ギャラリーの壁の向こうは時を超えた世界だ。そこでは過去の亡霊たちが階段のあたりをさまよっている

BY CHRISTINE COUSIN, PHOTOGRAPH BY NICHOLAS CALCOTT, TRANSLATED BY MIHO NAGANO

画像: 注目をさらう脇役 舞台裏には別種の マジックがある。そこは美術館の2,200人の従業員が、値段がつけられないほど貴重なコレクションの世話をする場所なのだ

注目をさらう脇役
舞台裏には別種の マジックがある。そこは美術館の2,200人の従業員が、値段がつけられないほど貴重なコレクションの世話をする場所なのだ

 3年前のある月曜日、私は小学校1年生の息子のクラスの生徒たちのために、メトロポリタン美術館の見学会を企画した。当時、美術館は月曜が休館日だったのだ。私も付き添いで館内を回った。ある場所で、ガイドが子どもたちに一枚のルノアールの絵画を見せて彼らの興味を引こうとした。シャルパンティエ夫人の娘たちのひとりが犬の上に座っているのを描いた絵だ。いいアイデアではあったが、その作戦は〝ランプ係〞がやってきたことで完全におじゃんになった。メトロポリタン美術館の隠語で、〝ランプ係〞は電球を替える人を指す。おそらく、オイルランプが 使われていた時代の名残なのだろう。彼はアコーディオン状に伸びる移動クレーンを操作し、約5メートル半の高さの天井まで上がっていった。ルノアールに勝ちめはない。子どもたちは、重力をものともしないマシンのとりこになってしまった。「お母さん、あの人のこと知ってるの?」と息子は私に小声でささやいた。「まあね」と答えたそのときには、まさかそのひと言で私が有名人になるとは思いもよらなかった。「うちのお母さあの男の人のこと知ってるんだって!」と息子がクラスメートたちに叫ぶと、その声はがらんどうのギャラリーじゅうに響き渡った。私はあのときほど憧憬のまなざしで見られたことはない。

 あの日、息子と彼の同級生たちが目にしたのはメトロポリタン美術館の知られざる部分だが、そこには独自の魔力が宿っている。それはギャラリーの壁の向こう側に存在するメトロポリタン美術館のもうひとつの世界であり、そこではスタッフたちが『ダウントン・アビー』に出てくる召使いたちのようにトンネルや廊下を動き回っている。過去の亡霊たちもまた、そこに眠っているのだ。

 私は今、この美術館の館長のチーフ・アドバイザーという役目を担っている(館長のスピーチ原稿を書いたり、アンバサダー役を務めたり、いろいろな段取りをつけたりといった仕事だ)。ここで働いてきた22年の間に、ギャラリーに魅了されるのと同じぐらい、この秘められた空間と、そこで働く人たちのことが大好きになった。一見すると、裏側の空間はごく機能的だ。美術館の紙袋を入れた箱を積み上げたり、未使用の輸送用木箱を貯蔵したり、チキンサラダの大きな桶を一般客のカフェテリアから従業員専用カフェテリアに運んだりする場所として。だが、そこは同時に、人々からはほとんど見えず、注目されることもない英雄たちの領域でもある。

 清掃係やメンテナンス担当の従業員、警備員に調理スタッフ、美術品を移動する係、壁を塗る職人、室温や空調を管理する技術者――小さな街の機能に匹敵するぐらい、ありとあらゆるやりとりや職務がそこで行われている。また、そこは通称 “引き上げ屋”、美術館のヘラクレスとも称される引っ越し職人たちの本拠地でもある。

画像: グレート・ホールのバルコニーで電球を替える “ランプ係”

グレート・ホールのバルコニーで電球を替える “ランプ係”

 彼らの一日は、アメリカン・ウィングにある木製ベンチの位置の調節に始まり、重さ9トンのエジプトの彫刻像を館内のある場所から別の場所へ引きずって移動して終わる、といった具合だ(現在、グレート・ホールに設置されているファラオ像は、大理石の床を傷つけないよう、鉄製の板に載せて館の中を移動させねばならなかった)。この美術館で働き始めた最初の頃、私は〝チーズ〞と呼ばれる封筒に入った館内メモを配達する仕事を仰せつかって、こうした裏側の空間を行き来していた(黄色くて穴がいくつもあいたその封筒は、まるでチーズみたいだった)。電子メールのなかったその頃、許可をもらう必要がある書類を運び、怖そうな男女の上役たちが書類にサインするのを待つのが私の役目だった。気づけば、今では自分がその怖い上司のひとりになってしまったが、誰かの手で配達される〝チーズ〞にお目にかかることはほとんどなくなった。ほかのどんな経験よりも、あの重要な任務によって私はメトロポリタン美術館という場所を真に知ることができた。旧館と新館をつなぐ階段の構造を知り尽くし、長さ4ブロック、深さ2ブロックの建物の中に広がる迷路のような廊下を自由に行き来できるようになった。忙しいときには、チーズの配達に追われて、高いヒールを履いたまま「ボンドガールみたいに」走り回っていると言われたものだ。

画像: 美術館の建物の奥深く

美術館の建物の奥深く

 色彩のあふれるギャラリーとは違って、一般客が入れないこの場所は厳密に灰色と白のみで統一されている。「オズの魔法使い」でいうなら、埃っぽいカンザスの田舎と不思議なオズ王国のよう。裏と表のふたつが絡み合い、そこには時が止まったかのような世界が現れる。今、あなたが横を通りすぎた守衛――制服を誇らしげに着て礼儀正しい彼は、1910年からやってきたとしてもおかしくない。競馬のブックメーカーみたいに見えるあの男――ポケットがパンパンに膨らんで、目をきょろきょろさせ、顔にはそり残しの髭がある――は、60年代から変わらず忍び足で歩き回っている。壁にはめ込まれた荷物用のあの小さなエレベーターは、1920年に開かれた美術館の50周年パーティで使われたものかもしれない。舞台裏では、時間や部署の区別や、数十年の違いや仕事の割あてなど関係ない。だからこそ、美術館の2,200人のスタッフは偉人たちとともに歩んでいけるのだ。

画像: 閉じられたドアの向こうで オフィスを美しく飾るのは、(上から時計回りに) ガスパール・デ・クラーヤー、トマス・ ゲインズバラ、ヒューゴ・フォン・ハバーマンの作品。 使われていない額縁は、鉄柵のケージに 入れられている

閉じられたドアの向こうで
オフィスを美しく飾るのは、(上から時計回りに) ガスパール・デ・クラーヤー、トマス・ ゲインズバラ、ヒューゴ・フォン・ハバーマンの作品。 使われていない額縁は、鉄柵のケージに 入れられている

 伝説的なキュレーターだったヘンリー・ゲルツァーラーが、ひっきりなしに煙草を吸いながら図書室への裏階段を上っていくさまを想像してみよう。彼は1969年にメトロポリタン美術館に20世紀アートを持ち込んだ反逆児だ(そのために、彼そっくりに作られた人形が燃やされるという事態まで起きた)。ゲルツァーラーの反骨精神を受け継ぎ、20年前にビデオ映像を美術館のコレクションに加えるという快挙をやってのけたダグ・エクルンドが、もしあの階段でゲルツァーラーに会ったら、心得顔にうなずいてみせるだろう。私たちはみな、美術館開館100周年記念を祝して1970年に行われた壮大な祝賀舞踏会で、すでに出会ってはいないだろうか? マリファナの煙がギャラリーに漂い広がり、裸同然の女性たちがグレート・ホールで踊っていたあのパーティで。当時、私は1歳だったけれど、写真家のゲイリー・ウィノグランドがその光景のすべてをフィルムに収めている。その写真を見ると、多くの見知った顔が群衆の中に映っているのだ。

 クリントン元大統領が1994年に訪れたとき、シークレットサービスが通る地下の通路は塗り直され、美術館の歴史の写真を大きく焼き直したプリントが壁に飾られた。もしあなたがこれまで亡霊の存在に気づかなかったとしても、昔の写真を見れば一目瞭然だ。亡霊たちは前列のど真ん中にいる。19世紀の学生たちもいれば、美術館の射撃場の前にずらりと並び、銃を磨いている守衛たちの姿もそこにある。それらの古い写真は、一般客がほとんど気づかない扉から私たちスタッフが出たり入ったりするとき、今も目印になってくれている。

 壁の内側では、つねにそんな亡霊たちが息づいていたのだと信じたい。小説『無垢の時代』でイーディス・ウォートンは19世紀後半のメトロポリタン美術館を「来場者のない孤独の中で朽ち果てた」と描写している。主人公のニューランド・アーチャーは、からっぽの巨大な美術館の中、オレンスカ伯爵夫人の隣に座って諦めたようにこう言う。「えーと、そうだな、いつか素晴らしい美術館になるような気もするな」。彼は正しかったが、そのときも、彼の目に触れないところで多くの人が忙しく働き、偉大な仕事をしていたはずだと私は推測する。地下室では、サインペインターが芸術家の名前を金文字で描き、エプロンをつけた修復技術者が彫刻の鼻の部分をつけ替え、職人たちが美術品を固定する台座を作っていたはずだ。そしてきっと、やる気満々の若い女性がチーズを配達していたに違いない。

 美術館の地下のすべての廊下には「アート移動中、徐行せよ」という標識がかかっている。美術品は、この混み合った建物の中で物理的に移動する。そして、ひとたびギャラリーに収まると、今度は別のもの――人々の魂や頭脳を刺激し“動かす”ことができる。そして、私たちはみな本当の意味で、移り変わる時代の中にある美術品の前で徐行すべきなのだ。私たちはしばしば、メトロポリタン美術館の所蔵品がいかにインスピレーションをかき立ててくれるかを語る。5000年以上の歴史の中で花開いたビジュアル表現からほんの数メートルの距離で、人々は懸命に働き、恋に落ち(美術館そのものや、美術品や、あるいはお互い同士で)、そうして何か自分より大きなものの存在を理解してきたのだ。

画像: スペイン、ベレス=ブランコの16世紀の中庭の一部

スペイン、ベレス=ブランコの16世紀の中庭の一部

 行ったり来たり、人と出会ったり何かをしたりといった日々の行動が、私たちの仕事をかたちづくる。だが、こうした必要なあれこれを追い求める行動をより素晴らしいものへと変換してくれるのは、過去のリズムだ。それは過去の亡霊たちとのダンスのようなものだ。亡霊たちは、夜中に木箱にもたれ、あのとんでもなくワイルドだった1970年のパーティのことをうっとりと思い返す。

 あのランプ係も同様ではないだろうか。ランプ係が戸棚を開け、隠されていたまばゆい輝きがあらわになるさまを私は思い描く。「われわれはここに光をしまっておくんだ」と彼らは言うだろう。どのくらいの光がいるか、伝えるだけでいい。彼らは天井まで舞い上がって、光を届けてくれることだろう。

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