BY SUSANNAH FRANKEL, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO
1993年の春夏コレクションはモンマルトル墓地の両端で同時にふたつのショーを行なった。一方がモデルの衣装も招待状もすべて白なら、もう一方は黒。パリで行なわれた1997-'98年の秋冬コレクションの会場は3カ所。ヴィンテージのファーコートで作ったウィッグをつけたモデルたちが陰気なベルギーのブラスバンドを引き連れて、貸しきりバスで移動する。会場に到着すると待ち受けていた観衆がほろ酔い加減で出迎える。どのマルジェラのショーでもサービスされる白いプラスチックのカップに入った芳醇な赤ワインを飲みすぎたらしい。
ショーのキャスティングも異例だった。モデルはストリートやファッション以外の交友関係から探し出してきた人たちだ。今の時代ならよくある話だが、当時としては前代未聞だった。「もちろん、プロのモデルに着せるほうがラクよ」 とメイレンスは言う。「でもね、女性は完璧であらねばならぬという考え方はいただけないわ。私は何かを表現できるストリートの女性のほうが好きよ。美しい女性より強い女性のほうが好きなの」。ときにはモデルの顔を布で覆い、服だけに観客の注意を向かせようとした。
マルジェラは事あるごとにファッションのシステムに異議を唱えてきた。1989-'90年の秋冬コレクションでは、メイレンスはフリーペーパーに日時と場所を知らせる案内広告を出した。そして、 マルジェラのチームが配布されたフリーペーパーを 何百部も集めてきて、広告の部分を赤く囲んで郵送した。「これほどお金のかからない招待状はないでしょ?」とメイレンスは言う。あるときは、バイヤーとプレスに電話番号を書いただけの何の変哲もない白いカードを送り、ボイスメールでショーの日時と場所がわかる仕組みにした。
こうしたアイデアは斬新ではあったが、どれも服がよくなければ何の意味もなかっただろう。「マルタンの最も優れているところは、どこにでもある手頃な値段のポピュラーな素材を個性的で魅力的な服に変えたこと」とメイレンスは言う。マルジェラは一貫してあまり高価でないメンズスーツの服地や光沢のある黒い裏地を使った。クリスマスツリーの飾りでチャビーコートを、金色のプラスチックリングでシースドレスを作った。さりげない切りっぱなしの裾、外側に出た縫い目、精肉店の革製エプロンやアンティークなウェディングドレスなどのヴィンテージの古着を作り替えた服や、マルジェラの代名詞ともいえる上下、裏表を逆にした服。批評家はマルジェラのクリエーションを説明する言葉を必死で探した。
そして、マルジェラのスタイルは「脱構築(デコンストラクテッド)」と呼ばれるようになる。メゾンがこの言葉を使ったことは一度もないのだが。 ハイファッションともローファッションとも言えない単なる“遊び”という評価はさておき、マルタン・マルジェラ自身は卓越した職人だった。とりわけ、ショルダーのデザイン― 肩を強調したライン、肩パッドを入れたハイショルダー、ナローショルダー(狭い肩幅)、極端なブロードショルダー(広い肩幅)― は今日までずっと研究され続けてきた。