ウォーホル世代の最後の生き残りのひとり、クレス・オルデンバーグ。彼は彫刻を再定義することで、アートの外見だけでなく、それを見る人たちをも永遠に変えたアーティストだ

BY RANDY KENNEDY, PHOTOGRAPHS BY PIETER HUGO, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: オルデンバーグとコーシャ・ヴァン・ブリュッゲンの1991年の作品《Binoculars》。その彫刻を囲む建物はフランク・ゲーリーがデザインしたシャイアット/デイ・ビル CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN, ‘‘BINOCULARS,’’ 1991,STEEL, CONCRETE, CEMENT PLASTER, ELASTOMERIC PAINT AND GYPSUM PLASTER.CENTRAL COMPONENT BUILDING DESIGNED BY FRANK O. GEHRY & ASSOCIATES, INC.,VENICE, CALIFORNIA. PHOTO: ATTILIO MARANZANO

オルデンバーグとコーシャ・ヴァン・ブリュッゲンの1991年の作品《Binoculars》。その彫刻を囲む建物はフランク・ゲーリーがデザインしたシャイアット/デイ・ビル
CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN, ‘‘BINOCULARS,’’ 1991,STEEL, CONCRETE, CEMENT PLASTER, ELASTOMERIC PAINT AND GYPSUM PLASTER.CENTRAL COMPONENT BUILDING DESIGNED BY FRANK O. GEHRY & ASSOCIATES, INC.,VENICE, CALIFORNIA.
PHOTO: ATTILIO MARANZANO
 

画像: (写真左) 《Apple Core》(1992年)。エルサレムにあるイスラエル博物館のビリー・ローズ・アート・ガーデンに設置。ヴァン・ブリュッゲンとの共作。 CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN,‘‘APPLE CORE,’’ 1992, CAST ALUMINUM, RESIN AND POLYURETHANE ENAMEL. THE ISRAEL MUSEUM, JERUSALEM.GIFT OF THE MORTON AND BARBARA MANDEL FUND,MANDEL ASSOCIATED FOUNDATIONS, CLEVELAND, AND THE ARTISTS, TO AMERICAN FRIENDS OF THE ISRAEL MUSEUM. PHOTO: ©THE ISRAEL MUSEUM, JERUSALEM BY ADAM BARTOS  (写真右)《Typewriter Eraser, Scale X》。1999年にヴァン・ブリュッゲンとともに制作。ワシントンDCのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに設置。 CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN,‘‘TYPEWRITER ERASER, SCALE X,’’ 1999, STEEL, FIBER-REINFORCED PLASTIC AND ACRYLIC POLYURETHANE. NATIONAL GALLERY OF ART SCULPTURE GARDEN, WASHINGTON, D.C., GIFT OF THE MORRIS AND GWENDOLYN CAFRITZ FOUNDATION. PHOTO: NATIONAL GALLERY OF ART, WASHINGTON, D.C.


(写真左)
《Apple Core》(1992年)。エルサレムにあるイスラエル博物館のビリー・ローズ・アート・ガーデンに設置。ヴァン・ブリュッゲンとの共作。
CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN,‘‘APPLE CORE,’’ 1992, CAST ALUMINUM, RESIN AND POLYURETHANE ENAMEL. THE ISRAEL MUSEUM, JERUSALEM.GIFT OF THE MORTON AND BARBARA MANDEL FUND,MANDEL ASSOCIATED FOUNDATIONS, CLEVELAND, AND THE ARTISTS, TO AMERICAN FRIENDS OF THE ISRAEL MUSEUM.
PHOTO: ©THE ISRAEL MUSEUM, JERUSALEM BY ADAM BARTOS
 
(写真右)《Typewriter Eraser, Scale X》。1999年にヴァン・ブリュッゲンとともに制作。ワシントンDCのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに設置。
CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN,‘‘TYPEWRITER ERASER, SCALE X,’’ 1999, STEEL, FIBER-REINFORCED PLASTIC AND ACRYLIC POLYURETHANE. NATIONAL GALLERY OF ART SCULPTURE GARDEN, WASHINGTON, D.C., GIFT OF THE MORRIS AND GWENDOLYN CAFRITZ FOUNDATION.
PHOTO: NATIONAL GALLERY OF ART, WASHINGTON, D.C.
 

画像: 《Spoonbridge and Cherry》(1988年)はヴァン・ブリュッゲンとの共作。ウォーカー・アート・センターにあるミネアポリス彫刻庭園の中に設置 CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN,‘‘SPOONBRIDGE AND CHERRY,’’ 1988, STEEL, ALUMINUM, AND POLYURETHANE ENAMEL.MINNEAPOLIS SCULPTURE GARDEN, WALKER ART CENTER, MINNEAPOLIS.GIFT OF FREDERICK R. WEISMAN IN HONOR OF HIS PARENTS,WILLIAM AND MARY WEISMAN, 1988. PHOTO: ATTILIO MARANZANO

《Spoonbridge and Cherry》(1988年)はヴァン・ブリュッゲンとの共作。ウォーカー・アート・センターにあるミネアポリス彫刻庭園の中に設置
CLAES OLDENBURG AND COOSJE VAN BRUGGEN,‘‘SPOONBRIDGE AND CHERRY,’’ 1988, STEEL, ALUMINUM, AND POLYURETHANE ENAMEL.MINNEAPOLIS SCULPTURE GARDEN, WALKER ART CENTER, MINNEAPOLIS.GIFT OF FREDERICK R. WEISMAN IN HONOR OF HIS PARENTS,WILLIAM AND MARY WEISMAN, 1988.
PHOTO: ATTILIO MARANZANO
 

《Spoonbridge and Cherry》という作品では、赤いさくらんぼが巨大なスプーンの上にちょこんとのっている。鉄とアルミニウムでできたこの作品は、1988年にミネアポリス彫刻庭園に設置されたが、米国で最も写真に撮られた芸術作品のひとつで、無数の笑える自撮り写真の背景として使われている。この作品のファンたちは、オルデンバーグの初期のパブリック・アートの企画案の中には、"穴"作品よりもっと気味悪いものがあったことを知ってゾッとするだろう。その中にはたとえば、マンハッタンの通りで夜な夜な午前2時になると悲鳴をあげるスピーカーなどというものもあった。オルデンバーグが書いた最も有名な文章は、1961年の半分風刺めいたマニフェスト『I Am For...』だ。その中で、ほかの言葉に比べると巷(ちまた)であまり引用されることはないが、彼はこう語っている。

「私は冬に下水道のマンホールから立ち上る霧に宿るアートのために存在している。凍った水たまりの上を踏むときにできる氷の割れ目のアートのために私はここにいる。そして、りんごの中に巣食う虫のアートのために私は生きているのだ」

 そんな彼の言葉をあらかじめ頭の中に入れていたとしても、オルデンバーグの自宅兼スタジオの中に入るときは、いったい何に出会うか想像がつかない。彼は、いまだに埃っぽいままのソーホーのウェストサイド地区の端にある5階建ての倉庫に、1971年から住んでいる。その建物の中ではかつて海軍が使うプロペラが製造されていた。室内はまるで美術館のように、完璧に清潔で整然としていた。壁や天井は光り輝き、壁際に並ぶパブリック彫刻用の模型の上に光が美しく降り注いでいた。カーキ色のパンツを細身の身体ではきこなし、テニスシューズを履いたオルデンバーグは、広いオフィス空間の一室にアシスタントと一緒に座っていた。彼は立ち上がって私に挨拶することはできなかった。昨年の秋、腰の骨を折ってしまい、杖をついて歩くか、車輪つきのオフィス椅子に座ってフロアをプロペラのようにぐるぐると移動するしかないのだ。

 私が到着したのと同時に、彼の娘のマージャ・オルデンバーグもやってきた。彼女は子ども時代のほとんどをこの広くて入り組んだ建物の中で過ごし、今では彼のキャリアについて最も詳しい人物だ。私たちは大きな机を囲んで集まった。そこに彼女の父はファイルの入った箱をいくつも積み重ねていた。まるで弁護士が供述調書を取るために準備したみたいだ。「どうやら、私はなんでも記録として取っておいたようだな」と微笑みながら彼は言い、机の上に広げた箱をチェックした。彼の額がゆっくり動き、そこに眼鏡がかかっているさまは、まるでふくろうみたいだ。

DIGITAL TECHNICIAN: BRIAN DEPINTO AT ETHIC. PHOTO ASSISTANT: DAVID CHOW

 

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