BY KOTARO KASHIWABARA
いま脚光を浴びる「デスティネーションレストラン」とは
ここ数年、地方に素晴らしいレストランがいくつも出来ていることに気づく。それらはデスティネーションレストランと呼ばれ、そこで食べるためだけにわざわざ出かけるレストランと定義される。そして、地方の豊饒な食文化をローカルガストロノミー、食を中心に据えた観光をガストロノミーツーリズムと呼び、いまや「食(ガストロノミー)」を使って、地方にもっとインバウンドを呼び寄せようという動きが日本中で起こっている。その背景にあるのは、日本の食への高い評価だ。
興味深い調査がある。コロナで世界中がロックダウンした2021年に、終息したら旅したい国を聞いたアンケートで日本は1位。しかも、その理由は「美味しいものが食べられるから」だった(2021年10月実施「訪日外国人旅行者の意向調査」)。近年、日本は貧しくなったと言われるが、食は世界に誇れるキラーコンテンツなのである。
かつて旅は絶景や地方文化、スポーツなどを楽しむために訪れ、せっかくなら美味しいものも食べようというものだった。しかしいまや、美味しいものを食べるために旅をし、せっかく行くなら周辺も楽しもうと、主従が逆転してきたのである。私も最近、数多くのデスティネーションレストランを訪れているが、彼らがなぜ地方で開業したのかと聞くと共通の特徴がある。
東京には世界中の一流の食材が集まっている。だが、その食材は東京に届くまでに角が取れて丸くなっているように私は感じる。いっぽう地方にある食材は東京の数分の一かもしれないが、突き抜けているものばかり。彼らはキャビアやトリュフはなくても、圧倒的なポテンシャルの食材を使いたいのである。
どちらの食材を好むかは料理人の好みの問題だが、かつては地方食材を使って先鋭的な料理を作ろうとしても、経済的に成り立たないことが多かった。ところがネット社会の発達により、フーディーと呼ばれる食いしん坊が日本中の美味しいレストランを探して訪れるようになってきたことで、地方でも経営が成り立つ素地が出来たのである。ならば、日本中の素晴らしいデスティネーションレストランを訪れ、ガストロノミーツーリズムを楽しみたいと私は思っている。
Vol.1「成希」(富山県・氷見市)
【2024年5月公開記事】

いま、食通たちが熱い視線を送る富山県・氷見市の「成希」(なるき)。割烹料理と握り寿司で構成される「おまかせコース」(¥15,000~)を提供している

富山県・氷見市の「成希」での至福の一皿。真フグの白子、ヒラメのからすみ、わさび菜の寿司。クリーミーな白子にわさび菜のピリリとした味わいが合う
富山県氷見市は能登半島の付け根にある。このたびの能登半島地震では石川県輪島市や珠洲市、七尾市などが多大な被害を受け、クローズアップされているが、実は氷見市も震度5強に襲われ、断水も長く続いた。
その氷見市にあるのが「成希」である。氷見市は冬のブリで知られるが、氷見漁港には季節を問わず、富山湾や日本海の海産物が毎日数多く水揚げされ、金沢の料理店も氷見の魚を使うところが多い。富山県は2023年、新田県知事が「10年かけて寿司といえば富山と呼ばれるようになりたい」というプロジェクトを発足した。私も富山県にはずいぶん足を運んでいるが、白エビ、ホタルイカ、紅ズワイがにといった海の幸の豊富さには毎回驚く。

店内はカウンターと個室2部屋。手入れが行き届き広々とした厨房が印象的だ
だが、富山の寿司はなまじ食材がいいだけに、江戸前寿司のように「仕事」といわれる技術でカバーするより、富山産のうまい米のシャリに新鮮な富山湾の魚をのせただけの寿司が多い。それでリーズナブルなのだから、富山寿司の魅力は認めるのだが、この素晴らしい食材に仕事が加わったら、鬼に金棒ではないかと私は思っていた。いまでも県内にそういう店はいくつもあるし、食べログやミシュランでも評価されているが、実数はまだ少ない。そんな中で一部のフーディーが注目し始めているのが「成希」なのである。

店主の滝本成希氏。都内の老舗寿司店や有名寿司店で修業を重ね、2022年7月にふるさとの氷見で「成希」を開店した
主人の滝本成希さんは氷見で生まれ育ち、音楽関係の仕事をしていたが、イギリスで腕前を試したいと考えて渡英。約6年間暮らす中、アルバイトで日本料理店の寿司部門で働いたことをきっかけに、帰国してから本格的な寿司修業に入った。最初に入った銀座の老舗「久兵衛」では31歳にして一番下。10歳以上年下の先輩から学びを得る毎日だった。
「銀座本店には60人以上の寿司職人がいて、一回転130人。土曜昼には3回転するような店でしたからスピードをもって仕込みをすることを学びました。8年いましたが、最後の一年はホテルオークラや大阪帝国ホテルで仕込みから握りまで体験しました」

カウンター越しに、磨きをかけた技で寿司を握る様子を堪能できる
その後、ミッドタウン日比谷に出来た「鮨なんば」で大将の難波英史さんと板場に立ち、久兵衛とは違う難波スタイルのこだわりを学んだ。そして最後の一年間、新橋の日本料理店で日本料理の修業を積み、2022年7月に生家で開業した。

富山湾の甘海老に炊いた花わさびを添えて。甘海老の甘味が日本酒をすすませる

氷見のたけのこを使った若竹煮。春ならではの味わい
私は2023年にはじめて訪れたが、隠れ家のような外装なのに室内の優雅さに驚いた。50坪の中に、広々とした厨房と11席までのカウンター、6人掛けの個室がふたつあるだけなのだ。
「母がコンビニをやっていた場所を改装したので広いんです。こぢんまりとすることも考えたんですが、地方でやるのなら家賃が高い東京ではできない使い方をしたいと思って。でも、いまは半分も使っていませんけれど」

能登牡蠣オイル漬けは、ふっくらした牡蠣の甘さに驚かされた
東京での修業を活かしながらも、氷見や能登をコースで表現したいと考え、魚は氷見港で揚がったものが中心。
「氷見には庶民的な寿司屋が多い中で、うちは高いほうかもしれません」というが、これだけの内容で15,000円とは、値段がすべてとは言わないものの、東京ではあり得ない。しかも、先述したように富山の魚に江戸前仕事が加わった、鬼に金棒の店なのである。

富山に来たらまずは味わいたい白エビの握り

ひらめの縁側の昆布締め。富山は昆布締め文化だけに酢飯との相性が抜群
この日は、富山産の甘海老に花わさびを和えた酒肴からスタート。白バイ貝の磯部焼、氷見のたけのこ、能登牡蠣のオイル煮など、地元の食材が続く。それは握りに入っても変わらない。これからが旬の白エビや、マグロは氷見で揚がった20キロクラスを漬けと中トロで。だが、白眉は七尾の稚鮎の酢〆。コハダとは違った旨さを堪能した。

氷見で揚がった20キロほどのマグロ。香りが素晴らしい

氷見のマグロの中トロ。軽い味わいの脂が旨い

軽く酢でしめたコハダは身の旨さが際立つ

七尾で獲れた稚鮎を酢締めで。コハダとは違う旨さ
寿司のお供はもちろん富山の日本酒。地元の氷見唯一の酒蔵である曙の純米吟醸「獅子の舞」から始まり、千代鶴「恵田」、三笑楽の純米酒など、東京では入手困難な酒を滝本さんのおまかせで楽しんだ。

提供される日本酒は、店主がセレクト。氷見の高澤酒造「曙 獅子の舞」など、東京ではなかなかお目にかかれないものばかりだ
PHOTOGRAPHS BY KOTARO KASHIWABARA
「今回の地震では、うちも一週間断水して営業できませんでしたし、港周辺には赤紙が貼られて解体しなくてはならない家もたくさんあるし、海底の隆起や地滑りで漁港も被害にあっています。1月はブリの最盛期でしたが、地元で消費できずに値段も下がりました。しかし石川県の方々にくらべれば氷見は大した被害ではない。私も炊き出しに参加しましたし、声高に語らないのが富山県人の特性なんです」
道路の復旧も進み、氷見市の観光客の受け入れ体制は進んでいる。これからはいわしやマグロ、真鯛が美味しくなるし、近辺には温泉もある。成希をデスティネーションレストランとし、冬の氷見とはひと味もふた味も違った旅が楽しめる季節である。
「成希」(なるき)
住所:富山県氷見市幸町32-31
TEL. 0766-74-5151
完全予約制
公式サイトはこちら
Vol.2「飯箸邸」(長野県・軽井沢)
【2024年6月公開記事】

軽井沢で評判のイタリアン「飯箸邸」(いいはしてい)。昼夜共通でアラカルト中心のメニューが魅力だ
話題を呼ぶ「デスティネーションレストラン」の現在地
英字新聞の老舗ジャパンタイムズは、2021年から毎年、日本各地に点在する訪れるべき10店を「Destination Restaurants List」として発表しているが、この5月24日、「第4回 The Japan Times Destination Restaurants」の受賞レストランが発表され、28日に麻布台ヒルズで授賞式が行われた。
「Destination Restaurants List」は、東京23区と政令指定都市にあるレストランは選出対象にはしないという、徹底的にローカルガストロノミー(地方の豊饒な食文化)にこだわったもの。北海道から沖縄までの10店の中から、今年の「Restaurant of the Year」は北海道中川郡豊頃町の「Elezo Esprit」が選ばれた。私も開店直後に訪れており、素晴らしい施設と哲学に共感したから、その受賞にはまったく異存がない。授賞式では佐々木章太シェフにお祝いの言葉を伝え、北海道での再会を約束した。
私は前回の記事で、ここ数年でデスティネーションレストランと呼ばれる素晴らしいレストランが地方に出来ており、そこで食べるためだけにわざわざ出かけるガストロノミーツーリズムが日本各地で行われていることを記した。そして北陸応援の気持ちを込めて富山県氷見市にある寿司「成希」の素晴らしさをお伝えしたが、ジャパンタイムズのアワードも同じように、ローカルガストロノミーを表彰している。審査員のひとり、実業家の本田直之氏は授賞式で、「すでに審査のバックリストには100軒以上のレストランがあるが、毎年素晴らしいレストランが続々誕生するので、それを更新するのが大変なくらいだ」と述べていたが、私も同意する。この連載でもご紹介したい店は日本中に数多くあるからだ。

飯箸邸はモダン建築の大家、坂倉準三が設計した邸宅を軽井沢に移築した一軒家レストランだ
進化する軽井沢の地で豊かな食文化の一端を担う「飯箸邸」
その中で今回ご紹介する「飯箸邸」はローカルガストロノミーにこだわりつつも、軽井沢という立地をうまく捉えた店として、この数か月で一番印象に残った店だった。最近、北海道や東北、北陸、四国、九州など、観光地でもなく交通も不便な場所にあるデスティネーションレストランの動きとは別に、東京から2時間以内くらいの郊外にもまた素晴らしいデスティネーションレストランが出来ている。たとえば鎌倉や山梨、湯河原、外房といった地域である。
軽井沢もそうした地域のひとつ。ご存知のように、軽井沢は日本随一のリゾートであり、年間850万人もの観光客が訪れるのだが、その実態は半数近くがアウトレットモールを訪れる買い物客で、古くからの別荘族はどんどん減っている。だがその一方で、外資系金融業やITなどで成功した40代、50代の富裕層が別荘を建てたり、移住してきており、新しい文化が生まれてきているのだ。
彼らは「旧軽」と呼ばれるかつてのエスタブリッシュメントの象徴のような場所にはこだわらず、自分たちのライフスタイルに合った場所に家を作り始めた。そして彼らの食文化需要に見合う形で、料理人たちが続々と軽井沢の郊外に店を出すようになってきたのである。しかも軽井沢町を超えて、佐久市、御代田町、小諸市、東御市といった、近隣の都市にもその動きが広がっている。
もちろん、軽井沢の中心部の家賃が高くなりすぎたという事情はあるだろう。だが、それ以上に郊外が魅力的になり、わざわざ訪れるに足る、つまり軽井沢を中心としたガストロノミーツーリズムのエリアになっているのだ。その象徴的な例は軽井沢から車で30分近くかかる信濃追分にあるレストラン「NAZ」である。30歳の料理人、鈴木夏暉シェフが26歳のときに開いたレストランで、「発酵」をテーマに独立。オープン直後から軽井沢の別荘族のフーディーたちに「発見」され、いまや予約は1年以上取れない。

「飯箸邸」の庭からの外観。趣があって美しい
そのNAZから歩いて10分ほどのところに「飯箸邸」はある。ル・コルビュジエに師事したモダン建築の大家、坂倉準三が設計し、もともとは世田谷にあった飯箸邸を移築した一軒家レストランで、目の前には広い芝生がひろがる。かつて三國清三シェフのフランス料理店があったが、閉店後そのままとなっていたものを、オーナーの宮部拓也氏が一目で気に入り、ほぼそのままのかたちで譲り受けた。

坂倉準三の著作が置かれた一角
もともと宮部氏は参宮橋「レガーロ」や中目黒「アウダーチェ」などでサービスマンの経験を積み、サービス主導のレストランをつくりたいと考えていた。「レストランブライダルができる店がいいと当初は都内で探していたのですが、ここを紹介されて、かつて行ったことのあるイタリアの郊外のレストランに似ていると思ったのです」(宮部氏)

(左から)御膳番の望月清登氏、オーナーの宮部拓也氏、シェフの杉本誠也氏
シェフは広尾「アクアパッツアァ」で経験を積み、直近は下北沢「クオーレ・フォルテ」にいた杉本誠也氏。さらに和食「件」にいた望月清登氏を御膳番(アシスタント)として加えた3人でスタートした。契約したのは昨年10月だったが、今年1月末にオープンと聞いたときには驚いた。私も軽井沢には長年ご縁があるのでわかるが、1月末の軽井沢は極寒の地。観光客はもちろんのこと、別荘族も正月を過ごして帰り、ほとんどよそ者が訪れない時期だからだ。「もちろん人は少なかったのですが、東京時代のお客様も来ていただいたし、我々も徐々に慣れることができ、いい経験でした」(宮部氏)
私も開店情報は事前に聞いていたが、実際に訪れたのは春。その頃には3人の呼吸も合い、気持ちのいいサービスを受けた。

南伊豆産金目鯛のアクアパッツァ飯箸邸風。シェフの修業先のスペシャリテを飯箸邸風にアレンジ。クリアなスープが印象的
飯箸邸の一番の特徴は昼夜一緒のメニューで、アラカルト中心なこと。所望されたとき用のコースはあるが、出来ればアラカルトで食べていただきたいと宮部氏は言う。「ランチメニューを作らなかったのは、それ専用の安価な食材を仕入れたくなかったから。ランチだからという言い訳を作りたくなかったんです。それにここは庭の見える昼のロケーションが素晴らしいのでゆっくりしていただきたいと思ったのです。でも前菜とパスタだけでもいいですし、夜に2軒目にいらして、デザートと飲み物のオーダーだけでもかまいません」
また、極端なローカルガストロノミーにはこだわらず、シェフの出身地の南伊豆や北海道の食材であっても、いいものは使っている。地産地消のストイックな食材でヒリヒリするような料理は、時代とともに進化する食文化を感じさせるが、無意識のうちに「旨い」と思わせるような料理も、軽井沢のように成熟した文化の地域には似合うと思う。これからのガストロノミーツーリズムは、この2極のあいだで動いていくように私は感じている。「まだ軽井沢の方々とのつながりが少ないせいもありますが、少しずつ関係が出来て、この地域の食材も増えてきましたね」と宮部氏もほほ笑む。

長野県産信州黒毛和牛フィレの炭火焼。フィレの味わいのある柔らかさがワインと調和する
この日いただいたのは、シェフの修業先のスペシャリテをアレンジした「南伊豆産金目鯛のアクアパッツァ飯箸邸風」「北海道塩水雲丹のリングイネ」「長野県産信州黒毛和牛フィレの炭火焼」の3種。飯箸邸のメニューは仕入れ状況により変わるが、そのなかではオーソドックスな皿を選んだ。誰が食べても「うん、美味しいね」と言える味に整っている。

北海道塩水雲丹のリングイネ。パスタは食材さえあれば、リクエストにも応じる
「私は軽井沢のほかの地域を知りませんが、信濃追分は窮屈さがないところが気にいっています。お客様も2拠点で住まわれる40代以上の落ち着いた方が多く、みなさんご自分の好みで使っていただいています。うちはお子さんの入店もかまいませんので、家族連れの方も多い。ゆくゆくは、お子さんの成長を一緒に見守れるようなレストランになれるといいと思っています」

1階の個室。窓から差し込む光と庭の光景に、避暑地・軽井沢の息遣いが感じられる

2階から見るダイニング風景

芝生がまぶしい庭が目の前に広がる

グラスワインはすべてイタリアのもの

食後酒を選ぶのも楽しいひとときだ
ゴールデンウィークは、それまで60%しか受けていなかった予約を試験的に100%受けたところ、連日満席が続き、てんてこ舞いだったという。ただ、それを機に予約を増やすのではなく、また前のとおりの席数に減らしたというのが宮部氏らしいエピソード。
「せっかく信濃追分まで来ていただいて、きちんとしたサービスが出来ないのは申し訳ないじゃないですか。お盆の時期もゆったりと過ごせるようにするつもりです」
これもまた、デスティネーションレストランのひとつの方向性だと、私はあらためて感じた。
飯箸邸
住所:長野県北佐久郡軽井沢町追分46-13
TEL. 080-3752-1184
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Vol.3「馳走 西健一」(静岡県・焼津)
【2024年7月公開記事】

「アジの刺身、紫玉ねぎのソースと山椒オイル」アジ臭さは一切なく、口にいれると身の弾力性に驚かされる
鮮度の高い魚を求めて広島から焼津に移住し、魚と向き合うフレンチを追求する「馳走 西健一」
静岡県焼津市に「サスエ前田魚店」という魚屋がある。駅から車で10分ほどかかるロードサイドにあり、大きな看板が目印の中規模の店だ。中に入ると、全国から集まった魚や冷凍食材、総菜、干物などが並べられ、一見では、地元の普通の魚屋としか思えない。
ところが、5代目の前田尚毅社長が地元の漁港をまわって買い付け、仕立て(美味しくなるように処理すること)た魚の質が抜群であることから、その評判が口コミで広まり、TBS「情熱大陸」やNHK「ガッテン!」で紹介されたり、全国の一流シェフが彼の魚を求めて焼津に集まるようになった。

極上の魚を求めて、探求心あふれるシェフたちが集う「サスエ前田魚店」
その中のひとりが、生まれ育った広島で独立し、フランス料理「馳走2924」を経営していた西健一シェフだった。彼は広島で修業していた時代に前田さんの魚と出会い、惚れ込んだ挙句、地縁のまったくない焼津に移住し、前田さんの魚を使うレストラン「馳走 西健一」を開くことにしたのである。しかもコロナ禍まっただ中の2022年6月のことだ。
「広島時代から少しずつ、前田さんの魚を使わせていただいていたのですが、なかでも『もちうまカツオ』と呼ばれるカツオの旨さには感動していました。ところが焼津にうかがい、前田さんと一緒に『シンプルズ』というフランス料理店を訪れたときのことです。同じカツオを使った料理を食べたときに衝撃を受けたのです。前田さんの仕立てた魚は素晴らしいのですが、広島に届くまでにはどうしても1日半かかる。ところが焼津で当日店に届いた魚は別次元の旨さなのです。ああいう魚を毎日使いたい、と心から思いました」
西さんは移転したきっかけを、こう話してくれた。

シンプルな佇まいが美しい「馳走 西健一」の外観
西さんは最初からシェフ志望ではなかった。ただ、食べることが好きという一心で地元の飲食店でアルバイトをはじめたことからスタート。次第に料理への向上心が芽生え、東京のフランス料理店で学び、最後はフランスまで修業に出かけたのである。
「1年ほど学んで帰国するときに知り合った方から『友人が広島で割烹をオープンする』という情報を聞きました。魚を扱うならやはり日本料理の勉強をしたいと思い、働かせてもらったのが、和食の師匠である平野寿将さんの『馳走 啐啄一十(ちそう そったくいと)』でした」
平野さんからは多くの学びを得たが、店を出して一年ほど経った時に彼が「サスエさんという魚屋があるんだけれど、そこから魚を取ってみようと思う」と相談されたのが、前田さんと知り合うきっかけになった。
「届いた魚を見て驚きました。発泡スチロールの箱に入っていたのですが、魚の状態が見たことがないくらいキレイだったんです。うろこもひとつもないし、氷も溶けていない。魚のクオリティもすごかったのです」

シェフの西健一氏。丁寧に言葉を選び、話をするさまに人柄が表れている
その後も前田さんが家族で店に来るなど、西さんと前田さんの関係は深まったが、西さんは独立してすぐに前田さんの魚を使いはじめたわけではなかった。
「自分の調理技術が前田さんのレベルの魚を扱えるほどではないとわかっていたので、最初は広島の魚だけを使っていた。でも一年ほど経ち、どうしても使いたくなり、平野さんに相談して前田さんに頼んでいただきました」
当時の店「馳走2924」は、喫茶店の居抜きでカウンター4席とテーブル2席、ワンオペで回していた。ランチ2000円、ディナー5000円で始めたが、次第に自信を深めつつあったときに、冒頭に書いたような、焼津で当日店に届いた魚は別次元の旨さという「事件」に遭遇したのである。ちょうど当時の店を改装するか移転するか悩んでいた時期でもあり、なんとはなしに前田さんに相談したところ、「じゃあ、来る?」と言われた。しかもその夜に平野さんに聞いたら後押しされ、決意したのが2021年5月。あっという間の出来事だったのである。
そして年内に閉店、焼津に「馳走 西健一」を開いたのが2022年6月だった。

店内はカウンター8席のみ。シェフの手さばきを間近で見ることができる
立地にも恵まれた。せっかくなら前田さんの店にすぐ取りに行けるよう、近所を探していたが、ちょうど閉店したとんかつ屋を前田さんが買い取り、店にしようと思っていた場所を借りられることになったのだ。
内装はゼロから作り上げたが、料理の過程を見せられ、すぐに出せるよう、カウンター8席のみとした。料理は前田さんの魚を主にした駿河湾の魚介を使う「駿河キュイジーヌ」を掲げるが、一部に生まれ故郷の広島の食材も織り込んでいる。
今回西シェフに作っていただいたのは、「カマスのフリット、トマトソースとペコロス添え」「アジの刺身、紫玉ねぎのソースと山椒オイル」「いわしのパイ包み焼、ブールブランソース」「サバのまっくろ焼き、紫キャベツ添え」「ブイヤベースのリゾット」の5品。どれも前田さんの魚を使った料理だ。

「カマスのフリット、トマトソースとペコロス添え」 カマスは身の薄い魚だと思っているフーディーに食べていただきたい一皿
カマスのフリットは、ふっくらと揚がり、カマスとは思えないくらいに分厚いし、大ぶりなアジはいわゆるアジ臭さがまったくなく、ナイフで切ると反発力がすごい。
「前田さんの魚の特徴は保水性がすごいこと。熱を入れてもドリップが出ないから身がふくらみ、うまさが凝縮されるのです。アジも噛み切るときの弾力が美味しいので、アジを大ぶりに切って、ナイフを使って召し上がっていただこうと思いました」

「いわしのパイ包み焼、ブールブランソース」 パイで包んだいわしへの火の通し方が絶妙
広島時代からのスペシャリテであるパイ包み焼は焼津に来て、さらにヴァージョンアップした。この日は新鮮なマイワシを大葉にくるみ、オーブンで浅く、半分レアになるよう、火を通した。

「サバのまっくろ焼き」 炭の香りとソースの味が重層的にひろがる
西さんが未来のスペシャリテに考えているのが「サバのまっくろ焼き」だ。サバをヒッコリーの炭で瞬間的に燻製して、中はほぼレアに仕上げている。こちらもサバの弾力がすばらしい。

「ブイヤベースのリゾット」ソースには甲殻類を使っていないため、シンプルに深みのある味に仕上がっている
〆はブイヤベースのリゾット。焼津で獲れる小魚やあらをたっぷりと使い、ほかの料理で使った魚の端材を一緒に入れて、魚のうまみをしっかりと、富士宮産のもち麦と玄米に吸わせている。
いただいて感じたのは、これまで個々の魚の持ち味だと思っていたのは、魚の状態がよくなかった故に感じられたものなんだなあということ。アジもいわしもサバも、ブラインドで食べれば青魚だとはわからない。
「前田さんのすごいところは、魚を仕立てるときの温度管理にあると思っています。僕らシェフは魚を料理して旨くすることが仕事ですが、前田さんは水や氷の温度をコントロールして、魚の旨さを極限にまで引き立てる“仕立てのシェフ”なんです」

目の前で料理が完成するまでを楽しめるのがカウンターの醍醐味
前田さんの魚を使いたいがために、わざわざ県外から焼津に移転したのは西さんだけだが、前田さんの魚を扱うため毎朝、サスエ前田魚店に通う焼津近郊の飲食店主には、「天ぷら成生」の志村剛生さん、「茶懐石 温石」の杉山乃互さん、「シンプルズ」の井上靖彦さん、「日本料理FUJI」の藤岡雅貴さん、「なかむら」の中村友紀さんなどがいる。彼らはこの数年、いつしか「チーム前田」と呼ばれ始めた。
デスティネーションレストランは周囲にある生産者や流通とは切っても切れない関係にあると私は思っている。そう考えると、西健一さんのように、前田さんの素晴らしい魚を使いたいがために自分から食材のある場所に移転するような事例は今後、もっと増えるに違いない。
わずか一日半の流通時間の差がこれほどまでに味の感動を与えるという事実こそが、デスティネーションレストランの原点だと私は思う。
馳走 西健一
住所:静岡県焼津市西小川4-8-9
公式インスタグラムはこちら
※8月1日~9月9日まで臨時休業にともない、現在、新規の予約受付を一旦停止しています。
Vol.4「mûrir」(新潟県・糸魚川)
【2024年8月公開記事】

新潟は魚とともにジビエも美味しい。鹿をローストして地元の野菜とともに
駅から車で15分ほど。遠くに山々と海を見渡せ、青々とした田んぼが続く里山の真ん中にぽつんとたたずむのがレストラン「mûrir(ミュリール)」である。周囲には民家も商業施設もまったくない。そこで供されるのは米を主体にし、フレンチの技法を用いたコース料理。新潟の風土に根差した料理である。

周囲を田んぼが囲む一画にレストランがある
糸魚川市は新潟県最西端で富山との県境にあり、日本海に面する人口約4万人の都市。糸魚川静岡構造線(フォッサマグナの西辺)が通り、日本の東西の境界線上に位置することや、世界有数のヒスイの産地だったり、ユネスコ世界ジオパーク(糸魚川ジオパーク)に指定されていたりすることなどが有名だが、一般的にはあまり知られていないように思う。私はひょんなことからここ数年糸魚川を訪れるようになったが、それまでは2016年に大規模火災があったことや、断崖絶壁の景勝地「親不知」に行ったことがあるくらいしか知識がなかった。

シェフの渡辺光実さんは糸魚川市で生まれ、東京での生活を経てUターンしたPHOTOGRAPH: COURTESY OF MURIR
その糸魚川にレストラン「mûrir」が出来たのは2023年10月のこと。シェフの渡辺光実さんは1991年に糸魚川の兼業農家に生まれ、高校まで地元で過ごしたが、卒業後に東京の調理師学校で学び、飲食業界に就職した。
「父が米作りをしていたので子供のころから料理に興味があり、中学生のときには料理人になろうと決心し、家で料理を作っていました。専門的な勉強をしたいので東京に行きましたが、数年経ったら戻り、地元でレストランをやりたいと思っていました。こんなに食材に恵まれた地域はないので」

青々とした田んぼには鴨の姿も
とはいえ、卒業して就職したのは帝国ホテルという名門。鉄板焼「嘉門」やフランス料理「レ・セゾン」と、錚々たる部門で修業をさせてもらい、嘉門では2年目からカウンターに立った。
「恵まれていたと思いますが、ホテルは分業制なのでゼロからすべてを作ることができないんですね。修業時代に読んだ雑誌の記事で大自然のオーベルジュにあこがれ、自分で野菜から作って料理をする店をやりたいと思ったのです」
家族からは当初猛反対されたが、渡辺さんの信念は揺るがず、5年ほどの東京生活ののちに帰郷。戻って畑から始めたが、最初は農業の厳しさを思い知らされたという。
「そんな時に駅前の洋風居酒屋のオーナーから声をかけていただき、5年ほど料理長を務めました。同時期に大規模火災があり、再生の象徴として『駅北広場キターレ』がオープンしたのですが、そこにキッチンスペースが出来たんです。その場所を間借りし、2020年6月から『つなぐキッチン レジョン』を2年ほどやっていました」

「mûrir」のコースは、雪どけから収獲までを器で表現している
御存知のように2020年6月といえばコロナ禍まっただ中で外出もままならない時期。レジョンはランチ2500円、ディナー4400円からだったが、糸魚川では外食に5000円以上を出すことはめったにないという人が多いため、当初はかなり苦戦した。そんな時に転機となったのが日本最大級、35歳以下の若手料理人コンペティション「RED U35」でのBROZE EGG受賞だった。
「地方にいるからこそ使える食材を前面に出した料理を評価していただき、自信になりましたし、県内の料理人の横のつながりが出来たのが励みになりました」
ただ、間借りキッチンでは限界がある。どこかで独立したいという考えが「mûrir」につながった。実は「mûrir」があるのは米や果樹を育てている農園「清耕園ファーム」の中なのだが、渡辺さんの奥様が清耕園ファームの娘だった。社長である義父が、ちょうど老朽化したハウスをどうしようかと悩んでいたときにレストランを作るプロジェクトが立ち上がったのである。

「雪どけ」を豆乳と地元の野菜で表現したスープ
だが、それは平坦な道のりではなかった。周囲の人々はこんな田舎にレストランを作って人が来るのかと反対した。
もっともな話ではあるが、それを渡辺さん夫妻は、白馬にあるアウトドアメーカー・スノーピークが経営するレストランに義父を連れて行ったり、新潟のローカルガストロノミー旅館「里山十帖」や和歌山のガストロノミーイタリアン「ヴィラアイーダ」などの写真を見せたりして説得。ようやくGOサインを獲得したのである。

乾燥させたご飯のおこげとホタルイカで「代かき」を表現

「田植え」は、タイをヴァンブランソースでいただく
オープンしたのは昨年10月。コースの価格は7700円とし、飲物を楽しみながら10000円でゆっくりと過ごしてもらうことをコンセプトにした。すべての皿に自社で栽培している糸魚川産コシヒカリ「ひすいの雫」を使い、熱源は薪を使う。
うれしいことに、今年3月には新潟ガストロノミーアワードの「若手シェフ部門30」に選ばれた。新潟ガストロノミーアワードの総合プロデューサーである「里山十帖」のオーナー、岩佐十良さんらが予約をして店を訪れ、料理を食べていろいろ講評してくれた結果だった。
「その中のひとりから、薪焼きはもっと進化できるはず。本場、スペインのバスク州でミシュラン1つ星の薪焼きのレストラン『チスパ』を経営している前田哲郎さんのところに行ったほうがいいとサジェスチョンをいただき、この6月に行ってきました。前田さんの薪の使い方は私のものと違い、とても勉強になりました」

糸魚川の新鮮な野菜。米をつぶしたソースを使って「はぐくむ」を表現
私が料理をいただいたのは、残念ながら渡辺さんがチスパに行く前。そのあとにどう変わったかを比較出来ていないのだが、私が訪れた時は8皿のすべてに米が使われ、雪解けから精米、熟すまでの工程を器で表現し、それを糸魚川周辺の食材がひきたてる。米はソースになったり、焼いたり、稲穂を揚げたりと、表現の仕方にこんな可能性があるものなのかと感嘆した。まさに米を食べる料理である。
最後は窯で炊いた、ふっくらとしたご飯を佃煮で食べ、残ったご飯は焼きおにぎりにした。日本人ならだれもが感激するフィニッシュだ。

「脱穀」は、糸魚川産コシヒカリ「ひすいの雫」のご飯を佃煮とともに

残ったご飯は焼きおにぎりに

デザートの皿は、もち米を使ったブランマンジェとイチゴのコンポート
「いろいろ大変な時期もありましたが、口コミでお客様が富山や東京など、県外からも来られるようになり、少しずつ理想に近づいてきています。糸魚川の食材がこんなに豊かであることをもっと多くの方々に知っていただきたいですね」
新潟といえば、最初に思い浮かぶのはやはりコシヒカリだろう。これを使って四季折々の多彩な表現を試みる渡辺さんの料理、さらに進化する工程を見守っていきたいと思った。

田んぼの真ん中に現れる、モダンな外観
mûrir
住所:新潟県糸魚川市東海79-1
TEL. 080-2679-4399
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Vol.5「anchoa(アンチョア)」(神奈川県・鎌倉)
【2024年9月公開記事】

タコのガリシア風、イベリコ豚の生ハム、シコイワシの酢漬け、ヒルダなどが並ぶピンチョス盛り合わせ
鎌倉は東京郊外の観光地としてはトップクラスの人気を誇る。2023年の観光客数は1228万人。鶴岡八幡宮や長谷寺、鎌倉大仏などの文化的遺産を旅し、七里ガ浜や材木座海岸などの自然景観を楽しみ、小町通りでショッピングするインバウンドの数もうなぎ上りだ。しかし東京からの距離が近いこともあって日帰り客が多いのが悩みの種。夜の営業にリスクがあるため、これまで飲食店経営はむずかしいという声が多かった。

「anchoa(アンチョア)」の外観。潔い佇まいが印象的だ
だがここ数年、素晴らしい店がいくつもできてきて、わざわざ鎌倉に食を楽しみにいくフーディーが増加していると肌感覚で感じている。四川料理「イチリンハナレ」や日本料理「鎌倉 北じま」などが代表格だが、私が注目しているのはスペイン料理「anchoa(アンチョア)」。代々木上原で8席のみのカウンタースペイン料理「アルドアック」を経営していた酒井涼シェフが、2021年に移転、鎌倉駅から徒歩3分ほどの場所にオープンさせたスペインレストランである。

シェフの酒井涼さん。2012年、代々木上原に「アルドアック」をオープンの後、コロナ禍を経て鎌倉の地に移転した
酒井シェフとは6年ほど前に、友人の自宅パーティで出張料理人をされていた時に出会ったのが最初。「アルドアック」が美味しいという評判は聞いていたが、当時住んでいた場所から代々木上原がけっこう行きづらかったことから行けないままでいたら、鎌倉に移転したという情報が届いたのだ。
そういえば以前、私鉄沿線にある本格的な日本料理店の料理長と話していたら、客が少ないというぼやきになり、「食いしん坊の方にとっては、うちより京都の方が近いんですよね」と言われたことがあった。鎌倉のように、東京都内から見ると中途半端な距離に感じられる場所があるということだ。

店内はカウンター席とテーブル席がある。シェフの手さばきを眺められるオープンキッチン
今回、この店のことが気になっていたのは、店名の影響もある。アンチョアとはスペイン語だが、英語にすればアンチョビ、つまりシコイワシ(カタクチイワシ)のこと。私はスペイン料理店に行くと必ず、シコイワシの酢漬けを注文し、これが美味しい店はお気に入りになる。わざわざ店名にしたのだから、きっと美味しいに違いないと思ったわけである。
1981年生まれの酒井シェフにとって、スペイン料理との出会いは渋谷「サン・イシドロ」。私も何度か訪れているが、店主のおおつきちひろシェフの作る伝統的なスペイン料理が美味しく、酒井シェフも8年間みっちりと基礎を叩き込まれた。その後、2012年に代々木上原に「アルドアック」を開店したのだが、その後のいきさつをこう語る。
「10年近く営業して、カウンターではなくテーブルのある店をやりたくなった。私は、シェフと話すより、お客様同士が楽しんでいただけるレストランにしたいと思ったんです」

コカと呼ばれるパイに店名にもなっているアンチョビを載せたスターターのアンチョア・コカ

鱧のソテーにはあさりの出汁が隠し味
当初は代々木上原近辺を探したが、コロナ禍であったことから海の近くで開業したくなり、神奈川方面を重点的に探し、鎌倉を選んだという。当初から前店の常連で来てくれるのは2割ほどと予想、実際もその程度で、今は近隣の客と観光客が中心で「最近、この店を目指して来てくれるお客様が増えてきた」と笑う。料理はクラシック寄りのスペイン料理だが、鎌倉食材を探しているうちに、ほとんど地産地消の料理になった。

鎌倉で採れる色鮮やかな野菜たち
「食材は肉も魚も野菜も想像していた以上にいいですね。でも、東京のようになんでもあるわけじゃないから、東京ではメニューを決めてから食材を仕入れていましたが、いまは食材に合わせてメニューを考えるようにと、仕事のやりかたがまったく変わりました」
中でもこの店の特徴は、店名にあるように魚介類にある。8割ほどの魚を長谷川大樹さんから仕入れているのだ。長谷川さんは神奈川長井漁港を中心に仕事をする仲買人で、彼が神経締めと呼ばれる処理をした魚は、通常の魚とはまったく違う味わいになるという。
「クリアな味で持ちもいい。魚が有名ですが、キノコや山菜も扱っているので、いつしか彼から調達する食材が中心になっています」
この日、私がいただいたのも、長谷川さんの魚を数多く使った相模湾魚介スペシャルコース「コース・マリスコ」。茄子や赤玉ねぎを使ったスペイン風ピザ「コカ」にいわゆるアンチョビを乗せた「アンチョア・コカ」でスタート。ピンチョスと呼ばれる美食都市サンセバスチャン特有の前菜盛り合わせには、私の好きなシコイワシの酢漬け、タコのガリシア風、マッシュルームの生ハム詰めオイル焼き、アオリイカの墨煮など8品が乗る。シコイワシの酢漬けは完全に私の好み、タコのガリシア風も気に入った。

長井の漁師さんがモリで突いて仕留めたメカジキを仲買人の長谷川さんから仕入れたもの。レアのカツにしてニンニクの白いソースでいただく

赤ピーマンの中にイバラガニを詰めたピキージョ

子イカの墨煮・チピローネスに凍ったイチジクを散らして

キジハタはロメスコソースで
その後も、鱧やメカジキ、イバラガニのピキージョ、チピローネス(子イカ)、キジハタなど、相模湾の新鮮な魚をスペイン風に仕立てた皿が続く。私は40年ほど前からスペイン料理が大好きなのだが、ピキージョやチピローネスといった郷土料理を洗練した皿に昇華させるシェフの腕前に舌を巻いた。

一週間分の魚のあらや骨を使ったソースのパエリャ

パエリャはアイオリソースをつけて味変しても美味しい
そしてメインはパエリャ。日本ではスペインを代表すと思われているが、もともとは南部バレンシア地方の郷土料理で、現地ではバルでは出されない。メニューに載せない店も多いため、日本のスペイン料理人にはパエリャ賛成派と反対派がいるが、酒井シェフは「美味しければいいと思っているので」賛成派。私も米好きの日本人に出さない手はないと思っているから賛成だ。
アンチョアのパエリャは、店で使った魚の骨やあらをふんだんに使ったスープだけで炊いたもので、具の乗らないシンプルなもの。しかし、魚介類の味を米がしっかり吸って、芳醇な旨みになっている。また、アイオリと呼ばれるニンニク風味のマヨネーズが抜群で、途中からこれを混ぜ込むとさらに味わいが深くなる。私は普段、あまり炭水化物を取らないほうだが、お代わりしてすべてを平らげてしまった。

自家製のバスク風チーズケーキ

八木下農園のバレンシアオレンジをアイスクリームに添えて
最後にデザート2種でコースは終了。アンチョアには、ほかにもコースはあるが、せっかく行くのなら、長谷川さんの魚をたっぷり使う「コース・マリスコ」がおすすめ。スペインワインに精通したベテランソムリエと相談しながら時間をかけてディナーを楽しみ、近辺で一泊。翌日も鎌倉周辺のデスティネーションレストランを回っていただきたい。
最後にとっておきの情報を。私が一番好きな天ぷら職人がいま、独立を目指してこの周辺で物件を探していると聞いている。鎌倉のガストロノミーツーリズムはますます面白くなっていきそうだ。
anchoa アンチョア
住所:神奈川県鎌倉市御成町2-14
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柏原光太郎
ガストロノミープロデューサー。文藝春秋で「文春マルシェ」創設を経て、「日本ガストロノミー協会」会長、「食の熱中小学校」校長、「Luxury Japan Award 2024」審査委員などを務める。近著に『ニッポン美食立国論 ―時代はガストロノミーツーリズム』。

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