美術館やギャラリーから外に出て、都市に介入しながらクリティカルなアートプロジェクトを実践した美術家ゴードン・マッタ=クラーク。1978年、35歳で夭折するまでの約10年間に彼が制作した作品には、現代にも通じる“生きるヒント”が隠されている

BY MASANOBU MATSUMOTO

画像: ゴードン・マッタ=クラーク 父はシュルレアリスムの画家ロベルト・マッタ。名付け親は現代美術家のマルセル・デュシャンだ PHOTOGRAPH BY COSMOS ANDREW SARCHIAPONE © THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK;COURTESY THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG.

ゴードン・マッタ=クラーク
父はシュルレアリスムの画家ロベルト・マッタ。名付け親は現代美術家のマルセル・デュシャンだ
PHOTOGRAPH BY COSMOS ANDREW SARCHIAPONE
© THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK;COURTESY THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG.
 

 70年代、NYで社会的なインパクトを持つプロジェクト型の作品を多く発表した美術家ゴードン・マッタ=クラーク。その作品の多くが、インスタレーションやパフォーマンスなど一過性のものだ。また活動期間が10年間と短く、制作発表の場が欧米のみであったことから、日本ではこれまであまりフィーチャーされてこなかった。その彼の、まさに待望の回顧展が東京国立近代美術館で始まった。

 マッタ=クラークは、いわゆるホワイトキューブのギャラリーや美術館の空間に作品をぽつんと置いただけのアート展を避け、都市に関与しながら、その場がはらむ問題を浮上させる作品を制作した。代表作のひとつは、NY郊外の一軒家を、自らの肉体と手持ちのチェーンソーを使って真っ二つに切断した《スプリッティング》。当時のNYといえば、市の財政難から公務員が大量にリストラされ、治安は最悪な状態にあった。郊外には所有権が放棄された建物が点在していたという。もともと建築出身のマッタ=クラークは、こうした空き家を使ったパフォーマンスを通じて、都市と建築、人の関係に歪みが生じていること、また近代都市の仕組みが、今起こっている諸問題に対して明確なソリューションを提示できていないことを社会に訴えたのである。

画像: 《スプリッティング》1974年 ゴードン・マッタ=クラーク財団&デイヴィッド・ツヴィルナー(ニューヨーク)蔵 真っ二つに切った空き家を見せるため、彼は現地までのバスツアーも企画した © THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK;COURTESY THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG.

《スプリッティング》1974年
ゴードン・マッタ=クラーク財団&デイヴィッド・ツヴィルナー(ニューヨーク)蔵
真っ二つに切った空き家を見せるため、彼は現地までのバスツアーも企画した
© THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK;COURTESY THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG.
 

画像: 《日の終わり》1975年 ゴードン・マッタ=クラーク財団&デイヴィッド・ツヴィルナー(ニューヨーク)蔵 建物を破損したことを新聞で知ったNY市は、マッタ=クラークに逮捕状を出した © THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK;COURTESY THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG

《日の終わり》1975年
ゴードン・マッタ=クラーク財団&デイヴィッド・ツヴィルナー(ニューヨーク)蔵
建物を破損したことを新聞で知ったNY市は、マッタ=クラークに逮捕状を出した
© THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK;COURTESY THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG
 

 閉鎖された港の倉庫の壁や屋根に大きな穴を開けた《日の終わり》という作品もある。穴は太陽の移動を計算して配置され、内部の光景は時間とともにドラマティックに変化していく。そして真っ暗になったとき、日の終わりを実感するという仕掛けだ。マッタ=クラークはこの場を、地球や自然を体感する特別なスペースではなく、パブリックな公園として開放することを目指した。

 またマンハッタンのSoHo地区で、アーティスト・レストラン「フード」を共同運営したこともあった。「フード」はパフォーマンスの発表の場を兼ねたオルタナティブスペースであり、アーティストがそこでスタッフとして働き、収入を得る経済的基盤としても機能した。

画像: レストラン「フード」の前で、ゴードン・マッタ=クラーク、キャロル・グッデン、ティナ・ジルアール 1971 年 個人蔵 PHOTOGRAPH BY RICHARD LANDRY © THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK; COURTESY RICHARD LANDRY,THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG.

レストラン「フード」の前で、ゴードン・マッタ=クラーク、キャロル・グッデン、ティナ・ジルアール
1971 年 個人蔵
PHOTOGRAPH BY RICHARD LANDRY
© THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK; COURTESY RICHARD LANDRY,THE ESTATE OF GORDON MATTA-CLARK AND DAVID ZWIRNER,NEW YORK / LONDON / HONG KONG.
 

 彼の作品はユーモアにあふれ、多様な見方が可能だ。反建築的な活動をした建築家だと評されることもある。あるいは、60年代後半に流行したランドアートの継承者だとか、当時のポストモダン思想を代表する脱構築をアートで示したとも言われる。しかし、彼のアートはどれも、自己表現のためだけに実践されたものではない。

 1971年に参加した展覧会で、マッタ=クラークは、大学の礼拝堂の庭にある大きな木に縄のハシゴや布地のベッドをとりつけ、数日間、一度も地上に降りないで木の上で暮らすというパフォーマンス《ツリー・ハウス》を計画した。実際には、その案は修正を余儀なくされたのだが、本展の図版には、ベッドにミノムシのように包まれ、ご機嫌そうなマッタ=クラークの写真が掲載されている。場所や建物に生き方を規定されるのではなく、天と地のあいだの領域すべてにおいて、“人が豊かに生きる可能性”を新たに探る――アーティストとしての彼の企ては、初期から一貫してそこにあったのではないだろうか。

 生きることの可能性は、いつの時代にも希求されるものだ。マッタ=クラークの回顧展は昨年、ポルトガルやドイツで開催され、今年6月からは本展のほか、パリのジュ・ド・ポーム美術館でも開かれている。周知のとおり、パリの中心部では大規模な再開発計画「新グラン・パリ」が推進中だ。かつてNY・ブロンクス地区の再開発問題をとり上げたマッタ=クラークの仕事は、「新グラン・パリ」の最中にあるパリで特別なリアリティをもつ。

 それは、2020年のオリンピックを目前にした日本においても同じだ。都市の景観、暮らしの風景がドラスティックに変わりゆく今、彼の作品やそのアイデアは、私たちに有益な気づきを与えてくれる。

 

ゴードン・マッタ=クラーク展
会期:〜9月17日(月曜・祝日)
会場:東京国立近代美術館
住所:東京都千代田区北の丸公園3-1
開館時間:10:00〜17:00(金・土曜は〜21:00)
※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜(7月16日、 9月17日は開館)、7月17日(火)
料金:一般 ¥1,200、大学生 ¥800、高校生以下無料
TEL. 03(5777)8600(ハローダイヤル)
公式サイト

 

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