ファッションに計り知れない影響を及ぼしたマルタン・マルジェラ。彼のそばにはひとりの女性の存在があった。これは彼女の物語である

BY SUSANNAH FRANKEL, TRANSLATED BY FUJIKO OKAMOTO

 メイレンスとマルジェラは多くの点で互いに補い合っていた。ラフ・シモンズは言う。「ジェニーはビジネスマインドをもった女性だ。心の底から事業を始めたいと思っていて、たくさんのアイデアを提案していた。当時のマルタンのアイデアはかなり過激なものだった。そんなアイデアを聞いて、『オーケー。それじゃあ、会社を作りましょう』と言えるのはジェニーだけだった。当時のファッション業界は今とはまったく違っていたからね。ジェニーとマルタンのすごいところはすぐに 大きなビジネスを始めたことではない。ふたりがお互いの強みを知っていたことだ。だから、ジェニーはあ えて自分がリスクを背負う覚悟をしたんだと思う。普通はほかの人に任せてもいいような仕事まで、すべての責任を引き受けた。マルタンをデザイン以外の仕事から解放してあげたかったんだ」

画像: ラ・シャペル駅近くにある、メタリックなカーテンで仕切られたアトリエを見て回る マルジェラのスタッフ(1994年) PHOTOGRAPH BY ANDERS EDSTROM

ラ・シャペル駅近くにある、メタリックなカーテンで仕切られたアトリエを見て回る マルジェラのスタッフ(1994年)
PHOTOGRAPH BY ANDERS EDSTROM

 メイレンスは2003年に引退するまで、「メゾン マルタン マルジェラ」の経営に可能な限りの力を注いだ。「疲れてしまったの」とメイレンスは引退の理由を打ち明ける。ファッションの振り子はブランド品やステータスの象徴のような高級な服へと戻ってしまった。まさに、メイレンスがずっと抵抗しつづけてきたスタイルだ。会社を売却した資金でプーリアの海辺の別荘、ルナと名づけた犬、パヨッテンラントの丘に土地を買った。メイレンスは今、そこに建てた家でほとんどの時間を過ごしている。

 その家はブラックの塗装が施されている。これは「ホワイト」の否定でもある。「ホワイト」(マルジェラ流に言えば「ホワイツ」)はマルジェラの最も有名なシグネチャー。現在ジョン・ガリアーノが率いる『メゾン マルジェラ』のスタッフは以前と変わらずマルタンが白衣をイメージして作った白いコートを着ている。フィッティングのときにモデルが羽織っているのも同じ。ショート丈のものはパリのアトリエの職人のユニフォームになっている。

 マルジェラ本社は床から天井まで白で統一され、リサイクルショップで見つけた家具は白いコットンで覆われていた。時間の経過とともに変色する「ホワイト」、汚れや黄ばみが教えてくれる歳月の経過。マルジェラはそんな変化を楽しんだ。白い内装は経済的でもあった。「古いものを修理して使う」というマルジェラとメイレンスが共有した考え方に従って、環境に配慮する姿勢も明確に示した。広報責任者だったスカロンによれば、毎晩、郵便物は紙封筒ではなく白いコットンの封筒に縫い込んでいたという。スカロンがある日、「お礼の品を送らなければならない」と言うと、マルジェラはゴミ箱から取り出した白いビニールのレジ袋で天使の飾りを作った。 

「ジェニーが世界を“黒”で見るなら、僕は“白”で 見る」とマルジェラは言う。「僕たちには世代の差があったけれど、惹かれ合い、ともにファッション界の常識に挑んで、互いに感心させられることばかりだった。 僕たちは完全な運命共同体になった。若いファッションデザイナーにとって、スタートが肝心なのは言うまでもない。ジェニーが僕の途方もない夢を現実のビジネスに結びつけてくれたことに、今でもすごく感謝している」

 メイレンスの自宅の2階の踊り場に置かれた大きなチェストの上に、ヴィンテージの額縁が縦に並んで飾られている。額縁だけ。中身がないのだ。キャンバスが雑に取りはずされ、古くなった裏板がむき出しになっている。今やマルタン・マルジェラの代名詞となったタグを思わせる。コンテンポラリーなファッションを形作った立役者とは思えないほど、メイレンスは謙虚だ。「『クリエイティブな表現の自由、勇気、信念』を タグの生成りの白いコットンで示したことが、私の最も誇れる仕事だわ」

T JAPAN LINE@友だち募集中!
おすすめ情報をお届け

友だち追加
 

LATEST

This article is a sponsored article by
''.