル皿にはグリルチキンのサラダ、福森道歩さんの伊賀焼の土鍋には熱々のラタトゥイユを。工藝社でお母様が求めたスペイン製のボウルにはクスクスを。器や料理が真っ白なリネンのクロスを表情豊かに彩って

藍の装飾が美しいロイヤルコペンハーゲンのオーバル皿にはグリルチキンのサラダ、福森道歩さんの伊賀焼の土鍋には熱々のラタトゥイユを。工藝社でお母様が求めたスペイン製のボウルにはクスクスを。器や料理が真っ白なリネンのクロスを表情豊かに彩って

画像: ソファの貼り地やクッションは二宮さんの作品。タペストリーとして単に飾るだけではなく、“用の美”としてインテリアに取り入れている

ソファの貼り地やクッションは二宮さんの作品。タペストリーとして単に飾るだけではなく、“用の美”としてインテリアに取り入れている

装いは心を映すものだからシンプルが一番

画像: シックな装いに、ご自身のエコプリントのストールがひと匙のアクセントに

シックな装いに、ご自身のエコプリントのストールがひと匙のアクセントに

 年齢とともに、様々なファッションを重ねてきた二宮さん。好みのスタイルを伺うと「80年代のバネッサ・ケネディの装いがとっても素敵で、毎日Instagramを眺めているのよ」と瞳を輝かせる。白シャツにデニムや黒いパンツ、ノーアクセサリーという、究極のモノトーンスタイルに惹かれるのだという。作品も、インテリアも、食卓も……鮮やかな彩りに満ちていただけに意外な答えだった。60代までは様々なファッションを楽しんできた二宮さんだが、70代の今、基本はモノトーン。一番好きなのはグレーのVネックのセーターだという。「徐々に体型が変わってきて、何を着たらいいかわからない時期もありました。今日は似合うけど明日は似合わないこともある、ファッションには、“心”が表れるのね。だから、どんな気分も受け止めて、おおらかで力の抜けたシンプルなものが一番なのよ」。この日は、肩にタックを寄せた「matohu」のセーターに、エプロンのようにバックスタイルを立体的に折り込んだ「mintdesignsミントデザインズ」のホワイトデニム。モノトーンの装いだからこそ、パターンの美しさが印象的だった。

画像: ホワキンベラオのリングは20年選手。陶芸家の岡野理香さんや彫金作家ノモトヒロシさんのアクセサリーが最近のお気に入り。

ホワキンベラオのリングは20年選手。陶芸家の岡野理香さんや彫金作家ノモトヒロシさんのアクセサリーが最近のお気に入り。

 洋服で引き算した分、二宮さんはアクセサリーにデザイン性のある個性を足し算する。青空を切り取ったような陶板焼のリングや、使われない古い扇風機の真鍮に新たな形を与えたピアスなど……二宮さんらしいエピソードが息づく。最後に、心に残るファッションアイテムを伺うと「ユニクロUのドローストリングショルダーバッグ」と軽やかに即答。「教え子に教えてもらったのよ」と優しく微笑んだ。

画像: ダイヤモンドを縦に連ねたリングや「ミザーニ」の腕時計など、造形的に心惹かれた長年のパートナー

ダイヤモンドを縦に連ねたリングや「ミザーニ」の腕時計など、造形的に心惹かれた長年のパートナー

画像: 扇風機が材料というノモトヒロシさんのピアスが、美しくカールされたグレーヘアに繊細な存在感を放つ

扇風機が材料というノモトヒロシさんのピアスが、美しくカールされたグレーヘアに繊細な存在感を放つ

二宮とみ(染色家)

女子美術大学ファッション造形学科特任準教授・桑沢デザイン研究所非常勤講師を経てnino worksにて、実験教室や作品制作の活動中。著書に『染めのほん』(眞田造形研究所編・デザイン)。

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