親友が語るマノロ・ブラニク

An Insider’s Account of Manolo Blahnik
12月23日からドキュメンタリー映画『マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年』が公開される。46年間にわたって友情をはぐくんできた今作の監督マイケル・ロバーツとブラニク本人の貴重なインタビュー

BY DANA THOMAS, PHOTOGRAPHS BY LAUREN FLEISHMAN, TRANSLATED BY AKANE MOCHIZUKI(RENDEZVOUS)

 2006年に『ニューヨーカー』を離れた後、ロバーツは多くのプロジェクトに参加する一方、ブラニクのために、彼を題材にした短編映画を数本撮った。一作めの『Jealousy!』は、ブラニクのシューズコレクションのひとつから着想を得たもの。タンゴをテーマにした激しいラブストーリーだ。彼らの長年の友人である写真家のルーシー・バーリーと俳優のルパート・エヴェレットが出演しているこの作品は、YouTubeでも観ることができる。

 その後しばらくして、ロバーツは、マノロのカナリア諸島での幼少期をテーマにしたスーパー・エイト方式の白黒映画もいくつか製作した。パリッとした白いシャツにダークカラーのニットベスト、レダーホーゼン(肩紐付きのレザーの半ズボン)を履いた少年が、フォーマルな庭園を駆け回り、トカゲと遊び、キャドバリー・チョコレートバーの包み紙でトカゲのための靴を作る。

 それらの作品のできばえに満足したロバーツは考えた――マノロの人生についての長編映画を撮ったらどうだろう? ブラニクは、ロバーツのアイデアを承諾した。

 この映画製作は、はじめのうちは問題なく進行した。ロバーツは、ブラニクのシューズを静物画のように花柄のベッドやシルクの布の上に置いて撮影し、リアーナやパロマ・ピカソといった著名な顧客や友人たちにインタビューした。また、ブラニクのインスピレーションを描写するため、ルーシー・バーリーとシャネルのクリエイティブ・コンサルタントであるアマンダ・ハーレックに、ヴィクトリア時代の貴婦人のような衣装をまとわせ、英国調の大邸宅の庭を散策する姿も撮影した。

「その日は、時速100マイルのハリケーンがやって来ていたんだ」とロバーツは言う。「本当にあの日はすばらしかったね」とブラニク。ロバーツも「そう、完璧だった」と加えた。

画像: ひとりが話すと、必ずもう片方が言葉をはさむ。ブラニクとロバーツの掛け合いは続く

ひとりが話すと、必ずもう片方が言葉をはさむ。ブラニクとロバーツの掛け合いは続く

 それから、主人公であるマノロのインタビューを撮影しようとした日のことをロバーツは思い出した。「マノロが急に、『僕は映画には出たくない』と言い出したんだ」。「本当に出たくなくなったんだよ」とブラニク。「そこでわれわれは行き詰まってしまった。わかるだろ。彼のすごくすごくすごく社交的な日々は、そこで終わってしまったんだ」とロバーツが返すと、ブラニクは「そういうこと」。

「彼は、レッド・カーペットを歩いたり、そういった類のことはもうやらない。家にいることにしたんだよ」とロバーツは言う。「映画にかかわった人々はみんな、彼に少しでも顔を出してもらいたいと熱望していた。ブラニクの存在は神話的なものになっていたからね。みんなが彼に会いたがり、彼について知りたがった。だから僕は監督だけじゃなく、渉外担当者であり、調教師にもなった。この映画を作り終えるまで、すごくたくさんの役割を務めなければならなかったよ」

「僕は気が変わったんだよ、あのとき……」とブラニクが話すのをさえぎるように、ロバーツが口を開いた。「君が、トカゲと遊んでいる少年を見たときだね。『なんてことだ! 本当にあの時の感じが蘇ってくる』って君は言っていたよ」

 ブラニクが考えを変えたあとでも、二人の友情は変わりなく続いた。それだけでなく、このドキュメンタリー映画を完成させるためのプロセスそのものが、新しい別の何かの始まりとなった。

「もう1本、別の映画も予定しているんだ。もちろん彼と共作でね」とブラニクは言う。「そう」とロバーツ。「だけど、内容は秘密」とブラニク。そしてふたりは、ティーカップを持ち上げて笑った。

『マノロ・ブラニク トカゲに靴を作った少年』
12月23日(土)より全国ロードショー
公式サイト

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